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そのほか そのⅧ

一切の形を否定する砂の流動 砂の女(安部公房著 新潮社)2024.3.28

 

今年は安部公房の生誕100年ということらしい。各誌でいろいろな特集がとりあげられ、演劇活動を含むこの作家の多彩な才能が紹介されている。ということで「箱男」にするか「他人の顔」にするか晩年の「箱舟さくら丸」にするかと考えた挙句やはり映画にもなった本著「砂の女」を再読することになった。

はじめてこの本を手にしたときは衝撃だった。何かの対談だった気もするが安部は手段と目的ということについてことさら興味深い話をしていたのを覚えている。

物語は砂地にすむ昆虫の採集を目的とする男が沿岸の小さな村の砂掻き人夫として捕らえられ砂と格闘する話といえばそれまでだが、まぎれもなく現在が抱えた複雑な問題を照らし出すきわめて寓意にとんだ構造となっている。村を侵蝕する砂の流動を食い止める砂掻きという労働それは目的なのか手段なのか。冒頭、安部公房は次のようにいっている。

「鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。砂との闘いを通じて、その二つの自由の関係を追及してみたのがこの作品」と。

 

砂のがわに立てば、形あるものは、すべて虚しい。確実なのは、ただ、一切の形を否定する砂の流動だけである。しかし、薄い板壁一枚へだてた向うでは、相も変らず、砂掻きをつづける女の動作がつづいていた。あんな女の細腕で、いったい何が出来るというのだろう。まるで、水をかきわけて、家を建てようとするようなものじゃないか。水の上には、水の性質にしたがって、船をうかべるべきなのだ。(p39)

 

捕らわれの身となった男はこんなことがあっていいものかと訴えるように自問する。

 

だが、それにしても、ありえないことだ。あまりにも常軌を逸した出来事だ。ちゃんとした戸籍をもち、職業につき、税金もおさめていれば、医療保険証も持っている、一人前の人間を、まるで鼠か昆虫みたいに、わなにかけて捕らえるなどということが、許されていいものだろうか。(p47)

 

理不尽な恐怖と不安の中で幾度となく脱出を試みるのだが簡単にはいかない。なるほど導入部の掴みといい最後の括りといいサスペンスに充ち満ちた絶妙の描写が印象的である。

 

八月のある日、男が一人、行方不明になった。休暇を利用して、汽車で半日ばかりの海岸に出かけたきり、消息をたってしまったのだ。捜索願も、新聞広告も、すべて無駄に終わった。(p3)

 

とはじまり、最後はこうなっている。

 

失踪に関する届出の催告 

不在者 仁木順平 生年月日昭和二年三月七日

右の不在者に対し 仁木しの

から失踪申告の申立があったから、不在者は昭和三十七年九月二十一日までに当裁判所に生存の届出をされたい。届出のない場合は失踪宣告を受けることになります。また不在者の生死を知っている者は、右期日までにその旨当裁判所に届け出て下さい。

昭和三十七年二月十八日

家庭裁判所(p217)

 

となっていて、家庭裁判所の審判をもっておわっているのだ。

 

村を守るための砂掻きという労働、誰でも防砂林でもつくればと考えるだろう。それでも女はこれが一番いいのだという。男はもがき苦しみながらも手段と目的、自由とはどういうことか、存在とはと考えつづけるのだった。

物語は終盤になって思いがけない展開をむかえる。脱出に成功したかと思われた男はアリ地獄のような砂の沼にはまり村の男らに助けられふたたび女の家に連れ戻されるのだが、男は砂穴の暮らしに一つの「希望」をみつける。砂の毛管現象による溜水装置の発明だった。

やがて女は妊娠し砂穴の家から町の病院へ運ばれる、半年ぶりに降ろされた縄梯子を伝って男は外へ出て深呼吸する。

 

穴の底で、何かが動いた。自分の影だった。影のすぐ上に、溜水装置があり、木枠が一本、外れていた。女を運び出すときに、誤って踏みつけられたのだろう。あわてて、修繕のために、引き返す。水は、計算で予定されていたとおり、四の目盛りまで溜っていた。

・・・略)別にあわてて逃げだしたりする必要はないのだ。いま、彼の手のなかの往復切符には、行先も、戻る場所も、本人の自由に書き込める余白になって空いている。(p216)

 

男はどのような自由を手にしたのだろうか、読後にのこされた奇妙な感覚この問いかけは何を意味するのだろう。

ああ、さすがに安部公房やっぱり安部公房だな。

 

現実が笑劇のように 抱擁家族(小島信夫著 講談社文芸文庫)20243

 

 戦後教育における英語教師たちのドタバタ劇のような滑稽さの中に卑屈な内面の葛藤を描いた「アメリカン・スクール」だけでなく「微笑」にも共通してみられる不可解な行動が闇とも傷ともいえる屈折した人間の内なる世界を照らしだす。だが、表面化するのは滑稽なまでにアンバランスな振る舞いでしかない。

初期作品の「小銃」も衝撃だったが最晩年の「ラブ・レター」もあえて日記風の散文スタイルで書かれた実験的なものと考えられる。そういう意味ではこの作家の人間をみつめる眼差しや社会をとらえる感覚と関心のあり方自体にある意味で小島文学を特徴づける文体の謎があるのではないかと思えてくる。また、文学の可能性としてその様式や手法にも並々ならぬ実験願望があるともいえるのではないか。多くの作品が残されていることもあって読んでいくうちにまた印象が変わるかもしれないが個人的には既にたいへん魅力的な作家のひとりとなっている。

本著は先の短編集「アメリカン・スクール」と「馬」の魅力を合わせもつ滑稽さと悲惨さが混在する笑劇の様相を呈し家族の危うさを露呈する世界を描いたこの作家の傑出した作品といえるだろう。

ここでは妻時子と若いアメリカ兵との情事をきっかけに崩れていく日本の家族のようすが描かれている。家の主人、家族をまもる父(家長)という立場の健気な夫は懸命にたて直しを計るがなす術もなく悲喜劇を繰り返し滑稽なまでに自己を失っていく。

このことは戦後の日本のあり方とその欺瞞性をふまえ戦後派の作家のひとりとしてこのようなアイロニーを込めた形で家族を描いたのではないかと思いたくなる。つまり、滑稽なまでに家族を象徴する父という立場を強調する皮肉が、戦後の象徴天皇という形をもって天皇制を維持し国家体制(国体護持)を守るという欺瞞性を浮き彫りにしているとも考えられるからだ。ここに対米従属の形あるいは永続敗戦の姿としてアメリカ兵アメリカ文化にあこがれるように抱擁家族という崩壊する家族のようすが読みとれるのだ。それゆえに本著は否応なく悲喜劇の狭間で笑劇ともいえる現実が露呈される。いうなれば戦後の現実が笑劇のように。

だが、物語は複雑な要素が複合的に描かれることによって奥深い問題を意識化する様相を呈しているともいえる。いわばアメリカに代表される欧米文化へのあこがれともコンプレックスともいえる屈折した心情が重層的に描かれるのだ。

 

事件があって三日目、俊介が夕方電話に出たとき、何といおうか、と言葉が見つからなかった。ジョージからだった。きまり文句だが、「ハウ・アー・ユー・ミスター・ミワ」と呼びかけてきていた。俊介は「ジャスト・ファイン」と大きな声で叫んだ。その返答が我ながら滑稽だったが、彼と話す用意が何も出来ていなかったので、そうするより仕方がなかった。(p52)

 

この卑屈ともいえる奇妙な対応のあり方はどういうことか。相手は二十才そこそこの若いアメリカ兵なのだ。

おもしろいことに谷崎潤一郎や内田百閒のころの作家には欧米文化に対して日本の作法や文化に揺るぎない誇りや自信のようなものがあるのだが、抱擁家族の各人にはあこがれはあってもどこか自己喪失ともいえる自信のなさが見え隠れしている気がする。

たとえば家族内での関係性や男女間の関係性、これまでの家族像すべてがいわばアメリカ文化によって相対化されアイデンティティを失ったように混乱してしまうのだ。ここでは理想とする家づくりもそれぞれの考えが交錯する。

 

夫婦が買った、小田急で新宿から四十分の、奥まったT町の傾斜地を念頭においた設計者の設計は、ガラス張りの家で、冷暖房が完備というやつだった。「いっそうのこと、この池をプールにしたらどうかしら。土どめの壁を利用すればいいのよ。子供が運動不足になるんじゃないかな。海へ出かけていくことを思えば、その方がけっきょく、いいんじゃない。私は山はきらいよ」(p95)

 

アメリカナイズした夢を語りながら抱擁の後、俊介が時子を抱いたときのことだ。

 

「ちょっと、ここのところ、そっとさわってみてよ」「ここ、ここだね」「いたい!」時子は顔をしかめた。彼女は両方の乳房を彼の前に出した。それを愛撫しながら、「だって、こんなに豊かではっているじゃないか。とてもいいお乳だよ」と俊介は昂奮していった。(p97)

 

時子に癌がみつかって物語は新たな局面をむかえるが手術は無事に終わり家族も新しい家に移り住むことになる。そこには家政婦みちよの代わりに正子が来ていて息子の良一と関係をもつ。みちよの他にジョージにも家に来てもらうことになるが時子の癌が悪化し再入院となる。やがて、手術の甲斐もなく時子は息を引きとる。

俊介の混乱は家族内だけでなく院内や出入りする他の人々とも絶えず混乱していて悲喜劇をくりかえす。俊介は家族像という形式にこだわるのか再婚の相手を求めて家というイメージを求めているともいえるだろう。

巻末の解説で大橋健三郎は重要な指摘をしている。

 

夫婦として合理と非合理のやりきれない境目に落ちこんでゆく気配は、滑稽であると同時に深刻であり、近代の合理主義のもたらした相対感覚の極限が日本の家庭を根本から揺さぶっているのを、読者自身に感じさせないではないであろう。(p278)

 

そういう意味において崩壊する家族の姿を描いた悲喜劇とも笑劇とも考えられる本著はきわめて深刻でシリアスな問題を提起している傑出した小説といえるのではないだろうか。

 

教育の概念と定義 教育の再定義への試み(鶴見俊輔著 岩波書店)2024.3

 

「戦時期日本の精神史 1931‐1945年」で著者は次のように記述している。「長い人生を生きて転向を通り抜けないものがあるだろうか?この人々を転向へと導いた条件は何だろうか?彼らの転向を彼らはどのように正当化しただろうか?」と。

本著は自身の葛藤に満ちた人生体験とさまざまな人々との交流をみつめながら深部に刻まれた記憶を辿るように教育とは何かと問いかける。このことは己自身の端緒の常に更新される経験としての哲学の概念と重なっているようにおもえる。

それゆえに教育は連続する過程として教え教えられる相互のりいれをする作業であるとし、自己教育という概念で連続する過程として生き方をつたえるこころみであるともいえるし、転向について考察する行為とも重なりべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の実践的活動のあり方にも連動している。

著者は教育について次のようにいう。

 

昭和軍国時代にはナチスばりの法学を適用する立場にかわって民衆にのぞんだのだが、それらの語り口は、敗戦をとおっても、高度成長をとおってもかわっているようには私には感じられない。そこには、全体をひきいる教育思想がかわらずに流れており、その思想は、自分まるごとの私的信念と私的態度によってささえられているようには思えない。(p40)

 

私の言いたいことは、今の日本は学校にとらわれすぎているということ。学校がなくても教育はおこなわれてきたし、これからもおこなわれるだろう。学校の番人である教師自身がそのことを心の底におけば、学校はいくらか変わる。(p46)

 

明治以来の国家(全体)主義のなごりというべきか学校教育の現場では効率主義とも画一的平等主義ともいえる管理体制が否応なく根づいているともいえる。世間体とか同調圧力の働きもこのことに起因しているかもしれない。

 

また、学びのかたちとその概念、自身の経験をふまえて教育の多様なあり方について自分の身体と自分の家庭から学んだことが教育の基本であると次のようにいう。

 

家庭の外では、職場、これは、私にとっては、最初に軍隊、次に雑誌編集、その次に大学という順序になる。さらに男女関係、自分のつくる家庭、自分の子どもから受ける教育、近所の人たちとのつきあいから受けるもの、社会活動から引退した人として孤立ともうろくから受ける教育、近づいてくる死を待つことから受ける教育である。それらと平行して、私にとっては、サークルが、大切な役割をはたしてきた。(p98)

 

とりわけ著者の《転向》という主題は「思想の科学」を契機としていろいろなサークルに形をかえ、ダイナミックな成果と思想のダイナミズムを実現した。著者はあとがきで次のように記述している。

「教育について考えるとき、私をまったく隠して書くことはできない。同時に、私の受けた教育についてふれるところも、教えた人が「私」をまったく隠して何かを教えたときには、受けとった知識にアクセントがついていない。」と。

本著は著者自身の経験をふまえ教育という概念を問うとともに再定義を試みる哲学書とも考えられるのではないだろうか。

 

 

 

《日記》風の散文スタイル ラヴ・レター(小島信夫著 夏葉社)2024.2.3

 

いつだったか上野の博物館であったボストン美術館所蔵の曽我蕭白の一本の線になったような最晩年の作品を観ておどろいたことがある。また、コントラバスの斎藤徹は晩年の小さなコンサートで演奏しながら自ら〈うた〉を歌い、歌いおわったあと「下手だなーっ」といって観客を笑わせ、どこか解き放たれたように自由な音楽を楽しませてくれた。そのときこんなにも開放的な表現の境地に立てるものかと思い知った。
小島信夫の「アメリカン・スクール」の衝撃はあまりにも強烈だった。本著「ラヴ・レター」はこの作家の最晩年の作品といえるかもしれないが、その衝撃とは別次元のあまりにも自然というかあるがままの文体を楽しませてくれる均質で不思議なおもしろさがある。いうなれは日常的な会話のようで空想ともエッセイともいえる《日記》風の散文スタイルのような文章が自然につづられていて独特の魅力を醸し出している。
表題作となった「ラヴ・レター」では15歳年下の作家保坂和志や得能芳郎とのエピソードをふくむ語りがつづられている。ここでは保坂和志との往復書簡という形式で刊行された「小説修行」という本の取組などからみても二人の関係性が想像できるのだが次のような経緯がそのまま自然な文体として記されている。

 

ぼくは保坂さんの「カンバセイション・ピース」のことに移って行くつもりでいたが、いよいよこの小説が始まると、最初の一回分の二百枚ぐらいの分量の生原稿を送ってもらった。
その後何ヶ月かの間をおいて、生原稿でないにしても活字になったもののコピイであったり、というぐあいにして四、五回届けられた。そして最後の分については、間違いなく、また生原稿そのものであった。(p110)

 

また次のような記述もある。

 

ぼくの家では、妻と二人で長年くらしてきていて、どこへでも二人いっしょである。記憶力がだんだんうすれて行くようになってから、一人で家にいてもらうことが出来なくなった。どのくらい前からからか分からないが、彼女はこのぼくがそばにいるからといって自分の夫であると判っているわけではないことを知らされてきた。(112)

 

このように日常的な生活とこれまでの小説、あるいはそれにまつわる記憶や逸話があえて同一次元のものとして坦々と記述されることにおどろく。

 

ぼくのところでは、保坂さんのことを話題にすることがすくなくない。それらは、ほとんどぼくの小説の中にそのまま、大切な箇所としてえがかれている。(p114)

 

といった具合だ。さらに十七年前に書下ろした長編小説「静温な日々」についてのエピソードにふれ、妻や得能芳郎のことが詳しく語られる。その文脈から表題作となる「ラヴ・レター」へと展開される。

 

「こんど私が書く『ラヴ・レター』は、私が夫であるお父うちゃまにあげる手紙なの。いい?とはいってもほんとうは、お父うちゃまが、私といっしょになったときくれた『ラヴ・レター』がもう一つその中に入ってくるのよ」
「ぼくのその手紙を、しまって持っていたというわけだね」(p123)

 

その手紙は次のようなものだった。

 

「略)・・・ぼくはぼくのために妻が、子供たちのために母親が欲しいのです。彼女をなくした私の家はこわれてしまいます。ぼくはそうした目的のため、多くの婦人に会ってきましたが、適当な人を見つけることができませんでした。ところが先だって、ぼくはふとしたことであなたにお会いし、あなたこそぼくの求めていた人だと思ったのです。どうかぼくと結婚して下さい。ぼくは誓ってあなたを幸福にします。・・・」(p124)

 

いろいろな問題を克服し結局ふたりは結婚するがどのような日々を過ごしてきたかそのようすも英語教室の課題となったラヴ・レターとして詳しく記されている。

 

「略)・・・今日、私はあなたにラヴ・レターを書きました。セント・ヴァレンタイン・デイはまだ先ですけど。略)現在、私は幸福なグランドマザーです。私は余生が価値あるものであれば、とほんとうに思っています。私たちがこれからも今までと同じように暮らして行けたらと願います。心から神様とあなたに感謝いたします。わがいとしきnobuoへ あなたの妻のkazuyoより」(p125)

 

こうして「静温な日々」のストーリーからこのようなラブ・レターが本著の物語として等しく組み込まれたことになる。
あまりにも衝撃的だった「小銃」「アメリカン・スクール」「馬」などの短編とはかけはなれた作風にふれ、凄みすら感じさせる実験的な作風に驚嘆させられたが、回送電車宣言と居候的散文のスタイルを標榜する堀江敏幸ならではの解説にあるようにこの作家の小説の可能性にあらためておどろかされる。

 

表題作だけでなくべつの短編にも、いま書いたばかりの逸話が分散されて入っていた記憶に雨漏りがあったのか、雨漏りがあったからその記憶に遡ることができたのかは判然としない、小島信夫の小説は、横にも縦にもつながってひとつの「全体をなしながら、その「全体」を見渡すことの不可能性を承知のうえであえて細部を語りつづける、場当たり的な描き方に支えられているのだ。(p266)
これほど抽象的なことを言い募りながらしかも具体的で、哀切と滑稽さをかねそなえた「全体としての細部」は、小島信夫だけが創造しうる世界だろう。(p269)

 

「抱擁家族」「静温な日々」をこれから読むつもりだがアメリカン・スクールが内包する滑稽さと恐ろしさから晩年になって哀切と滑稽さへと変容してとしても滑稽さという要素が共有されていることを思えばこの作家特有のものとはいえないだろうか。次に読む二作が楽しみである。

 

 

 

記憶と現実と精神病と… 幻化(梅崎春生著 新潮文庫)2024.1.22

 

本著は表題となる「幻化(げんけ)」のほかに「庭の眺め」「空の下」など6作の短編から成り立っている。巻末の年譜によると昭和20年12月というから終戦直後の混乱の中で自身が経験した軍隊の体験を基礎にして「桜島」を執筆。そして翌年9月、「素直」創刊号に掲載され文壇デビューとなっている。

梅崎春生の作品にふれるのはこれがはじめてだったが本著のどの作品においても共通して感じとれることはといえば、いずれの作品にも「喪失感」とも「虚脱感」「虚無感」ともいえる特有の感覚が作用しているように思えるということか。このことはある意味で戦後派特有の感覚といえるかもしれないが眼前の事象に対して静かに向きあうことで自身を含む人間存在についての深い洞察が読みとれる結果となっていると思える。

「幻化」を除くこれらの6篇の短編でもいえることだが、「隣人」を眺めるそのまなざしや向きあい方にさえどこか虚無的で感情の抑制が自然に作用しているように思われるのだ。またはその抑制そのものにリアルな感情の動きを注視しようとしているとも考えられる。

冒頭の「庭の眺め」「空の下」と読みはじめたときは正直なところやや物足りなさを感じたけれど、次々と読みすすめていくと何気ない日常の描写自体に抑制された感情、つまり虚無的な喪失感のようなものが漂っていることに驚かされる。

 

「幻化」はこれらの短編の要素にさらに精神病院をとびだして自身の記憶を辿るように旅に出る五郎という男の物語としてはじまる。旅先で偶然に知りあった同じ飛行機の隣客つまり生きずりの隣人となる丹尾という男、海軍基地のあった坊津で知りあった女、さらに戦争の後遺症ともとれる精神的な病理作用が錯綜するように物語は展開されていく。だが、ここには何かが欠落したいわば喪失感のような虚無的な心理でおおわれているような不思議な感覚がある。

主人公の五郎がかつての海軍基地があった坊津を訪ねたときのことだ。

 

〈なぜこの風景を、おれは忘れてしまったんだろう〉感動と恍惚のこの原型を、意識からうしなっていた。いや、うしなったのではない。いつの間にか意識の底に沈んでしまったのだろう。今朝コーヒーを飲んだ時、突如として坊津行きを思い立ったのではない。ずっと、前から、意識の底のものが。五郎をそそのかしていたのだ。(p190-191)

高揚された気分が、しだいに重苦しく沈んで来る。彼は低い声で、かつての軍歌を口遊んでいた。歌おうという意思はなく、自然に口に出て来た。『天にあふるるその誠 地にみなぎれるその正義 暗号符字のまごつきに 鬼神もいかで泣かざらむ』(p191)

 

と、ふとしたことから五郎は行きずりの女にかつて軍務に服していた頃のことと今に至る心境についてを語るのだった。

 

五郎は呟いた。睡眠療法でどうにか直りかけていたのに、脱走して思うままのことをした。やはりあのコーヒーを飲んで思ったことは、衝撃的なものか、あるいは正常人に戻りたくない気持ちからだったのか。しかし予定していたことと、実際の行動は、ずいぶん食い違った。「一体おれは、福の死を確かめることで、何を得ようとしたのだろう?おれの青春をか?」結局おれは福の死をだしに、女を口説いた。そして猥雑な中年男の旅人であることを確認しただけに過ぎない。しかし症状としては、昨日はまだよかった。不安や憂鬱は、ほとんどなかった。今日はどうも具合が悪い。ぼんやりと『死』が彼の心に影をさしている。この長い砂浜に独りでいるのがいけないのか。(p234)

 

この小説では戦争体験とその記憶とともに現実と精神病の作用がかもし出す独特の物語としてくり広げられるだけでなく、戦争そのものの不条理が静かに漂っているかに感じとれる。

 

熊本の宿で、五郎は女指圧師に揉まれていた。指圧師は二十前後の体格のいい女で、黒いスラックスと白い清潔なブラウスを着けていた。体操学校の生徒のような趣がある。人なつこい性格なのか、揉みながらしきりに話しかけてくる。(p248)

 

こうして、五郎は自身の記憶をたどる旅先で次々と行きずりの人々に出会っていくのだが、何の因果か物語の最後は阿蘇の外輪山でこの旅のはじめに飛行機内で知りあった丹尾と遭遇し『死』をイメージする賭けごとの途中で終わりをむかえることになる。

この物語の結末もみごとであるがこの作家の底知れぬ可能性を感じさせる繊細な小説であるといえる。それゆえに50歳という早すぎた死が惜しまれてならない。

 

 

 

資本論をめぐって ゼロからの『資本論』(斎藤幸平著 NHK出版新書)2023.12

 

 有機農業をやっている人からいわれたことがある「基本は自給自足です」と。分業と流通がはじまると農業は崩れるということなのだろうか。高校の教師が「大きな学校に移動してオレはバカになった」という。なぜかといえば分業化が進んでやることが減って考えなくてもできる仕事になったというのだ。

資本主義において効率よく生産性をあげる仕組みが人間の能力を衰退させ、イノベーションの進化によって人間の能力を補えば人の力は不要になるのだろうか。その挙句、資本主義社会は資本家と労働者の格差をひろげ労働を単純化し労働そのものが非人間化する結果を招く自明性を孕み、ひたすら価値増殖をくり返すグロテスクな運動のような構造をもつシステムともいえよう。その問題を是正し克服する仕組みとして合理的な規制や共同的な制御が実践されるわけだが、ソ連の崩壊とともに現代社会は一息に新自由主義、グローバル資本主義とシフトした。そのことは中国経済においてもまったく同じといえるのではないだろうか。

 マルクスの「資本論」はこのような資本主義の矛盾や多くの問題点を意識しながら当初の論文に修正を加え盟友エンゲルスの協力によって第3巻まで到達したがこの思想は未完成だという。そのことがポスト資本主義をめぐる多くの研究を進展させマルクスの思想をさらに進化させることとなった。

本著はこのような経緯を分かりやすく解説してくれるマルクス入門書ともいえるかもしれないが15万部突破の大ベストセラーとなったことになる。

1867年、マルクスの「資本論」第1巻は刊行されたが著者は次のようにいう。

 

こうした自然科学の議論に刺激を受けて、晩年のマルクスは、来るべきポスト資本主義社会の姿を、地球環境の持続可能性の問題とからめて構想しようとしていました。これを近年では「環境社会主義(ecosocialism)」と呼びます。単に人々の経済的平等だけではなく、自然との物質代謝の合理的な管理を目指すのが環境社会主義です。そしてこの環境社会主義が、資本主義に起因するグローバルな環境危機の時代に、再評価されるようになっているのです。(p147)

 

このように「資本論」は研究と思索を深めながら、15年がかりで第2巻の草稿を第8稿まで書きながら未完のままマルクスは亡くなった。それでも、第8稿まで7回も書き直した第2巻は、かなり完成に近づいていたという。一方、並行して執筆していた第3巻のまとまった草稿は、1861年から65年かけて、第1巻を刊行する前に書いたものしかない。それゆえに「資本論」全3巻はマルクスの没後に盟友エンゲルスが必死になって遺稿を編集し刊行したものでそれを一つの完成形としている、ということらしい。

 

しかし、エンゲルスが「マルクス主義」を体系化しようと努力すればするほど、晩年のマルクスが格闘していた未解決の論点や、マルクスの新しい問題意識が見えにくくなってしまったのも事実です。なぜなら、そうした新しい洞察はマルクス自身の構想に大きな変容を迫るもので、到底、残された「資本論」草稿の内容に収まるものではなかったからです。(p149-150)

 

さらに、著者はこのように続けている。

 

では、「資本論」に入れることができなかったアイデアとはどのようなものだったのでしょうか?そして、マルクスが「資本論」では答えることができなかった、「修復不可能な亀裂」を修復するための、未来社会のビジョンとは?この点についての明確な答えが、今こそ求められています。つまり、21世紀のコミュニズム論が必要なのです。(p150)

 

著者が最も強調する論点でありこの本を書く動機がここにあると思われる。つまり、「資本論」をめぐるマルクス晩年の思想的な変容における研究が注目され資本主義に代わる未来社会のあり方が求められる所以がここにあるといっても過言ではない。

資本主義をこのまま放置すれば社会の富も自然の富も失われ、格差拡大と気候変動の危機に直面するだろう。マルクスは一貫して富の豊かさをとりもどすために資本主義を超えた社会を構想していた、と著者は強調する。つまり、現存した社会主義とマルクスのコミュニズムの違いについて民主主義の欠如とし、著者は国家主義に対してアソシエーション(NPOやNGOなど自発的な結社)主義を提唱するとともにトップダウンからボトムアップ型の政治改革とコモン(万民が共有する富)の再生とその必要性を説く。

 

資本主義のしぶとさを前にして、マルクスは、その力の源泉を探求する必要性を痛感するようになっていきます。それがマルクスを経済学批判に導いたのであり、その研究成果であり「資本論」においては、マルクスは楽観的な改革ビジョンを捨て去り、革命に向けた資本主義の修正に重きを置いたのです。(p180)

 

マルクスのこの変化は「共産党宣言」(1848年)のころの生産手段を国営化する「プロレタリアート独裁」の革命思想から「資本論」へと大きな議論と変容を企てアソシエーションによる修正と改良を求めることになった。また、パリ・コミューンという地域主義的な抵抗も今日的なミュニシパリズムの可能性をもつ歴史的な出来事として特筆される。著者は階級だけでなく、ジェンダーや環境、人種問題をふくむ今日的な諸問題をふまえ、新自由主義批判にとどまるのではなく、やはり私たちはコミュニズムというユートピアを想像するために、「資本論」を読むべきであるという。

そういう意味でも本著はゼロからの『資本論』として、著者が提言する新たな「資本論」の読み解きとその可能性を問うもので新鮮なおどろきがある。

 

 

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