センダンの木 『もうひとつの曲り角』2019.10

 

いつだったか発掘調査の現場を見学していて考古学の専門研究員に訊ねたことがあった。日本の中世の遺跡だとしてもそれぞれの時代を経てその都度どのように変化してきたのか追跡できるのですか、と。その先生のおっしゃるにはそれがぼくたちの仕事です。

また、イタリアやギリシャの古代遺跡を前にするとほんとうに時間は横に流れるのではなく、縦に積もっているように感覚されるという。

この作品に登場する朋は、扉をあけて何気なく入っていった喫茶ダンサーというお店で自作を朗読するオワリさんというひとりの老婆と出会う。そして、オワリさんがこれまで生きてきた時間のかさなりに時空を超える子ども特有の感覚で偶然にもオワリさんの子どもの時代に遭遇することになる。つまり、もうひとつの曲がり角というのはオワリさんが子ども時代をすごしたころのもので、まわりの景色も今とはすこしちがっているけれどそこには大きなセンダンの木があった。

空想的でシュールな体験ではあるが、朋はどうしても気になって奇妙な感覚をもちながらも母からすすめられて通うことになった英会話スクールを休んではその曲がり角に行くようになる。その通りにあるお家にはみっちゃんという女の子がいてふたりはいつしか友だちになる。

だが、特別に何かがおきるわけでもなく、朋はひとりの老婆オワリさんとの出会いから時空を超えた不思議な体験する。そして、おもわず怖くなって友だちになったみっちゃんをふりきるようにその場をはなれる。

 

あ、だめだ、とわたしは思った。霧にのみこまれちゃう。霧にのみこまれたら、家に帰れなくなる。わたしは向きを変えて、来た道をもどりはじめた。それから急にこわくなって駆けだした。走りながら、わたしはいつのまにか泣きだしていた。もうみっちゃんには会えないんだ、と思った。せっかく友だちになったのに、二度とみっちゃんのいるところへ行くことはできない。わたしは泣きながら走りつづけた。(本文p221)

 

「ほんとうによく来てくれたわね。あなたがこの庭に来てくれるようになってから、なんだかいろいろなことを思いだすようになったの。忘れていた子どものころのことやなんかをね。わたしはこんな年齢になったけれど、でも、ついこのあいだ、わたしもあなたみたいな子どもだったの。それがわかったの。子どものときに体験したことはそのあとの人生にもずっと影響を及ぼしつづけていたんだなってことが。長く生きてきたあいだで感じたり考えたりしたことも、もともとはあそこからはじまっていたんだと、そんなことも思って」

オワリさんはにっこりとわらった。(本文P238-239)

 

朋はオワリさんに「あのね、オワリさんの下の名前、なんていうんですか」というと、「わたしはね、オワリミツホです」といってノートに尾割美帆と書いてそれをみせてくれた。

 

個人的なことで恐縮だが、どういうわけかユベール・マンガレリの『しずかに流れるみどりの川』とこの『もう一つの曲がり角』を同時に平衡して読んでいた。日ごろはそういう読み方はできないのだが今回は何故かそうなった。

マンガレリのその小説は社会の底辺で生きる父子の日常をつぶやくように淡々と描いたものだが、ポエティックで独特のその文体はいいようのない“静けさと流れるような時間”とともに人間存在の“光と影”を感じさせる傑出した小説といえる。

みどりの川に登場する少年プリモはいわば生活力のない父とともに健気にもきめられた云いつけと祈りをくりかえしながら時間だけが流れていく。

自分だけの場所でプリモは歩く、そして大人になっていく。プリモは不思議な草の生いしげる中を歩くことでつくられるトンネルであそびながらいろいろなことを考え空想する。その現実はすさまじいのだが、ここでは子どもの空想するイノセントな感覚はいうなればひとつの救いのようでもある。

 

前作『地図を広げて』(偕成社)につづく長編となる本編『もうひとつの曲がり角』は何ともこれまでにない不思議なひろがりを感じさせる物語となっている。つまり、引っ越したばかりの四人家族のかかえる問題はこれまで描かれてきた作品と等しくきわめてリアリティのある描写でありながら“もうひとつの曲がり角”というファンタジックな要素がクロスしているのだ。

リアルファンタジーなどというジャンルがあるのか定かではないが、いうなればそのような空想と交差するように切実な家族の現実がリアルな感覚で丁寧に描かれた不思議な物語といえる。だが、それは著者のこれまでの営為をふり返ってみれば単なる結果にすぎないともいえる。

つまり、子どもをとりまく家族や地域、学校の問題をリアリティあふれる文体で“子ども性”ともいうべき内面的世界を誠実に描いてきたこれまでの延長線上にある必然的結果とみることもできるのではないか。ぼくはそう思う。

時空をこえて、センダンの木は何をみつめ何を話しかけられていたか分からないのだが、プリモの草のトンネルは朋やみっちゃんのセンダンの木だったのかもしれない。

家族がかかえたそれぞれの悩みと個々の問題、物語はひとつの峠をこえ家族四人のそれぞれの成長を感じさせるようにおわりをむかえる。

 

現実と空想のなかで『しずかに流れるみどりの川』2019.10

 

ユベール・マンガレリ、その存在を知ったのは『おわりの雪』をはじめて読んだことだった。そのときの衝撃はおどろくべきものだった。この文体は何なのだろう、どこに由来しているのだろう、とこの作家のことが気になって仕方がなくなったことをおぼえている。

本著『しずかに流れるみどりの川』は田久保麻里さんが訳者あとがきでふれているように『おわりの雪』と対をなすようにも感じられるが、小説として最初に発表されたのはこちらの『しずかに流れるみどりの川』の方ということらしい。

つぶやくように淡々と語る散文の形式、このポエティックな文体はいいようのない“静けさと流れるような時間”とともに人間存在の“光と影”を感じさせるところがある。

 

トンネルを歩きながら、ぼくはいろいろなことを考えたけど、気持ちが暗くなるようなことはひとつも考えなかった。だれもが歩きながら頭のなかでくりひろげるような、ごくありふれたことだ。(p30)

 

プリモだけの場所、この不思議な草の生いしげるひろい草原をプリモは歩く。歩くことでつくられるトンネルでプリモは歩きながら考えつづけそしておとなになっていく。

本著は不安と隣り合わせで生きるやりきれない家族の現実を深々と雪が降りつづけるように描いた『おわりの雪』と同様けっしてドラマチックな出来事があるわけではない。

いうなれば生活力のない父とともに健気に生きる息子プリモの現実と空想のなかでゆれ動く内面世界をきびしい現実にかさねるようにその日常が淡々としてみごとに描かれていて感動的だ。

 

「金のことは心配するな、おまえがそんなことを心配するな」ぼくはなんて返事すればいいのかわからなかった。長椅子にもどり、父さんがあたらしく煙草に火をつけているあいだに床に落ちたコーヒー缶をひろって、となりの席に置いた。ぼくは悲しみでいっぱいだった。(p124)

 

貧しくもきびしい現実と空想のなかでプリモは父の言いつけを守り、気づかいながらも成長していく。だが、不思議なことに物語はだんだんと作品の主題を浮き彫りにしその重みを感じさせるようになっていく。

電気をも止められた貧苦の生活のなかで貯めた“なけなしのお金”をもって父子は街中へでかけ、レストランで食事する場面の描写は読者にすさまじい現実を突きつけ教会での最終章へとつづいていく。

 

その夜、ぼくは川の夢をみた。以前住んでいた町には川が流れていたから。水底に生えた藻のせいで、みどり色にみえた。みどり色のしずかな川だ。銀色の魚が流れにさからいながら水中にたたずんでいた。魚のからだが、藻のように波うっていた。町のことはすっかり忘れてしまったけれど、川のことはよく憶えていた。ぼくがその町をなつかしくおもったのは、そこに川が流れていたからだ。(p39)

 

プリモが歩く草のトンネル、マスを捕まえた父と子の会話、つるバラを育てるための決められた作業と祈り、現実と空想が錯綜するように時間だけが流れていく。

みどりの川の流れは何を意味するのか、「川の支流を手にする」とはどういうことなのか・・・・・。

プリモのようにやりきれない現実、究極的な状況のなかで前向きに成長をつづける子どもを描いた映画を想起させる。『泥の河』のノブちゃん、『ミツバチのささやき』のアナ、『ニューシネマ・パラダイス』のトトなど。

だが、ユベール・マンガレリは児童文学作家でありながらけっして児童文学作家ではない。むしろ、子どもから大人まで幅広い読者に問いかける社会派の作家といっていい。

著者のまなざしはその境界に位置し人間存在の真実を社会の底辺に生きる者たちの日常を描くことで浮き彫りにする。この現実に対してプリモはイノセントな光なのかもしれない。

ユベール・マンガレリの最初の小説「しずかに流れるみどりの川」にありがとう。ぼくはそう言いたい。

 

 

物語はつくられる 『象徴天皇という物語』2019.10

 

象徴天皇という制度はどのように考えられるのか。国民統合の象徴とはどういうことなのか。これから行われようとしている令和天皇の即位にかかわる数々の儀式が注目されることもありたいへん興味深いところである。また、即位儀礼の「大嘗祭・新嘗祭」について柳田国男や折口信夫はどう解釈したのだろう。

本著『象徴天皇という物語』は、おもに「世界」「思想の科学」、「神奈川大学評論」「仏教」などを初出誌としているが、大幅に改稿と補筆をほどこしこの本のために書き下ろした数章を加えて1990年ちくまライブラリーの一冊として刊行された。その後、ちくま学芸文庫に収録されたのち「象徴天皇をめぐる祭祀のゆくえ」という論考を書き下ろし、それを「補章」として加えてこのたび岩波現代文庫から刊行されたものとある。

また、これまで象徴天皇について真正面から論じられることもなく、象徴の概念についてさえ曖昧にしたまま問われることのなかったこの制度に民俗学と歴史学の両視点で検証する渾身の著といえるだろう。したがって、著者としてはこれが実質的な「定本・象徴天皇という物語」になるとしている。

 

著者は名著『東西/南北考いくつもの日本へ』(岩波新書)において、縄文以来の民族史的景観に対して、「ひとつの日本」というフィルターを自明としてかぶせてゆく歴史認識の作法に異をとなえ、柳田民俗学を相対的に捉えかえす新しい民俗学の発展に一石を投じた。

それにしても著者の柳田民俗学を相対的に捉えかえす眼差しには、その穏やかに見える風貌からは想像もできない程きわめて厳しい側面がある。

だが、この天皇制をめぐる民俗学的な論証からは否応なく柳田民俗学を相対化せざるを得ない要素が多々あってその徹底した解析と論考はさすがに説得力がある。そのことは著者の作法といえばいいのかあるいは流儀として、天皇を中心とした歴史的価値の呪縛から解放されるべく歴史的、文化的な重層性をたどるところから相対的な論考を企てるほかないのだ。

 

ここでは参考文献として、三島由紀夫、和辻哲郎、折口信夫、柳田国男、津田左右吉、坂口安吾、石井良助のそれぞれの著作に言及しながら、おもに「文化概念(文化共同体、全体意思)としての天皇制」、「天皇の親政・不親政の歴史」「祭祀と稲」「天皇霊」などに関する徹底した解析から天皇の即位にまつわる儀式「大嘗祭・新嘗祭」の歴史的文化的な意義が解き明かされる。

歴史的に中世それ以前にまでを視野に入れてみると統治のあり方そのものが現在のように確立されていない事実を考えれば、いくつもの統治や制度、宗教、祭祀、文化があったと思われる。また、権力の二重構造(精神的権威と政治的権力)にしても制度的に曖昧さのぬぐえないこのあり方について判断中止したまま歴史的事実として「象徴天皇という物語」はつくられてきたというほかないのだろうか。

河合隼雄の「中空構造日本の深層」(中公文庫)によれば、日本神話の構造を男性原理と女性原理の対立という観点で見ると、どちらか一方が完全に優位を獲得しきることはなく必ずカウンターバランスされる可能性をもっているという。つまり、日本神話の論理は統合の論理ではなく均衡の論理であるというわけだ。何かの原理が中心を占めるのではなく中空の周りを巡回していると考えられるのであり、永久に中心に到達することのないものとしているのも興味深いところだ。

 

補章として書き下ろされた「象徴天皇をめぐる祭祀のゆくえ」において「天皇という制度はたしかに、西欧の世俗的な王権とは大きく隔たったものだと、あらためて思う。それがいわば、ひとりの生身の人間にたいして、現人神を演じたり、その生涯を国民のための祈りに捧げ尽すことを強いるような制度であることの、大いなる残酷を思わずにいられない(p251)」との私感とこの制度の核心に届きえないことに、もどかしさと無念を覚える、としているのもきわめて印象的な記述といえるだろう。

目前にせまる令和天皇即位儀礼の前に象徴天皇について考える絶好の書であることはまちがいない。

 

本橋成一さんのエッセイ集 『世界はたくさん、人類はみな他人』2019.09.25

 

東京は東中野に本橋成一さんの拠点となるポレポレ座がある。ぼくは以前、斎藤徹さんと能楽師・久田瞬一郎さんのDUOライブでここを訪ねた。

だから、本橋成一という存在はむしろその周辺の方々から知ることになったのだが、ぼくは単純に映画監督とばかりおもっていた。それというのもきっかけは纐纈あや監督作品『祝の島』の周防大島町であった上映会でこの映画をプロデュースされた本橋さんとの繋がりを知ったからでもある。じつは、その上映会の情報も徹さんからだった。

その日は纐纈さんも来られていたのに残念ながら映写機の不具合があって少し混乱したのだが、作品『祝の島』はすばらしい作品だった。いうまでもなく上関原発建設に揺れる祝島のことだが、この映画ではむしろ島に暮らす人たちの笑顔、生き生きとしたその暮らしぶりを丹念に描くことに徹している。その後、各方面でのいろいろな人がこの国のロールモデルとして島の暮らしに注目するようになった。

また、本橋さんのもとで映画製作を手掛けるようになったその取材のあり方と手法の流儀が伝わってくる作品でもある。

ポレポレ座を訪ねたときもスタッフでいた真妃ちゃんから「纐纈さんは下におられると思うけど紹介しましょうか」と云われたのだが、いずれ何処かで会える気がしてそのとき断ったのでぼくはいまだに纐纈監督との面識はない。

その後、ドキュメント映画『隣なる人』の岩国での上映会で児童養護施設「光の家」をフィールドワークとする評論家・芹沢俊介さんと刀川和也監督のお話を聞く機会があり、刀川さんから纐纈さんの新作『ある精肉店のはなし』のことを聞いて広島のサロンシネマで鑑賞することができた。

その映画のもとになる屠場の取材における北出精肉店のことがこの本の「牛は涙を流すのだろうか」というエッセイになっていることが分かる。

松元ヒロさんの公演でも「ある精肉店のはなし」をネタにしていたし、ヒロさんからも本橋さんのことを聞くことになった。

映画監督のみならず、写真家として多くの作品やエッセイがあることを本著にふれることではじめて知ることができた。また、同時に本橋さんの取材の流儀ともいうべきスタイルとまなざしがこのエッセイ集に滲みでている気がする。

つまり、本橋さんの取材の流儀とまなざしが《方法論》としてそこに住む市井の人々の生活に徹底して向けられていることである。そのことは『祝の島』や『ある精肉店のはなし』にも間違いなく共有されている。

おそらくは、炭鉱、サーカス、上野駅、築地魚河岸、大衆芸能、その他にもそのまなざしは一貫しているのではないかとぼくは想像する。

ベラルーシや与那国の糸数さんの取材にしてもそうだ。

映画『ナージャの村』の主人公ナージャの父親ボーブカが51才で亡くなった(チェルノブイリ原発事故による放射能によるものではないか)と聞いて墓参りで訪ねた際、この村ナージャの冬の葬列のシーンを思いだしたという。ボーブカが唄ったその撮影のとき書きとめた本橋さんの詩を紹介しよう。

 

じいちゃん還ってきたなあ   村はいま春

じいちゃんがかけた巣箱で 小鳥たちが待っているよ

じいちゃん還ってきたなあ 村はいま夏

じいちゃんが植えた林檎の木は たくさんの実をつけて待っているよ

じいちゃん還ってきたなあ 村はいま秋

じいちゃんの家の白樺が 黄金色の落ち葉の雨を降らせて待っているよ

じいちゃん還ってきたなあ 村はいま冬

じいちゃんの家もないし 誰もいない

でもなあ あの雪の下には たくさんのいのちが春をまっているよ

 

『ナージャの村』の葬列のシーンは、ボーブカのおかげで、いのちの話しにつなぐことができた。(p121)

 

2017年、本橋さんが久しぶりに村を訪ねるとボーブカの墓も探すのに苦労するほど、墓地はにぎやかになっていて、なかには昨日埋葬されたかと思われるような色鮮やかな造花で飾られたお墓もあった。あれから多くの村人が還ってきたのだ、とチェルノブイリと福島の原発事故にふれている。

 

 

散文の呼吸 『もののはずみ』( 堀江敏幸著 小学館文庫)2019.9.9

本当におもしろい人だなぁと思う。堀江さんは『その姿の消し方』で「消えた町、消えた人物、消えた言葉は、…(略)永遠に欠けたままではなく、継続的に感じとれる他の人々の気配によって補完できるのではないかといまは思いはじめている。視覚がとらえた一枚の画像の色の濃淡、光の強弱が、不在をむしろ「そこにあった存在」として際立たせる。」という。

また、『回送電車』では自らの文学にふれ、「特急でも準急でも各駅でもない幻の電車。そんな回送電車の位置取りは、じつは私が漠然と夢見ている文学の理想としての、《居候》的な身分」としている。つまりは「評論や小説やエッセイ等の諸領域を横断する散文の呼吸。複数のジャンルのなかを単独で生き抜くなどという傲慢な態度からははるかに遠く、それぞれに定められた役割のあいだを縫って、なんとなく余裕のありそうなそぶりを見せるこの間の抜けたダンディズムこそ《居候》の本質であり、回送電車の特質なのだ」として回送電車宣言をして自身の文学観を表明している。

この作家ならではの独特のスタンスであり独特のスタイルといえるだろう。読んでいて本当に不思議な時間体験をしているようで心地いいのだ。


本著では手もとに集めおいた諸々の品物にまつわる記憶や思い、エピソードが不思議な時間とともに伝えられる。たしかに、この散文の呼吸はなんとなく心地いい時間の流れを感じさせるし、書き手と読み手の記憶をつなぐ不思議な空間を共有しているようでもある。

 

たとえば、「鉛筆削り」(p62)では、小津安二郎の「お早よう」のなかで殿山泰司が演じる押し売りシーンを枕にして、自ら愛用するフランスの学童文具の粗雑さとその殿山泰司のシーンをつなぐ記憶が語られる。

 

原則として、鉛筆はナイフで削ることにしている。ところが、欧米の鉛筆は先が削られた状態で売られていて、円柱を円錐にする「筆おろし」のたのしみもないし、たまたま美しい黄色のベークライト製鉛筆削りを正方形と円形のペアで手に入れたこともあって、最近はそちらを使うようになった。もちろん刃先は摩耗していて、じつに削りにくい。(p64)

 

このほかに、「おまけ」「美しい木」「皿の音」「ドアノブ」「海を見ていた」「木靴」「二分十五秒」「残されたボタン」「彼女たちの脚」「ものごころ」などなどおよそ50個の品々のことにふれて書かれている。こんな「がらくた」ばかり集めていったいなんの役に立つのか?と帯にはあるけれど、ここには偶然にも読み手の記憶とクロスする品物もあるだろう。

 

ひとつの「もの」にあれやこれやと情けをかけ、過度にならない程度に慈しむことで、なにか身体ぜんたいをはずませ、ひいては心をもはずませること。私はそれを、もののはずみ、とよんでいる。(p222)

 

他愛のないエッセイのようでも、何とも云えない記憶が揺さぶられるようで不思議な気がしてくる。

この発想と文体、記憶と思いが錯綜する知的な引用のスタイルは、この作家ならではの感覚のあらわれとして描出される。おもえば、初期の名作『郊外へ』や『雪沼とその周辺』にも同質のエッセンスが感じとれる。

エッセイなのか物語なのかポエティックな広がりをもつ本著『もののはずみ』は、堀江さんにとってきわめて自然な成り行きとして刊行された必然的な産物といえるだろう。この何とも云えない散文の呼吸をどうぞお楽しみください。

 

 

久しぶりの伊藤さん 2019.9.3

 

神楽坂にあるセッションハウスの伊藤さんが岩国にこられ、ぼくは今年の5月惜しまれて他界された斎藤徹さんのお別れ会で東京の田園調布にある《スタジオいずるば》以来の再会となった。 

伊藤さんは岩国にこられるのは三年ぶりと云われたが、この街の衰退した姿にはかなりのショックを受けたようだった。

三人で楽しい会食をすませたが他に話ができる場所はなく、結局のところわが家へ案内し11時過ぎまで話し込んだのはいいがそのあと市内のホテルに引き上げるタクシーがない。来るときの運転手は夜通しやっているというので安心していたのにどうしたことか。少々、あわてたがやっと事なきをえた。

翌日ホテルをチェックアウトして、伊藤さんはブラブラと街を歩いた感想を送ってくれたのだが本当に岩国は何もなくなった。映画館も本屋もレコードショップもなく話ができる喫茶店もクラシックやジャズを聴かせる店もない。だから、ないのが当たり前になったようにありふれた居酒屋とコンビニだけが目につく街になったと思うのはぼくだけだろうか。

 

後日、セッションハウスで行われた新井英一のコンサートのDVD2枚と彼がTBS時代に制作したラジオ番組「BC級戦犯をめぐって」と「卑怯という名の勇気-韓国陸軍兵士によるドキュメント-」の二つをまとめたアーカイブ録音1枚とヘンリーミラーが三島由紀夫の死について書いたものをそれぞれ送っていただいた。

ぼくは、新井英一を聴きながら20年近く前に岩国で行われた野外ライブと錦帯橋の上で歌った「チョンハーへの道」を想いだしていた。

新井英一が谷川俊太郎と武満徹の「死んだ男の残したものは」を歌っているとは知らなかったが脇にいるギター演奏も印象的ですばらしかった。新井英一のあの迫力とあたたかみのある独特の声質は変わらず何となくうれしい気分にさせてくれた。

TBSラジオのアーカイブは貴重な資料としてあらためていろいろなことを考えさせられた。

 

1本目の番組「BC級戦犯をめぐって」のそれぞれの証言では戦勝国によって裁かれた裁判とはいえ戦時下において経験した不条理な行動への気持ちとその思いは、2本目の番組「卑怯という名の勇気-韓国陸軍兵士によるドキュメント-」の“人間の尊厳”という点で共通する問題でいろいろなことを考えさせる貴重な資料だと思った。

それは、ベトナム戦争で韓国軍兵士として軍の命令に背いて日本への亡命を求めた兵士への対応をめぐるドキュメントだったが、結局は北朝鮮へと亡命したという。

自分ならどうするかと考えたときそう簡単にはいえそうにない。命がけで逃げる方がマシと考えるかもしれないし国に従って死を覚悟するかもしれない。また、息子に赤紙がきたらどうするかとも考える。それは直面してみないと、、、

おそらくはべ平連と思われる若者たちの対応をめぐる生々しい声、若々しい小田実の声はそのあたりのシビアな現実を突きつけていたが、これもなつかしいもので何年たっても声質というものは変わらないものだなあとつくづく思った。

うっすらと記憶に残っていたようなニュースでもあったがこの兵士が北朝鮮へ亡命したとは知らなかった。

 

ヘンリーミラーの三島由紀夫の死についての論考は三島への畏敬の念と違和感の入り混じった複雑な心情が滲みでた丁寧なものでたいへん説得力のあるものだった。

そこに紹介された『太陽と鉄』は三島由紀夫が褌姿で日本刀を構えた表紙で、ぼくはその初版本を『蘭陵王』とともに神田の八木書店で買って今も大切にしている。

この本の最後におさめられた「イカロス」という詩などは本当に死を準備しているように感じられるものでこの詩の一節をぼくは暗記している。また、今は手元にはないがこの「イカロス」を作品にしたこともある。

確かに不可解な最後の市ヶ谷の決起は滑稽としかいいようのないことかも知れないけれど、ぼくは観念論者とか狂信者としてしか理解できないほどの究極的な心境にそのときの三島は達していたのかもしれないという気がしている。若いころ、三島の文学に影響をうけ読みあさった一人としてぼくはそう思う。

三島由紀夫は当時でさえ、極東アジアの一角にきわめてニュートラルで国家として主体性のない経済大国が存在するのを忌み嫌い、英雄の概念や行動の美学を掲げて天皇論を主張していた。

だが、死を覚悟していたことも事実で死をもって自らを完結することを願っていたようにも思う。だから、ぼくたちは三島の文学までもその文脈にあてはめて考えようとするのかもしれない。

事実、『金閣寺』では火を放つ若い僧の心境は死をもって解脱する臨済宗のイメージで語れるし、「イカロス」にしても限りない死への接近がイメージされている。

いうなれば、三島由紀夫は身をもって自ら描いてきた物語のイメージを体現して完結したかったのかもしれない。だが、四部作『豊饒の海』のように死をもって完結した暁には、いずれ輪廻転生することをイメージしたとも考えられないだろうか。仮に今現在がそうだとしたらそれはちょうど『暁の寺』あたりかも知れない。

だから、《覚悟の行動学》ともいえるかも知れないが70年代の時代状況もあって、任侠映画の高倉健の殴り込みや「止めてくれるな!おっかさん」「唯一の無関心で通り過ぎて行く者を俺はゆるしておくものか、藁のようにではなく震えながら死ぬのだ」という学生たちの運動とかさなったような気もしている。

確かにヘンリーミラーの論考は信ぴょう性も高く説得力もあると思うけれど、それ故に天才の名をほしいままにした三島由紀夫の死は考えれば考えるほど不可解さが増幅してくるように思えてくるのだった。

 

 

原体験としての《恐れ》『サラサーテの盤』(内田百閒著 福武文庫)2019.7.25

本編におさめられたこれらの作品から感じられるある種の不気味さは、なんとも名状しがたい独特の感覚に起因している気がする。このほかにも数々の随筆や短編小説にみられるこの作家のユーモラスな感覚や滑稽ささえも意図的なものとしてではなく、並はずれた美意識や徹底したこだわりと独特の価値観に根差した行動原理がある意味で異化作用をひき起こす結果とみることが妥当とはいえないだろうか。

本著における夢ともうつつともとれる幻想や幻聴のように非現実的な時空を超えた描写にしてもこの不気味さの根底には何となく原体験としての《恐れ》と同期しているようにおもえるのは何故だろう。

おもえば、川上弘美の《うそばなし》や観念的な思考ともちがうし、シュールな理論に沿ったものでもない原初的な感覚そのものがこのような稀有な文体を生みだしているように思えてならないのだ。

 

ベルグソンの定義によると《笑い》とは瞬間的な優越感というけれど、本著の笑いと恐怖の同居するありようがこの定義に当てはまらないのもおそらくそのことに由来しているのではないか、ぼくはそう思う。つまり、そこにはゆるぎない絶対的な存在価値として現実を逸脱しているともいえる<個>があるといえよう。また、このことは百閒文学特有のスタイルでもあり文体ともなっているし名著『冥途』にも共通するところでもある。

 

たとえば、『東京日記』では普段あるはずの丸ビルがなくなるという物語においてこのような描写となっている。

(p99)「丸ビルはどうしたのでしょう」「丸ビルといいますと」その男は一寸言葉を切って、人の顔を見てから、「さっきもそんな事を云った人がありましたが、一寸私には解りませんね」と云って向こうを向いてしまった。

(p100)帰りに有楽町の新聞社へ寄って、友人の記者に、丸ビルに用事があって出掛けて来たけれど、丸ビルはなくなっていたと話したところが、そんな事があるものかと云って、相手にしなかったが、いいお天気だから出て見ようと云って誘い出した。

(p105)不意にひどい稲光がして、家の中まで青い光が射し込み、店の土間にいる人人を照らした。その途端に屋根の裂ける様な雷が鳴ったので、驚いて立ち上がったら、土間に一ぱい詰まっているお客の顔が、一どきにこちらを向いた様であったが、その顔は犬だか狐だか解らないけれど、みんな獣が洋服を着て、中には長い舌で口のまわりを舐めまわしているのもあった。

(p107)仙台坂を下りていると、後ろから見た事のない若い女がついて来て、道連れになった。夕方で辺りが薄暗くなりかかっているが、人の顔はまだ解る。女は色が白くて、顎が奇麗で、急に可愛くなったから、肩に手を掛けてやった。

 

情景描写にみられる固有名詞や媚態をともなう女性との心理や仕草の描写にはきわめてリアルな描出空間と同じ時系列のなかにも超現実的で個人的な感覚によって意識化されたものが等価なものとして挿入されている。

夢かうつつか、まさしくその飄々としたふるまいとまなざし自体が現実と非現実、恐怖とユーモア、さらに滑稽さをともなう由縁でもありきわめて独特の文学世界を成立させているというほかない。

 

ほかにも、『梟林記』『棗の木』『南山寿』『枇杷の葉』『神楽坂の虎』や表題作となる『サラサーテの盤』など不思議な世界がズラリと並ぶ短編の数々。どうぞお楽しみください。

 

 

含蓄のある新たな西行伝 『西行』(新潮文庫 白洲正子著)2019.5.29

 

 ねがわくば花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃

 

平安末期の世を生き、出家人として方々を旅しながら多くの歌を残し伝説化された歌聖・西行。多くの謎に満ちた西行の足跡を辿りながら著者独自の西行像に迫る論考はさすがに説得力がある。

とりわけ、西行の残した多くの歌からこの謎めいた人物像を探ることは容易であるはずはない。それゆえに明恵上人を書き上げた後に西行に取り掛かるまでに十数年の歳月を要したことも肯けるというもの。それも推敲とか執筆に費やしたというよりもむしろ躊躇いのような悶々とした時間を過ごしただけとの言葉もイメージできるからおもしろい。

おもえば、詞書と歌による表現形式で世界と向きあい自身に対峙する修行(試み)は自然との同化による自己消滅こそが解脱への到達ということだったのだろうか。

 

風になびく冨士の煙の空に消えて ゆくへも知らぬわが思ひかな

いつとなき思ひは富士の煙にて 折臥す床や浮島が原

 

いうなれば、このように自然に対峙し宇宙と同化する境地こそが西行の即身成仏の思想とみることができる。人間味あふれるこの思ひこそ西行の魅力であり不確かさであり謎ともいえる所以といえるのではないか。

それにしても芭蕉や山頭火、李白や杜甫にしても、どうして方々を旅するのだろうと不思議に思えてくるのだが、その足跡を追体験しながら随筆をまとめる作業とは執筆者独自の創造の世界として経験されるほかない。

福田和也は解説でそのことにふれ、白洲氏の文章は、何にも似ていない。西行を語ることは、歌について語ることであり、仏教について語ることであり、旅を語ることであり、山河を語ることであり、日本人の魂と祈りを語ることであった。としている。

また、『明恵伝』の記述をめぐる虚実にふれて、瞬時に世の虚妄にかかわる認識に通底させて、西行の姿を追い、見つめる読者の目を、西行が「虚空の如き心」で世界を見ていた認識と一致させてしまう文章の動きは、批評と呼ぶのすらさかしらに思われる程で、流暢な運びのうちに視界を転換し、「虚」と「実」の間に広がる、生々しい歌の在処を照らしだす。そのとき白洲正子の文章の中に西行が現れる、という。

個人的には残念ながらそこまで読み切ることはできないけれど、ディスクールとしては納得できるし、含蓄のある新たな西行伝ということもできるだろう。

 

春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなりけり

おのづから花なき年の春もあらば 何につけてか日を暮らすべき

 

待賢門院への思い、この濃密な息苦しさ、官能へと、花へと、身をさらす西行。

本著は西行とともに旅を楽しむことも、多くの謎とともに数奇のあり様を探ることも、想像力をかき立てられる傑出した一冊であることはまちがいない。

 

 

戦争をめぐる保守派の変遷『保守と大東亜戦争』 2019.5.17

 

いつの頃から大東亜戦争をアジア開放のための聖戦とみなし、戦前の日本の姿に積極的な意義をとなえ賛美する立場を《保守》とするようになったか。そもそも、《保守》とはいったい何なのか?

本著は戦前の日本において保守の論客たちがどのような発言をしてきたかを詳細に辿ることから歴史を解明し、今日への問いを見出そうとする著者の立場を示すものである。

 

ここでは冒頭、1930年代の昭和維新を掲げたテロによるクーデターの《ファッショ的革新性》そのものに保守思想とは相入れない矛盾があることを指摘し、《大東亜共栄圏》や《八紘一宇》という超国家主義的構想も容認できないとしている。

著者は保守の定義として、基本的考え方をエドマンド・バーグがとなえたフランス革命批判にあるという。

フランス革命を支えた左翼的な思想は、理性の力によって進歩した社会を構築できる、平等が実現したユートピア社会をつくり上げることができる、というものだ。つまり、人間の《理性の無謬性》を前提として合理的な正しさに基づく社会改造を行えば、理想とする社会を実現できるという発想を共有している。

これに対して、バーグをはじめ保守思想家は懐疑主義的な人間観を共有する。人間は不完全な存在であり、道徳的にも能力的にも過ちを犯しやすくエゴや嫉妬、怨嗟の念からも自由になることはできないし欲望を捨てることもない。 すなわち、人間にとって普遍的なのは《理性の無謬》ではなく《理性の誤謬》だとしたうえで、保守は理性を否定するのではないとも強調する。

一見、矛盾の論理にみえるかもしれないけれど真に理性的な人間は理性の限界を理性的に把握するのだとし、個別的な理性を超えた存在の中に英知を見出そうとするのだという。それは伝統、慣習、良識であり、歴史の風雪に耐えてきた《社会的経験知》だとし、この集合的な存在に依拠しながら、時代の変化に対応する形で漸進的に改革を進めるのが保守の態度であるという。

 

戦前、保守の論客たちは軍国主義に抵抗し批判の論陣を張っていた。第一章から第二章にかけては戦争へいたる過程とその抵抗について、竹山道雄、田中美知太郎、猪木正道、河合栄治郎、福田恒存ら保守の論客たちの発言と行動に詳細な言及を企てる。

とりわけ、この国の戦前から戦後を通じて共通する行動原理として革新的変貌のあり方それ自体に、左翼・右翼または進歩的平和主義を問わず本質的に同質のものを読み解く論考は興味深いところでありきわめて刺激的といえる。

第三章では保守の論客・池島信平、山本七平、会田雄次の実体験とその言動を通して、当時の帝国陸軍をはじめ日本の軍国化と侵略の実態を詳細に記述している。

 

会田は戦後を『虚妄の時代』と呼び、断罪しました。戦後民主主義は、高邁な理想によって支えられたのではなく、極めて功利的な処世術として展開してきたとみなしました。彼はそこに「いやらしい現実的臭気」を嗅ぎつけました。(本文p212)

 

このことはつまり、戦前と戦後は同根の存在であり~(略)~戦前の「皇道や神国日本」というイデオロギーに飛びついた人間こそ、戦後の西洋ヒューマニズムの偽善に飛びついた人間に他ならない。会田はその一連の人間たちを鋭く批判することで、保守の論理へと接近したという。

 

戦中派保守の論客たちが次々に鬼籍し世代交代していく中で、第三章では戦争に至るプロセスを主体的に体験していない世代が保守論壇の中核を担うようになるが、戦中派として孤軍奮闘する歴史学者林健太郎の主張とそれへの反論、とりわけ田中正明、伊藤陽夫、小堀桂一郎らとの大東亜戦争の正当性をめぐる論争は詳細に示されていて読み応えがある。

中村榮との論争では世代間のギャップによる歴史認識との差異、最終章では猪木正道の言動をとりあげここでも軍国主義と戦後の空想的変輪主義の同質性に言及する。

 

つまり、戦争賛美が保守なのではない。

本著はいま一度、戦争をめぐる保守派の変遷をみつめ、本来の保守的人間観に立ち返って戦争に至ったプロセス、思想的背景を吟味する必要性を説く渾身の一冊といえる。

 

 

 

永遠の徹さん 2019.5.22

 

 コントラバス奏者の斎藤徹さんが5月18日11時36分に永眠されました。岩国のぼくたちともながいお付き合いになりますが謹んでご冥福をお祈りいたします。

FBなどで病状がかなり厳しくなってきていることは察していましたが、何ともいいようのない深い悲しみと喪失感がひろがっています。

徹さんとの出会いはかれこれ20年近くも前になりますが、広島の友人黒田敬子さんの紹介だったと思います。小さな会場でおこなったソロコンサートがはじまりでした。

そのときに聴いたコントラバヘアンドの衝撃はぼくにとってはかなり強烈なものでした。

即興ならではの独特の奏法、独特の旋律と音、それは不思議な広がりと大きなスケールを感じさせるきわめて印象深いものでした。

その後、ミッシェル・ドネダ、チョン・チュルギ、徹のトリオライブをシンフォニア岩国でおこないました。そのときの演奏はアルバム『ペイガンヒム』の一曲目におさめられています。ベースとパーカッションのリズムに合わせミッシェルの独特のソプラノサックスが重なり、《祝祭性》を感じさせるその音とリズムはぼくたちの意識の底に眠っている記憶を呼び覚ますような不思議な音楽でした。

このような経緯を経て、アートムーヴ2003岩国「表現の成り立ち」という企画に参加していただき、現代美術の5人の作家とともに会場でのコンサートをおこないシンポジウムにも参加していただきました。とりわけ、錦帯橋の架け替えによる解体材料(橋板40枚)と錦川の石を並べたぼくの作品「流れ」の上での演奏は今でもその光景が目に焼き付いて記憶されています。

行政と一体となった地域づくりを考える各種プロジェクトの一環としておこなわれたフォーラム2006岩国ジャン・サスポータス&斎藤徹DUOパフォーマンス岩国公演は衝撃的で圧倒する夢の競演でした。とりわけ、「地から」という後半のプログラムは今でも語り草となっています。

さらに、アートムーヴ2007岩国「具象の未来へ」ではアーティスト小林裕児さんとのライヴペインティングに参加。

この間、広島でもたびたび黒田さん企画のコンサートにも駆けつけ、ミッシェルや娘の真妃ちゃんらとの打ち上げに割り込ませていただきました。徹さんはいつもにこにこしていてその人柄も音楽と同じ大きなスケールを感じさせる不思議な存在でした。

東京の神楽坂でおこなった2010年の個展では、最終日ぼくの作品でお遊びドローイングのような投げ銭ライヴの演奏をしたことも今は楽しい思い出となってしまいました。また、その会期中に東中野のポレポレ座でおこなった久田舜一郎さんとのライヴにもお招きいただき堪能したことを覚えています。

その神楽坂で奥さんの玲子さん、徹さん、朋(マルメロ)さんとお会いし、後のオペリータにつながる話をしたような気がします。

四谷区民ホールでおこなわれた1ステージのパルパル「ユーラシアン・エコ―ズ第二章」公演は本当に夢のような共演で画期的な舞台となりました。それはまさしく《宴》のようでもあり、徹さんのいう《捧げもの》のようでもあり、時空を超えた演奏が繰り広げられました。「うたがないのにこれはうたじゃないのか」と、おもわず徹さんとやりとりしたことがありました。

偶然にも映画監督テオ・アンゲルプロスの作品に興味をもっていたぼくたちとも話は盛り上がりましたが、徹さんは強烈なテオのファンで「永遠と一日」をイメージした楽曲もありました。旅先ではいつも2、3枚テオのDVDをもっていくともおっしゃっていました。

フォーラム2013岩国「オペリータうたをさがして」岩国公演は2014年の新年早々1月17日におこなわれ、その「永遠と一日」も組み込まれています。作家乾千恵さんとの「千恵の輪トリオ」であたためられた《甦りのうた》を軸にしたオペリータは少々アクシデントもありましたが松本泰子さん、さとうじゅんこさんお2人のソプラノにおなじみのジャンさん、喜多さん、オリビエ・マヌーリさん、斎藤朋さん、乾千恵さんが集結、斎藤さんの願いとも希望ともいえる画期的な舞台となりました。

「いま、ここ、わたし」と考え続けてこられた斎藤さんは3.11の被災地を訪ねた際、この場に必要なのは演奏じゃなく《うた》だと気づいた、とその動機についてお聞きしたように思います。

その後、身体的ハンディをもつ人たちとの共演で可能性を開き、病と闘いながらも益々クリアーになっていく凄まじい活動には、限られた命の時間との競争のようでもあり無念さの入り混じった覚悟が伝わってくるようで、ぼくは「なんて強い人なんだろう」と驚嘆させられたり呆れたり心配していました。

2018年の三月、広島のギャラリー交差611でおこなわれた黒田さんの回顧展でのコンサートが徹さんとの最期でした。かなり病状も進んでいて辛そうでしたが素晴らしい演奏でした。

おもえば、ソロコンサートからはじまり各種企画を経て斎藤徹のスケールを感じてきましたが、それは大自然にどっかりと根をおろした巨木のイメージです。

「何処へ行ってしまうのか」とお聞きしたこともありましたが、変化しているように錯覚するのはただ年輪を重ねて信じられないくらい大きくなっているからと思えるようになってきました。つまり、「いま、ここ、わたし」とくりかえし根を張りながら途方もない年輪を重ねてきたと云うべきかもしれません。ぼくはそう思います。

徹さんは自ら「すばらしい友だちに出会う天才」だとおっしゃっていました。そのことは「友だちと友だちを出合わせる天才」だったことにもなります。

徹さんが示してくれた音楽の世界は永遠に多くの方々に受けつがれるとぼくは思います。壮大なスケールで音楽と向きあいそれを体現してみせてくれた人、徹さんありがとう。