カズオ・イシグロ わたしを離さないで(早川書房)2020.6.3

 

読了、これはすごい。

いい小説を読みおえたときのあの独特の感覚、感動の余韻につつまれた感じといえばいいのか何ともいいようのない心地いい衝撃と大きな問いを背負わされたような気分。カズオ・イシグロすごい作家だ。

日本人であり英国人でもあるこの作家のことはノーベル文学賞を受賞する前から知ってはいたのだが、はじめて読んだものが本著「わたしを離さないで」だったことは幸運だったかもしれない。本当にすばらしいスケールの大きな作家に出会えて嬉しかったぁーっ。

静かにはじまるこの物語はいわば回想の作品なのだが、一つ一つの大切な記憶をたどるようにきわめて抑制的に描かれている。そう、淡々としていて抑制的、このことは文体としても大きく作用しているようにもおもえる。この小説は本当に自然な感じで作品世界に吸い込まれていく不思議な読書体験となった。

 

学校なのか宿舎なのかヘールシャムとはどういう場所なのだろう。この施設で育成されていく子どもたち、その過程でおきる奇妙なできごと、親友のトミーやルースたちのようすだけでなく保護管とよばれる教師たちのぎこちない態度や関係性、施設の外からやってくるようにみえるマダムの秘密めいた不可解な行動。

物語はこの施設でトミーたちとともに成長し介護人となった女性キャシー・Hのまなざしで語られていく。つまり、年少期から提供者へと成長していく過程で少しずつこの施設のことがあかされていくことになるのだ。

いうなれば、ヘールシャムが臓器を提供することを目的とするクローン人間を育成するためのものであるという残酷な真実が徐々にあかされていき、ここに関係する提供者や介護人、保護管とよばれる教師たちそれぞれの思惑と葛藤がクールにも壮絶な物語として描かれているのだ。けだし、この怖ろしくも感動的な物語は人間の尊厳と畏怖とともに、《人間存在》の普遍的な問題を孕んだ傑出した作品といえるだろう。

 

象徴的なできごととして、カセットテープを聴きながらキャシーが枕を抱いて眼を閉じて「オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで・・・」とリフレーンを一緒に歌いながら、スローダンスを踊るところをマダムにみられる場面がある。赤ちゃんを産めないこの子たちの間で交わされる「映画俳優になれたらいいな」とか「スターの人生ってどんなだろう」などといった他愛のない会話を聞いた保護管のルーシー先生はこのようにいう。

「あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。それが問題です。(・・・略)あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老年はありません。いえ、中年もあるかどうか・・・。いずれ臓器提供が始まります。あなた方はそのために作られた存在で、提供が使命です。ビデオで見るような俳優とは違います。わたしたち保護管とも違います。あなた方は一つの目的のためにこの世に生み出されていて、将来は決定済みです。ですから、無益な空想はもうやめなければなりません。間もなくヘールシャムを出ていき、遠からず、最初の提供を準備する日が来るでしょう。それを覚えておいてください。みっともない人生にしないため、自分が何者で、先に何が待っているか知っておいてください」(本文p127)

ルーシー先生のこの言葉は唐突にもあまりに残酷で強烈ですが本質的な問いとして何を意味するのか、物語の終章になってこのことがマリ・クロード(マダム)やエミリ先生の証言によってあかされていく。

 

ヘールシャムを出たキャシーたちはコテージで過ごすことになるが、ルースのポシブル(親)さがしでノーフォークへと向かう少人数の旅行もこの小説を象徴する印象的なエピソードだ。

カップルとして過ごしたトミーとルースは提供者として、キャシーは優秀な介護人として彼らのお世話をする人生をおくる。そして、ルースは何回かの臓器提供を終え人生の最期をむかえるのだがキャシーにトミーの介護人となるべきだしそうなって欲しいと切望するのだった。

キャシーはトミーの介護人として複雑な想いを抱えながらも平穏に過ごすことになるが、トミーも4回目の提供を済ませクローン人間としての使命を終える。だが、その前にマダムの邸を訪ねたトミーとキャシーは、そこで年老いたエミリ先生とマダムの二人からヘールシャムの活動における思惑と葛藤の真実を知ることになる。すでに、ヘールシャムは閉館しているのだが、彼らが施設で経験した不可解で奇妙なできごとの記憶が謎解きのようにあきらかになっていく。

医学のためとはいえクローン人間の可能性については、いうまでもなく倫理的人道的問題のみならず未解決の複雑な問題がのこされている。特定の目的を前提とした命、理想と現実、ぼくたちは人間の尊厳や畏怖と同時に《人間存在》にかかわる普遍的で哲学的な大きな課題を突きつけられたような気がする。カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」、まさしく魂を揺さぶる作品といえる。

個体を超えた共存 「戦後思想の到達点」(大澤真幸著 NHK出版)

 

この本は戦後思想の二つの到達点として、柄谷行人と見田宗介両氏の思考の軌跡を辿りながら社会学者大澤真幸さんが聞きとるというインタヴュー形式となっている。だが、互いをリスペクトする大澤氏ならではの深い洞察と理解に基づく対話で二人の思想のポイントを明解に引き出してくれるたいへん有難い著作となっている。とりわけ、両氏の理論に対してはきわめて創造的でかつ国際的にみても先端的な思想であり、対等に評価される強靭さと普遍性をもつものと位置づけていることに注目したい。

著者は《まえがき》で次のようにいう。《・・・二人は、戦後日本でしか意味がないようなことを語ったり、書いたりしてきたわけではないし、戦後の日本人にだけ向けて思想を送り出してきたわけではない。戦後思想の最大の課題は、戦後そのものを止揚することである。とするならば、戦後の束縛から自由に考え、探求することができた二人の思想こそ、日本の戦後思想の未来を展望する窓がある》と。

 

文芸評論家としてスタートした柄谷行人の思想については、《漱石論》にみられる意識と自然という存在論的な視点、《マルクス論》については“交換”様式という概念で捉えその後の世界システムへの構造的理解へと探求する先鋭的な思想として展開されている。

とりわけ、この交換的様式論を理論的骨格にした大書『世界史の構造』という著作において、その思想の完成された体系性を獲得したのではないかとする大澤氏の質問はつづき、何故「交換」に注目するのか?「交換を強いる力」とは何か、と難解な柄谷行人の思想の全体像に道案内してくれる。そして、この交換様式の四つのパターン、すなわちA互酬(贈与と返礼)、B略取と再分配(支配と保護)、C商品交換(貨幣と商品)、そしてこれらの様式を超えるパターンとして用意されたDに分類され、このいずれかで世界構造を解析する。これまでにみる複雑な世界史がきれいに分析され論理的に整理されていくようで真に興味深いところだ。また、この交換様式の四つのパターンが多様に重層化し、回帰して機能することや無意識の働きとして作用する可能性、さらに謎めいたDの様式とはどういうことなのか。柄谷のこの思想がオープンな形として国内外で研究され進化することを期待するとしている。

また、この日本をどう捉えるかという意味では、帝国とする〈中心〉、その影響下にある〈周辺〉、日本のように中心文明を受け入れるけれども地政学的にみても全面的には受け入れない〈亜周辺〉、ほとんど影響のない〈辺境〉とに分類。その亜周辺性、未開性にこそ日本の独自性とその意義を再考すべきであり、中国には帝国としての意義の再考を促す、としている。

 

見田宗介氏の社会学においてはマルクスの価値論から『価値意識の理論』、『現代社会の存立構造』へと発展させ、連続殺人犯永山則夫の研究から「まなざしの地獄」までを考える。永山の手記からは「家郷」「都市」「差別」「階級」「犯罪」「被害者/加害者」の問題を読みとり現代社会の存立構造、実存構造を考え、社会学を《一人ひとりの人間の、切れば血の出るような《人生》のひしめきとして捉える。》とする見田氏の社会学者としてのスタンスを確認する。そして、『気流の鳴る音』ではインド、ラテンアメリカへの旅を契機に見田宗介の探求は大きな思想としての発展を遂げる。

 

「日本」を内部とし、「欧米」を外部とするような思考も、ほとんど意味のないものとなります。欧米と日本を共に包含するこの「近代」という世界を対象化し、客観化するための方法的な支点=視点は、この「近代」という世界のさらに外部に立つ他はありません。(p157)

 

この近代を相対化するまなざしは構造主義的な背景もあってレヴィ・ストロースの未開社会の研究にも必然的な流れとして確認されるのではないか。さらに、人の生や自我やニヒリズムという「思想」の本質的な問題へと接近し、愛とエゴイズムの生命社会学「自我の起源」へと道案内はつづき、現代社会の行方を意識した「現代社会の理論」までを辿っている。その軌跡はやはり実存を手がかりとする構造主義的な手法で探求する現代社会への深い関心と未来への展望を示唆する思想の現れとなっているようにみえる。その地平は《個体を超えた共存》のあり方のような気がしてならなかったのだが・・・。

終章ではインタヴューを終えた大澤真幸さんによる《二人の思想からわれわれは何を継承すべきなのか、何を継承できるのか》として、二人が共有する思想の展望「交響するD」という社会の仕組と存在のあり方についての《覚書》が記されている。

 

国内外を問わず多くの死者をだし世界の脅威となっている新型コロナウイルス。この感染拡大による社会的経済的危機の渦中において、事態を克服する大きなヒントが大澤さんの《覚書》として書き記した「交響するD」にあるのかもしれない。

 

 

 

保育研究必見の一冊

 

この本の末尾に『「育つ風景」を書き続けて』、というあとがきのようなエッセイがあります。

本著「うしろすがたが教えてくれた」(かもがわ出版)は、前作「育つ風景」(かもがわ出版)、「育ちあう風景」(ひとなる書房)につづく第三冊目として刊行されたもので、どういうわけか三部作のようでもあります。それというのも、いずれも子どもたちが育つ風景に向き合うことを通して学生や保育者を含む大人がいかに学ぶことができるか、その可能性について考察する立脚点を共有していると思えるからです。

 

著者は、子どもと直接向き合って毎日いっしょうけんめいかかわっている保育士さんと違って、私は子どもたちとおとなたちとがいっしょになって暮らしているのを見ていることしかできないことをふまえて、「ときには必死に、ときにはやさしい気持ちでともにいることのかけがえのなさ」に学び、いとおしくも大切な姿として考えるとしています。さらに、たくさんの思いを持って日々を生きるひとりひとりに敬意をもつことなしに、保育や人の育ちをとらえることは出来ないと思い知らされると続けています。

思えば、個人的な経験としても多くの子どもとかかわり自分の子どもを育成してきたつもりが、じつは子どもたちから逆にいろいろなことを教えられ、人として鍛えられたように実感してきた気がします。

とりわけ三歳児以下の幼児ならことばや表現が未発達なだけにより直接的なサインがあるはずで、まずはそれに気づくことが求められ、同時にそのサインが意味するものを分かり合えた嬉しさは、互いを成長させる契機になったように思うのです。不思議なことに以前「beingとdoingについて」という芹沢俊介さんの講演がかさなってきてdoingのまえにbeingが保証される必要性を痛感しました。

 

ここでは「小学校との接続」の意味(p80)という興味深い指摘があります。幼稚園教育要領や保育所保育指針について、「困難につまずいても気持ちを切り替えて根気強くやり抜くとか、くじけずに、あきらめずにやり遂げること、まわりの人の気持ちを考えて発言したり、折りあいをつけたりするなどといったことを重視していることがわかる(p82)これは大問題である。」と。さらに、「自分たちは、いろいろ十分でないにしても、心から思っている保育園なのだ、と確信した。」とも言っています。このように、beingよりもdoingが重視される状況を危惧しています。このほか、「無表情でいう意思表示」「ごめんねって言って」「ある中学生へのエール」「やっとつかんだ心地よい眠り」「保護者の不安に気づく」「職場の風通し」「新人保育者」「保育士にならない決意」「黄色いセーター」など、たくさんの風景に出会えます。

著者は保育の現場をフィールドワークとする一方でそこに立つ人材すなわち学生を育ててこられた経緯もあり、そういう人たちの聞き取りや保育現場の声に丁寧に向き合いながら子どもたちのうしろすがたに答えをみつけようと呼びかけているのかも知れません。

ブレイディ・ミカコとともに、保育研究として必見の一冊といえるのではないでしょうか。

川内松男さんの写真もすばらしいですね。

 

 

 

持続可能な負けない力 負けない力(橋本治著 朝日文庫)2020.4.21

 

この本は反知性主義が横行する時代にあって、その「知性」について考察する橋本治さんならではエッセンスで溢れるしたたかな本である。

冒頭、著者はこのように《この本は、「読んでもなんの役に立つのかよく分からない本」ですが、まえがきでそんなことを言うこの本は、「役に立たないと思われているものの中にだって、結構複雑なものは隠されているかもしれない」と言う本なのかもしれません。》と独特のいい方でけむに巻くような枕をおく。

また、《現代人はめんどうくさい「負けそうな状況」に巻き込まれないよう、「役に立つこと」ばかりを選びます。それをするのが利口なやり方とは思われていますが、手っ取り早く「役に立つこと」ばかりを求めていると、知らない間に「負けそうな状況」の中にどっぷりと入り込んでしまっています。》と注意している。

つまり、こんなことばかりしていると「負けることに対する免疫力」がなくなるのだということなのだろうか。だから、負けない力である知性が必要だということなのだ。

女性の社会進出が言われはじめた1970年後半から1980年代、1990年代にかけては「知的な美人」が流行っていたけれど、アイドル文化の全盛期から反乱期といえそうな今では、「知的」というのは「タカピー(高飛車)」ということであり、「上から目線の女」のように思われて敬遠されるという。なるほど分かりやすいロジックでたいへん説得力がある。

《現在のアイドル文化は集団アイドル体制で、メンバーがあまり「若い娘」ではなくなってしまうと「卒業」して独り立ちをします。「卒業」とうのはつまり「大人になる」ということで、大きく広がった「大人にならなくていい文化」の中では「どうでもいい、もう関係のない存在」になるということなのです。》、ともいう。

こうして、「知的な美人」は「大人」ということになるのだが、「若い娘」を基準にしてみれば、「知的」もへったくれもなくて、ただ「もう老けている」だけで「知的な美人」は流行らなくなった、と続けられる。

とりわけ、第二章の「知性はもっと負けている」では、ますます著者ならではの鋭い分析がきわだっている。「女性の社会進出」が言われはじめるまでは、女性は20代の適齢期に結婚して職場を離れ、専業主婦になるのが決まりのようにあった。ところが、「結婚」という選択肢を保留にして「仕事を続けたい」と思う女性が増えてしまった。そして、それが当たり前になってくると《「男は女より上で、女は男より下の存在でなければならない」という社会の風潮の中で、「理屈を言う女は可愛くない」「インテリ女はブスだ」ということになって「知的な美人」が必要とされなくなった。だからこそ「高学歴」だったり「知的」で「頭がよくて理屈が多い」女性たちは「きれいになる」を必要とした。》というのだ。

ここでは情報化の流れもあると思うけれど、女性たちは自分をグレードアップして知的であるように見せる、そして新しいファッションでメイクするようになり「知的な美人のファッションスタイル」が登場する、との理路はなぜか痛快である。

かくして、「流行のあり方」は変わり知的な女の「キャリアウーマンファッション」は、人とは違う普通のあり方に埋没しない知性を訴えるようになっていく。だが、著者は《「知的な女」が登場した時代は『女の自立』が言われ始めた時代で、それをいう彼女達が必要としたのは「知性」でもなく「美」でもなく、まず自分が自分であるための「プライド」だったのです。》という。これはさすがに見事というほかないのではないか、そのように考えれば確かに腑に落ちるような気がするのだ。

また、ボディコンやキャリアウーマン、ファッションやブランド志向といった文化的な流行の移り変わりさえも、すべては「思想的なファッション」で、その背後には、それを選ぶ人達の「私は自己主張したい」という気持ちがあり、「自分の外部にあるものを選ぶことによって可能になる」という。つまり、自己証明となっているのだ。

だが、著者は「自己主張が強いからといって、知性があるわけではない」ともいう。さらに、「なんでも知っている」と思いたい衝動が強くなればなるほど、「知っている」と思える範囲が狭くなって、「極小の範囲でならなんでも知っている」と強調する。まさしく「井の中の蛙、大海を知らず」ということだ。

確かに「知性がえらそうだった時代」もある。それは第三章で解析されていくのだが、いうなれば「大衆」という情報化された知性とは違った「知性」があるというのだろうか。

この本「負けない力」を読みながら、どういうわけかぼくはノーベル賞受賞者の多くの先生がインタビューに応えて「基礎研究が大切だ」と力説されていることを思いだしていた。このことは多分、この本の終わりに導かれた持続可能な負けない力が、すなわち「知性」ということとどこかでリンクしていると思えたからかも知れない。

それにしても、どうして人は勝ちたいと思うのだろう。考えてみれば確かに負けなければいいようなものだが、「知性」というものには「効率や利便性」「費用対効果」などという数値化される力とは異質の何かがあるように思えてくるから不思議だ。きわめて個人的なことだが、女性たちの「流行のあり方」にみる意識の変化と社会のニーズに関する考察が痛快なのはどういうことだろう。

 

 

 

伝説の討論会  ドキュメント映画『三島由紀夫VS東大全共闘」2020.3

 

禁断のスクープ映像が50年の封印を解かれた!あの伝説の討論会が今、蘇る!

最近は映画をみる機会がかさなって火曜日は話題のドキュメント映画『三島由紀夫VS東大全共闘』をみるため広島へ行くことになった。コロナウイルス感染のリスクをかかえながらもサロンシネマは比較的ゆったりとしていて、感染の心配もさほどありそうには見えなかった。

この映画は《伝説の討論会》といわれたあの三島由紀夫VS東大全共闘1000名の学生たちとの『緊迫した論理と思考の対決》を記録したものだ。「三島を論破して立ち往生させ、舞台の上で切腹させる」と学生たちは1969年5月13日、東大駒場キャンパス900番教室に集結した。

万一を想定して《楯の会》のメンバーも最前列に集結し学生らも民青の殴り込みを警戒していたが、警察の警備も断り単身で乗り込んだ三島由紀夫は最後まで余裕を見せその態度は紳士的で常に冷静だった。挑発的な学生たちにも終始丁寧な言葉の力で応じた。この場に立ち合った当時の学生、芥正彦、橋爪大三郎、木村修たちの他にも内田樹、平野啓一郎、小熊英二、瀬月内寂聴らのコメントを織り込んだ衝撃のドキュメントだ。翌年11月25日、三島由紀夫はあの壮絶な死を決行するのだが、この討論会には確かにその予兆を感じさせるところもあった。

 

以前、友人から送られてきたヘンリーミラーの三島由紀夫の死についての論考を読んだことがあった。その論考は三島への畏敬の念と違和感の入り混じった複雑な心情が滲みでた丁寧なものでたいへん説得力のあるものだった。

この映画でも話題になった『太陽と鉄』は三島由紀夫が褌姿で日本刀を構えた表紙で、ぼくはその初版本を『蘭陵王』とともに神田の八木書店で買って今も大切にしている。この本の最後におさめられた「イカロス」という詩などは本当に死を準備している三島の内面が感じとれるものでこの詩の一節をぼくは暗記している。また、今は手元にはないがこの「イカロス」を作品にしたこともある。あるいは強烈な観念論者とか狂信者などと云われるけれど、それほど究極的な心境にこのときの三島は達していたのかもしれないという気がしている。若いころ、三島の文学に影響をうけ読みあさった一人としてぼくはそう思う。平野啓一郎のいうようにたしかに戦中派として生き残った者の精神的なリスクと特異な意識があったのかもしれない。いうなれば反米愛国主義、三島由紀夫は当時でさえ極東アジアの一角にきわめてニュートラルで国家として主体性のない経済大国が存在するのを忌み嫌い、英雄の概念や行動の美学を掲げて絶対権力者としての天皇論を主張していた。それゆえに、死を覚悟していたことも事実で死をもって自らを完結することを願っていたようにも思う。

そうだ、統治制度における人民の主体的関係性を明確にするという点では三島と全共闘はある意味で共通するものがあった。三島はそれを直感していたがゆえに余裕をもってこの討論の場に立っているようにも見えた。

最近になって読んだ『保守と大東亜戦争』『石原慎太郎:作家はなぜ政治家になったか』(中島岳志)『象徴天皇という物語』(赤坂憲雄)とヘンリーミラーの三島論などを整理しながらこのドキュメントを考えているのだが、戦中派としての立場、あるいは《楯の会》を象徴する肉体派、文化防衛論者という反小説家としての活動は何だったのか、と。また、橋川文三や福田恒存はこの作家をどう捉えていたのだろうか。だから、ぼくたちは三島の文学までもその文脈にあてはめて考えようとするところもある。事実、『金閣寺』では火を放つ若い僧の心境は死をもって解脱する臨済宗のイメージで語れるし、「イカロス」にしても限りない死への接近が昇天への欲望としてイメージされている。

行動の美学とは何か、いうなれば三島由紀夫は死をもって自ら描いてきた物語のイメージを体現し完結したかったのかもしれない。だが、四部作『豊饒の海』のように死をもって完結した暁には、いずれ輪廻転生することをイメージしたとも考えられないだろうか。そのように考えてみると三島の現在はどういう形で生まれ変わっているというのだろう。

つまりは《覚悟の行動学》といえるかも知れないが70年代の時代状況もあって、任侠映画の高倉健の殴り込みや「止めてくれるな!おっかさん」「唯一の無関心で通り過ぎて行く者を俺はゆるしておくものか、藁のようにではなく震えながら死ぬのだ」という学生たちの運動とかさなったような気もしている。このことはこの映画でも『非合法の暴力を認める」という立場を表明していることからも肯ける。ヘンリーミラーの論考は信ぴょう性も高く説得力もあると思うけれど、それ故に天才の名をほしいままにした三島由紀夫の死は考えれば考えるほど不可解さが増幅してくるのだ。

 

それにしても単身のりこんで東大全共闘の学生1000人が集結した中で、このような臨場感のある議論を実現させる双方の理性と知性にはおどろくばかりである。最近、若い人と話していてこのような議論の機会がどういうわけか消失しているように思えるのはどうしてだろうか。いや、国会前のデモやアジ演説をみてもむしろ一人称でいい切る実態もあるし、大きなちがいや変化があるとも云えそうにない。むしろ、言葉の力を信じ互いを尊重する態度がこの映画では際立っていたように思えた。そのことは、数日前の朝日新聞のこの映画に関する記事でも取り上げられていたように、ここではSNSやネット空間における匿名性の中で相手を罵倒する誹謗中傷とは異なり、たしかな言葉の力と対峙の論理による臨場感のある議論が成立している。『保守と大東亜戦争』で著者・中島岳志が説くように、戦中戦後を通じて「保守とは何か」と考えるだけでも正反対の立場があり同じムジナのようにみえることも分かってきた。

知識人たちの戦後の変貌ぶりと対米従属への苛立ちに立ち向かう三島と全共闘、この映画からは思想的立場はちがっても確かに《本気で生きる者たちの熱量》が伝わってくる。それは主体性と純粋性の回復と言い換えることもできるのではないだろうか。

ここでは、他者とは何か(主体性を認める自分以外の存在)、エロチシズムは他者の主体性を認めない。解放区の時間と空間など芸術と言葉の介入など芥正彦との論議も興味深かったが、ぼくにとってはその頃の刺激的な言葉と熱気が甦る瞬間を堪能できるきわめて不思議な時間でもあった。

 

「未成熟」の体現 石原慎太郎(中島岳志著 NHK出版)2020.3.4

 

まず冒頭、著者はこの本の執筆に際しその動機について述べている。つまり、戦後という時代において常に「大衆」の心をとらえ、「話題の人」であり続けてきた石原慎太郎という存在。その人生をまるごと検証することで戦後という時代の核心をつけるのではないか、と。

そして、「戦後思想の水脈」というテーマを前提にして日本社会の右傾化、石原慎太郎に喝采を送り続けてきた「大衆」という存在、そして「保守」でありながらいま保守派といわれる人たちに大きな距離を感じる著者自身の現在をみつめるときにこそ現代的でアクチュアルな問題が見えてこないか、と考えたと前置きしている。

終戦から約10年を経て、「太陽の季節」で芥川賞を受賞し文学界のヒーローとして華々しく登場した石原慎太郎は、いわゆる《太陽族》といわれるライフスタイルと文化的価値をともなう大きな社会的現象として注目された。だが、このことは彼にとって大きなリスクを背負う結果を招いたのではないか、ぼくはそう思う。この本を読みすすめていくにつれますますそう思うようになったのだが、そのリスクとは何だったか。

それは、「太陽の季節」のモデルといわれる弟の映画スター裕次郎の存在だったのではないか。もちろん、戦後の虚脱感や戦中派との確執も理解できるが、いうなれば頭でっかちのインテリとはちがう「無知と無倫理」を地で生きる肉体派スター裕次郎へのあこがれが生来のポピュリズムとクロスした結果がそのまま石原の言動に表れているようにも思えるのだ。そのことは文学においてさえ、不健康な戦中派を否定し「ヒステリックで無軌道」にあこがれ、暗い戦後から明るい太陽の時代へと向かうこともあながち不自然とはいえそうにない。

そんな折、《ナショナリズム》をかかえて満を持して発表した渾身の作品「挑戦」が、「奇妙な戦中派擁護者」だと糾弾されメロドラマ風に描いただけの小説に価値はない、と橋川文三に酷評される。この表層的な行動の原理はその後の『日本回帰』や『特攻隊の手記へのあこがれ』ともなり、『文学の延長上にこそ政治がある』として右派的な政治集団「青嵐会」の活動へとつながっている。

石原慎太郎の行動にはコンプレックスやあこがれにも似た不可解なある《飛躍》がありそうにみえるのだが、本著は丁寧にも見事にその変遷を追っている。

いつまでも青年を装う石原に対して「成熟」を問う江藤淳の忠告もあったのだが、それは石原慎太郎に向けられたものだけではなく、米国に保護され成熟できないままの日本に向けられたものでもあった。

 

結局、石原慎太郎は、何か確たる着地点を見出したのでしょうか。石原の姿は、成熟しきれないでいる日本という国の「戦後」そのもののように思えます。彼の歩みそのものが、江藤淳のいう「ごっこ」でしかなかった。(p137)

 

手厳しい結論ではあるが著者は次のように結んでいる。

大衆の欲望に寄り添い、戦後の日本社会の「未成熟」を体現してきたのが石原慎太郎という存在であり、安易なナショナリズムへと傾斜し、ひたすら「ごっこ」を繰り返す時、そこに戦後の本質が透けて見えるように思います。そういう意味において、石原慎太郎はまさに「戦後と寝た男」なのだ、と。

綿密に読みこまれた石原慎太郎の作家から政治家への軌跡をたどる必見の一冊、それはまことに見事というほかない。どうぞお読みください。

 

 

映画『ジョジョ・ラビット』2020.3.4

 

広島の八丁座で上映している話題の映画『ジョジョ・ラビット』(タイカ・ワイティティ監督作品)は、子どもの視点で戦時下におけるユダヤとナチスの壁を超えた〝愛と成長の物語″をコミカルなタッチでみごとに描いたきわめつきの最高傑作の一つといえる。

この映画の舞台は第二次世界大戦のドイツだ。ナチスの青少年集団ヒトラーユーゲントの合宿に参加した10歳のジョジョは同合宿で大けがを負う。ウサギを殺せとの命令に応じられなかったことでみんなから2年間も音信不通の父と同じく臆病者と決めつけられ《ジョジョ・ラビット》とあだ名で呼ばれバカにされる。

 

この作品のおもしろいのは空想上のジョジョの友だち《アドルフ》の存在だ。それが洗脳を意図するものか、《アドルフ》はいつもジョジョの傍にいてジョジョが立派なナチスの一員になれるよう助言や励ましをあたえる。

《アドルフ》から「ウサギは勇敢でずる賢く強い」と激励され元気を取り戻したジョジョは、張り切って手榴弾の投てき訓練に飛び込むのだが、失敗して大ケガを負ってしまったのだ。

ジョジョと一緒に暮らす母のロージーは怒って事務所に抗議する。ジョジョはケガが完治するまで体に無理のない奉仕活動をすることになる。

帰宅したジョジョは亡くなった姉インゲの部屋にかくまわれていたユダヤの少女エルサと遭遇する。おなじ屋根の下に最大の敵ユダヤ人、予測できない事態になったジョジョは「通報すれば、母子は協力者だと告げ全員死刑となる」とエルサに脅される。

《アドルフ》の助言もあり、ジョジョはエルサからユダヤの秘密を聞き出して本を書くことを思いつき、ユダヤの秘密を教えるという“条件”をのむことを要求し二人の交渉は成立する。

その日からジョジョはエルサからユダヤ人講義を聞くたびに、ユダヤは下等な悪魔だというヒトラーユーゲントの教えがまちがっていることを知るようになりエルサに惹かれていく。

 

愛は最強

 

やがて戦争は最終局面をむかえ、ドイツはアメリカを中心とする連合軍によって凄まじい爆撃を受ける。母ロージーの反ナチス運動が知られたか、エルサのことが通報されたか不明だがロージーは処刑され、ナチスドイツ軍は悲惨な状況に追い込まれ壊滅する。

 

すべてを経験せよ

美も恐怖も

生き続けよ

絶望が最後ではない

ーR・M・リルケー

 

この映画は事実に基づくシリアスな映像表現を10歳のジョジョの視点でコミカルな要素を織り込みながらみごとに描かれている。そのことは驚嘆にあたいすることでもあり児童文学的視点をもつ作品として特筆されていい。

やや年齢はあがるかもしれないが、最近みたところではメキシコのアルフォンソ・キュアロン監督作品『roma』にも、特定の視点をもっているということでは共通していると云えないだろうか。

子どもと戦争を描いた作品も多々あるけれど、個人的には『僕たちの家に帰ろう』(中国)『ミツバチのささやき』(スペイン)『泥の河』(日本)『さよなら子供たち』『禁じられた遊び』(フランス)『友だちのうちはどこ』(イラン)ライフ・イズ・ビューティフル(イタリア)なども名作として記憶にのこっている。

 

トロント国際映画祭観客賞受賞、第92回アカデミー賞脚色賞受賞、第77回ゴールデングローブ賞ノミネート作品賞・主演男優賞。

 

 

ノー天気な行動の美学 「わからない」という方法(橋本治著、集英社新書)2020.2.26

 

なるほど、云われてみればたしかに「わからない」という方法、というのは何となくわかるような気もする。著者は小説から劇作・演出、さらにイラストレーターとして注目され、編み物の本、エッセイ、古典の現代語訳といった様々なジャンルを横断的に活躍する作家で、77年「桃尻娘」で講談社小説現代新人賞佳作賞、「宗教なんかこわくない」で第9回新潮学芸賞など受賞している。

「なぜあなたはそんなにいろいろなことに手を出すのか?」という問いに対して「だってわからないから」と著者はいう。
この行動の原理とも動機ともいえる振る舞いそれ自体が方法論だと考えることはきわめて自然なことのようにもおもえるのだ。 東大文学部の国文科卒という博学でそのうえパラノチックな習性と執拗な好奇心が旺盛であれば必然的にそうなる気がするからだ。

 

だが、個人的にまわりを見わたせば「わかりたい」「知りたい」という気もちが、自然に行動を決定づけるかというとそうでもないことが最近になってわかってきた。とりわけ、政治や歴史または社会的な問題などについての話題になると、日常から切りはなされた無関係なできごととして意識されている人の方が多いのではないか。おそらく、そのようなタイプがこれまでの自民党をささえてきたのではないか、などとおもわずにいられない感じがするのだ。 情報のリテラシーなどという問題ではなく思考の働きそのものが、同調することでおさえられているとも考えられる。
著者は効率のよさは効率の悪さに通じるという。

「できる」とは「できないの克服」なのである。「克服すべきこと」の数と内実を明確に知った方が、よりよい達成は訪れる。・・・しかし、「わからない」を探さずに「わかる」ばかりを探したがる人に、その達成は訪れない(p104-105)

 

情報収集と経験主義、つまり、この「わからない」という方法の流儀は直感とも感覚ともいえる無意識のセンサーを総動員して集めた情報をある道筋にそって再構築しながら探索する知的作業ということになりそうだ。それゆえに、著者は社会現象としてある桃尻娘と枕草子の横断を試みる訳本を手がけることができるし、美術番組のシナリオをドラマ仕立てで書くこともできる。
美術番組が「わからない」と思う人にわからせるのは、わからない私自身がわかるプロセスをそのままドラマにすればいい、と考える。

「なんにも知らない人間の“なんにも知らないレベル”まで降りて行く」は、既に「セーターの本」でやったことである。私自身が、「完璧になんにも知らない人間」としてパリへ行った。台本を書く私は、「この番組の理想的な視聴者」となっていたのである。(p173)

 

「なぜあなたはそんなにいろいろなことに手を出すのか?」といわれるほど一見してこのノー天気な方法の美学はじつはきわめて本質的で知的な方法論であり、現実的でフレキシビリティーの高い実践的な学といえるのではないだろうか。 

 

 

 

センダンの木 『もうひとつの曲り角』2019.10

 

いつだったか発掘調査の現場を見学していて考古学の専門研究員に訊ねたことがあった。日本の中世の遺跡だとしてもそれぞれの時代を経てその都度どのように変化してきたのか追跡できるのですか、と。その先生のおっしゃるにはそれがぼくたちの仕事です。

また、イタリアやギリシャの古代遺跡を前にするとほんとうに時間は横に流れるのではなく、縦に積もっているように感覚されるという。

この作品に登場する朋は、扉をあけて何気なく入っていった喫茶ダンサーというお店で自作を朗読するオワリさんというひとりの老婆と出会う。そして、オワリさんがこれまで生きてきた時間のかさなりに時空を超える子ども特有の感覚で偶然にもオワリさんの子どもの時代に遭遇することになる。つまり、もうひとつの曲がり角というのはオワリさんが子ども時代をすごしたころのもので、まわりの景色も今とはすこしちがっているけれどそこには大きなセンダンの木があった。

空想的でシュールな体験ではあるが、朋はどうしても気になって奇妙な感覚をもちながらも母からすすめられて通うことになった英会話スクールを休んではその曲がり角に行くようになる。その通りにあるお家にはみっちゃんという女の子がいてふたりはいつしか友だちになる。

だが、特別に何かがおきるわけでもなく、朋はひとりの老婆オワリさんとの出会いから時空を超えた不思議な体験する。そして、おもわず怖くなって友だちになったみっちゃんをふりきるようにその場をはなれる。

 

あ、だめだ、とわたしは思った。霧にのみこまれちゃう。霧にのみこまれたら、家に帰れなくなる。わたしは向きを変えて、来た道をもどりはじめた。それから急にこわくなって駆けだした。走りながら、わたしはいつのまにか泣きだしていた。もうみっちゃんには会えないんだ、と思った。せっかく友だちになったのに、二度とみっちゃんのいるところへ行くことはできない。わたしは泣きながら走りつづけた。(本文p221)

 

「ほんとうによく来てくれたわね。あなたがこの庭に来てくれるようになってから、なんだかいろいろなことを思いだすようになったの。忘れていた子どものころのことやなんかをね。わたしはこんな年齢になったけれど、でも、ついこのあいだ、わたしもあなたみたいな子どもだったの。それがわかったの。子どものときに体験したことはそのあとの人生にもずっと影響を及ぼしつづけていたんだなってことが。長く生きてきたあいだで感じたり考えたりしたことも、もともとはあそこからはじまっていたんだと、そんなことも思って」

オワリさんはにっこりとわらった。(本文P238-239)

 

朋はオワリさんに「あのね、オワリさんの下の名前、なんていうんですか」というと、「わたしはね、オワリミツホです」といってノートに尾割美帆と書いてそれをみせてくれた。

 

個人的なことで恐縮だが、どういうわけかユベール・マンガレリの『しずかに流れるみどりの川』とこの『もう一つの曲がり角』を同時に平衡して読んでいた。日ごろはそういう読み方はできないのだが今回は何故かそうなった。

マンガレリのその小説は社会の底辺で生きる父子の日常をつぶやくように淡々と描いたものだが、ポエティックで独特のその文体はいいようのない“静けさと流れるような時間”とともに人間存在の“光と影”を感じさせる傑出した小説といえる。

みどりの川に登場する少年プリモはいわば生活力のない父とともに健気にもきめられた云いつけと祈りをくりかえしながら時間だけが流れていく。

自分だけの場所でプリモは歩く、そして大人になっていく。プリモは不思議な草の生いしげる中を歩くことでつくられるトンネルであそびながらいろいろなことを考え空想する。その現実はすさまじいのだが、ここでは子どもの空想するイノセントな感覚はいうなればひとつの救いのようでもある。

 

前作『地図を広げて』(偕成社)につづく長編となる本編『もうひとつの曲がり角』は何ともこれまでにない不思議なひろがりを感じさせる物語となっている。つまり、引っ越したばかりの四人家族のかかえる問題はこれまで描かれてきた作品と等しくきわめてリアリティのある描写でありながら“もうひとつの曲がり角”というファンタジックな要素がクロスしているのだ。

リアルファンタジーなどというジャンルがあるのか定かではないが、いうなればそのような空想と交差するように切実な家族の現実がリアルな感覚で丁寧に描かれた不思議な物語といえる。だが、それは著者のこれまでの営為をふり返ってみれば単なる結果にすぎないともいえる。

つまり、子どもをとりまく家族や地域、学校の問題をリアリティあふれる文体で“子ども性”ともいうべき内面的世界を誠実に描いてきたこれまでの延長線上にある必然的結果とみることもできるのではないか。ぼくはそう思う。

時空をこえて、センダンの木は何をみつめ何を話しかけられていたか分からないのだが、プリモの草のトンネルは朋やみっちゃんのセンダンの木だったのかもしれない。

家族がかかえたそれぞれの悩みと個々の問題、物語はひとつの峠をこえ家族四人のそれぞれの成長を感じさせるようにおわりをむかえる。

 

現実と空想のなかで『しずかに流れるみどりの川』2019.10

 

ユベール・マンガレリ、その存在を知ったのは『おわりの雪』をはじめて読んだことだった。そのときの衝撃はおどろくべきものだった。この文体は何なのだろう、どこに由来しているのだろう、とこの作家のことが気になって仕方がなくなったことをおぼえている。

本著『しずかに流れるみどりの川』は田久保麻里さんが訳者あとがきでふれているように『おわりの雪』と対をなすようにも感じられるが、小説として最初に発表されたのはこちらの『しずかに流れるみどりの川』の方ということらしい。

つぶやくように淡々と語る散文の形式、このポエティックな文体はいいようのない“静けさと流れるような時間”とともに人間存在の“光と影”を感じさせるところがある。

 

トンネルを歩きながら、ぼくはいろいろなことを考えたけど、気持ちが暗くなるようなことはひとつも考えなかった。だれもが歩きながら頭のなかでくりひろげるような、ごくありふれたことだ。(p30)

 

プリモだけの場所、この不思議な草の生いしげるひろい草原をプリモは歩く。歩くことでつくられるトンネルでプリモは歩きながら考えつづけそしておとなになっていく。

本著は不安と隣り合わせで生きるやりきれない家族の現実を深々と雪が降りつづけるように描いた『おわりの雪』と同様けっしてドラマチックな出来事があるわけではない。

いうなれば生活力のない父とともに健気に生きる息子プリモの現実と空想のなかでゆれ動く内面世界をきびしい現実にかさねるようにその日常が淡々としてみごとに描かれていて感動的だ。

 

「金のことは心配するな、おまえがそんなことを心配するな」ぼくはなんて返事すればいいのかわからなかった。長椅子にもどり、父さんがあたらしく煙草に火をつけているあいだに床に落ちたコーヒー缶をひろって、となりの席に置いた。ぼくは悲しみでいっぱいだった。(p124)

 

貧しくもきびしい現実と空想のなかでプリモは父の言いつけを守り、気づかいながらも成長していく。だが、不思議なことに物語はだんだんと作品の主題を浮き彫りにしその重みを感じさせるようになっていく。

電気をも止められた貧苦の生活のなかで貯めた“なけなしのお金”をもって父子は街中へでかけ、レストランで食事する場面の描写は読者にすさまじい現実を突きつけ教会での最終章へとつづいていく。

 

その夜、ぼくは川の夢をみた。以前住んでいた町には川が流れていたから。水底に生えた藻のせいで、みどり色にみえた。みどり色のしずかな川だ。銀色の魚が流れにさからいながら水中にたたずんでいた。魚のからだが、藻のように波うっていた。町のことはすっかり忘れてしまったけれど、川のことはよく憶えていた。ぼくがその町をなつかしくおもったのは、そこに川が流れていたからだ。(p39)

 

プリモが歩く草のトンネル、マスを捕まえた父と子の会話、つるバラを育てるための決められた作業と祈り、現実と空想が錯綜するように時間だけが流れていく。

みどりの川の流れは何を意味するのか、「川の支流を手にする」とはどういうことなのか・・・・・。

プリモのようにやりきれない現実、究極的な状況のなかで前向きに成長をつづける子どもを描いた映画を想起させる。『泥の河』のノブちゃん、『ミツバチのささやき』のアナ、『ニューシネマ・パラダイス』のトトなど。

だが、ユベール・マンガレリは児童文学作家でありながらけっして児童文学作家ではない。むしろ、子どもから大人まで幅広い読者に問いかける社会派の作家といっていい。

著者のまなざしはその境界に位置し人間存在の真実を社会の底辺に生きる者たちの日常を描くことで浮き彫りにする。この現実に対してプリモはイノセントな光なのかもしれない。

ユベール・マンガレリの最初の小説「しずかに流れるみどりの川」にありがとう。ぼくはそう言いたい。

 

 

物語はつくられる 『象徴天皇という物語』2019.10

 

象徴天皇という制度はどのように考えられるのか。国民統合の象徴とはどういうことなのか。これから行われようとしている令和天皇の即位にかかわる数々の儀式が注目されることもありたいへん興味深いところである。また、即位儀礼の「大嘗祭・新嘗祭」について柳田国男や折口信夫はどう解釈したのだろう。

本著『象徴天皇という物語』は、おもに「世界」「思想の科学」、「神奈川大学評論」「仏教」などを初出誌としているが、大幅に改稿と補筆をほどこしこの本のために書き下ろした数章を加えて1990年ちくまライブラリーの一冊として刊行された。その後、ちくま学芸文庫に収録されたのち「象徴天皇をめぐる祭祀のゆくえ」という論考を書き下ろし、それを「補章」として加えてこのたび岩波現代文庫から刊行されたものとある。

また、これまで象徴天皇について真正面から論じられることもなく、象徴の概念についてさえ曖昧にしたまま問われることのなかったこの制度に民俗学と歴史学の両視点で検証する渾身の著といえるだろう。したがって、著者としてはこれが実質的な「定本・象徴天皇という物語」になるとしている。

 

著者は名著『東西/南北考いくつもの日本へ』(岩波新書)において、縄文以来の民族史的景観に対して、「ひとつの日本」というフィルターを自明としてかぶせてゆく歴史認識の作法に異をとなえ、柳田民俗学を相対的に捉えかえす新しい民俗学の発展に一石を投じた。

それにしても著者の柳田民俗学を相対的に捉えかえす眼差しには、その穏やかに見える風貌からは想像もできない程きわめて厳しい側面がある。

だが、この天皇制をめぐる民俗学的な論証からは否応なく柳田民俗学を相対化せざるを得ない要素が多々あってその徹底した解析と論考はさすがに説得力がある。そのことは著者の作法といえばいいのかあるいは流儀として、天皇を中心とした歴史的価値の呪縛から解放されるべく歴史的、文化的な重層性をたどるところから相対的な論考を企てるほかないのだ。

 

ここでは参考文献として、三島由紀夫、和辻哲郎、折口信夫、柳田国男、津田左右吉、坂口安吾、石井良助のそれぞれの著作に言及しながら、おもに「文化概念(文化共同体、全体意思)としての天皇制」、「天皇の親政・不親政の歴史」「祭祀と稲」「天皇霊」などに関する徹底した解析から天皇の即位にまつわる儀式「大嘗祭・新嘗祭」の歴史的文化的な意義が解き明かされる。

歴史的に中世それ以前にまでを視野に入れてみると統治のあり方そのものが現在のように確立されていない事実を考えれば、いくつもの統治や制度、宗教、祭祀、文化があったと思われる。また、権力の二重構造(精神的権威と政治的権力)にしても制度的に曖昧さのぬぐえないこのあり方について判断中止したまま歴史的事実として「象徴天皇という物語」はつくられてきたというほかないのだろうか。

河合隼雄の「中空構造日本の深層」(中公文庫)によれば、日本神話の構造を男性原理と女性原理の対立という観点で見ると、どちらか一方が完全に優位を獲得しきることはなく必ずカウンターバランスされる可能性をもっているという。つまり、日本神話の論理は統合の論理ではなく均衡の論理であるというわけだ。何かの原理が中心を占めるのではなく中空の周りを巡回していると考えられるのであり、永久に中心に到達することのないものとしているのも興味深いところだ。

 

補章として書き下ろされた「象徴天皇をめぐる祭祀のゆくえ」において「天皇という制度はたしかに、西欧の世俗的な王権とは大きく隔たったものだと、あらためて思う。それがいわば、ひとりの生身の人間にたいして、現人神を演じたり、その生涯を国民のための祈りに捧げ尽すことを強いるような制度であることの、大いなる残酷を思わずにいられない(p251)」との私感とこの制度の核心に届きえないことに、もどかしさと無念を覚える、としているのもきわめて印象的な記述といえるだろう。

目前にせまる令和天皇即位儀礼の前に象徴天皇について考える絶好の書であることはまちがいない。

 

本橋成一さんのエッセイ集 『世界はたくさん、人類はみな他人』2019.09.25

 

東京は東中野に本橋成一さんの拠点となるポレポレ座がある。ぼくは以前、斎藤徹さんと能楽師・久田瞬一郎さんのDUOライブでここを訪ねた。

だから、本橋成一という存在はむしろその周辺の方々から知ることになったのだが、ぼくは単純に映画監督とばかりおもっていた。それというのもきっかけは纐纈あや監督作品『祝の島』の周防大島町であった上映会でこの映画をプロデュースされた本橋さんとの繋がりを知ったからでもある。じつは、その上映会の情報も徹さんからだった。

その日は纐纈さんも来られていたのに残念ながら映写機の不具合があって少し混乱したのだが、作品『祝の島』はすばらしい作品だった。いうまでもなく上関原発建設に揺れる祝島のことだが、この映画ではむしろ島に暮らす人たちの笑顔、生き生きとしたその暮らしぶりを丹念に描くことに徹している。その後、各方面でのいろいろな人がこの国のロールモデルとして島の暮らしに注目するようになった。

また、本橋さんのもとで映画製作を手掛けるようになったその取材のあり方と手法の流儀が伝わってくる作品でもある。

ポレポレ座を訪ねたときもスタッフでいた真妃ちゃんから「纐纈さんは下におられると思うけど紹介しましょうか」と云われたのだが、いずれ何処かで会える気がしてそのとき断ったのでぼくはいまだに纐纈監督との面識はない。

その後、ドキュメント映画『隣なる人』の岩国での上映会で児童養護施設「光の家」をフィールドワークとする評論家・芹沢俊介さんと刀川和也監督のお話を聞く機会があり、刀川さんから纐纈さんの新作『ある精肉店のはなし』のことを聞いて広島のサロンシネマで鑑賞することができた。

その映画のもとになる屠場の取材における北出精肉店のことがこの本の「牛は涙を流すのだろうか」というエッセイになっていることが分かる。

松元ヒロさんの公演でも「ある精肉店のはなし」をネタにしていたし、ヒロさんからも本橋さんのことを聞くことになった。

映画監督のみならず、写真家として多くの作品やエッセイがあることを本著にふれることではじめて知ることができた。また、同時に本橋さんの取材の流儀ともいうべきスタイルとまなざしがこのエッセイ集に滲みでている気がする。

つまり、本橋さんの取材の流儀とまなざしが《方法論》としてそこに住む市井の人々の生活に徹底して向けられていることである。そのことは『祝の島』や『ある精肉店のはなし』にも間違いなく共有されている。

おそらくは、炭鉱、サーカス、上野駅、築地魚河岸、大衆芸能、その他にもそのまなざしは一貫しているのではないかとぼくは想像する。

ベラルーシや与那国の糸数さんの取材にしてもそうだ。

映画『ナージャの村』の主人公ナージャの父親ボーブカが51才で亡くなった(チェルノブイリ原発事故による放射能によるものではないか)と聞いて墓参りで訪ねた際、この村ナージャの冬の葬列のシーンを思いだしたという。ボーブカが唄ったその撮影のとき書きとめた本橋さんの詩を紹介しよう。

 

じいちゃん還ってきたなあ   村はいま春

じいちゃんがかけた巣箱で 小鳥たちが待っているよ

じいちゃん還ってきたなあ 村はいま夏

じいちゃんが植えた林檎の木は たくさんの実をつけて待っているよ

じいちゃん還ってきたなあ 村はいま秋

じいちゃんの家の白樺が 黄金色の落ち葉の雨を降らせて待っているよ

じいちゃん還ってきたなあ 村はいま冬

じいちゃんの家もないし 誰もいない

でもなあ あの雪の下には たくさんのいのちが春をまっているよ

 

『ナージャの村』の葬列のシーンは、ボーブカのおかげで、いのちの話しにつなぐことができた。(p121)

 

2017年、本橋さんが久しぶりに村を訪ねるとボーブカの墓も探すのに苦労するほど、墓地はにぎやかになっていて、なかには昨日埋葬されたかと思われるような色鮮やかな造花で飾られたお墓もあった。あれから多くの村人が還ってきたのだ、とチェルノブイリと福島の原発事故にふれている。

 

 

散文の呼吸 『もののはずみ』( 堀江敏幸著 小学館文庫)2019.9.9

本当におもしろい人だなぁと思う。堀江さんは『その姿の消し方』で「消えた町、消えた人物、消えた言葉は、…(略)永遠に欠けたままではなく、継続的に感じとれる他の人々の気配によって補完できるのではないかといまは思いはじめている。視覚がとらえた一枚の画像の色の濃淡、光の強弱が、不在をむしろ「そこにあった存在」として際立たせる。」という。

また、『回送電車』では自らの文学にふれ、「特急でも準急でも各駅でもない幻の電車。そんな回送電車の位置取りは、じつは私が漠然と夢見ている文学の理想としての、《居候》的な身分」としている。つまりは「評論や小説やエッセイ等の諸領域を横断する散文の呼吸。複数のジャンルのなかを単独で生き抜くなどという傲慢な態度からははるかに遠く、それぞれに定められた役割のあいだを縫って、なんとなく余裕のありそうなそぶりを見せるこの間の抜けたダンディズムこそ《居候》の本質であり、回送電車の特質なのだ」として回送電車宣言をして自身の文学観を表明している。

この作家ならではの独特のスタンスであり独特のスタイルといえるだろう。読んでいて本当に不思議な時間体験をしているようで心地いいのだ。


本著では手もとに集めおいた諸々の品物にまつわる記憶や思い、エピソードが不思議な時間とともに伝えられる。たしかに、この散文の呼吸はなんとなく心地いい時間の流れを感じさせるし、書き手と読み手の記憶をつなぐ不思議な空間を共有しているようでもある。

 

たとえば、「鉛筆削り」(p62)では、小津安二郎の「お早よう」のなかで殿山泰司が演じる押し売りシーンを枕にして、自ら愛用するフランスの学童文具の粗雑さとその殿山泰司のシーンをつなぐ記憶が語られる。

 

原則として、鉛筆はナイフで削ることにしている。ところが、欧米の鉛筆は先が削られた状態で売られていて、円柱を円錐にする「筆おろし」のたのしみもないし、たまたま美しい黄色のベークライト製鉛筆削りを正方形と円形のペアで手に入れたこともあって、最近はそちらを使うようになった。もちろん刃先は摩耗していて、じつに削りにくい。(p64)

 

このほかに、「おまけ」「美しい木」「皿の音」「ドアノブ」「海を見ていた」「木靴」「二分十五秒」「残されたボタン」「彼女たちの脚」「ものごころ」などなどおよそ50個の品々のことにふれて書かれている。こんな「がらくた」ばかり集めていったいなんの役に立つのか?と帯にはあるけれど、ここには偶然にも読み手の記憶とクロスする品物もあるだろう。

 

ひとつの「もの」にあれやこれやと情けをかけ、過度にならない程度に慈しむことで、なにか身体ぜんたいをはずませ、ひいては心をもはずませること。私はそれを、もののはずみ、とよんでいる。(p222)

 

他愛のないエッセイのようでも、何とも云えない記憶が揺さぶられるようで不思議な気がしてくる。

この発想と文体、記憶と思いが錯綜する知的な引用のスタイルは、この作家ならではの感覚のあらわれとして描出される。おもえば、初期の名作『郊外へ』や『雪沼とその周辺』にも同質のエッセンスが感じとれる。

エッセイなのか物語なのかポエティックな広がりをもつ本著『もののはずみ』は、堀江さんにとってきわめて自然な成り行きとして刊行された必然的な産物といえるだろう。この何とも云えない散文の呼吸をどうぞお楽しみください。

 

 

久しぶりの伊藤さん 2019.9.3

 

神楽坂にあるセッションハウスの伊藤さんが岩国にこられ、ぼくは今年の5月惜しまれて他界された斎藤徹さんのお別れ会で東京の田園調布にある《スタジオいずるば》以来の再会となった。 

伊藤さんは岩国にこられるのは三年ぶりと云われたが、この街の衰退した姿にはかなりのショックを受けたようだった。

三人で楽しい会食をすませたが他に話ができる場所はなく、結局のところわが家へ案内し11時過ぎまで話し込んだのはいいがそのあと市内のホテルに引き上げるタクシーがない。来るときの運転手は夜通しやっているというので安心していたのにどうしたことか。少々、あわてたがやっと事なきをえた。

翌日ホテルをチェックアウトして、伊藤さんはブラブラと街を歩いた感想を送ってくれたのだが本当に岩国は何もなくなった。映画館も本屋もレコードショップもなく話ができる喫茶店もクラシックやジャズを聴かせる店もない。だから、ないのが当たり前になったようにありふれた居酒屋とコンビニだけが目につく街になったと思うのはぼくだけだろうか。

 

後日、セッションハウスで行われた新井英一のコンサートのDVD2枚と彼がTBS時代に制作したラジオ番組「BC級戦犯をめぐって」と「卑怯という名の勇気-韓国陸軍兵士によるドキュメント-」の二つをまとめたアーカイブ録音1枚とヘンリーミラーが三島由紀夫の死について書いたものをそれぞれ送っていただいた。

ぼくは、新井英一を聴きながら20年近く前に岩国で行われた野外ライブと錦帯橋の上で歌った「チョンハーへの道」を想いだしていた。

新井英一が谷川俊太郎と武満徹の「死んだ男の残したものは」を歌っているとは知らなかったが脇にいるギター演奏も印象的ですばらしかった。新井英一のあの迫力とあたたかみのある独特の声質は変わらず何となくうれしい気分にさせてくれた。

TBSラジオのアーカイブは貴重な資料としてあらためていろいろなことを考えさせられた。

 

1本目の番組「BC級戦犯をめぐって」のそれぞれの証言では戦勝国によって裁かれた裁判とはいえ戦時下において経験した不条理な行動への気持ちとその思いは、2本目の番組「卑怯という名の勇気-韓国陸軍兵士によるドキュメント-」の“人間の尊厳”という点で共通する問題でいろいろなことを考えさせる貴重な資料だと思った。

それは、ベトナム戦争で韓国軍兵士として軍の命令に背いて日本への亡命を求めた兵士への対応をめぐるドキュメントだったが、結局は北朝鮮へと亡命したという。

自分ならどうするかと考えたときそう簡単にはいえそうにない。命がけで逃げる方がマシと考えるかもしれないし国に従って死を覚悟するかもしれない。また、息子に赤紙がきたらどうするかとも考える。それは直面してみないと、、、

おそらくはべ平連と思われる若者たちの対応をめぐる生々しい声、若々しい小田実の声はそのあたりのシビアな現実を突きつけていたが、これもなつかしいもので何年たっても声質というものは変わらないものだなあとつくづく思った。

うっすらと記憶に残っていたようなニュースでもあったがこの兵士が北朝鮮へ亡命したとは知らなかった。

 

ヘンリーミラーの三島由紀夫の死についての論考は三島への畏敬の念と違和感の入り混じった複雑な心情が滲みでた丁寧なものでたいへん説得力のあるものだった。

そこに紹介された『太陽と鉄』は三島由紀夫が褌姿で日本刀を構えた表紙で、ぼくはその初版本を『蘭陵王』とともに神田の八木書店で買って今も大切にしている。

この本の最後におさめられた「イカロス」という詩などは本当に死を準備しているように感じられるものでこの詩の一節をぼくは暗記している。また、今は手元にはないがこの「イカロス」を作品にしたこともある。

確かに不可解な最後の市ヶ谷の決起は滑稽としかいいようのないことかも知れないけれど、ぼくは観念論者とか狂信者としてしか理解できないほどの究極的な心境にそのときの三島は達していたのかもしれないという気がしている。若いころ、三島の文学に影響をうけ読みあさった一人としてぼくはそう思う。

三島由紀夫は当時でさえ、極東アジアの一角にきわめてニュートラルで国家として主体性のない経済大国が存在するのを忌み嫌い、英雄の概念や行動の美学を掲げて天皇論を主張していた。

だが、死を覚悟していたことも事実で死をもって自らを完結することを願っていたようにも思う。だから、ぼくたちは三島の文学までもその文脈にあてはめて考えようとするのかもしれない。

事実、『金閣寺』では火を放つ若い僧の心境は死をもって解脱する臨済宗のイメージで語れるし、「イカロス」にしても限りない死への接近がイメージされている。

いうなれば、三島由紀夫は身をもって自ら描いてきた物語のイメージを体現して完結したかったのかもしれない。だが、四部作『豊饒の海』のように死をもって完結した暁には、いずれ輪廻転生することをイメージしたとも考えられないだろうか。仮に今現在がそうだとしたらそれはちょうど『暁の寺』あたりかも知れない。

だから、《覚悟の行動学》ともいえるかも知れないが70年代の時代状況もあって、任侠映画の高倉健の殴り込みや「止めてくれるな!おっかさん」「唯一の無関心で通り過ぎて行く者を俺はゆるしておくものか、藁のようにではなく震えながら死ぬのだ」という学生たちの運動とかさなったような気もしている。

確かにヘンリーミラーの論考は信ぴょう性も高く説得力もあると思うけれど、それ故に天才の名をほしいままにした三島由紀夫の死は考えれば考えるほど不可解さが増幅してくるように思えてくるのだった。

 

 

原体験としての《恐れ》『サラサーテの盤』(内田百閒著 福武文庫)2019.7.25

本編におさめられたこれらの作品から感じられるある種の不気味さは、なんとも名状しがたい独特の感覚に起因している気がする。このほかにも数々の随筆や短編小説にみられるこの作家のユーモラスな感覚や滑稽ささえも意図的なものとしてではなく、並はずれた美意識や徹底したこだわりと独特の価値観に根差した行動原理がある意味で異化作用をひき起こす結果とみることが妥当とはいえないだろうか。

本著における夢ともうつつともとれる幻想や幻聴のように非現実的な時空を超えた描写にしてもこの不気味さの根底には何となく原体験としての《恐れ》と同期しているようにおもえるのは何故だろう。

おもえば、川上弘美の《うそばなし》や観念的な思考ともちがうし、シュールな理論に沿ったものでもない原初的な感覚そのものがこのような稀有な文体を生みだしているように思えてならないのだ。

 

ベルグソンの定義によると《笑い》とは瞬間的な優越感というけれど、本著の笑いと恐怖の同居するありようがこの定義に当てはまらないのもおそらくそのことに由来しているのではないか、ぼくはそう思う。つまり、そこにはゆるぎない絶対的な存在価値として現実を逸脱しているともいえる<個>があるといえよう。また、このことは百閒文学特有のスタイルでもあり文体ともなっているし名著『冥途』にも共通するところでもある。

 

たとえば、『東京日記』では普段あるはずの丸ビルがなくなるという物語においてこのような描写となっている。

(p99)「丸ビルはどうしたのでしょう」「丸ビルといいますと」その男は一寸言葉を切って、人の顔を見てから、「さっきもそんな事を云った人がありましたが、一寸私には解りませんね」と云って向こうを向いてしまった。

(p100)帰りに有楽町の新聞社へ寄って、友人の記者に、丸ビルに用事があって出掛けて来たけれど、丸ビルはなくなっていたと話したところが、そんな事があるものかと云って、相手にしなかったが、いいお天気だから出て見ようと云って誘い出した。

(p105)不意にひどい稲光がして、家の中まで青い光が射し込み、店の土間にいる人人を照らした。その途端に屋根の裂ける様な雷が鳴ったので、驚いて立ち上がったら、土間に一ぱい詰まっているお客の顔が、一どきにこちらを向いた様であったが、その顔は犬だか狐だか解らないけれど、みんな獣が洋服を着て、中には長い舌で口のまわりを舐めまわしているのもあった。

(p107)仙台坂を下りていると、後ろから見た事のない若い女がついて来て、道連れになった。夕方で辺りが薄暗くなりかかっているが、人の顔はまだ解る。女は色が白くて、顎が奇麗で、急に可愛くなったから、肩に手を掛けてやった。

 

情景描写にみられる固有名詞や媚態をともなう女性との心理や仕草の描写にはきわめてリアルな描出空間と同じ時系列のなかにも超現実的で個人的な感覚によって意識化されたものが等価なものとして挿入されている。

夢かうつつか、まさしくその飄々としたふるまいとまなざし自体が現実と非現実、恐怖とユーモア、さらに滑稽さをともなう由縁でもありきわめて独特の文学世界を成立させているというほかない。

 

ほかにも、『梟林記』『棗の木』『南山寿』『枇杷の葉』『神楽坂の虎』や表題作となる『サラサーテの盤』など不思議な世界がズラリと並ぶ短編の数々。どうぞお楽しみください。

 

 

含蓄のある新たな西行伝 『西行』(新潮文庫 白洲正子著)2019.5.29

 

 ねがわくば花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃

 

平安末期の世を生き、出家人として方々を旅しながら多くの歌を残し伝説化された歌聖・西行。多くの謎に満ちた西行の足跡を辿りながら著者独自の西行像に迫る論考はさすがに説得力がある。

とりわけ、西行の残した多くの歌からこの謎めいた人物像を探ることは容易であるはずはない。それゆえに明恵上人を書き上げた後に西行に取り掛かるまでに十数年の歳月を要したことも肯けるというもの。それも推敲とか執筆に費やしたというよりもむしろ躊躇いのような悶々とした時間を過ごしただけとの言葉もイメージできるからおもしろい。

おもえば、詞書と歌による表現形式で世界と向きあい自身に対峙する修行(試み)は自然との同化による自己消滅こそが解脱への到達ということだったのだろうか。

 

風になびく冨士の煙の空に消えて ゆくへも知らぬわが思ひかな

いつとなき思ひは富士の煙にて 折臥す床や浮島が原

 

いうなれば、このように自然に対峙し宇宙と同化する境地こそが西行の即身成仏の思想とみることができる。人間味あふれるこの思ひこそ西行の魅力であり不確かさであり謎ともいえる所以といえるのではないか。

それにしても芭蕉や山頭火、李白や杜甫にしても、どうして方々を旅するのだろうと不思議に思えてくるのだが、その足跡を追体験しながら随筆をまとめる作業とは執筆者独自の創造の世界として経験されるほかない。

福田和也は解説でそのことにふれ、白洲氏の文章は、何にも似ていない。西行を語ることは、歌について語ることであり、仏教について語ることであり、旅を語ることであり、山河を語ることであり、日本人の魂と祈りを語ることであった。としている。

また、『明恵伝』の記述をめぐる虚実にふれて、瞬時に世の虚妄にかかわる認識に通底させて、西行の姿を追い、見つめる読者の目を、西行が「虚空の如き心」で世界を見ていた認識と一致させてしまう文章の動きは、批評と呼ぶのすらさかしらに思われる程で、流暢な運びのうちに視界を転換し、「虚」と「実」の間に広がる、生々しい歌の在処を照らしだす。そのとき白洲正子の文章の中に西行が現れる、という。

個人的には残念ながらそこまで読み切ることはできないけれど、ディスクールとしては納得できるし、含蓄のある新たな西行伝ということもできるだろう。

 

春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなりけり

おのづから花なき年の春もあらば 何につけてか日を暮らすべき

 

待賢門院への思い、この濃密な息苦しさ、官能へと、花へと、身をさらす西行。

本著は西行とともに旅を楽しむことも、多くの謎とともに数奇のあり様を探ることも、想像力をかき立てられる傑出した一冊であることはまちがいない。

 

 

戦争をめぐる保守派の変遷『保守と大東亜戦争』 2019.5.17

 

いつの頃から大東亜戦争をアジア開放のための聖戦とみなし、戦前の日本の姿に積極的な意義をとなえ賛美する立場を《保守》とするようになったか。そもそも、《保守》とはいったい何なのか?

本著は戦前の日本において保守の論客たちがどのような発言をしてきたかを詳細に辿ることから歴史を解明し、今日への問いを見出そうとする著者の立場を示すものである。

 

ここでは冒頭、1930年代の昭和維新を掲げたテロによるクーデターの《ファッショ的革新性》そのものに保守思想とは相入れない矛盾があることを指摘し、《大東亜共栄圏》や《八紘一宇》という超国家主義的構想も容認できないとしている。

著者は保守の定義として、基本的考え方をエドマンド・バーグがとなえたフランス革命批判にあるという。

フランス革命を支えた左翼的な思想は、理性の力によって進歩した社会を構築できる、平等が実現したユートピア社会をつくり上げることができる、というものだ。つまり、人間の《理性の無謬性》を前提として合理的な正しさに基づく社会改造を行えば、理想とする社会を実現できるという発想を共有している。

これに対して、バーグをはじめ保守思想家は懐疑主義的な人間観を共有する。人間は不完全な存在であり、道徳的にも能力的にも過ちを犯しやすくエゴや嫉妬、怨嗟の念からも自由になることはできないし欲望を捨てることもない。 すなわち、人間にとって普遍的なのは《理性の無謬》ではなく《理性の誤謬》だとしたうえで、保守は理性を否定するのではないとも強調する。

一見、矛盾の論理にみえるかもしれないけれど真に理性的な人間は理性の限界を理性的に把握するのだとし、個別的な理性を超えた存在の中に英知を見出そうとするのだという。それは伝統、慣習、良識であり、歴史の風雪に耐えてきた《社会的経験知》だとし、この集合的な存在に依拠しながら、時代の変化に対応する形で漸進的に改革を進めるのが保守の態度であるという。

 

戦前、保守の論客たちは軍国主義に抵抗し批判の論陣を張っていた。第一章から第二章にかけては戦争へいたる過程とその抵抗について、竹山道雄、田中美知太郎、猪木正道、河合栄治郎、福田恒存ら保守の論客たちの発言と行動に詳細な言及を企てる。

とりわけ、この国の戦前から戦後を通じて共通する行動原理として革新的変貌のあり方それ自体に、左翼・右翼または進歩的平和主義を問わず本質的に同質のものを読み解く論考は興味深いところでありきわめて刺激的といえる。

第三章では保守の論客・池島信平、山本七平、会田雄次の実体験とその言動を通して、当時の帝国陸軍をはじめ日本の軍国化と侵略の実態を詳細に記述している。

 

会田は戦後を『虚妄の時代』と呼び、断罪しました。戦後民主主義は、高邁な理想によって支えられたのではなく、極めて功利的な処世術として展開してきたとみなしました。彼はそこに「いやらしい現実的臭気」を嗅ぎつけました。(本文p212)

 

このことはつまり、戦前と戦後は同根の存在であり~(略)~戦前の「皇道や神国日本」というイデオロギーに飛びついた人間こそ、戦後の西洋ヒューマニズムの偽善に飛びついた人間に他ならない。会田はその一連の人間たちを鋭く批判することで、保守の論理へと接近したという。

 

戦中派保守の論客たちが次々に鬼籍し世代交代していく中で、第三章では戦争に至るプロセスを主体的に体験していない世代が保守論壇の中核を担うようになるが、戦中派として孤軍奮闘する歴史学者林健太郎の主張とそれへの反論、とりわけ田中正明、伊藤陽夫、小堀桂一郎らとの大東亜戦争の正当性をめぐる論争は詳細に示されていて読み応えがある。

中村榮との論争では世代間のギャップによる歴史認識との差異、最終章では猪木正道の言動をとりあげここでも軍国主義と戦後の空想的変輪主義の同質性に言及する。

 

つまり、戦争賛美が保守なのではない。

本著はいま一度、戦争をめぐる保守派の変遷をみつめ、本来の保守的人間観に立ち返って戦争に至ったプロセス、思想的背景を吟味する必要性を説く渾身の一冊といえる。

 

 

 

永遠の徹さん 2019.5.22

 

 コントラバス奏者の斎藤徹さんが5月18日11時36分に永眠されました。岩国のぼくたちともながいお付き合いになりますが謹んでご冥福をお祈りいたします。

FBなどで病状がかなり厳しくなってきていることは察していましたが、何ともいいようのない深い悲しみと喪失感がひろがっています。

徹さんとの出会いはかれこれ20年近くも前になりますが、広島の友人黒田敬子さんの紹介だったと思います。小さな会場でおこなったソロコンサートがはじまりでした。

そのときに聴いたコントラバヘアンドの衝撃はぼくにとってはかなり強烈なものでした。

即興ならではの独特の奏法、独特の旋律と音、それは不思議な広がりと大きなスケールを感じさせるきわめて印象深いものでした。

その後、ミッシェル・ドネダ、チョン・チュルギ、徹のトリオライブをシンフォニア岩国でおこないました。そのときの演奏はアルバム『ペイガンヒム』の一曲目におさめられています。ベースとパーカッションのリズムに合わせミッシェルの独特のソプラノサックスが重なり、《祝祭性》を感じさせるその音とリズムはぼくたちの意識の底に眠っている記憶を呼び覚ますような不思議な音楽でした。

このような経緯を経て、アートムーヴ2003岩国「表現の成り立ち」という企画に参加していただき、現代美術の5人の作家とともに会場でのコンサートをおこないシンポジウムにも参加していただきました。とりわけ、錦帯橋の架け替えによる解体材料(橋板40枚)と錦川の石を並べたぼくの作品「流れ」の上での演奏は今でもその光景が目に焼き付いて記憶されています。

行政と一体となった地域づくりを考える各種プロジェクトの一環としておこなわれたフォーラム2006岩国ジャン・サスポータス&斎藤徹DUOパフォーマンス岩国公演は衝撃的で圧倒する夢の競演でした。とりわけ、「地から」という後半のプログラムは今でも語り草となっています。

さらに、アートムーヴ2007岩国「具象の未来へ」ではアーティスト小林裕児さんとのライヴペインティングに参加。

この間、広島でもたびたび黒田さん企画のコンサートにも駆けつけ、ミッシェルや娘の真妃ちゃんらとの打ち上げに割り込ませていただきました。徹さんはいつもにこにこしていてその人柄も音楽と同じ大きなスケールを感じさせる不思議な存在でした。

東京の神楽坂でおこなった2010年の個展では、最終日ぼくの作品でお遊びドローイングのような投げ銭ライヴの演奏をしたことも今は楽しい思い出となってしまいました。また、その会期中に東中野のポレポレ座でおこなった久田舜一郎さんとのライヴにもお招きいただき堪能したことを覚えています。

その神楽坂で奥さんの玲子さん、徹さん、朋(マルメロ)さんとお会いし、後のオペリータにつながる話をしたような気がします。

四谷区民ホールでおこなわれた1ステージのパルパル「ユーラシアン・エコ―ズ第二章」公演は本当に夢のような共演で画期的な舞台となりました。それはまさしく《宴》のようでもあり、徹さんのいう《捧げもの》のようでもあり、時空を超えた演奏が繰り広げられました。「うたがないのにこれはうたじゃないのか」と、おもわず徹さんとやりとりしたことがありました。

偶然にも映画監督テオ・アンゲルプロスの作品に興味をもっていたぼくたちとも話は盛り上がりましたが、徹さんは強烈なテオのファンで「永遠と一日」をイメージした楽曲もありました。旅先ではいつも2、3枚テオのDVDをもっていくともおっしゃっていました。

フォーラム2013岩国「オペリータうたをさがして」岩国公演は2014年の新年早々1月17日におこなわれ、その「永遠と一日」も組み込まれています。作家乾千恵さんとの「千恵の輪トリオ」であたためられた《甦りのうた》を軸にしたオペリータは少々アクシデントもありましたが松本泰子さん、さとうじゅんこさんお2人のソプラノにおなじみのジャンさん、喜多さん、オリビエ・マヌーリさん、斎藤朋さん、乾千恵さんが集結、斎藤さんの願いとも希望ともいえる画期的な舞台となりました。

「いま、ここ、わたし」と考え続けてこられた斎藤さんは3.11の被災地を訪ねた際、この場に必要なのは演奏じゃなく《うた》だと気づいた、とその動機についてお聞きしたように思います。

その後、身体的ハンディをもつ人たちとの共演で可能性を開き、病と闘いながらも益々クリアーになっていく凄まじい活動には、限られた命の時間との競争のようでもあり無念さの入り混じった覚悟が伝わってくるようで、ぼくは「なんて強い人なんだろう」と驚嘆させられたり呆れたり心配していました。

2018年の三月、広島のギャラリー交差611でおこなわれた黒田さんの回顧展でのコンサートが徹さんとの最期でした。かなり病状も進んでいて辛そうでしたが素晴らしい演奏でした。

おもえば、ソロコンサートからはじまり各種企画を経て斎藤徹のスケールを感じてきましたが、それは大自然にどっかりと根をおろした巨木のイメージです。

「何処へ行ってしまうのか」とお聞きしたこともありましたが、変化しているように錯覚するのはただ年輪を重ねて信じられないくらい大きくなっているからと思えるようになってきました。つまり、「いま、ここ、わたし」とくりかえし根を張りながら途方もない年輪を重ねてきたと云うべきかもしれません。ぼくはそう思います。

徹さんは自ら「すばらしい友だちに出会う天才」だとおっしゃっていました。そのことは「友だちと友だちを出合わせる天才」だったことにもなります。

徹さんが示してくれた音楽の世界は永遠に多くの方々に受けつがれるとぼくは思います。壮大なスケールで音楽と向きあいそれを体現してみせてくれた人、徹さんありがとう。