防長新聞コラムⅣ

アントワープ(2010.4.20)

「フランダースの犬」の舞台として知られているベルギー北部の都市アントワープは、古くから商業、金融の中心地として栄えたヨーロッパ第2の港町であると同時に、多くの美術館や文化施設が存在する芸術の街でもある。現在、ひろしま美術館では4月4日(日)から5月28日(金)までの会期でベルギー近代美術の殿堂“アントワープ王立美術館コレクション展”として、『アンソールからマグリットへ』という展覧会が開催されている。

私たちは当日がオープニングとは知らないまま、会場となるひろしま美術館へと出かけた。また、広島の画家・香川龍介さんたちのグループ「立」展を観る目的もあった。さらに、時間的に余裕があれば広島市現代美術館で開催中の『ウイリアム・ケントリッジ(南アフリカ共和国生まれのアーティスト)展』(2010年3月13日-5月9日)まで行くつもりだった。
私が日本のシュールリアリズムの拠点といわれた美術文化展に所属していたからというわけではないが、とりわけルネ・マグリットの『9月16日』という名作を観たかったのだ。以前にも山口県立美術館である程度まとまったマグリット展を観ていたのだが、どういうわけかこの作品が記憶になかったのだ。非常に気になる作品でもあったし、もう一人のベルギーを代表するシュールリアリズムの作家ポール・デルボーを観たかったこともある。
ベルギーのアカデミズムから印象主義・写実主義、さらに表現主義・象徴主義、抽象表現へと流れる美術史のあり方は、フランス美術の影響をまともに受けているようすがはっきりと確認できるコンパクトな好企画だった。単なる写実主義ではなく人間の内面を描きたいという当時のアーティストたちの渇望がその変遷を明確に物語っていた。
フランス美術の影響も大きいけれどフロイトやユングらの心理学やダダイズムの運動が結実し、マグリットという知的で稀有なシュールリアリズムの芸術家を誕生させたのではないかと私は考えている。あとで分かったことだが、マグリットの「9月16日」は日本初公開の作品だったというから私の記憶になかったのもあたり前のことであった。
そういえば、大学のファッションコースで学んだわが美術教室の研究生S君が留学したいといっていたのがこのアントワープ王立芸術アカデミーファッション科だったことを思い出した。現在、そのS君はドイツでファッションを学んでいるのだが最終的にはここに落ち着くのだろうか…。

前述したようにアントワープは王立美術館だけでなく、さまざまな芸術を発信する文化施設が集合する芸術都市である。とりわけアントワープファッションの殿堂“モードナシー”を拠点とするモードシーンは1980年代あたりから街全体が文化都市としても世界から注目されている。1993年、アントワープはヨーロッパの文化推奨都市にも指定され、モード(ファッション)という芸術を軸に経済産業と連動する画期的な都市として急成長しているというから凄い。

「好きでやっているのだから」などといって、昨年の事業仕分けの現場で問題となった「自己責任」という言葉とともに助成することへの意義が疑問視されたどこかの国とは大違いだ。

それにしても、マグリットの「9月16日」は絶品だった。その横にあった「復讐」という作品もポール・デルボーの「バラ色の蝶結び」という絵画も素晴らしかった。
いつだったか、吉本隆明の「芸術言語論」という講演をテレビで見たことがあった。吉本さんはその講演で、「人間は今も昔もそれほど変わってはいない」というようなことを言われた。そんなことを感じながら、この日の私は1880年のアンソールあたりから1940年のマグリットやポール・デルボーまでのベルギー近代絵画と香川グループの今日的な作品を観ていたのだった。

 

廃墟と産業遺産(2010.4.29)

『クローズアップ現代』という番組がある。NHK総合テレビの午後7時のニュースに続いて放送される番組で国谷裕子さんがキャスターをつとめる。4月12日(月)の同番組では、廃墟に関心をもつ人々がふえているという特集があった。

長崎の端島(通称・軍艦島)、どこかの廃鉱や廃墟となった精錬所跡など、ひと頃の産業をささえた痕跡を留める産業遺産に旅行ツアーを組むほどの人気があるというのだ。一体、それはどういうことなのだろう。確かに廃墟には不思議な魅力がある。岩国でも今は使われなくなった数多くの廃校があるけれど、それとも少し違った魅力なのだ。多くは明治・大正・昭和初期の建物であり、この国が富国強兵の名の下に西洋に追いつけ追い越せとひたすら頑張った名残がそれらの産業遺産にはある。したがって、建物のデザインも製造方式も欧米をお手本とした風合いが感じられる。

一昨年の春、私たちは大原美術館、犬島、奈義町現代美術館、植田正治写真美術館をめぐる鑑賞バスツアーに出かけた。このときの犬島もそうだった。そこでは現在進行形のアートプロジェクトが行われている。第一期工程を完了し一般公開されている犬島プロジェクトは、かつての産業をささえた銅の精錬所の跡地をアートの手法で再開発するものだ。瀬戸に浮かぶお隣の直島をアートの島として甦らせ再開発に着手した福武聡一郎氏をトップに現代アートの作家・柳幸典と建築家・三分一博志を起用して進められている。因みに今年は近隣の島々を舞台とする瀬戸内国際芸術祭が開催される予定となっている。

犬島はそれだけでなく大阪城や江戸城などの築城にも使われた石の産地であり、菅原道真公ゆかりの島でもある。銅の精錬所として栄えた跡地は、確かに産業遺産としての魅力と存在感をもつ廃墟であり、アーティストの創作意欲を掻きたてるほどの圧倒的な力をもっていた。

その後、私たちのバスは中国自動車道、山陽自動車道を駆け巡り翌日には奈義町現代美術館へと快適走行し、美しい大山の雪化粧に感動する間もなく植田正治写真美術館へと向かったのだった。その道中、私はバスから見える里山の風景を見つめながらいろいろなことを考えていた。

ちょうどその数ヶ月前、日本のレイチェル・カーソンといわれる富山和子(日本福祉大教授)さんの講演を聞いた。その講演は憲法九条の会・岩国が主催したものだが、私にとってたいへん印象的なものだった。同氏の著書『日本の風景を読む』(NTT出版)と『水と緑と土』(中公新書)も興味深く読ませていただいた。それというのも、島根県の鹿足郡吉賀町一帯の里山を舞台とする里山アートプロジェクトに着手していたからでもある。

この時から私はこの国の風景の見え方が変化したのだった。農耕文化にささえられた日本の風景はかなり危機的な状況にあると感じられた。ダムのあり方にしても荒れ果てていく森林や休耕田の風景は犬島と等しく日本の産業遺産のように思えたのだ。棚田で米づくりに励んでいる集落もあったが、転作を余儀なくされ多くの休耕田は荒れ果てていた。

だが、私には「緑を守り、水を制し、農耕文化を育んできた中国山地の里のくらしこそが日本文化の原点ではなかったのか」と荒れていく風景が問いを発しているように感じられた。まさしく、それは産業遺産そのものだと思った。たとえば、ある集落を前にして考えると、休耕田がここだとすれば小高いあのあたりに墓地があったはずだ。高齢化とともに平地に墓地を移したのだな、などと風景が読めてくる。なるほどバス旅行は便利になったけれど、かつての農耕文化を支えた中国山地のこの途方もない産業遺産も決して犬島に劣らず、アーティストの創作意欲を掻き立てるものがある。里の芸術一揆「里山アートプロジェクト」は吉賀町の里山一帯にとどまらず、西日本を縦断する中国縦貫道を軸線とする巨大なアート事業に発展することで蘇える可能性を秘めている。

 

文化力について(2010.5.)

 「好きでやっているのだから」と昨年あたりから事業仕分けの現場で問題となっている「自己責任」という言葉とともに助成することへの意義に疑問が投げかけられている。
 マドモアゼル・シネマの旅するダンスを演出する振付家の伊藤直子さんは、このことについて私たち自身がずっと考え続けている問題だという。個々人の踊る喜びを超えてあるダンスの意義とは何か。オーストリア・ウィーン、ブルガリア・ソフィアでの「不思議な場所」公演で、このことについて伊藤さんはひとつの意 義を確信したという。ダンサーを支える記憶、演出家としての自分とダンサーそしてスタッフへとつながる人と人との関係と作業が次々とリレーされ舞台から観 客へと渡されていくとき、言葉にならない物語がみる人にしみ込んでいく様を目の当たりにしたからだ、と。
それは価値観の共有という観念的なことより、もっと生々しいリアルな感情の出会いなのだとも…。国も年令も性別も超えて共振しあう時間は、単に国際交流という意義を超え、一人ひとりの「人間」という不思議な存在の共存する時間になり得ると確信したことは自分にとって大きな意義があった、と語っている。
日々のトレーニングに励み、「自己責任」を超える意義を問い続け、人々の共感を得る作業(活動)が、たくさんの人を道連れにして行動する自分たちの役割だと、観客からいただいた勇気をもってダンス表現での可能性とその意義を探していくのだと自らを奮い立たせるようにいう。
自己責任、この言葉が注目された経緯はほかでもないイラクでの日本人NGO構成員の人質事件あたりからではなかったか。この時の日本国政府や多くの国民の反応、とりわけ当時の小泉首相の冷ややかな感情を表した“自己責任”という言葉が大いに話題となったのだった。
これまでに私もブログ(あーとランダム)やいろいろな紙面を通じてことあるごとに発言してきた。芸術文化活動は余剰の資金で成り立つのではなく、私たちにとってそれは衣食住と等しく真っ当な日常生活を過ごす上で必要不可欠なものとして重視されなければならない、と。
ダンスに限らずアートや音楽、その他の芸術文化活動、あるいはスポーツ等々の分野におけるサポートのあり方などについてもおそらく同じことが言えるだろ う。それらの活動は決して財政的に余裕があり余った資金で行われる対象ではないはずだ。なるほど、100分の1秒ほど他者より早く走ることが出来たとして何の意味があるか分からない。布で島々を囲むことや新聞紙を積み上げることが何の役に立つのか分からない。だが、これらの営為は私たちの価値観を相対化させ、ある種の驚きとともに感動を与えてくれる。それは個々人や社会にとって健全な精神を持続させ風通しをよくする。だから、私たちは経済活動においてさえ、大いにこれらの分野での可能性があることを理解する必要がある。言い換えれば、文化芸術は経済効果があるということなのだ。
ひと頃、文化力という言葉が流行った。今も問われ続けている問題なのだが、日本国憲法の前文に掲げているにもかかわらず、国際社会において名誉ある地位を占めることが出来ない理由の一つだと指摘する人もいる。さらに、文化とは文化好きの人たちだけの問題ではなくこの国の将来に関わる大きな問題だともいう。 すなわち、文化力によってこの国の政治を浄化し、経済界に活力を与えことが出来るし、外交手段にもなりうるというわけだ。つまりは、そのことによって国際的な信頼を獲得する可能性も大いにありうる。
私はこの経済不況にあって、財政事情が悪いときだからこそ市民の力を結集しその願いを同一ベクトルとして行動するチャンスがあると思っている。私がいうまでもなく、そのことはこれまでの歴史がそのことを証明している。

 

川喜田半泥子のすべて(2010.6.9)

今年の天候はどうもヘンだ!本当にどうなっているのだろうと思っているのは私だけではないだろう。もう暖かくなるだろうと思っていたら翌日はびっくりするほど寒い。お花見の頃合いをむかえても気温は安定しなかった。どうしてこれほど気温の差が日によって変わるのかと不審に思うことが何日もあった。それでも五月のゴールデンウィークあたりからはやっと落ち着いてきた。

連休は萩に行ったのだが、山口県立萩美術館浦上記念館では「川喜田半泥子のすべて」という展覧会(2010年4月3日―5月30日まで)が開催されていた。近代陶芸史に大きな足跡を残したとされる川喜田半泥子とはどんな人物なのだろう。私はこの作家の陶芸作品のみならず人物像にも大いに興味があった。

川喜田半泥子(本名は久太夫政令、1878~1963)は、三重県津市の素封家で、東京・日本橋大伝馬町に寛永年間から続く木綿問屋に生まれたとチラシに紹介されている。家業を継ぎ、百五銀行頭取や数々の企業の要職を歴任して財界で活躍する多忙な日常のうちに、陶芸、絵画、書、木版画、写真、 建築、俳句などの各方面にその芸術的才能を発揮したとある。とりわけ50歳を過ぎて本格化した作陶は破格であり、趣味の域をはるかに超え、当時沈滞していた陶芸界に清風を吹き込んだ。茶の湯への深い理解にもとづく、ユーモラスかつ高遠な思念が込められた作品は、ひとつひとつが大宇宙とも呼べるふくよかさを持っている。半泥子の作品やその芸術・文化に対する鋭い着眼点と広い知識は、交流を重ねた荒川豊藏や金重陶陽、三輪休和、三輪壽雪らをはじめとする若き陶芸家たちに強く影響し、昭和における陶芸復興の礎ともなった。また半泥子は文化事業の優れた支援者でもあり、地域振興や文化事業も手がけ、私財を投じて三重県下初の総合文化施設となる財団法人石水会館を創設したとある
あくまで素人としての創作活動に徹した半泥子の作品は、その幅広い交友関係に贈られて愛蔵された。これまで、その名声に比して、まとまって作品を鑑賞する機会に恵まれなかったが、遺族からの寄贈を受けて1975年より登録博物館として活動をはじめた石水博物館の全面的な協力を得て、陶芸、書画のほか建築、写真、俳句や関連資料などにも触れて半泥子芸術の全貌にせまるものとしている。

川喜田半泥子が生み出した芸術とは何だったのか。政治家であり実業家でありながらも50歳を過ぎてから本格的に芸術に打ち込んだ巨大な自由人。かといって、いわゆるアンドレ・ポーシェットやアンリ・ルソー、グランマ・モーゼスなどのように素朴派といわれる範疇には入らない。その営為はきわめて自覚的であり、しかも趣味の範囲をはるかに超えた新しい芸術スタイルの出現といっていいのではないか。

なるほど、本職の陶芸家からみれば基礎的な技量の欠落した一貫性のない思いつき作品のようにもみえるかもしれない。だが、これまでの視点からでは計ることのできない芸術への挑戦、その大いなる精神への問いかけのような気がしてくるから不思議だ。無茶苦茶を好み無茶坊主を名乗る所以がそこにあったのではないか。「焼き物にならない土はない」と言いきり、すべてに自由な発想から生まれる川喜田半泥子の芸術は、陶芸や絵画、書などに限らず、人の育成から社会的な事業を含めて展開されることとなった。確かに見るに絶えないものもあったがユーモアたっぷりの作品、プロアマを問題にしない自由な発想でつくられ、どこか突き抜けたものがある。

願わくは政治家や実業家としての言動とともに重層的に研究できれば一味違った解釈もできるのではないかと思ったのだが・・・。

このような人は陶芸家といっていいのか分からなくなる。北大路魯山人などもその類かもしれない。利休や龍馬はどうか。白州正子や白州次郎もそうなのだがとても一言では言い切れそうにない人物像である。

 

オンラインレビュー(2010.6.24)

インターネット上でのコミュニケーション(やり取り)がごく日常的となり、当たり前の感覚として定着しつつある状況がある。匿名のオンラインレビューだから仕方がないといえばそれまでだが、あまりにも無責任で文学に疎い稚拙な評が多くて不愉快になるときがある。批評をすることで自身が少し高みにでも立っていると勘違いしてしまっているのだろうか。陳腐な批評は逆に自らの能力の限界と滑稽さを露呈する羽目になることくらいはわきまえないといけない。ぼくなどもこのコラムやブログなどで馬鹿をさらしているようなものだけど、プロフィールも公開しているわけだから当然のことながらそれだけのリスクを背負っていることくらいは分かっている。

たとえば、Amazonに掲載されている今年1月に出版された『オール・マイ・ラヴング』(岩瀬成子著、集英社)に関するレビューにこのようなものがある。

 

健気なビートルズマニアの回想記  2010/04/21

著者は高名な児童文学作家である。しかしここでは、半自叙伝のように健気な中二の女の子だった自らを40年後に回想する、と言う趣で、ひたすら好きで好きで仕方のない The Beatlesへの愛に満ちた日々が描かれる。Beatlesの1966年秋の来日公演を何とかして見るために、中国地方西部から東京目指して小さい家出までするのだ。でも私は満足できなかった。余りにも世界が狭く、回想自体に魅力が足りないのだ。これを姫野カオルコ氏の 'ツイラク' の墜落前までの回想部分と比較すれば、社会的、戦略的な生き方の描写が欠落しているのがよく判る。それと、プロローグで満月が中天にかかりながら曙を迎えるあり得ない情景で、私の信頼感はゼロまで下がっている。高名な作家のこのあり得ない過ちは読み手の心を暗くする。折角のビートルズが息づく乗りを与えられず残念。

 

取るに足らないことには違いないけれど滑稽の極みと言うほかない。この作品は一人のビートルズファンとして著者が40年前の自分を回想している自伝などではない、ということがどうして分からないかと不思議に思う。確かに自伝風ではあるかもしれないが自伝と認められる根拠はどこにもないはずだ。さらに唐突にも姫野カオルコまで引き合いに出して、その「回想」の描写について記述していることはまったく御門違いであり滑稽としか言いようがない。また、プロローグで満月の情景の描写について、ありえないと決めつけること自体も読み手のつまらない観念と妄想に寄りかかって結論づけているに過ぎない。まともな書き手なら当然ながらその程度の情景確認は出来ているはずだと普通は考える。

おそらく、この著者は時代を超えてある普遍的な少女の成長過程で経験する切なさや怒り、滑稽さややさしさをビートルズの名曲『オールマイラヴィング』のイメージと重ねるように描いたのではないか。だから、ビートルズや著者自身を回想する話しなどではありえないし、ビートルズに関する記述の少ないことにもうなずけるはずだ。私たちは成長する過程でいろいろな出会いと別れ、喜びや挫折を経験する。だから、特別な事件や分かりやすい劇画的な物語を期待するととんでもない意味の病に陥ることになってしまうのだ。挙句の果てに、現実的なリアリティーからも遊離されてしまうことになるだろう。

ラストシーンではビートルズに会うために東京へ向かうこととは逆方向の列車に乗っている。物語は喜久子のやりきれない切ない気持ちの中でも別れと同時に大きな成長の予兆を感じさせる。このとき、私にはオールマイラヴィングが確かに聞こえていたように思う。切なくもさわやかな読後感に充たされる傑出した小説である。(敬称略)

 

モビールについて(2010.8.11)

現代アートというのは面白いもので、それまでの絵画や彫刻とはちがい動く作品(オブジェ)ということが注目され話題になったことがあった。それらは、例えばキネティックアートなどと言われカテゴライズされることもある。その先駆的な役割を果たしたアーティストとして、マルセル・デュシャンの名を上げる人はいるかもしれない。また、電気的なエネルギーで動くのとは少しちがって、風や水の力、言わば自然とのふれあいで動く作品などもある。あるいは、マグネットなど眼には見えない磁力や不安定なバランスを保つことで動く作品もある。

日本では、山口市に在住する現代彫刻の重鎮・田中米吉や内田晴之、新宮晋、松本薫などがその代表格といえるアーティストだと言っていい。また、キッズパワープロジェクト2005に参加した『文殊の知恵熱』の松本秋則などは動きと音を奏でるサウンドインスタレーションともいえる新しい様式を確立したアーティストでもある。日本に古くからある“ヤジロベー”という代物も動きをともなう代表的なスタイルということもできるだろう。

ここで紹介するのはアレグザンダー・コールダーというアメリカのアーティストのことだ。アメリカといえば他にも広島市現代美術館で紹介されたマーク・デ・スヴェロも巨大な鉄の塊が動く不思議な作品だった。これなどはバランスで動くといっても少しちがった趣があっておもしろい。アレグザンダー・コールダーはモビールの作家である。モビールもバランスで動くものだが、それらの多くは吊り下げられている。動きは自然の風の流れによるところが面白く、一味ちがった軽やかさがあり、ぼくは子どものころから好きだった。だから、今でもときどき子どもたちにアレグザンダー・コールダーを紹介し、モビールを一緒につくって遊んでいる。

コールダーの作品は広島市現代美術館でも常設されているので見かけた人も多いのではないか。また、玖珂町のキッズミュージアムの玄関入り口にも赤いモビールの作品があってゆったりと動いている。このゆったりと動くところが“空間におけるコンストラクション”というべきか、何ともいえない気分にさせてくれる。

最近になって読んだ本で知ったのだが、コールダーのこれらの作品について“モビール”と名づけたのはマルセル・デュシャンらしいのだ。“動くもの”という意味に加えて、フランス語では、“動機”という意味もあるらしい。デュシャンといえばレディメイドの作品「泉」で知られているけれど、それまでの芸術の成立概念をひっくり返したエポックメーカーと言っても過言ではない。

当時、デュシャンは「自転車の車輪」という動く作品をすでに作っていた。このほかにも「回転ガラス板」「回転半球」「ロト・レリーフ」など“動く芸術”のパイオニアであったことは間違いないけれど、デュシャンの作品における「運動」は大作「大ガラス」に象徴されるように、眼に見えない“構造の運動”に収斂されるようなメタフィジカルでどこか性的なものと関連づけられている趣がある。これに対してコールダーの“動く作品”はぬけぬけとしていて明るい。

後年、デュシャンは「おだやかな運動によって、重力の邪魔をするモビールはプラトンの『フイレボス』を引用すれば、『それ自体に特有な快楽をもたらすのであって、これは、身体を引っかく快楽とはまったく別物である』。“純粋無垢の生きる喜び”コールダーの芸術は風の中の木の昇華物である。」と言ったというから面白い。

“動く作品”と言っても両者の立場はこれほどちがっている。コールダーは、手やモーターによる動きが、予定通りの単調な繰り返しになりやすいことに疑問をもち、もっと自然の力(偶然の力)によって、不変で唐突で未知の運動を求めたのだった。広島市現代美術館にあるアレグザンダー・コールダーの「モビール」を鑑賞してみてはいかがでしょうか。(敬称略)

個展をふり返ると(2010.8.27)

このたびの個展では久しぶりにおこなう東京での発表とあって、いろいろな面で不備があったかもしれないが、ほぼ納得のいくものとなった。私としては、気分はすでに11月に開催する周東パストラルホール(旧周東町文化会館)での発表と里人へのアプローチとなっている。

パストラルホールではこのたび東京で発表したように新作のドローイングインスタレーションと合わせてこれまでの絵画、立体作品を並べる予定としているのだが…。

東京の作品については“外へと向かう作用(働きかけ)”が、これまでの営為においても特徴的でおもしろいという指摘を受けた。そのことは、ある意味で私の作品における重要なコンセプトとなっているところでもあった。つまり、対象をこちら側の特別なテクニックでねじ伏せ非日常的な作品世界として措定することではなく、いわば日常と非日常の間をある時間をともないながら往復する中で確認され作用する状態を願う「中間態」とでもいうべき様式にこだわっているということかもしれない。したがって、作品の意味を理解しそれと気づくのは、その場で出会う人々にゆだねられ言語化されるものと信じてきたからである。
分かりやすさが求められ限界芸術が取りざたされる今日的状況においては、やや観念的な趣があり差異を感じられるかもしれないけれどこの問題は70年代からまったく未解決のままであり、この国の政治と同じくあたり障りのない程度に右往左往しながらうやむやになっているのだ。

負け惜しみではないけれど、そのようなことを考えながらやってきて還暦を目前にすると、多くの人が会場に来てくれることだけでなく信頼できる奴とどんな会話が出来るかということの方が大事になっている。そう考えるなら、このたびの個展では実に多くの人と引き合わせていただいたことが何よりもありがたく嬉しかった。
これまで、精神風土をつくることを最強のアートと考え、地域ぐるみで取り組んできた各種プロジェクトの方向性と意味づけは、まんざら捨てたものでもなく決して間違ってはいないと確信することもできた。とりわけ“ダンス白州”を20年間引っぱってきた斎藤朋さんや、取手や我孫子、雨引で頑張ってきた旧友・島田忠幸、横浜の衛守さん、これからNPOで頑張るという秋川さん、丹野さん、EUジャパンフェストの古木さんなど多くの人に出会えとこと等々。アートがどれ程のものであり何が出来るかはわからないけれど、私たちがまだ気づいていない潜在的な力を里や地域、あるいは都市空間の中ででも引き出すことは可能かもしれない。

最終日の齋藤徹(コントラバス奏者)さんとのライブやその前日に彼らが“ポレポレ座”で行った齋藤徹&久田舜一郎(能楽)ライブで体験した不思議なざわめきと驚き…。斎藤さんは本気で遊ぶことの意味の大きさについて本人のブログでこう指摘している。『長年やっていると、自分の得意な技術や方法が、かえって自分を縛ることがあります。技術を身につけると技術に囚われてしまう。特にその人のオリジナルな技術・方法と認知されている場合は特にそういう危険性があります。』

私としてもはじめてのことではあったが、それまで意識の底(無意識、あるいは集合的無意識のところ)で眠りこけていた感覚が揺り起こされ血が騒ぐようなざわめきを感じる高揚感があった。地方にいてふだん周囲から“先生”などと言われていると、いつの間にか感性は愚鈍化し痴呆化する。胸をなでおろすように、思わず「危なかった」という安堵とともに私は眼の覚めるような不思議な体験を味わった気がした。

 

特集「文化変調」(2010.9.14)

朝日新聞では『文化変調』と題して、時代の移り変わりとともに顕在化してきた文化的な現象や意識の変化などについて、いろいろな側面から取材する特集を組んでいる。7月25日付の特集では「クール・ジャパンに強敵」との表題で日本と韓国、中国における文化政策面での違いが取りあげられていた。
その特集では、欧州のMANGAファンで集う会場の一角に、韓国で漫画を意味するMANHWA(マンファ)の看板が掲げられたというのだ。今月1日から4日間、パリ郊外で開かれたジャパン・エクスポ。「かっこいい」という意味で「クール・ジャパン」と呼ばれる日本のマンガやアニメの祭典だ。「マンファ」の看板を掲げたのは、韓国政府所管のコンテンツ振興院のブースで、開催11回目ではじめて出展したという。
韓国は1990年代から文化産業の育成に力を入れ、中国も2007年の共産党大会で「文化のソフトパワー」を重要国策一つに位置づけ目覚しい発展を遂げているという。「このままでは世界市場でジャパン・パッシング(日本飛ばし)」が起きるのではないかと経産省。

また、「勢いづく釜山映画祭」として、120億円を投じてその巨大な拠点づくりに取り組んでいる様子や日中合作でアニメの作品「一休さん」を制作に取り組むアニメ産業の様子が紹介されていた。つまり、アジアの近隣諸国は国を挙げてこの文化産業に取り組んでいるというのだ。たとえば、韓国政府は釜山市を2005年に 「映像文化都市」指定し、「アジアの映像拠点」と施設整備にも乗り出したとある。2年後には映画関連の行政機能もソウルから移す計画だという。
また、美術の分野でも光州ビエンナーレの評価も高く専用の巨大な展示施設も構え、近年は国際的な芸術監督を毎回のように迎えているというのだ。これに対して日本の文化意識は低い。横浜トリエンナーレが展示施設を持たず、会場探しに苦労しているのとは対照的だとしている。「世界に経済進出する際は文化産業のレベル向上も一緒に行うべきだ。文化の向上は国のイメージ向上につながり、工業製品の商品価値も高くなる。韓国政府はそのことをよく理解している」というわけだ。一方の中国では政府主導で重慶市を中心にアニメ産業に力を入れているとのことだった。
対外的な文化戦略を意識し、遅まきながら日本の経済産業省がクール・ジャパン室をもうけたのは今年の6月。「アニメやデザイン、ファッションなどを海外に戦略的に売り込んで日本のブランドイメージを高め、経済成長につなげる」との目標は高いが、専従職員はわずかの6人というから何とも頼りない、とある。乏しい予算からみてもそのことがうかがい知れるといっている。
渡辺靖慶大教授は、「他国と競って市場で勝利を収めることだけでなく、国境を超えて同じ人間としての接点を探るための長期的な投資を考える必要がある。文化政策こそ『国家戦略』にきちんと位置づけるべきものだ」と指摘している。
いつだったか、ぼくは東大名誉教授の月尾嘉男先生の「劣化する日本、再生への道」という錦川名流塾の創立記念講演を聴いたことがあった。月尾先生は多くの資料を取り上げながら劣化するこの国の実態について説得力のある講演をされたが、ダグラス・マグレイの視点に注目し、例えば国力をこれまでのGDPやGNPに変えてGNCすなわちクール・ジャパンで再生への道があることを指摘されていた。
政権が変わってもなかなか国全体の価値観が変わるまでには相当時間も必要というところなのだろうか。日本の実力はどこでどのように示されるか。ここ数年、まったなしの状況が続いている。

対話型の講義と鑑賞(2010.9.23)

「哲学が扱う問題は、実はわれわれの日常生活の中にある」米ハーバード大学で政治哲学の講義「Justice(正義)」を30年近く開講するマイケル・サンデル教授が来日した。著書の邦訳本「これから『正義』の話しをしよう」は、30万部を超えるベストセラー。「何が正義か」あまりの人気の高さから、同大は建学以来はじめて授業を一般公開した。日本でも今年4月から「ハーバード白熱教室」として放送され大きな反響を呼んだばかりだ。私も時々その番組を楽しみに視ていた。

8月25日(水)、東大本郷キャンパス大講堂(安田講堂)において、その出前授業が実現した。

身近な題材から問いを投げかける有名な対話型講義に聴衆が積極的に参加し、本家さながらの熱い討議が繰り広げられたという(30日付朝日新聞)。

NHKがサンデル教授を招き、東大と共催したものだ。本郷キャンパスの安田講堂には、東大生約300人のほか、10倍の応募から選ばれた一般枠の500人も参加した。講義は同時通訳され、質問や討論には日本語と英語が入り交じったと報じてあった。

「指名手配された兄を警察につきだすか」米国のバルジャー兄弟の話。弟は元州上院議長で現在は大学の学長だ。「漂流ボートでの殺人は許されるか」難破船の船長と乗組員3人が漂流した19世紀の英国の話。「自国民と他国民、どちらを救う?」などなど。もし、東大の入試でギリギリ届かないけれど、親が裕福で「入学したら大学に5千万ドル寄付する」という学生がいたとする。入学を認めれば多くの施設が整いみんなのためになる。東大はこの学生の入学を認めるべきか。

教授は教壇の前を縦横に歩き回り、「イチローの年俸は米国の大統領の42倍、日本の教師の平均所得の400倍。これは公正?」と質問。

ある女子学生が「イチローの活躍はチームに支えられてのもの。額が多すぎる」と持論を話すと、教授は「大統領も閣僚やチームがいるよ」と切り返す。女子学生は「野球は娯楽。オバマの仕事の方が重要」と反論。また多額収入者への課税の是非に話が及ぶと、男性が「個人が努力で得たお金を国が再分配するのは権利の侵害」と発言。

戦争責任の話題では「日本は東アジアに謝罪すべきか」「オバマ大統領は広島・長崎への原爆投下に責任があるか」との問いには、会場が真っ二つになり緊張した空気が流れたという。「祖父の世代の行為に責任はない」「生まれる場所は選べないのに、謝罪を強制されることには納得がいかない」との発言が飛ぶと、「前の世代を土台にして今の世代がある。当然責任がある」。2時間の予定が1時間半近くオーバーする白熱ぶりだったという。

このような対話形式の手法では議論をナビゲートする教授の手腕、見識が大きな役割を担っている。また、手短に発言する聴衆の雰囲気づくりが重要だろう。

芸術鑑賞の分野における鑑賞教育学のカリスマ、アメリア・アレナス(元ニューヨーク近代美術館教育部)教授の“対話型グループ鑑賞“の手法も同じ要素があっておもしろい。数年前、山口県立美術館で大きな雪舟の展覧会が開催されたとき、アメリアのワークショップがあった。雪舟のスライドを前にして参加者の発言をナビゲートしながら作品を鑑賞するのだ。このとき、アメリアさんは雪舟のことに対して、作品の意味や特徴について「解説」することはなかったという。

アメリア・アレナスは終始参加者の発言にうなずき、参加者の想像した情景を一般的な表現に言い換え、その理由を絵の中から探り、参加者に考えさせた。他人の発言によって、参加者はそれまで自分には見えなかった点に気づき、より豊かな発想を楽しむことができるのだ。そして、発言する過程で自分の考え方をまとめ、言葉にして表現し、自分とは違う他人の見方によって視野を広げることが可能になる。どこか共通していないだろうか。

 

岩国の芸術の秋(2010.10.15)

詩人で評論家の杉本春生さんが生前よく言われていた。地方文化の水準を上げるにはそこにいい批評家が育たなければいけない、と。つまり批判精神が脆弱であれば文化的な水準は高くはならないということだろう。芸術も秋たけなわ、久しぶりに岩国市の美術展(通称、市美展)に行ってみた。

もう10年近くも前になるけれど、私たちは岩国の“市美展のあり方を考える市民の集い”を開いてオープンな形で協議し、50年も前につくられ形骸化した現行の様式を改善する「改革案」をまとめ岩国市に提言した。

当時の市長、教育長、教育課課長補佐らを交えて市長室でその案を説明し検討されるようお願いした。だが、どういうわけか岩国市はそのことをまともに考えようとはしなかった。当時でさえ、徳山市や山口市の実態と比較して10年近くも後れをとっているのに、あのときの市の対応でさらに10年も後退したように思う。彼らはそのことすら覚えていないかもしれないし誰もその責任をとることはない。おかしな話だ。
この間、脳科学者の茂木健一郎氏が最近の彼のブログでこのようなことを書いておられた。①日本の就職活動が、新卒一括採用に偏っている理由の一つは、人事担当者が自ら「判断」できないという点にある。つまりは、新卒か既卒か、年齢は何歳か、出身大学はどこかといった定型的、外形的な基準以外に、自らの判断基準を持たないのである。②似たようなことは、銀行の融資における担保主義にも表れている。対象の経営能力、将来性を自ら「判断」するのではなく、土地などの担保の外形的基準に依頼する。そんなやり方だったら誰でもできるとよく揶揄されるが、つまりは自らの「判断」を行う能力も、意志も持たない。③「判断不全症」は、日本の風土病の一つである。自分の直観で判断することをせず、外形的な基準に頼る。この風土病は、大学入試判定から、就活、銀行の融資、結婚相手選びまで、日本のありとあらゆる社会的局面において今や国を蝕んでいる。ブログは⑩⑪とまだまだ続くのだがここまでで充分だろう。つまりは定型的、外形的な基準でしか判断できない脳の働きを人口知能と捉えて問題視している。要は脳を使えということだ。
私たちが提言したことは、その後いくつかの要項について改善されたことは確認できたけれど、このとき指摘した本質的な問題について本気で検討した様子はなかった。事実、出品規定となる内容自体は手付かずのままになっているからだ。どうして考えないのかと不思議に思うのは私だけではないだろう。その挙句、それが行政というものだと開き直る始末だ。

“考える集い”でまとめた改革案が、百歩譲って仮に私的な提言だと決めつけて相手にしないということかもしれないが、私たちの提言はまじめに考えれば理解できる能力はあるはずだ。ただ、自ら判断しないだけである。茂木健一郎氏がこの国を蝕んでいると指摘するように、行政担当者が自ら判断基準を持たないためにおきる空洞化、形骸化は、年金や高齢者不在問題だけでなくこういうところにもはっきりと確認できる。これをサボタージュといって何が間違っているのかと思う。

久しぶりに拝見する岩国市美展は新鮮味に欠け、やはり数年前よりもかなり後退しているように感じた。市当局の責任は途方もなく大きい。あの時、市長室にいた者たちだけでなく、そのことすら理解しようともしないのは杉本春生さんに指摘されるように批評精神を云々する以前の問題といっていいのかもしれない。

思慮と洞察(2010.12.2)

若い頃、先輩作家からよく言われていた。「研ぎすまされた感性の持続こそが作家生命をささえる」と。印象深い言葉として、ぼくはそのことをはっきりと記憶している。還暦を前にしていろいろ考えることがある。それはアートに限らず、人間社会全般の事象を含めてのことでもあるけれど、「思慮と洞察」することの大切さについてである。
ちょうど小泉政権が誕生したころからが象徴的なことだったようにみえてしまうのだが、ことの発端はおそらくバブル期にまで遡ることになるのかもしれない。いわゆる勝ち組とか負け組みなどという二極化思考、あるいは白か黒かという単純な価値判断。白か黒ではなくグレーについて考えることが大切だと思ってきたし言い続けてもきた。それこそが物事について深く考えることだとも…。
ここでは社会的なできごとや物事に対する「思慮と洞察」という点について考えてみる。元死刑囚・金賢姫のあつかいについて「国賓待遇だ!けしからん。」などということが話題になった。7月24 日付の朝日新聞で拉致被害者蓮池薫さんの兄・透さんの都内某大学で行われた講演に関する記事が気になった。この講演はカルチュラルスタディーズ(文化研究)の学術大会である「カルチュラル・タイフーン2010」が企画したものだった。メディアや家族など、日常的な営みや関係の中に政治の働きを読み解こうとする研究ジャンルだそうだ。実行委員長のテヅカヨシハル(駒沢大准教授)は「大きな意味の政治問題に、一人の個人が日常の中でどう向き合い、どのような対話が可能なのかをともに考えたかった」としている。
蓮池透さんは拉致被害者家族連絡会の元事務局長を務めていたのだが、「圧力が一番の道」とする家族会の方針とのちがいから2005年に事務局長を退任した。現在は拉致問題解決を訴えつつ、政治的立場を超えた論者たちとの「対話」を重ねているという。蓮池さんは自身の体験をこのように語っている。「…それまで無視され続けてきた反動もあって薫さんが帰国してからは自分の言うことは何でもマスコミが取り上げてくれると思い上がってしまった」と。
被害者として笑顔をひかえて渋い表情をしていうち「強硬派の急先鋒」というイメージが作られた。だが、「強硬姿勢」一辺倒では解決に結びつかないと思いはじめたとき家族会との間に距離ができメディアやマスコミの扱いも一変したという。他からも「お前のところは帰ってきたからいい」「無責任だ」などと批判された。その後、この問題はいまだに何一つとして解決されていない。元死刑囚・金賢姫が何を知っていたのかその信憑性を思慮し洞察することよりも彼女の言葉に寄りかかることで被害者家族としては励ましを受け勇気づけられる利があるかもしれないけれど、問題解決になるとは思えない。さらに、蓮池さんは言う。「悪に対しては交渉するのも許さないとされ、北朝鮮とも柔軟に話し合おうという意見は非国民、売国奴といわれるようになった。家族会を聖域化し、とにかく強硬な姿勢をとれば解決を早められるとミスリードしてきたマスメディアは、家族会に見果てぬ夢を与えてしまったという意味で罪深い」と。
政治については「家族が感情的になるのは仕方ないが、政府まで同じレベルでやっていては外交が成り立たない」としつつ、「政権交代はチャンスだった」としている。民主党は前政権とは違うとしながらも状況は何も変わっていないと評した。ぼくもその通りでございますと快哉を叫びたい!
最近のマスメディアは面白おかしくあおるばかりで何の責任も取らない。とにかく性急に結論づけたい。白黒をはっきりして安心したいなどとたわごとを繰り返すばかりだ。分かりやすさを求めることはいいが、つまらないコメンテーターを配し無責任な発言をあおるやり方を見直してもらいたい。どのマスコミも似たようなことをするのをやめて独自の判断で企画して欲しいと思う。

 

それらは偶然なのか必然なのか(2011.04.07)

それらは偶然のようでもあり必然的なことなのかもしれないのだが、自分が意識しているできごとが奇妙につながって、それが決定的な問題として受け止められることがある。以前にも、アバカノヴィッチ(ポーランド)とアラン・マッカラム(アメリカ)を同時に鑑賞する機会をえたときは“芸術の普遍性”について、あるいは一週間のうちに坂田明トリオや原田依幸&梅津和時のデュオ、MMD(ミルフォード、泯、デレクベイリー)のパフォーマンスなど3つのライブを鑑賞できたときには“主客二元論”について考えさせられた。ぼく自身が作品づくりにおいて、絶えず考え続けてきた最も重要なテーマ(課題)である。

最近、イラン映画の巨匠アッバス・キアロスタミの近況を知らせる新聞、偶然に視聴したBS放送のテオ・アンゲロプロス監督作品『永遠と一日』、つづいて放送された同監督作品『霧の中の風景』にふれた私のブログに寄せられたコントラバス奏者・斎藤徹のコメント。そこで知ることとなった小林裕児の絵画作品『浸水の森』に対して作曲した同氏のイメージとコンセプト、またアンゲロプロスに寄せる音楽家としてのまなざし。そして一昨年の6月に他界したピナ・バウシュ追悼公演『私と踊って』(新宿文化センター)をBSで視聴するといったできごとが続いた。

他愛のない偶然のことのようだが、ぼくにとっては大きなできごとのように思われた。うまく説明できないけれど、アンゲロプロスと斎藤徹、小林裕児の絵画『浸水の森』、ピナの『私と踊って』の舞台等々から共通したメッセージを突きつけられた気がするのだ。視覚的なイメージだけではなく、もっと深いもの、人間存在にかかわる大きな表現の力とでもいうべき何かだったのかもしれない。

翌日、ぼくはウッパタール舞踊団の主力メンバーだったジャン・サスポータスさん(アートフォーラム2006で岩国のぼくたちともお馴染みのダンサー)がピナ・バウシュに寄せた追悼の手紙の全文をあらためて読みかえしてみた。BSで放映された公演後のインタビューに応えていた団員二人の言葉にあったように、そこにはピナ・バウシュの人間的なスケールと常に開かれた独特のダンス芸術の方法論にふれ、いくつかのエピソードを交えて書かれてあった。彼女の残したのもがダンス関係者のみならず、実に多くの人々によって継承されていることは、東京でセッションハウスを主宰する伊藤孝氏(2007年マドモアゼルシネマ“不思議な場所”プロデューサー)が公明新聞に掲載した記事(『ピナ・バウシュからの継承と創造』、2010.10.1)にあるように、誰もが認めるところである。

ところで、『私と踊って』公演で印象的だったのは、あの“滑り台”のような舞台装置だった。あれは当初から設定されていたものなのだろうか。重要な装置なので、おそらく初演の当初からあのように考案されていたに違いない。たいへん興味深いところでもある。ただ漠然とながめているぼくなどからみれば思いもよらないのだが、舞台つくりの現場では舞台装置まで同時進行的に決定されていくのだろうか。そういえば、ダンス白州を20年間引っ張ってきた斎藤朋さんたちが制作したケイタケイの『消える米畑』ダンス公演でも前田哲彦遺作の布帯状の田んぼ空間は舞台効果のみならず、作品の成立そのものに関わる決定的な条件のようにも思える。また、やってみなければわからないことも多々ありそうで、そのことはアートの現場から眺めていてもある程度納得できそうな気もする。

これらの芸術作品は、直感的なイメージとリンクする場面の連続性によって、ぼくにとって作品づくりの営為と表現の問題について考えさせるものだった。まだ、整理できないままではあるけれど、ぼく自身がこれまで考えてきた表現の成り立ちやその可能性、また人間存在と芸術の普遍性などの問いかけを起動するうえで充分なインパクトがあったようにも感じられた。

 

パストラルホールの展覧会から(上) (2011.08.25)

日本の現代建築を代表する建築家の一人、竹山聖とアモルフの設計による周東パストラルホールは、その斬新なデザインとダイナミックなエントランスの一部を展示スペースとする吹き抜けの個性的な空間となっている。築17年というのにその斬新さは今でも決して色あせることはなく、本人も安堵しているように保存状態も良好に維持されている。

また、ぼくたちにとっては「キッズパワープロジェクト2005“大人の子ども、子どもの大人”」という複合的なアートプロジェクトを成功させた懐かしい場所でもある。総合ディレクターとしてぼくはそのプロジェクトにかかわり、企画立案から組織化と資金繰りまであちこちと奔走したことをときどき思い出す。

そのときに地元の人の協力と関心を誘うことで多方面にわたってお世話になった三坂仁氏から「このホールのエントランス空間の活用を検討する意味で展覧会をやってくれないか」という連絡があった。確か、昨年の5月のことだったか。記憶はあいまいだが、ぼくは東京の個展が7月はじめにあるのでその後になることを了解していただいたのだった。

9月、打ち合わせのため事務所を訪ね会期を2010年11月3日の文化の日から12月12日までということに決まった。ぼくとしては一ヶ月を超えるロングランの展覧会ということになってしまった。9月中旬にはその全体的なイメージプランを説明し、ホールを囲むように設計されたコンクリートの打ちっ放しの壁面をも展示空間として使用することを了解していただき、資金面でもチラシや運搬などの実費の提供を約束していただいた。そのとき、この空間を生かしきれば美術館などではできないおもしろい展覧会になることを確信した。ぼくはこの個性的でダイナミックな空間とともに楽しく戯れることを展覧会の大きな主題と決めたのだった。

2005年のプロジェクトで気心の知れたホールのスタッフとアシスタントの三木祐一さんの協力で制作展示はスムーズに行われ、おかげで全体的なイメージとしてはほぼ納得できる会場となった。

ロングランでやる展覧会というのもけっこう疲れるものだ。ご案内している人が来られても留守をしていては申し訳ないし、ひょっとして日曜日あたりに来られるかもしれないなどと思い会場に行く。するとその日は、吉田正記念オーケストラコンサートという催しが行われ300人ちかい人びとが来館することになっていた。一世を風靡した人気の歌謡作曲家ゆかりのコンサートとあって、お年寄りの方々がゾロゾロと入ってくる。もちろん当方の展覧会を楽しみに来られる人もわずかながらいるにはいる。館内ロビーで開催している展覧会でもそれと気づく人はきわめて少数である。

ぼくはごく稀にしか上がって来ることのない2階のライブラリーで読みかけの本『街場の教育論』を読んでいた。するとロビーに少しばかりのホールの音がもれていることが分かった。しかも、その音がだんだん大きくなって聞こえてくるように感じたので事務所で聞いてみた。「ホールの音がロビーにもれていますね」というと、あえてそうしているのだという。マナーのない人が曲と曲の間ではなく、演奏中にホールに入るから確認できるようにしてあるらしい。なるほど、そういう知識(情報)は大切にされているのだなあと感心する。マナーのない田舎者といわれないように、馬鹿にされることに怯えるようにそういうことは守られているらしい。だが、それは展覧会やコンサートを楽しく鑑賞するための配慮とはかけ離れていてどことなくぎこちない。遅れてホールに入るならそれなりに気遣って入ることでいいではないか。田舎者といわれようと何といわれようと、迷惑のないように対応することで何の問題もないはずだ。ぼくはこの状況をどう捉えていいのか戸惑ってしまった。(つづく)

 

パストラルホールの展覧会から(下) (2011.08.26)

読んでいた本が惰性の強い教育の問題を論じるものだっただけに、このホールを基点として何かを発信するにしても容易なことではないと途方にくれるのだった。それはつまり、どういうことかといえば、教育と同じように惰性の強い社会的共通資本、即ち生活・文化にかかわる切実な問題でもあるからだ。閉館間際に農業を営んでいる友人夫妻が来られ、しばらくの間そのことで話題となる。まさしく、この国の農業問題と一緒で本当に絶望的にさえなってくる。

「説明がなければ分からん」という人がいる。「確かに」とぼくも思う。だが、30年もかけて崩壊した教育の問題を1~2年で解決できる特効薬(方策)がないように、現代アートの作品に説明を添えることで簡単に納得できるものでもあるまい。
現在をみつめる展覧会をしていることにさえ気づかず、死んだようにゾロゾロとかつての名曲を聴きに入っていくようすをみていて、ぼくは中上健次の小説にでてくるオリューノオバたちを想像した。とりわけ『奇跡』『日輪の翼』『讃歌』あたりが想いおこされるのだ。「吾(アゼ)は中本の一統か…」などと言い、入り口付近で七輪を炊くオバたちがいるようにさえ思えるのだった。だからこそ、それゆえに、別の見方をすれば、この地から育った文化的な運動は今日的な経済不況や財政難で吹き飛ぶようないい加減なものではなく、最強かつ無敵だということもできる。だが、それは決して簡単なことではない。

残念ながら、現実問題として展覧会はそのことを露呈する結果となってしまった。現状の問題点を解決する活用のあり方を検討するとして取り組んだ展覧会であったにもかかわらず、作品等々の監視体制や安全対策その他の整備が不充分なために多くの来館者があるときにはパーテンションで制御し、来館者の少ない時には自由に鑑賞していただく、というなんともチグハグな対応を繰りかえすことになったのだ。

ぼくの印象では、このホールにおける職員の実務能力について他の施設と比べて決して低いとは思わないし、むしろ高いと思っている。だが、残念なことには彼らの意識と文化事業を企画運営することの見識や理解のあり方に問題があった。つまり、彼らは本当に展覧会を成功させたいのか、あるいは多くの人に見てほしいのか、そのための準備にどう取り組むのか、などという意志が伝わらないのだ。そういいながらも専門研究員がいるわけでもない現状では、現有勢力でそれをおぎなう他ない。つまりは、経済不況の中で厳しい財政事情を抱える役所の価値観や費用対効果などという発想ではなく、数値化できないリスクを背負ってでも馬鹿になって職務を遂行する意思がなければできることではない。ぼくはそう思っている。それゆえに、文化事業は余剰金で実現するのではなく、衣食住と等しく精神を培う必要不可欠なものとして認識されるべきなのだ。つまり、社会的共通資本と同じように惰性の強いものであり、費用対効果とか性急な結果など馴染まないし求められてたまるか、ということなのだ。

パストラルホールは音響的にすぐれていて多くの専門化やアーティストたちからもその高く評価されている。話題のバンドネオン奏者・小松亮太も彼のコンサート会場で話題にした。また、この地域はいち早く“文化の里”構想をかかげ整備事業を進めてきた経緯もある。周辺にはスポーツや宿泊施設のほかに、豊かな自然とのふれあいを楽しめるように隣接する森を散策できるコースもある。

ぼくは今回の展覧会のこととは別に、築17年となるこの建物パストラルホールを含めて、恵まれた里山の自然を舞台とするアートプロジェクトを実現させたいと考えている。キッズパワープロジェクト2005につづく住民運動として、周東のこの地域から全国に向けて文化的なメッセージを伝えつづけることを地域の誇りとする風土をつくることを夢見ている。今だからこそ、その「文化の里20周年記念事業里山アートプロジェクト(仮称)」は実現されなければならないと思うのだ。

 

クロスアートのはじまり①(2011.09.29)

第1回クロスアート2011広島‐岩国展(2011.6.7-6.12、広島県立美術館県民ギャラリー)は、多くの人々に注目され盛会のうちにその幕を閉じた。会場では「どうして岩国と広島なのか」「どうして抽象と具象が交じり合って展示されているのか」等々、多くの意見や愚問、いや疑問の声が飛び交って結構おもしろかった。新制作広島展とクロスアート2011広島‐岩国展、幸か不幸か偶然にもとなり合わせとなった二つの会場を比較してみると、ぼくたちがこの展覧会で考えようとしていたことが、はっきりと浮き彫りにされたような不思議な感じがしたのだった。

クロスアート展は、芸術と生活、広島と岩国、抽象と具象、シロートとクロート、これらをクロスして本質的なものをさがそう。そして、生活の営みとしての芸術に普遍的な共通項をみつけることが大きな目的の一つだった。昨今、あらためて限界芸術論が話題となり、日常と非日常、あるいは芸術の境界が取り払われようとしている状況も多少は影響しているのかもしれない。また、同会期中に周南文化会館で鑑賞する機会を得たアウトサイダーアート(周南あけぼの園作品展)の評価でさえ、この文脈でおおいに議論されていいとも考えら

れる。

2005年の11月、ぼくたちは「キッズパワープロジェクト」と称して“子ども性”に注目することから現代社会が直面している諸問題を考える、として文学からアート、さらに音楽や演劇をリンクする複合的なプロジェクトを実施した。そこで問われたのが「子ども性とは何か?」ということだった。“子ども性”とは、純粋無垢なる精神と考えてもらっていい。つまり、子どもはリアルタイムでその“子ども性”を生きている存在といえるのだ。だから、大人にもその“子ども性”は本来的にあるはずだ、と考えてみれば大人になる成長過程で少しずつそれらは退化したのではないかとなるのだ。仮に、そうだとすればもう一度その潜在的に存在している“子ども性”に注目し、輝きを取りもどすことで現在を捉え返してみたい、となったのだ。

アートの世界でもそういう試みをこれまで多くの人々が実践してきたことは周知の通りである。例えば、プリミティヴアートをもちだすまでもなく、ジョアン・ミロやパブロ・ピカソらをはじめとする数多くの芸術作品がそのことを物語っている。また、このことは1955年、神戸を中心にはじまった芸術運動「具体」でもいち早く指摘されており当時の絵画表現における唯一の可能性として宣言された。あるいは、素朴派と称されるアンリ・ルソー、グランマ・モーゼス、アンドレ・ポーシェットらの作品はどうだろう。おそらく、絶対的な純粋値のようなイメージ で考えてみれば、プリミティヴアートと同質なものが問われているとも考えられるのだ。そこに確認されるほとんどの作品は、他者を受け入れ他者に対して自らを開示する純粋行為の現われと考えられるからである。また、知的障害者たちの描くアウトサイダーアートの作品についても同様に考えられていいはずである。ぼくはそう思っている。(つづく)

 

クロスアートのはじまり②(2011.10.05)

いささか前置きがながくなってしまったのだが、新制作展の会場で確認された多くの幻想優美主義的な作風には、作者自ら現在を示し他者にその世界を開いて問いを発する作品は残念ながら皆無というほかなかった。いまさら言うまでもないことではあるけれど、それらはすでに欺瞞した化け物として多くの先人たちによって否定された没我的産物以外の何ものでもないと言っていい。換言すれば、すべての作品を断定するつもりはないけれど、新制作展のほとんどの作品は思弁的でナルシスティックな観念の具現化といって過言ではなかった。いわんや、これまでの自分の作風を否定するかのように抽象絵画から具象的な肖像画を出品したこの会の重鎮・中村徳守などは論外というほかない。

それはともかく、クロスアート展の個々の作品をふり返ってみることにしよう。先ず、会場に入るといきなり視界に飛び込んできたのが神垣の作品だ。さらに、田中や野原のほかにも木村や飯川の作品をとおして確認される絵画空間の広がりと豊かさは、日常を超えたものとしてそれぞれの世界を開示してみせた。一方、高林や藤本、さらに川部の作品に共通するプリミティヴな表現は、それが意識的であろうがなかろうが絵を描くこと自体を喜びとし、本質的で普遍的な問題を提起するとともに存在そのものを顕在化している。また、武田や三宅の絵画は素材と関わる営為そのものを物質と行為の結果、すなわち出来事としてその様相を提示するものだった。

このほか、香川や対馬、野々山、山本らのフォーマリズム、あるいは主知的ともいえる抽象絵画の探求は、常に他者に向けて開かれていて絵画とその成り立ちへの問いを起動させるかのようだ。一見、フォトリアリズムのようでありながらそれらとはまったく異なる石川や浜桐、小方らの作品には、むしろ個別の感性を通して実現されたきわめてエモーショナルな固有の現在を示す地平が見え隠れするきわめて現代的な作品として伝わってくるのだった。

ここでは具象的な作品と抽象的な作品に何のへだたりもなく、さらにシロートとクロートの垣根さえ無化されたように会場構成されていてきわめて風通しのいいものであった。これからどのような展開を示し、地域の芸術文化活動にどのような役割を果たせるか楽しみな取り組みでもある。

何はともあれ、クロスアート2011展は軽いフットワークと自由な精神でこれまでのしがらみや偏見を断ち切り、さらに固定観念からの解放を求めて今はじまったばかりなのである。そして今秋、その舞台をシンフォニア岩国に移して「第2回クロスアート展」として開催されることになっている。

山口県東部エリアのアートの動向としてこれまで注目されてきた『アートムーヴ2003岩国 表現の成り立ち』や『アートムーヴ2007岩国 具象の未来へ』とともに、刺激的で新しいムーヴメントの一つであることはまちがいなさそうだ。