日曜日の散歩者  2018.3.3

 

僕は静かな物を見るため眼をとぢる...
夢の中に生れて来る奇蹟
回転する桃色の甘美......
春はうろたへた頭脳を夢のやうに──
砕けた記憶になきついている
       楊熾昌「日曜日的な散歩者」

 

1933年、日本統治下の台湾に登場したモダニズム詩人団体「風車詩社」(楊熾昌、李張瑞、林永修、張良典ほか台湾在住の日本人3名)にスポットを当てた映画がいま話題になっている。

その作品は黃亞歷(ホアン・ヤーリー)監督作品で『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』という当時の日本の歴史文化に直結するドキュメント映画で、台湾のアカデミー賞に相当する金馬奨で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した作品なのだ。

 日本の統治下におかれ40年近くも経過した1930年代の台湾。彼らは植民地支配下で日本語教育を受け、日本留学の経験をもつエリートで、日本語による詩を創作し、新しい台湾文学の創造を試みた。

とりわけ、彼らは近代詩の先駆者でモダニスト西脇順三郎や滝口修造といった前衛的な日本の文学者たちに学び、ジャン・コクトーなど西洋のモダニズムや文学にふれることで新しい芸術の可能性を探るのだが台湾文学の中で彼らはあまりにも異質だった。また、彼らにとって母国語(ことば)の問題は台湾のアイデンティティにかかわる大きな壁となった。

第二次世界大戦とともに軍国主義が台頭する時代にあって彼らが活動する場はどこにもなくなった。やがて、日本の敗戦を経て、台湾は中国国民党による独裁時代へと移っていくが、1947年の二二八事件で楊熾昌と張良典が無実の罪で入獄させられ、1952年には白色テロによって李張瑞は銃殺されてしまう。

日本語そのものが禁止されていた戦後の台湾では、風車詩社は人々から長らく忘れられた存在となっていた。

 この映画は2012年、ホアン・ヤーリー監督がある映画の資料を探す過程で、偶然にも林永修の文章を見つけ風車詩社の存在を知ることになり、そのときの衝撃がこの映画製作の発端となったという。

 

若いころ、日本のシュールリアリズムの拠点といわれる美術文化協会に所属した筆者としては、たいへん興味深い映画であり個人的にも詳細をつきとめたいところだ。

アンドレ・ブルドンがシュールリアリズム宣言を発表したのが1924年、靉光や古賀春江、北脇昇といった美術文化のシュールリアリズム絵画もこの映画に挿入されているけれど、福沢一郎や滝口修造が創紀会をはじめとする他の前衛芸術家たち、身近なところでは岩国の彫刻家國光与らとともに美術文化協会を発足させたのが盧溝橋事件の1937年ということを思えば、この映画の時代背景や台湾の状況ともみごとに重なってくる。

同会の創立会員でもある白木正一・早瀬龍江の両氏がニューヨークから一時帰国された折、本人から獄中の滝口や福沢らに差し入れした当時の生々しい実話を聞いたことがあるけれど、台湾の楊熾昌と張良典らも同じように台湾で投獄され激しく弾圧されたことになる。

 と、一年半の活動とはいえ歴史に埋もれた「風車詩社」の文学を通し、当時の台湾と日本の関係さらに政治弾圧という社会的な側面を浮かび上がらせるシリアスな映画といえるけれど、アンドレ・ブルドンやジャン・コクトー、ピカソやサルバドール・ダリといった肖像や彼らの作品の他にも、ミロやマグリット、タンギー、キリコらの多くの絵画作品が挿入され、映画そのものはモダンなタッチで(語り、絵画・映像、詩作・文字という)異質のエレメントが織り込まれ、当時の風俗や政治的背景とともにブリコラージュされ効果的な音楽とともにつなぎ合わされる仕組みとなっている。

つまり、巌谷国士がいうように日本にシュールリアリズムは定着しなかったかもしれないが、この映画づくりそのものは断片的につなぎ合わされることで生成される偶然の産物、あるいは必然的な因果関係として成立する重層的な意味を問いかける厚みをもっていて新しいドキュメント映画の可能性を感じさせる。製作の発端となった風車詩社との衝撃的な出会いといい、まさしくシュールリアリズムの理論にかなった手法ということもできるだろう。

 それというのも、筆者の所属した美術文化協会(1974~79)はダダイズムや創立当初の精神とはおよそ無縁の観念論的な思弁の世界に寄りかかった幻想優美主義とでもいうような作風ばかりで、所謂シュールリアリズムの可能性を感じさせるものではなかったからだ。ぼくはこのとき同会の大きな屈折、抜き差しならない戦後の決定的な断裂を知ることになったのだった。

だが、美術文化協会の先達にはこの映画にも挿入されていたように靉光、古賀春江、北脇昇のほかに杉全直、斎藤義重、山下菊二、糸園和三郎というすぐれて大きな存在があったことも事実なのである。

 この作品の監督ホアン・ヤーリー氏はインタビューに対してこのように応えている。

1930年代、日本人、台湾人、そして西洋の芸術家達はあらゆる表現手法を試みており、そこにはあらゆる可能性が存在していた。表現形式や様式の枠をとりはらい私はこの可能性こそがこの映画の核心だと思っています、と。

 まさしく、この映画はシュールレアリスムの可能性を証明した作品ともいえるだろう。

 

 

同時代における霊性論 2017-12-02 日本霊性論 (NHK出版新書)

 

知る人ぞ知る「凱風館」(道場兼学習塾)の館長・内田樹氏は武道家であるとともに、フランス文学から哲学、倫理学、さらに能楽を実践する思想家として幅広い知見と現代社会が抱える様々な問題に対してユニークな視点で発言される著名な言論人である。

周防大島で行われた講演やブログ等々の発言においても特に印象的なのは“身体性”の問題を突き詰めたところから発する俯瞰的なまなざしと危機意識に基づく強烈なメッセージである。

そのことは本著における宗教的な霊性論のみならず、“身体性”を意識した武道や能楽を横断する形而上学的な知のパラダイムを示すものであり、きわめて魅惑的で興味深い言説として注目される。ご自身はあくまでも思弁的な域を出るものではないといわれるけれど、個人的にはそれがレヴィナス研究に起因するものなのか武道や能楽における実践的経験がもたらす思想の現れなのか定かではないが、いずれにしても縦横に突っ走るその言説は本当にユニークで説得力がある。専門的な知見のみならず「知の巨人」と云われる所以ではないか、ぼくはそう思う。

とりわけ3.11の東日本大震災を前にして痛感された自然との根源的なかかわりと霊性を意識した“祈り”ともいえるものがこの著作に込められているように思われる。

一方、釈徹宗氏は浄土真宗本願寺派如来寺住職であり相愛大学人文学部教授という肩書をもつ思想家でありこちらも柔軟で幅広い視点をもつ著名な言論人といえる。

本著は2部構成となっていて、はじめに相愛大学で行われた(2012.8)内田氏の3日間集中講義「みんなの現代霊性論」と凱風館で鈴木大拙の『日本的霊性』をテキストとして行われた釈氏の講義を重ねることから同時代における霊性論をさぐる仕組みとなっている。

祈りとは人知の及ばないことについて天の助けを求める行為のことであり「この世には人知の及ばないことがある」という人間の能力についての限界がある。その感覚がなければ祈りははじまらない、と内田氏は説く。

共身体形成や歩哨などきわめて興味深い概念を紐解きクロスさせながら、たとえば超越的な危機が切迫していることを感受できるセンサーを共有することの必要性を強調する。最終的にはレヴィナスに着地することになるけれど、とりわけレヴィナス特有の概念「顔」の解釈が霊性の概念に同期する示唆を示しているようで、これはさすがにおもしろいと思った。

講義の冒頭、釈徹宗氏は大拙の霊性について“共鳴盤”のようなものを思い描いているとされた。きわめて的確で印象的な解釈だといえる。さらに霊性は「宗教や科学やアートなどの源泉」みたいなものだとも・・・

そのことを枕にして鈴木大拙の霊性論をたどる。また、西洋の形而上学におけるキルケゴールやベルグソンらを引用しながら「純粋経験」と「日本的霊性」は主体と客体が未分である瞬間、すなわち主客未分の直覚であり

教が説く無分別知的な世界の把握であるとしている。

さらに、“現代的スピリチュアリティ”をめぐって宗教的なものとの相異について現代霊性論への興味へと誘う。たとえば、「知と信」の宗教的な問題から『日本的霊性』にある“妙好人”浅原才市のあり方を説きながらいわゆる現代における妙好人の姿を探求する仕掛けとなっているのである。

なるほど、「霊性」という観点で東西南北を横断するように仕掛けられた知的ダイナミズムをもつ本著は新しい価値が求められる現代が渇望する一冊と云えるかもしれない。

 

 

ふたりの時間とまなざし『ともだちのときちゃん』(岩瀬成子作 植田真絵 フレーベル館)2017.09.21

 

子どものころ、頭のいい子や面白いことのできる友だちの頭の中をのぞいてみたいと思うことがよくありました。その友だちの頭とぼくのあたまを取り換えるとどんな感じ方や見え方ができるのだろう、と想像するのです。きっと、むずかしい計算問題もすらすらとできるのだろうな、などと考えるのです。

 

「カメのこうらの中に、なにがあるとおもう?」

このおはなしの中で、ときちゃんはそんなことばかり考えています。

 

さつきは4月生まれ、時ちゃんは3月生まれの小学2年生。

ときちゃんはだまっていることがおおいけれど、さつきはおしゃべりが大すき。

知っていることはなんでもはなしたがります。

「よく知ってるね」とほめられるとうれしくなるから。

でも、ある日、さつきはときちゃんから「生きていると、きのうとはちょっとだけちがっちゃっているよ」といわれて、かんがえてしまいます。

 

フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。

わたしとときちゃん、このお話しの中ではふたりの時間とまなざしは少しちがっていて、そのことがふたりにとってふしぎな感覚と感情をもたせています。もしかしたら、わたしは“いじわるをしているのかもしれない”とか、“ときちゃんみたいにしていたい”とか・・・。

おそらく、ときちゃんもしっかりもののさつきちゃんにあこがれているかもしれません。

ほどよい距離間をもつことで、心地いい友だち関係がつづけられるといえばいいのか、そういう子どもたちのようすをぼくの周りにもよくみかけることがあります。そういう子はときちゃんのように細部をみつめているのかもしれません。

著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

さて、子どもたちの読後の印象はどんなものでしょうか、楽しみですね。

 

 

 

何気ない日常と市井の人々 映画『PATERSON』 2017.09.22

アメリカの映画監督ジム・ジャームッシュの最新作『PATERSON』をサロンシネマ(広島)にて視聴。もの静かでミニマル調の作品ながら情報やものに溢れている現代社会の価値観に一石と投じる素晴らしい作品だと思った。

それというのも構成自体はきわめてシンプル。

パターソンという小さな町に住むパターソンという名の男の7日間を丁寧に描いた物語といってしまえばそれまでだが、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』で衝撃的なデビューをしたこの監督ならではの絶妙な切り口で、優しさと愛しさに溢れた作品に昇華させている。

彼の一日は朝、隣に眠る妻にキスするところからはじまる。彼は時計をみる。決まりきった朝の食事をして家を出て仕事に向かう。彼はバスの運転手なのだ。乗務をこなす中で、心に浮かぶ詩を秘密のノートに書きとめていく。職場の同僚と他愛のない言葉を交わしてバスを出す。何げない乗客たちの会話がある。

帰宅すると傾いた郵便ポストを直して家に入る。妻と夕食を取ると愛犬マーヴィンと夜の散歩に出かける。途中にあるバーに立ち寄って一杯のビールを飲む。帰宅し妻の隣で眠りにつく。そういうシーンが繰り返される。

代り映えのしない退屈な日々のようでありながらも、その町に暮らすユニークな人びととの交流や思いがけない出会いをユーモアと優しさに溢れた眼差しでひっそりとしたタッチで丁寧に描いている。

静かに目を凝らし、耳をすませば、日々のようすも変わって見えてくる。昨日と同じ日はないし毎日が新しい。もしかして、そこに自分らしい生き方を発見する手がかりがあるのかもしれない。この映画を観て本当にそう思う。

愛犬とのやりとりも貴重なシーンだ。郵便ポストにいたずらする演技もこの作品に欠かせない大切な場面となっている。

『ダウン・バイ・ロー』を観てからはしばらくの間、この監督の作品に触れることはなかったのだがいつも気になっていた。ジム・ジャームッシュはどうしているのだろうと思っていたら、その後もたくさんの仕事をしていたことが分かった。この作品で久しぶりにこの監督の作品に触れたわけだがとてもいい作品だと思った。

とりわけ、4年ぶりとなるこの作品は初期作を彷彿とさせる集大成といわれ、随所にそのエッセンスとエスプリが織り込まれているようで心地いいのだ。

ひと言でアメリカ映画といっても孤高の奇才といわれるジム・ジャームッシュの作品は、いわゆるハリウッド映画とはまったく違う独特のおもしろさがあるのだ。長年、インディペンデント映画界に身を置きリードしてきたその手法は膨大な制作費を使うわけでもなく、何気ない日常と市井の人々の暮らしを淡々と切り取っていく特有のセンスがすでに詩そのものだといっていい。まさしく、映画全体がポエティックな感覚で溢れているともいえるだろう。

キャストは主演に『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のアダム・ドライバー(パターソン)、妻に『ワールド・オブ・ライズ』でデカプリオと共演したゴルシフテ・ファラハニ(ローラ)、そのほか永瀬正敏、バリー・シャバカ・ヘンリー(ドク)、クリフ・スミス(メソッド・マン)、チャステン・ハーモン(マリー)、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー(エヴェレット)、パルム・ドッグ賞のネリー(マーヴィン)と充実した顔ぶれ。

このように知的で豊かな暮らしそして愛しさに充たされた生き方があっていい。ぼくはおもわず「四畳半の王国」や「三畳御殿」を思いだしながら「詩人っていいな、恰好いいなあ・・・」とあらためて感謝感激。

いやーっ、映画って本当にいいですね。

 

 

 

大胆な仮説と確かな眼差し『山に生きる人びと』(宮本常一著。河出文庫)2017.09.14

 

本編『山に生きる人びと』は、宮本民俗学がその膨大な調査資料から大胆にスケッチしたこの国の民族史にかかわるきわめて興味深い論考といえる。著者はあくまでも試論としてそのイメージをまとめたものとしているが調査に裏づけられた説得力のある著述と云っていい。

なかんずく、“聞きとり”の天才ともいわれたこの著者が附録として添えた「山と人間」における論考は、昭和36年の夏、高知から大阪までの飛行機内の上空から読み解く山中の景観に端を発したもので宮本常一ならではの象徴的な記述といえるだろう。

四国山中のみならず、九州の米良、椎葉、諸塚、五家荘、五木に見られる景観、とりわけ南九州にみられる八重という地名や近畿地方の吉野熊野山中の風景を読み解くなかでは、村々の大半が水田をもたず、焼畑、定畑を耕作し、その集落は山腹のやや緩傾斜面にあるという。さらに、そういう集落は列島各地でみられ、必ずしも川の方から谷を上がって村をひらいたものではないとしている。

 

石川県の白峰村でも白峰を中心にした一帯も焼畑耕作の盛んなところで、牛首というところから奥には水田はほとんどなく、緩傾斜地に焼畑をひらき、鍬棒づくりをして生活を営んでいるという。また、ここでは焼畑をムツシといって牛首奥の山地で焼畑をしては新しい適地を求めて移動するようになったとも・・・。

つまり、長野県伊那郡坂部の熊谷家のように水田地帯から入って山中に定住した特異なケースや中国地方の山中は田と畑の両方をつくる例もあるけれど、定住のきわめて古かった山中の村々の場合は畑作のみに依存しているのがほとんどだとしている。

確かに山に生きる山岳民のくらしにはマタギといわれる狩猟民、杓子・鍬柄大工、木地屋、鉱山師、炭焼き、木挽など、あきらかに平地民とはちがう生活の営みがあったと指摘。

 

赤坂憲雄の解説にもあるように本著は40年ほど前に刊行された柳田國男の『山の人生』を強く意識して書かれたものかもしれないが、『山に生きる人びと』では平地民とは異なる歴史を背負った民族が存在した可能性を問いかける宮本民俗学ならではの大胆な仮説と確かな眼差しがある。

さらに、赤坂氏は次のようにも指摘する。古い縄文期の民俗的な文化が焼畑あるいは定畑などを中心にした農耕社会にうけつがれた一方で、水田稲作を中心にした農耕文化が天皇制国家を形成し、後々まで併行して存在しかつ対立の形をとったのではなかろうか、と。

推定であり試論とはいうものの、まちがいなく柳田の『山の人生』とともに本著『山に生きる人びと』も列島の民族史への最後のアプローチとして知の系譜のなかに記憶される著作と云えるだろう。

 

 

 

二人の『人生ものがたり』 2017.08.17

 

 

風が吹けば、枯葉が落ちる。

枯葉が落ちれば、土が肥える。

土が肥えれば、果実が実る。

こつこつ、ゆっくり。

人生、フルーツ。

 

何回か繰りかえされるこの言葉。

昨日は、いま話題の映画『人生フルーツ』(伏原健之監督作品、東海テレビ制作)を広島八丁座にて鑑賞するために広島まで車を走らせる。いつもの駐車場に車を入れてPARCO辺りをぶらつくと岩国とは違って若い人が多いのにおどろく。それにおしゃれを楽しんでいる人も多い気がする。

買い物をすませて八丁座に行くと、ここにはぼくたちとほぼ同世代の人がほとんどで若い人はちらほらという感じである。

「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」建築家のル・コルヴィジェの言葉だ。

このドキュメント映画は、日本住宅公団のエースとして阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきた建築家津端修一さん夫妻の暮らしぶりを記録したものである。

1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指した春日井市高蔵寺ニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。

津端修一さんと妻の英子さんはこのニュータウンの一角に師となる建築家アントニン・レーモンドの自邸に倣って家を建てコツコツと雑木林を育てはじめる。果物や野菜など100種類もの作物を育てる。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちている。スローライフスタイル、かつての日本の里山の暮らしぶりに回帰するのではなく、団地に住む個々の住民がゆっくりとこつこつと暮らしはじめたらどうだろう、などと想像力を働かせ考えさせるのだ。

そんな折、90を迎えた修一さんに新しい仕事がはいってくる。佐賀県伊万里市の精神科病院の新しい施設の建設計画だ。豊かさとは何か、人が自然とともに快適に暮らすことができる環境を提言し、報酬は不要として早急にイメージをまとめる。完成されたものを与え受けとるのではなく、時間をかけて小さな苗木から育てることを提言する。

修一さんは畑仕事ののち、昼寝をしたまま逝ってしまうことに・・・。

修一さんの死に顔がアップで長映しされる。不自然にも受けとれるが印象的なシーンだ。

「修一さんに、おいしいものをもっとたくさん作ってあげればよかった」という英子さんの最後の言葉と、少し荒れた庭のシーンもいろいろなことを考えさせる。

この作品には市場経済最優先で行き詰った現在への問いが込められている、と云ってみたがここへきてむしろ老夫婦の丁寧な暮らしぶりと価値観が重く伝わってくる。

小さな苗木は雑木林に成長し、畑では100種類もの野菜や果実が育つ。英子さんは、畑でとれた作物で修一さんに手料理をふるまう日々。彼女は「食は命」という。二人の家は30畳一間の丸太小屋。その暮らしはまるで現代の桃源郷のようでもある。二人は「年を重ねるごとに美しくなる人生にしたい」という。

やはり、この映画は二人の『人生のものがたり』というべきものかもしれない。

 

 

逆流と過剰の作家/殿敷侃展 2017.07.12

 

ぼくがこの作家の実作品をはじめて観ることができたのは東京から岩国へ帰郷して間もない1980年代のはじめだったように思う。当時、広島のYMCAの近くにあったナガタ画廊で行われた個展で点描の作品だった。

二人とも今は亡くなってしまったが吉村芳生を介してのことだったように思う。吉村とは東京にいた頃からの知り合いで、彼はぼくよりひと足さきに山口に帰って広島と山口を拠点にして活動していた。

その後、殿敷侃と出会ったのは彼がオルガナイザーとして錦帯橋の川原で行った1988年の環境アートプロジェクトのシンポジウムでのことだった。その前にも山口市に在住する彫刻家・田中米吉さんが宇部の野外彫刻展で大賞を受賞されたお祝いの会で一こと二こと挨拶を交わしたことはあったが、この作家とのまともな出会いは残念ながら失ったままだった気がする。

1989年、ぼくは高知で行われたポリクロスアート展に参加していて地元岩国の環境アートに関する情報はほとんど知らないままだったように思う。だから、吉村芳生やほかの人を介して彼のことを知らされていたように思う。独断的で独りよがりのところがあるけどおもしろい作家とかいろいろな話を聞かされたけれど気に留めることもなかったように思う。

今回はじめてこのような回顧展をみる機会があってぼくは本当に嬉しかったしとても良かったと思う。それというのも本展が殿敷のほぼ全貌に迫る好企画だったことだけでなく、国鉄時代の彼のいい絵画作品にふれることができたのが何よりもありがたかった。

だいぶん前のことになるが下関市立美術館の館長・濱本聡さんが殿敷侃の芸術について「過剰」という言葉で論じた印象的な評論を読んだことがあった。今回の展覧会を観て彼をここまで突き動かす創作意欲とその動機のようなものを垣間みたように思う。

シルクスクリーンを手がけるようになってその過剰性はおびただしいまでに膨張しているようにみえるけれど、地域住民を巻き込む手法だけでなくそれほど意識していたものでもなさそうな環境破壊や消費社会に対する「逆流」というコンセプトは確かに注目に値するものといえる。とりわけ、その求心性において他者を大いにひきつける魅力的な何かがあったものと思われる。

その当時、ようやくエコロジカルな運動や考え方が注目されようとしていたこともあるけれど、まだまだそれまでの環境芸術という概念が支配的だったようにも思う。つまり、芸術作品が設置されるエンヴァイラメントなる環境意識が問題視されていたからでもある。

 

皮肉にも彼がオルガナイザーとしてかかわった岩国の環境アートでの「錦川のビニール流し」の作品は思いつきの失敗作となってしまったけれど、過剰なまでにビニールを真っ赤に塗ったパフォーマンスや小学校の解体材料で壁をつくったドリームフェンスプロジェクトに見られる集積と時空間への営為は初期の点描や細密画などに共通しているようにも見える。

けだし、そういう観点だけでなく1985年のシルクスクリーンのキノコ雲やケロイド状の背中やポスターにみられるメッセージ性や社会問題への意識がこの時期から重視されていたのかもしれない。ぼくはそう思う。

過剰なまでに氾濫する情報の目まぐるしさの中で必然的に影響されながらも挑み続けた殿敷侃という作家の言動にはあらためて再考する必要を感じさせるインパクトがあるように思う。展示構成もよくまとめられていてよかった。

 

 

断片的なイメージと記憶『パラレル』 (長嶋有著 文春文庫) 2017/6/29

どういえばいいのだろうこの小説。『パラレル』はある意味で実験的でもあり野心的な作品といえるのではないか。この作家特有の文体といえばそれまでだが、なんでもない日常的な時間が大きな起伏もなくとりとめもなくつづくスタイルはこの時代の感覚をみごとに浮き彫りにする。だが、本編ではそこに奇妙な仕掛けを施しているような気がするのだ。何故なら、ここでは今・大学時代・離婚前後といった三つの時系列における出来事やそれぞれのエピソードがパラレルに進行するように描かれているからだ。

今、といっても8月末から12月までの僅か4か月の物語にすぎないことではあるが、そこに大学時代と離婚前後の状況とエピソードが断片的に織り込まれ、すべてが同期するように措定されている。
そのことが、さらに読者の個人的な体験とかさなりあうように記憶を刺激し読むことの経験を更新し感覚を覚醒させる、という実験的なカラクリになっているように思えるのだ。
つまり、ここではそれぞれの出来事やエピソードを構築して一つの物語として固定的な世界を表すのではなく、断片的に提示されているだけで固定されたイメージが提供されるのではない。流動的とはいわないまでも、あえて読者の体験や記憶とかさねられるように考えられているのではないか。
たとえば、今の僕はこのように描写されている。

「またこういうゲームを作らないんですか」うん、なかなか難しくてね。そうですか、大変ですものね。きっと。
本当は、もうゲーム制作に携わりたくなかった。僕以外にも新作を発表しなくなったフリーのゲームデザイナーを何人かしっている。理由は様々だろう。売れないからと決めつけられて好きな作品を作らせてもらえない、労働に対してギャラが少ないなど。
「わがままいっているだけでしょう」リメイクの仕事をやめたと告げたとき、妻には手厳しくいわれたものだ。(本文p104)

大体が人は一日に三時間も働けば十分だとぼくは思っている。する事も特にないのに数あわせでいる奴は帰ったほうがましだし、何時間も集中力を持続できるはずがない。
携帯電話やメールに触れ、その便利さを実感する毎に思う。これで楽になって浮いた時間の分は、働かない方向に費やされればいいのに、世界は一向にそうならない。空いた時間を詰めて次の仕事を入れるようになっていくだけだ。
いつか三時間労働説を唱えたら津田は目を丸くして
「うん、おまえはそれが正しい」といった。僕の正しさと津田の正しさとあるということか。
そのころ津田もまさに幾晩もの寝泊りを繰り返していた。会社に三年休まずに勤め、胃に穴をあけて入院したりしていた。(本文p108)

別れてもなお連絡がきて往き来したりする元妻、そして新しい恋人・・・、いくつかのエピソードと相談ごとがあり何気ない時間が流れていく。
一方、顔面至上主義のプレイボーイ津田の日常はどうかといえば、いろいろな女の子とパラで付き合い、会社を立ち上げたり倒産したり、それなりに充実した生活ぶりなのだ。

「ラブか、ラブはもういい」津田は弱気にいうと焼き魚を箸でほぐしはじめた。
「最近は、ラブよりも弟子にあこがれる」とつづけた。弟子?そう、弟子。津田は持論を披露しはじめた。
「師匠と弟子は、世にあるあらゆる関係の中で、今やもっとも珍重すべきものだ。恋人は裏切るし、夫婦は干からびるし、家族だって持ち重りが過ぎる。部下だって上司だって、扱いってものがある。バイトやパートはすぐに帰ってしまうし、美人秘書にはべらぼうな高給を払わないといけないだろう」
「まあ、美人はおしなべてそうだね」だろう、というように頷くと津田はおかわりのつもりで空のジョッキを持ち上げた。(本文p112)

このように時代の気分は二人の感覚をとおしてみごとに描写され読者の記憶と交差する。まさしく、長嶋ワールド特有のスタイルといえそうだ。
だが、完成された1つの作品でさえ引用の対象とされブリコラージュされることをおもえば、この作品はたしかに読者の記憶や体験をとおして成り立つ不定形ともいうべき自由度をもつことを視野に入れた作品ともいえる。これほど魅惑的な試みがあるだろうか。

 

イノセントな感覚世界 『ちょっとおんぶ』(岩瀬成子著 北見葉胡絵 講談社) 2017/5/15

 

この本は6才になる女の子・つきちゃんのお話しで、「あな」「ちょっとおんぶ」「さむい」「アサリせんせい」「リボンごっこ」「これ、できる?」「ないしょ」と7つの短編からできています。画家・北見葉胡さんの絵とかさなるようなイメージで不思議な世界の広がりを感じさせてくれます。

「あ、じゃあねえ、これ、できる?」と、キツネの子はいって、どんぐりをじめんにおいてから、でんぐりがえりをしました。(p73)

そうです。つきちゃんは動物たちとお話ができるのですね。
○月○日、ぼくはタヌキです、とはじまる長新太さんの「ヘンテコどうぶつ日記」が思いだされるかもしれませんがやはりこの作品はこの作家独特の研ぎすまされた感覚であふれています。
北見葉胡さんも丁寧にその世界を描こうとしていることがよくわかりますね。北見さんといえばシュールリアリズムを思わせるような物静かでスタティックな画風の印象が強かったのですが、ここでは動的で新しい世界を感じさせるスタイルとなっていてこの画家の可能性と底力を感じます。

いまは、よるのまん中です。いま、おきてフクロウのこえをきいている子は、きっとわたしだけです。
「ホーホッホ、ホー。」
ふくろうのなきまねをしました。
「ねえ。」と、木のうしろからこえがしました。
なんだ、おきている子はわたしだけじゃなかったんだ、と、ちょっとがっかりしながら、「なに。」と、へんじしました。
「ぼく、つかれちゃったから、ちょっとおんぶ。」と、その子はいいます。
「ほんとにちょっとだけ?」というと、
「ちょっとだけでいい。」といいながら、くらい木のうしろから、くろいクマの子が出てきました。(p14)

この6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。

この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

 

沖縄の抵抗  2017.5.5

 

5月3日、九条の会岩国は琉球大法科大学院の高良鉄美教授を招いて恒例の記念講演を行った。

演題は「沖縄はなぜ基地を拒否するのか!?-平和憲法と、沖縄の視点 歴史から-」として、「沖縄の自治は神話」とまでいわれたその歴史と現状について、①沖縄の5月3日憲法記念日 ②沖縄の戦力、軍馬一頭 琉球処分 ③沖縄戦 ④基地問題 ⑤基地問題の現在 ⑥基地問題の近未来、の6項目に分けてスライドを使った丁寧な説明をされた。

とりわけ、③沖縄戦では日本軍基地建設と基地破壊と米軍基地建設について、旧日本軍基地、収容所時代の建設基地、講和条約分離による米軍の強制接収建設基地、そして今建設されようとしている④番目の日本による建設について問いかけるように解説されたのが印象的だった。

ぼくはこの講演を前にして広島の横川シネマで上映中のドキュメント映画「標的の島、風かたか」(三上智恵監督作品)をみていたこともあって、凄まじい沖縄の抵抗と琉球王国にさかのぼる素晴らしい歴史と文化を分かりやすく紹介された。

講演終了後に高良さんを囲んで行われた「交流会・打ち上げ」では、東北と同じように歴史と文化・自然、そこで培われた「誇り」を次世代に伝える責任と使命のようなことが沖縄の抵抗の力となっているともいわれた。

米軍基地をかかえる岩国の現状とくらべてみると雲泥の差というほかない。つまり、岩国では「沖縄の負担軽減」などと一見まともにみえるその内実は地域振興策の補助金目当てが透き通るようにみえているからだ。

国から一方的に奪われた歴史とはちがい、倒幕後に明治政府を樹立し多くの総理大臣を輩出してきた歴史すなわち国の統治における光の歴史をもつ地域性のちがいのようにもみえる。 

 

SNSで知るところでは、神奈川新聞の憲法特集において武道家で哲学者・内田樹氏は「『属国』直視から」として実に興味深い記事を寄せている。

 ニーチェによれば、弱者であるがゆえに欲望の実現を阻まれた者が、その不能と断念を、あたかもおのれの意志に基づく主体的な決断であるかのようにふるまうとき、人は「奴隷」になる。「主人の眼でものを見るようになった奴隷」が真の奴隷である。彼には自由人になるチャンスが訪れないからである。

日本はアメリカの属国であり、国家主権を損なわれているが、その事実を他国による強制ではなく、「おのれの意志に基づく主体的な決断」であるかのように思いなすことでみずからを「真の属国」という地位に釘付けにしている。

 

・・・略・・・

 

日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で国際法上の戦争状態を終わらせ、国家主権を回復した。だが、68年には小笠原諸島、72年には沖縄の施政権が返還された。戦後27年間は「対米従属」は「対米自立」の果実を定期的にもたらしたのである。

だが、この成功体験に居ついたせいで、日本の政官は以後対米従属を自己目的化し、それがどのような成果をもたらすかを吟味する習慣を失ってしまった。

それどころか、対米自立が果たされないのは「対米従属が足りない」からだという倒錯的な思考にはまり込んで、「年次要望改革書」や日米合同委員会を通じて、アメリカから通告されるすべての要求を丸のみすることが国策「そのもの」になった。

戦後70年を過ぎても日米地位協定のあり方が改善されないのもこれではどうしようもないというものだ。

 

米軍再編と岩国 2017.05.24 

 

23日(火)はシンフォニア岩国において、岩国の将来をきめる厚木からの「空母艦載機移駐計画」について住民説明会が行われた。壇上のひな壇には市当局の幹部らと中国防衛施設局の数人がオブザーバーとして座っていた。

福田市長の挨拶からはじまり、市長は用意した資料をもとに自らひとりで説明した。①市のスタンス ②安心、安全対策 ③地域振興策 ④国への要望事項など、これまでの成果として一方的にひと通りの説明をした後、つめかけた多くの市民から活発な質疑が交わされたが残念ながら時間切れというところで終了。結局、説明会は中途半端な結果となり、「こんな説明会があるか!」などと怒号が飛び交うなか一方的に打ち切られたかたちとなった。

 

岩国市の基本的なスタンスとしては騒音や安全性など基地周辺住民の生活環境が現状より悪化しないこと、着艦訓練の実施を認めないこと、などとしているが現状はどうか?

分析・検証の結果、「騒音が拡大する地域はあるものの、国や米側のも確認できたとして全体として悪化することはない」としている。また、着艦訓練においては恒常的にすることはない、できる限り硫黄島で実施するよう米側と確認している、と説明。

米軍再編に対する基本的な姿勢として、現時点において日米ロードマップに示されている以外の新たな舞台や航空機の配備はないしこれ以上の負担増を岩国にお願いすることはない、との説明を受けているとした。

 

だが、こんな約束がこれまで守られたためしはない。つめかけた市民からは11年前の住民投票の結果をみても当然のことながら懐疑的な質問が飛び交った。騒音被害や犯罪の増加に対する懸念のほか、治安対策や文化的な慣習の違いから考えられる迷惑行為等々の不安。

一旦、受け入れを容認すれば取り返しのつかない恒常的な不安と被害を受ける多大なリスクを負うことに対して責任がとれるのか等々、次世代に岩国としての『誇り』を伝えられるのか、などと激しい意見も交わされた。

福田市長はさらにつづける。市の安心・安全対策(43項目)の達成状況の説明としては、およそ8割の要望が達成されていると自画自賛。

市民からは今建設中の野球や陸上競技などのスポーツ施設の運用が既存の運動公園のように日米でできるよう確約できているのかなどと質問がでたが、今もってそのことは協議中で要望しているとの説明に終わった。防音工事や防犯警備体制の強化などについては防犯灯、防犯カメラ、安心安全パトロールで対応するとなった。

だが、北朝鮮の脅威、在日米軍基地を攻撃目標とする旨の発表から防災訓練の必要性、防災施設やシェルターもないという現状では不安は払しょくできないとの意見も・・・。

 

大雑把にみて岩国市の対応として感じることは、基地増強を容認する代わりに地域振興策として幹線道路、川下地区の都市基盤、中心市街地の活性化対策のほか各種インフラ整備の要望に加えて学校給食の無償化や更なる再編交付金の増額延長を国に求めるだけで、将来的な地域づくり街づくりのVISIONに欠けていることは否定できない。

日米地位協定の改正はほとんど棚上げにされたまま、基地増強と引き換えに目先のハード事業の充実にばかり偏り過ぎている気がしてならない。このままでは次世代に受け継いでもらう誇りがもてるはずもない。

 

日米安保を軸とした国防上の問題もあるわけだが、米国の極東アジアを中心とした軍事戦略上の問題もある。日本は奴隷のように自ら米国に従属し一方的に沖縄に基地負担を押し付けるのではなく、主権国家として地位協定の改正を求めるべきである。改憲を叫ぶ前にそれが必要不可欠の条件ではないか、ぼくはそう思う。

北朝鮮問題だけでなく、ドキュメント映画「標的の島 風かたか」を観て分かるように中国軍との戦争を限定的に行う近未来の戦争のあり方を想像するならこれほど馬鹿げたことはないしあってはならない危険性も垣間見えてくるはずだ。

わずか戦後70年、あの悲惨な状況を考えれば岩国市の対応もはっきりしてくるはずなのだが市の現状はあまりにもお粗末というほかない。

スナメリたちの裁判は・・・『きせきの海をうめたてないで』(キム・ファン著 童心社)2017/1/17

 

くりかえされる生ものたちの声声声。
「わたしたちがすむ海を人間がうめたててしまったら、もう生きてはいけません。わたしたちはよその海では生きられないのです。どうか、うめたてないでください」

本著はこれから原子力発電所が建設されようとしている上関の海に生息するスナメリ、カンムリウミスズメ、ヤシマイシン近似種、ナガシマツボ、ナメクジウオ、スギモクたち六つの貴重な生きものが山口地裁におこした“いのちの声”をまとめたものである。
著者はこれまで動物児童文学作家としてノンフィクションを中心に自然科学分野の絵本や読み物を手がけてこられたキム・ファンさん。キムさんは瀬戸内海、とりわけこの上関の海に生息する“生きものたちのくらし“を調べることから人々のくらしと文化、瀬戸内海で培われた「スナメリあじろ漁」にみられる生きものたちと共存してきた歴史を考える。
“きせきの海”といわれる上関の海で生活する「上関の自然を守る会」代表の高島美登里さんは裁判で次のように証言。
「では、だれがこの豊かな自然を守ってきたのでしょうか?その答えは、祝島の人たちです。『とりすぎず、つくりすぎない』自然とともに生きる生活の知恵で守ってきたのです」(本文p49)
生きものたちの調査では瀬戸内海でスナメリが暮らせる場所はもう、上関しか残っていないことが科学的に明らかになり、よその海では生きていけないことが分かったのだった。
祝島で暮らしてきた中村隆子さんは次のように証言。
「わたしは七十九歳(平成二十一年当時)になる今日まで祝島で生活し、六人の子どもを『ほこつき』、すなわち『いさり漁』で育てあげた。
略・・・なによりもましてすんだきれいな海でないと仕事にはなりません。いままで、きれいで豊かな自然のめぐみを受け、生活してこれたし、これからもずっと生活していくわたしたちにとって、原発のためにうめたてをおこなって海をよごされることは、島で生きていくためには死活問題であり、絶対にゆるされるものではありません」と。(本文p55)
海のめぐみで、ぶじに子どもを育てることができたし、祝島の人たちと同じように、「海鳥」たちもきれいな海で魚をとり、子育てをしています。うめたてによって海をよごされることは本当に死活問題なのです。

ゆたかな暮らしとは何か。
わずか10数年の原子力発電所のため、これまでの島の人々とともに暮らしてきた生きものたちの歴史が破壊されていいはずはない。“きせきの海”の生きものたちの声は山口地裁でどのように受けとめられるのだろう・・・
3.11東日本大震災と福一原発事故がよみがえってくる。極東アジアの地形的な自然災害と人災としてのあの原発事故が思いだされる。
スナメリたち6つの生きものたちの丁寧な調査から生きものと共に暮らす上関の人々の活動を通してわかりやすく今日的な問題へと案内してくれるきわめて良質の児童書である。
どうぞ、子どもたちとご一緒にお読みください。