2003年1月9日―1月13日
山口県民文化ホール シンフォニア岩国
参加アーティスト
斎藤徹 佐古昭典 原仲裕三 原田文明 三澤浩二 ミヨシイチロウ


私たちにとって、今や社会の実態を確認することは極めて困難な状況にあるのではないか。この企画はそういう不確かな現代社会の様相をふまえて「確かなものは何か」という素朴な問いから考えられたものである。
情報メディアの進化と過剰な情報の現実は私たちにアイデンティティーの喪失感と実感(リアリティー)の質的変化をもたらした。事実は真実からは離れ情報によって新しく生まれ変わり、私たちの感覚に圧倒的な量とスピードで否応なく突き刺さってくる。虚実が錯綜する中でバーチャルな世界が立ち上がり、実態はますます捉えにくくなってきた。今やアートの現在は「表現の成り立ち」から問われなければならないだろう。
私たちは現代社会において既に了解されている物事や通念に対して、アートを介してある意味で変容を企てるのである。そして、そこに新しい意味と世界認識の可能性を実現したいと考えている。
岩国には行波(ゆかば)という地名があり、そこでは年ごとにたいへん重要な神楽が行われる。また、七年祭といって盛大なお祭りが七年ごとに行われ、打楽器によるシンプルなリズム音楽に合わせて独特の舞いが披露されてきた。このことは表現が芸術として考えられる前から宗教的なものと結びつき、私たちの日常と密接につながっていたことを意味している。私たちは人間の根源的な営みとしての芸術(表現)、とりわけその「成り立ち」について考えることから行動する。そして、そこから解放される表現世界に途方もないスケールと可能性を感じている。
二十一世紀を迎えた今日、ただ閉塞的な状況を悲観しているばかりではなく、岩国でのこのプロジェクトがこれまでの近代的な価値観を相対的に捉えかえす眼差しと現状を乗り越える契機ともなれば幸いである。
アートムーヴ2003<岩国>表現の成り立ち 参加アーティスト兼アートディレクター:原田 文明

流れ/2003/錦川の石/解体された錦帯橋の橋板(第4橋段板) 展覧会は初日から注目され観衆が途切れることはなかった。

流れ/2003/錦川の石/解体された錦帯橋の橋板(第4橋段板)

斎藤徹の1.9会場コンサートは400人を超える観衆を集めた。

作品『流れ』の前で演奏する齋藤徹 途中からは橋板の上に移動して演奏した

セッティングは高校生を含む多くの地域の人たちが参加

佐古昭典

佐古昭典

原仲裕三の作品設置を手伝う高校生たち

原仲裕三