

そのほか そのⅨ
規格外の知の巨人 南方熊楠(鶴見和子著 講談社学術文庫)2025.5.6
なんと何と規格外の知の巨人がいたものである。本著は民俗学から宗教学、動植物学のカテゴリーを軽々と越えて、地球志向の比較学の構造をもつ思想家・南方熊楠の評伝とも論文ともいえる名作である。幕末の1867年に生まれ明治・大正・昭和を駆け抜けた大思想家のひとりであることはいうまでもない。
数年前、NHKの朝の連ドラで植物学者の牧野富太郎伝の「らんまん」という番組があった。牧野富太郎の活躍ぶりを描いたものだが、南方熊楠はそのころすでにアメリカ・イギリスを渡り歩き科学雑誌「ネイチャー」や「ノーツ・エンド・クィアリーズ」誌に数々の論文を掲載し、帰国後は和歌山県田辺市を拠点としておもに粘菌(動物と植物の境界)の調査研究と論文のさらなる発表をつづけ、国の神社合祀反対運動を生態学宗教学的立場から精力的に活動していた。
だから、単に植物学者として牧野富太郎や親交のあった民俗学者柳田国男らと比較することができないくらい逸脱した知の巨人なのだ。
南方熊楠にとって森羅万象はすべて原因結果の連鎖でつながっている、その一場面を切りとると、その中にすべての事象が集中する「萃点」があってその萃点に近いところから、近因と遠因とをたどることが出来る、という博物研究の立場を貫いた。そういう意味では柳田の日本人とは何かと終始する学問と南方の人間とは何かと問う立場では大きな隔たりがあったともいえかもしれない。
また、南方はヨーロッパ近代の科学を学ぶことによって、大乗仏教の思想に独自の解釈を与えたという。
おもしろいのは彼の学問、研究について二つの点が指摘されることである。一つは粘菌を含む博物研究が南方にとっては、爆発し分裂し解体しそうになる自我を統一し自己同一性を保持するための有効な作業であったこと。もう一つは動植物の採取、分類、写生等々は、南方にとって面白くてたまらない〈遊び〉だった、ということである。つまり、それは職業としての学問ではなく〈遊び〉としての学問だった。
学位や名声をかちえようとしてする学問には創造性はない、知的好奇心よりなる探求からこそ独創性が生まれる、ということだった。
ヴェブレン(アメリカの経済・社会学者 1859-1929)は、「無用の好奇心」を想像性の根源とみなした。そして、二十世紀初めのアメリカの大学教育が「専門バカ」の温床になっていることを痛烈に批判した。南方の学問論はヴェブレンのそれに通じるという。
宗教論にしてもユニークなのは、仏教よりも、キリスト教よりも、まさっているのは、ジャイナ教であるという。南方は、すべての生類に霊魂ありと認めたジャイナ教を、平等という尺度からみれば最高としたが、それがアニミズムの信仰と関連のあることには説き及ばなかった。
だが、比較宗教論としては、ウェーバーが「合理性」を尺度としてプロテスタンティズムのキリスト教がもっとも「合理化された」宗教形態であるとしたのに対して、南方は、科学との一致を尺度として、大乗仏教をもっともすぐれた宗教原理としたというからすごいことになっている。
本著はこの実証主義と知識欲の塊のような規格外の知の巨人、大思想家の存在を知るにはたいへんありがたい著作であり名作といえそうだ。
包摂する価値増殖 マルクス 生を呑み込む資本主義(白井聡著 講談社現代新書)2025.3
「若者よ!マルクスを読もう」というフレーズが注目されはじめて何年になるだろうか。ポスト資本主義が叫ばれる中、現在が直面する気候変動や新型コロナの感染症など地球規模での災難がどこに起因するかと考えたときマルクスの資本論に多くのヒントがあるということか。
著者は冒頭、資本主義は数々の危機を招き寄せながら深化する、そうならざるを得ないという真実をマルクスは「資本論」で明らかにしたという。また、資本主義は近代文明社会を築き上げたかもしれないがその資本主義のメカニズムによって逆に文明社会に終止符が打たれようとしている現実がある、このメカニズムを最初に見抜き徹底的に解明したのがマルクスだった、としている。
資本主義とは一つのシステムであり、それはそのシステムの外にあるものを自己の中に次々と取り込んでゆく。(略・・・)さらには、単に取り込んだだけでは終わらない。資本は、資本独特の運動・価値増殖に役立てるために、取り込んだ対象をその運動に適したものへと変容させる。取り込まれたものは、資本のロジックによって浸透させられる。資本主義が「深化する」とは、端的にこのことを指している。しかも、その変容=深化がどこまで続けられるのかは、誰にもわからない。資本主義のロジックのなかに、その限度はない。(p5)
本著はこの資本主義の本質的なシステムを解明し、相対化することによってポスト資本主義の可能性を目指すと前置きし私たちの自覚を促している。
1848年、マルクスは盟友エンゲルスとともに「万国のプロレタリアよ!団結せよ」と呼びかけ『共産党宣言』を発行する。そして、革命的煽動を行うため新ライン新聞を創刊するが革命は退潮し最終的にマルクスらはイギリス・ロンドンへと向かい終生この地で主として経済学を研究することになる。
資本主義の重要なキーとして注目されるのは際限のない剰余価値の追求であるとし、原理的にできるだけ多くの剰余価値を生産・獲得したいという自明性と過酷な搾取を求め非人間的な労働の質的変化と格差を生みだすシステムであることを未解決のまま、今日的なグローバル資本主義・新自由主義として究極的な状況へと向かっている。
著者はマルクスの資本概念の最大の特徴として「資本の他者性」を明らかにしたところにあると強調し次のようにいう。
ここで言う「他者性」とは、資本が人間の道徳的意図や幸福への願望とはまったく無関係のロジックを持っており、それによって運動していることを指す。その意味で、人類にとって資本は他者なのだ。(p96)
言い換えれば、資本は搾取の対象を人間のみならず絶えず外部化へとその姿を変容しながら価値増殖をくり返すというグロテスクで奇妙な運動にほかならないということだろう。また、グローバルサウスや地球(自然)環境であろうが際限なくくり返すことができる自明の論理を備えているといえる。そのことを本著では〈包摂〉という概念で解明している。ここでいう包摂とは社会学でいう寛容的なイメージではなく、資本主義のシステムがわれわれ人間の全存在を含むすべて、すなわち自然環境を含む全地球を包み込むということなのだ。この手段と目的の転倒したような奇妙な運動態は、例えばボードリヤールのシミュレーションからシミュラークルへと移行する現象そのものが人間的願望や価値基準を逸脱し包摂へとむかう自明性をもつロジックに覆われる状況とみることもできるだろう。
資本論はフォーディズムに象徴される労働実態を非人間化し、人間だけでなく自然や地球環境までも包摂しながら資本の価値増殖を限りなくくり返すところまでに変容してきたということか。
マルクスの資本論は地球そのもの生態系やエコロジカルな視点を加味しながら資本主義の本質へと進化しそれまでの研究に収めきれない問題を孕んでいる(斎藤幸平)といわれることと同期しているともいえる。だが、その結果として地球規模での災害や気候変動だけでなく新型感染症が立ちはだかったとしても資本主義などと念仏のように唱えていられるだろうか。資本家であろうが労働者であろうが本著の副題「生を呑み込む資本主義」とはそのことを意味しているのではないだろうか。
人間と自然への賛美 老人と海(ヘミングウェーイ著 新潮文庫)2025.1
本著はメキシコ湾流の海を舞台に老漁師と巨大カジキの闘いを描いた物語といえばそれまでだが、「老人と海」というタイトルからして生きもの同士の葛藤と駆け引きだけでなく自然への畏敬と命の尊厳について考えさせられるヘミングウェイ晩年の作品で壮大なロマンを感じさせる。
老人は痩せていた。体は筋張っていて、うなじには深い皺が刻まれている。熱帯の海が照り返す陽光で、両の頬には茶色く変色したしみができており、それは頬の下のほうにまで及んでいた。(・・・略)全身、枯れていないところなどないのだが、目だけは別だった。老人の目は海と同じ色をしていた。生き生きとしていて、まだ挫けてはいなかった。(p8)
老漁師を慕うサンチアゴという少年がいた。少年は漁の仕方を老人から教わったのだった。84日間の不漁はまわりの漁師たちの胸を痛めたが誰もそれを表には出さなかった。
ただ、老人は他愛のない野球の話をしながらひたすら“運やツキ”を重んじていていた。そして、確かな経験と自らの流儀には揺るぎない自信を持っていた。
いまはツキに見放されているだけだ、とひたすら海のようすをうかがいながら老人は一人で舟を出した。
夜明け前、背後の船べりから垂らした仕掛けの一つに何かが食らいついた。枝がびしっと折れたと思うと、綱が船べりをこすってするすると走りだした。暗闇の中、とっさにナイフを鞘から抜いた。大魚の重みを左肩で受け止めつつ背後に身をよじり、走る綱を船べりに押しつけて断ち切った。(p53)
老人は仕留める準備としてもう一本の仕掛けの綱を断ち切り、四十尋の長さに垂らしてある綱も切断して控えの綱につなぐことにした。
「あの子がいてくれりゃ」と思いながら老人は一人で仕留めるしかなかった。
いまの唐突な動きは何だったのか。きっと綱がすべって、やつの大きく盛り上がった背中をこすったんだな。やつの背中はおれの背中くらい痛むことはなかろうが、といって、やつがどんな大物でも、この舟を永遠に引っ張りつづけることはできまい。(p55)
こんな駆け引きがつづいていくのだが魚はいっこうにへばることはなかった。海に生きるもの同士の命がけの闘いに老人は畏敬の念を保ちながら大魚との葛藤へ備えた。
「魚よ」老人は言った。「おまえ、気に入ったぞ。どうしてどうして、たいしたもんだ。しかしな、きょうという日が暮れるまでには、始末をつけてやるから」(p57)
引き合った綱に小さな鳥がやってきたり老人の左手が引きつって固まったりするが、大魚との駆け引きと凄まじい格闘の末、18フィートもある巨大カジキを仕留める。
体中にひしめく痛みに耐え、残っていた力を振り絞り、とうに失くしていた誇りを蘇らせて魚にぶつけると、魚はぐらっと横に倒れて近寄ってきた。長い嘴が舟べりに触れそうだった。(p99)
鉄の鉾先がずぶっと沈む手応え。そこにぐっとのしかかってさらに深く突っ込み、全体重をかけて押し込んだ。次の瞬間、死を抱え込んだ魚が最後の生気をとりもどし、水上高くせり上がって、堂々たる雄姿の全容と力と美を見せつけた。(p99)
老人は必死の思いで巨大カジキを船べりに綱で括りつけて引き上げるのだが、最初のサメが襲ってきたのは、それから一時間後のことだった。
それからは次々と襲いかかってくるサメとの死闘がくりひろげられる。無残に損なわれた大魚が襲われたときは自分の身が襲われたような気がしたが老人は思った。「仇はとってやった」と。
だいたい、あの魚を殺したのは、自分が生きるため、売って稼ぐため、とばかりは言えなかった。男としての誇りがかかっていたし、漁師の本分を果たすためでもあった。やつには、生きているときも、死んでからも、愛着を抱いた。としたら、殺しても罪にはなるまい。いや、もっとひどいことなのか?「考えすぎだぞ、じいさん」老人は声に出した。(p111-112)
さらに、サメとの格闘はつづき見るも無残な姿に変わっていった。
「変わり果てた魚よ。とんでもない沖合に出てしまってすまなかったな。おかげで、おれもおまえもさんざんな目にあった。でも、おれたち、けっこうな数のサメを殺しただろうが。他にもたくさん痛めつけてやったし。おまえはこれまでに、どれだけ殺した?その槍のような嘴、だてに備えてるわけじゃあるまい?」
老人は老いとともに運について考えていたが体力を使い果たしていた。だが、自分は死んじゃいないとはっきり覚った。やっと町の明かりの照り返しが見えたのは夜の十時頃だった。
なるべく浜の上の方まで舟を寄せ岩に綱を結んだ。それからマストを抱えて坂を上り小屋にたどりついた。
朝になって、少年が戸口から覗くと、老人はまだ眠っていた。
物語は次々と現れてくる困難に立ち向かう老人の知識と経験だけでなく、人間の力への賛美がある。だが、それとともに大自然にある生きものの尊厳と厳しい掟、さらにあきらめのようなものを感じさせる。
老人の頭のなかで、海は一貫して“・マール”だったという。スペイン語で海を女性扱いして。そう呼ぶのが、海を愛する者の慣わしだった。(p30)
そう考えてみれば、確かにこの物語は老人と海の壮大なロマンを感じさせるラヴ・ストーリといえるかもしれないがシンプルな物語の背後に感じられる人間と自然への賛美があるようにも感じとれる。