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岩瀬成子  話題の著作集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだら模様の日々(岩瀬成子著 かもがわ出版)

 

岩瀬成子の世界へ

親と子の葛藤とつながりについて子どもん目線で描くエッセイ、ちょっとへんてこりんな愛すべき人たとが登場する連作短編、そして、生まれ育った岩国の街を歩いて撮った写真を収録。

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ぼくのねこポー(岩瀬成子作 松成真理子絵 PHP研究所)

 

学校からの帰り道にみつけた猫。すて猫なのかノラ猫なのか、ぼくんちの猫になってくれたらいいなと思ったけれど、お母さんは「ダメ」っていうかもしれない。
そのとき、ぽつっとぼくの首に雨があたった。雨がふりだしたら、猫がびしょぬれになってしまうと思って、おもわず家につれて帰った。

お母さんはすて猫なら飼ってもいいけどといって、猫に心当たりがないか白い家の近くを訪ねたが猫のことを知る人はいなかった。ぼくは猫に「ポー」と名づけ可愛がっているうち仲良しになった。
ぼくのクラスに森あつしくんという子が転校してきた。森くんと仲良くなって話していると森くんの家族は両親と妹でそれから猫がいることがわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

​​真昼のユウレイたち(偕成社2023.5)

幽霊に出会った子どもたちを描いた作品集、といってもホラーではありません。登場するのは、みんな、だれかをささえる思いをもったユニークな幽霊たちばかり。出会った子どもたちも、最初はとまどいながら、その存在を自然に受け入れていきます。
子どものときに亡くなったふた子の妹が、年をとった姉のもとにあらわれる「海の子」、子どもを守るパパとママの幽霊の話「対決」、基地のある町を舞台にした「願い」、義理の兄弟になった男の子たちの秘密を描く「舟の部屋」の4編を収録。
子どもたちの生き生きとしてユーモラスな会話のやりとりも魅力的な、どこかおかしくて、せつなさがしみるゴースト・ストーリーズ。

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ひとりかもしれない(フレーベル館2023年)

風がふいて、わたしの心をゆらした。 どうしてあんな気もちになったんだろう。 ことばはすうっと上にあがり、天井にくっついた。 わたしがパパのことをおもいだしているのを幸介さんもママも知らない。 わたしのなかに、だれにもいえないことばかりたまっていく。わたしはわるい子どもになったのだろうか。わたしはぎゅっと目をつむった。

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ジャングルジム(ゴブリン書房 2022年)

5つの短編を集めたものですが、これまでの『まつりちゃん』や『となりの子ども』『くもりときどき晴レル』(いずれも理論社)といった短編集よりもさらにシンプルで短いお話です。坦々とした時間の流れとともにくり返される日々のようすが子どもの眼をとおして描かれている起伏のない物語だけにミニマル調の静けさがあります。いうなればショートショートといった小話のようでドラマチックな落ちもないのになんともいいようのない魅力を感じさせる不思議な本です。

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ひみつの犬(2022年 岩崎書店)

「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った(本文p238)

岩瀬成子の「ひみつの犬」は児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語となっている。

それは、定型化されたファンタジーや冒険スタイルでもなく、子どもの日常的な現実世界そのものであり世界認識と体験のあり方を描いたものでおどろく程のリアリティを感じさせる。  

岩瀬はこれまでにも現実に戸惑いながらもゆれ動く子どもの内面的な気もちの変化を独特の文体で書いてきた。とりわけ、学校や社会、家族や地域(基地の街)における今日的な問題とともに子ども現在を浮きぼりにする作品を手がけてきたと云っていい。

だが、本著では「いい人間になりたい」「いい人とはどういうことなのか」と問いかける。そして「友だちのためにすることがいいこととはかぎらないのでは」と、子どもならではの直線的なまなざしで懸命に考察し試行錯誤を繰返しながら少しずつ気もちが変化していくようすが丁寧に描かれていく。そして、最終コーナーになってから物語は思いがけない展開をみせていく。

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​わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)児童福祉文化賞受賞

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

心の中のひっかき傷が、ずっとひりひりと痛かった。

 

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。

「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。

きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。

わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。

秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。

秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。

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ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)

この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。

 

「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16~17)

 

家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。

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おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(p87)

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もうひとつの曲り角(2019年 講談社)坪田譲治文学賞受賞!

 

野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。
「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。
えっ。どきんとした。
庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。
わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。
しんとしていた。
だれがいるんだろう。
わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。
それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。

小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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​​地図を広げて(2018年 偕成社)

 

中学入学前の春、4年前に両親が別れて、父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。
たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。

 

ともだちのときちゃん(2017年 岩瀬成子作 植田真絵 フレーベル館)

フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。

わたしとときちゃん、このお話しの中ではふたりの時間とまなざしは少しちがっていて、そのことがふたりにとってふしぎな感覚と感情をもたせています。もしかしたら、わたしは“いじわるをしているのかもしれない”とか、“ときちゃんみたいにしていたい”とか・・・。

おそらく、ときちゃんもしっかりもののさつきちゃんにあこがれているかもしれません。

ほどよい距離間をもつことで、心地いい友だち関係がつづけられるといえばいいのか、そういう子どもたちのようすをぼくの周りにもよくみかけることがあります。そういう子はときちゃんのように細部をみつめているのかもしれません。

著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

 

ちょっとおんぶ(2017年 岩瀬成子作 北見葉胡絵 講談社)

 

いまは、よるのまん中です。いま、おきてフクロウのこえをきいている子は、きっとわたしだけです。

「ホーホッホ、ホー。」

ふくろうのなきまねをしました。

「ねえ。」と、木のうしろからこえがしました。

なんだ、おきている子はわたしだけじゃなかったんだ、と、ちょっとがっかりしながら、「なに。」と、へんじしました。

「ぼく、つかれちゃったから、ちょっとおんぶ。」と、その子はいいます。

「ほんとにちょっとだけ?」というと、

「ちょっとだけでいい。」といいながら、くらい木のうしろから、くろいクマの子が出てきました。(p14)

 

この6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。

 

この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

 

マルの背中(2016年 講談社)

岩瀬成子さんの新刊『マルの背中』が講談社から出版されました。   全国の本屋さんで好評発売中 !!!        アマゾンをはじめオンラインショップでも購入することができます。

「子供のころに、言葉にできなかったたくさんの気持ちが、言葉になって、ここにある。」江國香織さん絶賛!

物語は親の離婚によって弟の理央と父と離ればなれになり、母と二人で暮らす小学三年の亜澄を軸に展開される。日々の生活を切りつめる過酷な状況の中でも母の言いつけを守り、健気で、愛おしく、切なく、力強い、という印象さえ読者に与える。
ここでは、「一緒に死のうか」という母のことば、「ゾゾが守ってくれる」という理央のことば、「抜け殻王に叱られるぞ、呪われるぞ」というシゲルくんのことばを全身でうけとめそのことばに支配され、疑うこともなく信じることで頭がいっぱいになる亜澄がいる。理央がいうゾゾって何だろう?抜け殻王って?とおもう亜澄がいる。
ふとしたことから亜澄は近くにある子どもたちが“ナゾの店”と呼ぶ駄菓子屋のおじさんから飼っているマルという猫を預かることになる。

 

 

オール・マイ・ラヴィング(2010年 小学館文庫)

『オール・マイ・ラヴィング』が改めて小学館文庫から出版されました。

この度、小学館文庫より岩瀬成子著『オール・マイ・ラヴィング』が文庫版で出版されました。表紙絵も変わりさわやかな装丁となっています。

今年はビートルズが来日して50周年記念とあって先に放送された番組「ビートルズフェス」も12月30日再放送されます。

どうぞお見逃しなく・・・

 

ぼくが弟にしたこと(2015年 岩瀬成子著 長谷川集平絵 理論社)

 

成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

 

きみは知らないほうがいい(2014年 岩瀬成子著 長谷川集平絵 文研出版)
2015年度産経児童出版文化賞大賞受賞


クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。 
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。 

 

あたらしい子がきて(2014年 岩瀬成子著 上路ナオ子絵 岩崎書店)       

第52回野間児童文芸賞受賞 JBBY賞 IBBYオナーリスト賞

前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。

ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。

 

くもりときどき晴レル(2014年 理論社)

ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

 

まつりちゃん(2010年 理論社) 


この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。 

 

ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)

 

大人になっていく少女たちをみずみずしく描く「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。

 

あたしをさがして(1987年 理論社)

 

朝はだんだん見えてくる(1987年 岩瀬成子作 長新太絵 理論社)

 

夜くる鳥(1997年 岩瀬成子作 味戸ケイ子絵 PHP研究所)

 

月夜の誕生日(2004年 岩瀬成子作 味戸ケイ子絵 金の星社)

​月食で月が消えた束の間、誕生日プレゼントに洋服をいただいた小さな女の子が川獺に案内され中州と思われるある場所へ行く。そして、小さな生き物たちに次々とプレゼントをねだられる。この生きものたちにとってもその日が誕生日なのだ。
はじめは戸惑っていた少女が生き物たちの要求に応えて次々にプレゼントすることになった。そのたびに乗っていた木のツルがのびていく。子どもの気持ちが成長するように・・・。

モノへのこだわりから解放されるように小さな生き物たちへプレゼントするたびに、少女は不思議な喜びを感じることになる。ブルーを基調とした味戸ケイ子の絵が素晴らしい。

 

「うそじゃないよ」と谷川くんはいった(1991年 岩瀬成子作 味戸ケイ子絵 PHP研究所)

小学館文学賞受賞 産経児童出版文化賞受賞 IBBYオナーリスト賞受賞

クラスのだれとも口をきかない女の子、るい。

そんなるいの前に、転校生の谷川くんがあらわれた。

「ぼくとは話せよ」

​それから谷川くんは、るいにとってとくべつな存在になった。

 

そのぬくもりはきえない(2007年 偕成社)

日本児童文学者協会賞受賞、韓国、中国でも出版

 

額の中の街(1984年 理論社)

自分は昔、スージィと呼ばれ、この弟とくらしていたことがある・・・それはずっと昔、何十年も昔のことのようだ。記憶は干涸びていて母親が話す子供時代の話のように、ぼんやりとした現実感しかよびおこさなかった。

尚子は机の引き出しをさぐって、白い額に入った弟の写真を取りだした。額のガラスが埃で曇っている。手の平で埃をぬぐい、鼻を近づけてみた。なんのにおいもしない。ガラスの内側に小さな水滴がいくつもついていた・・・(本文から)

尚子、14歳、父アメリカ人。

​弟からの手紙・母の再婚の兆し・友の妊娠・街の女の死・・・多感な少女の思春期を鮮烈に描く。

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