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そのほか そのⅦ

監獄で出来上がった人間 大杉栄伝(栗原康著 角川ソフィア文庫)2023.11

 

 栗原康は文庫版のあとがきを次のように括っている。《さて、このコロナ渦、大杉が生きていたとしたら、なにをいうだろうか。あたりまえの自我が砕け散る。なにが将来かなにが過去かもわからなくなる。栄ちゃん、オレたちもう終わったのかな。バカやろう。まだはじまっちゃいねえよ。懐かしい未来をとりもどせ。生は永久の闘いである》と。

本著は永遠のアナキスト大杉栄の人生を今現在とクロスするように栗原が仕掛けた爆弾ともいえる評伝である。文体そのものはどこか劇画的で分かりやすくリズム感もあっておもしろい。また、YOUTUBEやテレビで見かける本人の印象と一致していて嬉しくなってくる。

 

大杉栄伝を書くことが否応なく現在とクロスするとはどういうことか。人間の寿命も100才近くなってきたかもしれないが、永遠のアナキズムとはいつの時代でも種としての人間の生の根源的なあり方、すなわち道徳や認識以前の動物的行動といえばいいのか、人間という生物そのものの原形質とも特性ともいうべき行動原理を意味するのかもしれない。

かつて、今西錦司はこの地球上から人類が消えても別の種が生き残るといい、鈴木邦男は思想の体現について《捨て石》の覚悟を説いた。

大杉栄が「征服の事実」を書いたのが1913年、彼を労働運動に引き込んだ米騒動が1918年という。今日、マルクスの資本論をめぐって研究がすすめられ資本主義のいろいろな問題が指摘されてきたけれど、大杉栄はなにを問題とし誰とどう闘ったのか。

 

米騒動は、大杉が二十代のころからみずからの血となし、骨となしてきたアナキズム、サンディカリズムの理論をより鮮明なかたちにした瞬間であったという。あらゆる支配を拒むこと。徹頭徹尾、自由であろうとすること。どんなに役に立たないといわれても、ありふれた性の無償性に賭けること。国家や資本というものが、自由に覆いをかぶせるならば、無数の穴をうがつこと。若いころから身につけてきたこれらの思想が米騒動の蜂起のイメージとして結晶化したのである。(p50-51)

 

このように栗原は大杉の生きざまとその葛藤について〈蜂起の思想〉として詳細に伝えようとする。その時代、つまり征服と服従のメカニズムから奴隷化を準備する社会の状況が、まさしく戦後の欺瞞性を包摂する権力と社会のあり方を不問にする今の状況と重なっているということか。大杉栄が今こそ必要とされる所以がそこにある。

栗原はそのことを指摘しているともいえるし、それゆえに本著はこの社会に投じた爆弾と解説の白井聡はいう。政府がクソ、政治家がクソ、役人がクソ、資本家どもがクソ、そして自らその奴隷化を望むクソどもの肥溜めの中に投じた爆弾が破裂しクソまみれになってこの国の再生がはじまるとしている。表現は汚いがまことに説得力がある。

 

大杉栄が主な言論の場としたのは荒畑寒村とともに発行した『近代思想』、その後『平民新聞』『文明批評』『労働新聞』へと形を変えたがことごとく発禁処分となり投獄や弾圧をうける。だが、大杉は監獄生活を無駄にはしなかったという。

 

「続獄中記」のなかで、大杉は「僕は監獄で出来上がった人間だ」と述べているように、その多くを学習の時間につかっていた。ふだん外にいたら、仕事や活動で忙殺されて、ゆっくり本を読むひまなんてない。だから、大杉は自分のなかで一犯一語という原則をたて、監獄にはいるたびに語学をひとつみにつけて帰ってきた。語学ばかりではない。読みたいとおもっていた本をひたすら読んでいた。大杉は、監獄のなかで、ほんのすこしばかりではあったが、学生時代に味わっていたまなぶ自由を実践したのであった。(p72)

 

こうして大逆事件の最中、獄中にいた大杉は一犯一語、語学を学びあらゆる書物を読んだという。文学から生物学、社会学、人類学の知識をふり絞って、労働運動とストライキの理論化にとりくんだということになる。

 

切り殺されるか、焼き殺されるか、いずれにしても必ず身を失うべきはずの捕虜が、生命だけは助けられて苦役につかせられる。一言にして言えば、これが原始時代における奴隷の起源のもっとも重要なりものである。(大杉栄「奴隷根性論」『近代思想』一九一三年二月『全集』第二巻)(p122)

 

だが、これでは奴隷は家畜と変わらない。もっと自由でありたい。自分で、自分の生活、自分の運命を決定したい。それが人間であるということだった。大杉にとって労働運動の精神とはほかでもない労働者の自己獲得運動、自己自治的生活獲得をめざす人間運動、人格運動だった。

自分がおもったことをおもったようにやってみる。自分の力の高まりを感じとり、まわりの友人たちと歓喜の声をあげる。もはや資本家の評価なんて気にならない。労働者たちのありふれた生の表現。大杉にとって労働運動とは自主自治的生活獲得運動であったと栗原はいう。一瞬の生の無償性と歓喜にかけて自由奔放に生きる大杉栄の生きざまは見事というほかない。

 

このほかサンディカリズム研究会や平民講演会などで言論活動を精力的に行う。また、自由恋愛論をめぐっては殺傷事件までおこし多くの同志を失ったが、このあたりの経緯も栗原ならではの感覚で劇画的に叙述されていておもしろい。

関東大震災で伊藤野枝とともに惨殺されるまでの間、中国やフランスを舞台に国境を越えた活動やいろいろなエピソードを含め本著は大杉栄の魅力を満載した栗原康ならではの評伝であることはまちがいない。

 

 

等身大の人物たちの話 ささやかだけれど、役に立つこと(レイモンド・カーヴァ―著)

本著はレイモンド・カーヴァ―のいくつかの短編集の中から村上春樹の翻訳によってあらためて編纂(紹介)されたものである。たとえば、短編集『お静かにお願いします』から「ダイエット騒動」「隣人」「自転車と筋肉と煙草」、そして『カセドラル』からは「ささやかだけれど、役に立つこと」「轡」、このほか『象』『愛について語るときに我々の語ること』からもいくつかの作品が抜粋され、このようなスタイルで刊行されたことになる。
著者がアメリカ社会においてどのような生活を営みどんな暮らしをしていたか知る由もないが、彼が描く世界から全編を通じて感じとれるのは独特の文体から放たれる中流以下のいわばアメリカ社会の底辺に生きる者たちの日常的感覚そのもののようにおもわれる。また、これらの短編がきわめて的確で無駄のない言葉として短いセンテンスでつづられていることと詩的な表現にも似た趣きを感じとれることも特筆されていい。
先ずは「ダイエット騒動」「隣人」とつづくのだが、ある夫婦の他愛のない日常が描写されているにすぎない。ところがありふれた会話を通して現れてくるのはその日常の中にある絶妙な気もちの動きと心理的な働きがいいようのないリアリティを感じさせる。

表題作の「ささやかだけれど、役に立つこと」は短編集『カセドラル』の中から紹介されたものだがこの作家の作品の中でもやや異質に感じられるのはどういうことだろう。それは愛とサスペンスにあふれた圧倒的な臨場感と人間味あふれる暖かさを感じさせるからかもしれない。
誕生日をひかえた少年が交通事故にあい意識の戻らないままわが子につきそう夫婦の葛藤と緊迫したようすが時間の動きとともに過ぎていく。

「ねえスコッティ―、お母さんとお父さんよ」と彼女は言った。「ねえスコッティ―」少年は二人を見た。でもよくわかっていないようだった。それから口が開いた。目はぎゅっと思い切り閉じられた。そして肺の中のあらんかぎりの息を吐き出すようにして、彼は唸り声をあげた。それで彼はリラックスして、力が抜けたように見えた。末期の息が喉を抜けるとき、彼の唇はぽかんと開かれた。ぎゅっと嚙みしめられた歯のすきまからその息は安らかに抜け出ていった(p122)

少年は死んだ。

「ねえ、ほら、ハワード」と彼女は優しく言った。「あの子死んじゃったのよ、もう。私たちそれに慣れなくちゃならないのよ。私たち、私たちだけなのよ」(p125)

この状況下で誕生祝いにケーキを注文していたパン屋から電話がかかってくるのだが、気が動転していたためか夫婦にはそれが悪質ないたずら電話のようにおもえて互いに被害妄想に支配される。

「何を言っているんだい?」「ショッピングセンターよ。電話をかけてる相手がわかったのよ。誰だか知ってるの。パン屋よ、あん畜生がかけてるのよ。あいつにスコッティ―のバースデイ・ケーキを焼かせたのよ。そいつが電話をかけてきているのl。電話番号を知ってて、それで電話をかけてきているのよ。ケーキのことで、私たちにいやがらせしてるのよ。あのパン屋、畜生め」(p127)
「子供は死にました」と彼女は冷たい平板な声で言った。「月曜の朝に車にはねられたんです。死ぬまで私たち二人はずっと子供に付き添っていました。でももちろん、あなたにはそんなことわかりっこないわね。パン屋には何もかもがわかるってわけもないし。そうよね、パン屋さん?でもあの子は死んだの。死んだのよ、こん畜生!」それが沸きあがってきたときと同じように、その怒りは突然すうっと消えていって、何かもっと別のものに姿を変えてしまった。(略)こんなのこんなのあんまりだわ」
ハワードは妻の背中のくびれに手を置いた。そしてパン屋を見た。「恥を知れ」とハワードはパン屋に向かって言った。「恥を知れ」(p130)

パン屋は二人のためにテーブルの上をかたづけ「本当にお気の毒です」といった。そして「あたしは奥さんが電話で言われたような邪悪な人間じゃありません」といい話をつづけた。

「何か召し上がらなくちゃいけませんよ」とパン屋は言った。「よかったら、あたしが焼いた温かいロールパンを食べて下さい。ちゃんと食べて、頑張って生きていかなきゃならんのだから。こんなときには、物を食べることです。それはささやかなことですが、助けになります」と彼は言った。彼はオーヴンから出したばかりの、まだ砂糖が固まっていない温かいシナモン・ロールを出した。(p132)

二人はロールパンを食べ、コーヒーを飲んだ。それでも二人は疲れきっていて深い苦悩の中にいたが、注意深くパン屋の言葉にじっと耳を傾け肯きながらその話を聞いた。彼らは夜明けまで語り続け誰も席を立とうとは思わなかった、としている。
このほか「自転車と筋肉と煙草」「引っ越し」「メヌード」「象」など印象的でおもしろかった。

訳者の村上春樹はレイモンド・カーヴァーについて次のように言っている。「この人はとても正直に言葉を選んで文章を書いている」と。詩人だからといえばそれまでだが、訳者の想像力は言葉がもつ信ぴょう性や日常性を意識する感覚からそのように感じさせるのかもしれない。

彼はいついかなる場合にも、本当の自分の言葉しか使わなかった。自分のからだを通過した言葉しか使わなかった。ある場合にはそれはいささかぎこちない、あるいはみっともない言葉でさえあった。陳腐な言葉でさえあった。でもその言葉がそこにふさわしいと思えば、彼はためらわずにそれを使った。小説的にもっとバランスのとれたまともな言葉・表現・用語が他にあるだろうと思えるときでも、彼はそれが自分の言葉だと思えば、そのぎこちなさ・みっともなさ・陳腐さを進んで選んだ。彼の文章にはそういう誠実さがある。(p263)

本当にどの作品をとってみてもそう思えてくるから不思議だ。つまり、この文章の<誠実さ>こそいうまでもなく作家と等身大の人物たちの話であり作家の日常と地続きである、ということではないだろうか。

 

ヤキ族の世界観 気流の鳴る音(真木悠介著 ちくま学芸文庫)2023.10.18

本著はメキシコ北部に住むインディアン・ヤキ族の老人(ドン・ファン)の生きる世界を文化人類学者カルロス・カスタネダが10年間の弟子入りの経験をとおして書きあげた四部作、そのフィールド・ノートをとおしてインディオのおどろくべき明晰さと目もくらむような美しさの世界へと私たちを導いていく。いわば「近代」のあとの世界を人類学的な知識としてではなく、私たちの生き方を構想し解き放っていく機縁とする比較文化論ともいえるだろう。

私がこれから数年の間やりたいと思っていることは、〈コミューン論を問題意識とし、文化人類学・民俗学を素材とする、比較社会学〉である。私は人間の生き方を発掘したい。とりわけその生き方を充たしている感覚を発掘してみたい。(p38)

さらに、発掘といえばピラミッド等のイメージがあるけれど、たとえばマヤの残した数々のみごとなピラミッドについてそれはある種の疎外の表現ではなかったかという想念が頭をかすめるという。

幸福な部族はピラミッドなど作らなかったのではないか。テキーラの作られないときにマゲイの花は咲くように遺跡の作れないところに生の充実はあったかもしれないと思う。ピラミッドでなく、容赦のない文明の土砂のかなたに埋もれた感性や理性の次元を、発掘することができるだろうか。(p39)

このように著者は序説としてこの魅惑的な作業のはじまりを告げている。

ドン・ファンの思想(生き方)はまず、この「世界」からの超越(彼岸化)と、この超越に媒介された、「世界」への再・内在化(此岸化)という、上昇し下降する運動を内にもっている。同時にこれはべつの次元で、〈世界〉からの超越(主体化)と、この超越に媒介された〈世界〉への再・内在化(融即化)という、やはり上昇し下降する運動を内包している。二つの次元はからみあっているので、図のような四つの主題の象限をつくる。それぞれの象限のモチーフを、つぎのように名づけておこう。
Ⅰ カラスの予言―人間主義の彼岸
Ⅱ 「世界を止める」―明晰の罠からの解放
Ⅲ 「統禦された愚」―意思を意思する
Ⅳ 「心のある道」―〈意味への疎外〉からの解放(p44)

ここでは人間中心的な価値意識のすべてが相対化され、自然と共生する作法や生き方、人間存在そのものが根底から再構築される機縁として提示されている。たとえばこのようなエピソードが紹介される。

カスタネダが、ほしいものは植物の使用法についての正しい情報なのだ、と説明すると、ドン・ファンは軽蔑しきった目つきでみつめる。「わしらを囲む世界は神秘だ。人間が他のなによりも良いなんてことはないのだ。」(p48)
小さな植物にひざまずき、カラスの声に予兆をききとって畏れるドン・ファンの共感能力があれば、水俣病は起こらなかったはずだ。人間主義(ヒューマニズム)は、人間主義を超える感覚によってはじめて支えられる。(p54)

次章では《「世界を止める」―〈明晰の罠〉からの解放》として次のようにいう。

現象学的な判断停止(エポケー)、人類学的な判断停止(エポケー)、経済学的な判断停止(エポケー)に共通する構造として、〈世界を止める〉、すなわち自己の生きる世界の自明性を解体するという作用がある。このことによってはじめて、Ⅰ異世界を理解すること、Ⅱ自世界自体の存立を理解すること、Ⅲ実践的に自己の「世界」を解放し豊饒化することが可能となる。世界のあり方は「生」のあり方の対象的な対応に他ならないから、このⅢはいいかえれば自己自身の生を根柢から解放し豊饒化することに他ならない。(p93,94) 

つまり、未開社会の文化や生き方に学び〈近代〉における自己を相対化し解放する方法について考察するとき、ドン・ファンは「明晰」とは一つの盲信であるという。人間は〈統合された意味づけ、位置づけの体系への要求〉という固有の欲求につきうごかされて、この「明晰」の罠にとらえられているというわけだ。このほかにも、「目の独裁」「焦点をあわせない見方」「しないこと」など〈近代〉とは異なる世界観(生き方)がくり広げられるけれどそのロジックと明晰さに圧倒される。
ドン・ファンは到達すべき理想の人間像を「知者」というが、人間が知者となる途上には、四つの自然の敵があり第一が〈恐怖〉、第二が〈明晰〉、第三が〈力〉、第四が〈老い〉、という。

私たちは第一第ニにおいて〈明晰さの罠〉から自己解放による主体性を獲得することができると知った。だが、「世界」への再・内在化の方法を知らなければならない。そのとき「力」による自己解体の危機に拮抗する楯として「統禦された愚」によって「世界」への再・内在化を克服できるという。では〈統禦された愚〉とはどういうことか。ドン・ファンは次のようにいっている。
「意思」という語は惰性から身を解き放つ超越を示すとともに、またあるものに執着し追及してゆく内在を示す。このような意思の二つの側面、解脱と愛着の関係をコントロールする能力であるからそれ自体のうちに回帰する構造をはらむ。それは〈意思を意思する〉ということであり、自己解放と主体的な意思をそなえ自在にふるまう〈力〉ということになる、と。


こうして私たちは地平を超えて舞い上がる翼と舞い降りる翼を獲得し、意思を意思する基準すなわち世界をつくる基準(心のある道)を自在に生きることで〈老い〉を克服できるというわけだ。
而して、根をもつことと翼をもつことの根源的な欲求が求められるけれどそれは本当に可能なのか。執着としての根とそこを飛び立つ翼を手にすることで呪縛から解放されることは二律背反ではないかという問いが残るけれど、ドン・ファンはそれを一つにする道はある。それは全世界をふるさとにすることだという。それこそが本著の主題となるコミューン主義ということになるのかもしれない

マルクスのコミューン主義とは、人間による世界の獲得の仕方のこのような疎外態としての私的所有の関係の、積極的な止揚の構想に他ならなかった。(p176)

それは人間と自然のあいだの、また人間と人間のあいだの抗争の真実の解決であり、実存と本質の、自由と必然の、個と類のあいだの相剋の真の解決であり。人間の「完全な自己帰還」としてとらえられる、となっている。未開社会の文化や生き方、そのロジックと言説にはおどろくほどの明晰さと根源的で美しい世界観で貫かれていて哲学的にも圧倒される。
それゆえにというべきか本著「気流の鳴る音」は、今こそ必見の著といえるのではないだろうか。

 

 

転向を糸口にして 戦時期日本の精神史(鶴見俊輔著 岩波書店) 2023.9

 

本著はカナダの大学で学生たちにむけて行った講義内容からテープおこししたものを和訳し、さらにいまの視点であらたに注の形で書き加えたものとある。それゆえに、広範囲にわたる日本論からとりわけ戦時期における日本人のものの考え方とその精神史について考察されている。

 

私は自分に対してつぎのような問題を繰り返し問いかけます。長い人生を生きて転向を通り抜けないものがあるだろうか?この人々を転向へと導いた条件は何だろうか?彼らの転向を彼らはどのように正当化しただろうか?戦争を通り抜けた後で、転向を振り返ったときに彼らはどのように考えただろうか?これらの問題は、私たちが1931年から45年にかけての日本を研究するときに重要な問題であると私は思っています。(p28)

 

このことはおそらく著者がこの本を書くときの大切な動機となっていると思われるのだが、この転向論を軸にその事実と意味を問い直し、それが日本の精神史を貫く「文化の鎖国性」という特質と通底するという視点はきわめて斬新で特筆されていい。

本著では思想の科学研究会の共同研究「転向論の新しい地平」のほかに、本多秋五の転向文学論や吉本隆明の芸術的抵抗と挫折をふまえた転向論、さらに日本の知識人たちの思考の軌跡と精神性について広角的に国体論から大アジア論、非転向の形や日本の中の朝鮮に対する意識とその実態、また非スターリン化についても詳細にわたる転向の軌跡と思考のあり方に言及し、さらに玉砕の思想についても興味深い論考がつづけられている。

また、戦時下における日本の日常生活はどうだったかという戦争にかかわらなかった女性たちのようすや原爆投下についても多様な視点でとらえ、日本人特有の思考のあり方と行動原理について俯瞰的にとらえる著者ならではのスタンスと意思が感じとれる内容となっている。

著者は転向という言葉についてそれを日本特有の概念とし、いわば転向を糸口にして世界の精神史というものを考える模型は、いま世界に起こっていることをよりよく理解するための手段であり自らの立脚点を知るきわめて有効な手立てとなることを強調する。それは白か黒か右翼か左翼かと論ずるのではなく、多様な視点でグレーの中で揺れ動く内面の事実とその意味を考えるいわば《もう一つの転向論》ともいえる自らの立場を表明しているともいえるだろう。

 

生身の人間の行動は、ある行動をしないでそれを抑制するという状態を含めて、それはいつも揺れ動いている過程にあります。人間はどういう状態においても、揺れ動くということから自由になるものではありません。そしてこの揺れ動くという状態において、人は自分自身を何かの根本的な価値基準によって支える必要があり、その根本的な価値基準は、言葉の本来の意味において、宗教と呼ぶことができます。(p115)

 

このように共産主義者で転向を拒絶して戦争中を貫いた十数人の非転向者に対して、原理を原理としてただ機械的に確認する作業であって、いまこの時代とどのように取り組むかについての指針を与える上で有効性をもたない、とする吉本に対して非転向という状態が不動の状態ではないという事実が見落とされているとしている。ここでは日本人の宗教心を中心にして戦時下において揺れ動く思考のあり方と状況にふれ多様な理解があり得ることを示唆している。

 

日本が一個の帝国主義国家としてさかんになって、日清戦争の結果、台湾をとり、日露戦争の結果として樺太をとり、また満州や中国東北部の鉄道使用権を獲得し、さらにまたその後朝鮮を併合したという過程の中で、だんだんに、朝鮮人を軽んじるという日本人の傾向は強まっていきました。(p125)

 

さらに併合ののち、日本人は朝鮮に渡って脅迫、高利貸のほか詐欺的な様々な方法で朝鮮の土地を自分のものにしたという。土地を失った多くの朝鮮人は職を求めて日本に渡ってくるようになった。ここでは田中英光や石川啄木、柳宗悦、バーナード・リーチ、金時鐘、高史明らの作品や言動などから非転向の実例を詳しく紹介している。

非スターリン化の流れとしては日本共産党指導部の転向と非転向に言及しその事実と意味を問う。とりわけ埴谷雄高の「死霊」について埴谷の立ち位置と転向についての解析はきわめて説得力があり本著の主題とも重なっているように思える。

それにしても朝鮮や台湾の統治のあり方を考えるとき、言葉に限らず一方的に自国の文化を押しつける高圧的な振る舞いが横行していたことは否定できない。いま話題となっている福田村事件なども日本の中における朝鮮人の差別と偏見によって起きた事件の一つといえるだろう。

満州事変、上海事変、支那事変と続くきれぎれの「事変」という戦争から一九四一年の大東亜戦争にいたる“一五年戦争”という日本の戦時期をこれほどの多様な視点でとらえる試みにふれることはなかった。

軍国化した日本政府は困難を解決する努力を避け軍事力によって他国に進出する道を選んだ。それを理論によって正当化することを多くの知識人たちに任務として強要した。このとき世論は隣組制度を導入したことをきっかけとして流言と自由な思想表現が統制され画一化されたという。だが、言論弾圧や投獄にもまして有効であったのは明治以前の日本人の伝統となっていた鎖国性だったと著者は強調する。つまり、政府はこの文化の鎖国性を巧みに利用して急進派や進歩的な思想を軍国主義・超国家主義の国策宣伝に転じさせたというのだ。

また、この戦時期に続けられた抗議と抵抗においても東条政権が掘りおこすことのできない思想と感情の深い層の中にも明治以前の鎖国性を生かした実践として権藤成卿、石川三四郎らの生き方抵抗の姿を紹介し、戦時の鎖国状態の内部にさらに鎖国状態として生きのこるあり方を可能性として了解する。

ノンセクトをとなえ無謬の原理主義に対して転向の事実とその意味を問ういわば保守的な原理を明治以前の日本の伝統すなわち「文化の鎖国性」に見出そうとする著者の視点には新鮮なおどろきがあった。

 

「かたほとり」への眼差し 真昼のユウレイたち(岩瀬成子著 偕成社)2023.6.11

 

「かたほとり」という言葉があることを知ったのは、本橋成一の写真を読むとして出版された村石保の「昭和、記憶の端っこで」(かもがわ出版)という本だった。そのエッセイで村石さんは本橋作品の回帰するところとして片辺(かたほとり)への眼差しとしている。それは中心的なものとはちがい、辺境とか片隅、田舎とか周辺を意味するものらしい。

岩瀬成子の著作にふれるたびに、それこそ「かたほとり」への眼差しともいえる細部をみつめる意思と子どもの眼を通して顕在化するその作品世界におどろかされる。とりわけ、子どものゆれ動く気もちの変化を丁寧にとらえる独特の文体にはおどろくほどのリアリティと凄みすら感じることがある。それゆえに、いわゆる一般的に流布された子どものイメージとはちがう印象をもつ人はいるかもしれない。 

だが、子どもはいつも元気で明るいかといえばそうではない。本当に無邪気でくよくよしないかといえばそうでもない。そして、みんな素直にいうことを聞くかといえばそのようなことはない。つまり、岩瀬の作品では大人が育児や子育てのために用意したような子ども像ではなく、人格をもつ一人の存在としてみつめようとしているからかもしれない。

そのことがこの作家を児童文学として云々とか、子どもの読むものとしては分かりにくいとか、ぺシミックであまりためにはならない、などという印象をもたれる要因となることがあるかもしれない。だが、この状況はきわめて不可解というほかない。

これまで児童文学の定義さえ定かではないまま不毛な論議がくりかえされてきたけれど、現在をとらえる有効な手段として児童文学を考えるなら、それは当然のふるまいであり方法論といえるのではないだろうか。

吉本隆明は晩年の「芸術言語論」で次のように述べている。言葉とは「指示表出」と「自己表出」という二つの概念で成り立っている。経済的な価値説を芸術言語論的にいえば指示表出論とし、芸術表現とはむしろ言語における自己表出の究極的な表れ、すなわち「沈黙」として考えられるとした。

 「真昼のユウレイたち」はそういう意味ではこの二つの概念を合わせもつ傑出した作品といえる。それはどことなくコミカルでユーモラスな短編集となっているのだが、同時に子どもの現在とその存在を問う文学性を合わせもつものとして、子どもから大人まで幅広い読者を対象に理解される良質の児童書といえるのではないか。

ユウレイが幽霊という怖いものではなく夜中にでてくるのでもない「真昼のユウレイたち」というタイトルも洒落が効いていておもしろい。ここに登場するユウレイたちはけっしてホラーの対象ではなく、ただ人知を超えた能力をもつ存在として友だちのように子どもたちに味方する。子どもたちの悩みや問題を解決してくれるところがコミカルでユーモラスな物語を可能にし、可笑しさを生みだしているともいえる。それはこの作家が資質として当初からそういう側面をもっていることを証明したともいえるだろう。

岩瀬のデビュー作「朝はだんだん見えてくる」の中にすでにその証拠が確認されるのではないだろうか。ここでは「朝はだんだん見えてくる」に登場するフロイトという犬の存在に注目してみたいのだ。この本のユウレイたちのようにフロイトは奈々を揶揄するようにしゃべる。また、その声は奈々にだけ聞こえるのだが、この設定はウィットが効いていてとてもおもしろい。犬が話をすることだけでなくこのフロイトのようなものを軸にしておもしろい物語ができないかと、個人的にはひそかに期待していたのだが「真昼のユウレイたち」になってやっと実現したように思えて快哉を叫びたい。

ここではユウレイを介して空想と現実が混在するように子どもの感覚世界とその日常があたり前のように自然にあつかわれているのも理想的だ。この作品が今日的でシリアスな問題だけでなく子どもの現在として滑稽さと文学性を合わせもつユーモラスな短編集として成功した大きな要因ともいえるだろう。

 

波ちゃんはにこにこしている。その笑っている波ちゃんの姿が、さっきよりすこしうすくなっているように見えた。肩のあたりがぼやっと透けて、その向こうの戸棚が見えている。やっぱり幽霊なんだ。そう思った。でも、ちっとも怖い気はしなかった。(p35 海の子より)

 

このほか、パパとママのユウレイ「対決」、若い兵士のユウレイ「願い」、猫のユウレイ「舟の部屋」とつづく四つの短編がおさめられている。

ユウレイとの出会いとともによみがえる記憶と子どもをとりまく今日的な問題をクロスさせたコミカルな作品として楽しめる「真昼のユウレイたち」は、まちがいなく岩瀬成子の新しい可能性を示したといえる。

 

震えるような心の動き ひとりかもしれない(岩瀬成子著 フレーベル館)2023.5.31

 

 なんとも切ない物語である。岩瀬成子の「ひとりかもしれない」は今日的な家族、多様な家族のあり方とその状況下にある子どもの内面をみつめるこの作家ならではのまなざしで描いた小学四年生の女の子〈貝〉の物語である。

小学四年といえば年令的にもちょうど10才で、人の成長過程においてきわめて複雑な心理状態にあるといえる。岩瀬はこれまでにもこの年令の子どものゆれ動く内面的な気もちの変化を独特の文体で書いてきた。「ネムノキをきらないで」の伸夫や「ひみつの犬」の羽美と絵美と細田くん、「地図を広げて」の圭と鈴もそうだった。おもえば、10才というのは〈子ども〉を象徴する年令ということなのだろうか。

ここに登場する貝(わたし)は母と新しい父となった幸介さん三人家族で小さなアパートに住んでいる。つまり、貝の母は父と離婚したあと、幸介さんと結婚したばかりということになる。

幸介さんは新しい娘となった貝と仲良くしようと気づかいながらも三人の新しい生活をスタートしようとしている。

 

自分が幸介さんをすきなのかどうかわからなかった。すきになったほうがいいんだろうな、と考えたけど、自分の気もちがわからなかった。(p14)

 

このように現実に戸惑いながらも貝はどういうわけかパパのことが頭にうかんでくるようになり、いつか城山の展望台に行ったときのことを想いだす。

 

そのときパパは「ごめんな」と、わたしにいったのだ。望遠鏡をのぞいているわたしをぎゅっと抱きしめて、「ごめんな」と、もう一度いった。(p36)

わたしがパパのことをおもいだしているのを幸介さんもママも知らない。わたしのなかに、だれにもいえないことばかりがたまっていく。わたしはわるい子どもになったのだろうか。わたしはぎゅっと目をつむった。(p69)

 

パパへの想い、楽しかった記憶はますます貝をひとりにさせていくのだった。

また、この物語に登場する大切な友だちとして同じ保育園に通った幼なじみの高広(タカヒロ)くん、自分の気もちをはっきりと発することのできる世里ちゃんがいる。このふたりの存在が貝の戸惑いを克服する大きなきっかけとなり成長の予兆を感じさせる変化を生みだしていく。もちろんクラス内の山川くんや長谷くん大原さんや吉岡さんたちとの関係性や葛藤の結果としてそうなるのだが・・・。

 

少子化や労働環境だけでなく社会や経済的変化とともに、子どもをとりまく環境は多様な家族のあり方を生みだした。だが、その家族のひとりとして生きていく子どもの成長プロセス、世界認識と体験のあり方はさほど変わらないのではないだろうか。

子どもは絶対依存、すなわち根源的に受動的立場でこの世に〈生〉を受け成長するほかなく、所与の条件の中で生きていくしかないのだから・・・。

岩瀬は「ぼくが弟にしたこと」で次のように云っている。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と。

それにしても、子どもだけでなく〈人が成長するということ〉はどうしてこのような〈切なさ〉をともなうのだろう。

いうなれば、母の再婚によって幸介さんという新しい父との家族の日常が描かれているにすぎない。だが、岩瀬の細部へのまなざしが描く生き生きとした感覚世界は、子どもの震えるような心の動きを顕在化し、おどろくほどのリアリティと凄みを感じさせる。つまり、このことがこの作家の特徴ともいえるし児童書を文学たらしめる所以ということでもあるのだが、ここではめずらしく次のような抽象的な記述がくり返されていることに注目したい。

 

わたしは目で白いボールのようなものを追いつづけた。白いボールのようなものはどこまでものぼっていく。(p54)

ひとりになって、空を見上げた。空の高いところを白いボールのようなものはかがやきながら、まだ上へ上へとあがっていた。いまではとても小さくなっていたけど、あがりつづけているのはわかった。きっとどこまでもあがっていくんだろうな、とおもった。(p113)

 

なぜか、このフレーズはきわめて印象に残った。なにかを暗示するようなこの抽象的な記述はやわらかい感性に委ねられていてとてもGOOD!

 

複合的なイマジネーション 僕はマゼランと旅した(スチュアート・ダイベック著 柴田元幸訳 白水社)2023.4

 

シカゴに育った記憶の断片をベースにして、そこに幻想や創作を織り重ねるように書かれたいくつかの短編をつないだスタイルといえばいいのか、本著「僕はマゼランと旅した」は短編連作の形をとっていることによって通常の長編小説とはちがう複合的なイマジネーションによって呼び起こされる新鮮なおどろきがある。つまり、記憶に基づく短編のブリコラージュによってこそ成立する統合的なシカゴという街、そこに生活する者のリアルな感覚が否応なく現在を突きつけてくるところがある。それゆえに作者自身の物語として普遍的な問いとともにアメリカの自由で多様性に富んだ社会の現実そのものが透けてみえてくるように思える。

冒頭の「歌」にはじまり、個人的には「ブルーボーイ」「欄」「僕たちはしなかった」「ケ・キエレス」「ジュ・ルヴィアン」等々の作品が印象的だったのだがどういうことだろう。

また、この本を読んでいるとダイベック自身の原体験として音楽が常に身近にあったこともよくわかる。それがシカゴという街の影響なのか、それとも母の弟で朝鮮戦争から復員し精神を患ったレフティ叔父さんの影響が随所にみられることを思えば、やはり叔父さんの影響によるものが大きいとも考えられる。

 

「歳の割にずいぶん太い声だねえ」と誰かがかならず評した。曲の終わりまで来て、最後の一音を、それを拾いに暗い川の底へ飛び込むみたいに思い切り引き延ばして歌う僕に、みんなは拍手喝采し、小銭を雨あられと降らせた。時には1ドル札をくれる人もいた。「小さな紳士は何を召し上がるかな?」とみんなはレフティ叔父さんに訊いた。「何にする、大将?」とレフティは僕にメッセージを伝えた。「ルートビア」と僕が叫ぶ。よしきた、ルートビア。(p12)

 

このルートビアのエピソードが他の作品にもみられるけれど、最後の「ジュ・ルビアン」にもあって奇妙なつながりを感じさせる。

また、「ブルーボーイ」のように単独で成立するすばらしい作品もある。だが、やはり根底にはシカゴのもつダイベック自身のイメージで繋がっているように思える。

「ブルーボーイ」はラルフィーの死を背景にして書かれたものだが、シカゴ南部の移民の多い下町の生活感覚とエネルギーに満ちあふれた人びとの暮らしぶりがいくつかのエピソードとともに書かれている。たとえば、僕とミック、ラルフィーとチェスターの兄弟間のふるまい、親父のこと、戦争で負傷した人や工場その他の事故による犠牲者、世捨て人とともにある日常とお祭りなど、混沌とした下町の強かな生活の営みが生き生きと書かれている。

 

僕にしても、街へ出れば弟のミックがいじめられないよう目を光らせていたが、家に帰ると僕らの関係は、たえまないからかいとたちの悪いいたずらに貫かれていて、それが時おり殴りあいの喧嘩にまでエスカレートした。(p167)

「喧嘩だ!」と叫び声が上がると、子供たちは目を輝かせて群がってくる。特にアル中同士が取っ組みあうと、彼らのポケットから決まって小銭が飛び交ったからだ。五セント玉、十セント玉を奪いあって、僕たちのあいだで第二の喧嘩が生じる。(p170) 

ステッキ、松葉杖、車椅子を携えた彼らの姿は、パレードというより、聖地ルルド(諸病を癒すと言われる泉がある)へ向かう巡礼のように見えた。(p174)

 

ラルフィーはクリスマスイヴに死んだ。春になったら受けるはずだった初整体のためにすでに買ってあったネイビーブルーのスーツを着せられてラルフィーは埋葬された。

 

「可哀想に、整体拝領まで持たなかったんだねえ」と誰かが言った。するとたいてい誰かが、「例外を設けて、もっと早く受けさせてやればよかったのに」と応えた。「いやいや、あの子は例外とかになるのは嫌だったんだよ。そういう子だったんだ。クラスの仲間と一緒にやりたかったのさ」「うん、タフな子だった。特別扱いなんていっぺんも望まなかったし、いっぺんも弱音を吐かなかった」「そうとも。頑張っていこう、いつだってそういう気でいた。」「神様も意地が悪いよなあ、整体拝領まで持たせてくれないなんて」「おいおい!そういうこと言い出すと、きりがなくなっちまうぞ」(p176)

 

と、通夜の席では友だちみんながラルフィーを偲んでこのようにくり返した。

ラルフィーの一周忌が近づくとセントローマン校の年中行事でクリスマス作文を書くことになっているが、僕たち八年生クラスの担任シスター・ルーシーもクリスマスの意義について作文をみんなに書かせてそれをラルフィーの思い出に捧げることにした。このクリスマス作文をめぐるエピソードはきわめて印象的だ。

ここでは校内一の作文の名手カミール・エストラーダの物語をめぐって、ラルフィーの記憶のみならず真実への希求、感情と形式、さらには祈りについて言及されている。カミールと僕、二人の作文をめぐる印象的な場面がある。

 

「あなたはどうやってアリのことを思いついたの?」「わからない。虫とかそういう話読むのが好きなんだよ」と僕は言ったが、毎年夏に線路を伝ってこっそり衛生運河まで出かけて蝶をつかまえる手作りの罠を置いていることは話さなかった。「私はじめから作る気で書いたりはしないの」とカミールは、急に優等生っぽい、いつも教室で話すときの口調になって言った。「自然に湧いてくるのよ。そもそも作ることが問題じゃないわ、大事なのは感情よ」(p184)

 

だが、虫をとる体験を端緒とする感覚と表現にこそ観念的な作りものの表現には見られない真実があるのではないだろうか。さらに、親父の死とともにクリスマスツリーやバッテリーのエピソードを重ねながらそのことを強調しているように思える。

 

「いますぐカーディガンを脱ぎなさい」とシスターは言って、カミールの方に向かって通路を一歩踏み出した。カミールは小声で、スペイン語で答えた。「いま何て言ったの?」とシスターは問いつめた。ひょっとしてカミールに汚い言葉を浴びせられたのか、そういう前代未聞の可能性に行きあたって、シスターの歩みは凍りついていた。(p211)

 

ブルーボーイとは何か。ここではその言葉によって逆に失われていく現実とその乖離、つまりは観念と形式、感情と真実についての相対的な問いかけがある。つまり、カミールが浴びせた汚い言葉とシカゴの移民の多い下町の生活感覚がクロスしているように・・・。

ほかに、僕たちはしなかったというエピソードがくり返されるだけのシンプルな作品「僕たちはしなかった」というのもあるが、「ケ・キエレス」「ジュ・ルヴィアン」という作品も印象に残っている。

 

翻訳のダイナミズム 翻訳夜話(村上春樹、柴田元幸著 文芸春秋)2023.3.5

 

この本は翻訳者で東大文学部助教授の柴田元幸氏の授業に作家村上春樹氏をゲストに招いて、翻訳について学生や柴田氏の質問に応えていただいた時のやり取りを編集したものをフォーラム1(柴田教室にて)、翻訳学校の生徒たちの質問に村上氏と柴田氏が応じるかたちでディスカッションしたものをフォーラム2(翻訳学校の生徒たちと)、そして(海彦山彦)レイモンド・カーヴァ―「収集」とポール・オースター「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」をそれぞれ村上と柴田が翻訳したもの、フォーラム3(若い翻訳者たちと)は、柴田氏が個人的に信頼している若手翻訳者・研究者たちと一緒に村上春樹と柴田元幸を交えてさらに具体的な翻訳の意見交換がおこなわれたもので、全体的には四部構成の編集となっている。

若いころ「映画はだれのものか」とか「古典落語やクラシック音楽は演者のものか」と不思議に思ったことがあった。楽曲はベートーベンでも楽団や指揮者のものではないか、などと悩んだこともあった。考えてみれば、翻訳もその国の言葉やその言葉の使い手や研究者によって感覚的なちがいがあるはずだが微細なのもとして無視していいものかと考え込むのだ。同じ原本でも確かに訳者によって微妙にニュアンスはちがう。ここでも村上春樹のカーヴァーと柴田元幸のカーヴァーではかなり印象がちがってくることが分かる。古典落語の「文七元結」でも談志と志ん朝のそれはちがっているし、同じ楽曲でもバーンスタインと小澤征爾やカラヤンではやはり雰囲気も印象もちがうのではないか。

それでもこの本「翻訳夜話」を読んでいると、とにかく翻訳することが好きで文学も好きなんだ、ということは共通しているように思える。

 

村上)わからないことってあるんですよね、絶対に。柴田さんと僕で一緒に一つのテキストを読んでいて、ぜんぜん何のことかわからないときってありますよね。

柴田)グレイス・ベイリーとか。

村上)いくつかあるよね。それでもう二人でね、ずーっと何時間も考えて、ああでもないこうでもないって・・・

柴田)そんなに考えないですよ(笑)。

村上)うん、考えない。ごめんなさい、五分か十五分くらい(笑)。

柴田)まあもうちょっと長いかも(笑)。そういうのって、ネイティヴスピーカーに聞けばわかるというものでもないしね。

村上)ネイティヴスピーカーに聞いてもほとんどわからない。そういうことがすごく多いんですよね。そういうときどうするか。あのう・・・勘でやっちゃうな(笑)。というかね。ジーッと考えていると勘が研ぎ澄まされてくるし、それでやったものって意外に合っているんですよね。それからさっき、いま質問された方がおっしゃったような、一種のシンクロニシティーみたいなものはね、必ず出てくるんですよね。ジーッと考えているとね、ハッとね、何かが、ヒントが空から降りてくるっていうことがありますよね。

柴田)あります、ありますね。

村上)これはでも、ものすごく真剣に考えないと来ません。

柴田)だんだん宗教めいて来たな(笑)(p75)

 

と、まあこんな調子だから本当に好きなんだなあということが伝わってくる。村上春樹はこれまでにもいろいろなところで文章のリズムについて語っているけれど、翻訳でも原文のリズムを日本語に移し換えることを意識する、とたいへん興味深いことをいっている。

 

質問者c)自分の小説を書くときでもそれは一緒なんですか。小説でも、自分の好きな音楽をやっているということと一緒なんですか。

村上)そうですね。書くときはやはり音楽的に書きますね。だから、コンピューターになってすごく楽になった。キーボードでリズムとれるから。(p30)

 

また、「ビートとうねり」の大切さについて次のようにいう。

 

質問者k)(・・・略)村上さんの作品のなかには、すごく自分の生き方みたいなのがちゃんとあって、それによって。翻訳も含めてトーンがどこか一貫していて、全部「村上春樹の文章」というような感じがするんですが。

村上)(・・・略)やはりひとりの人間が文章を書いているわけだから、どうしても匂いのようなものはついてしまうんでしょうね。うーん、それはそうかもしれない。しかしそれは、繰り返すようだけど、決して意図的なものではないんです。(略・・・)

柴田)(・・・略)たとえば村上さんの場合、翻訳でもご自分の作品でも、「くぐもった」という言葉が出てくることが非常に多いですね。そういう表面的なレベルで、これはやっぱり村上さんの文章だなと思うことはありますけどね。

村上)そうか、なるほど。それとは逆のケースですが、自分が全く使わない言葉というのはたくさんあるんですよね。(・・・略)たとえば「鑑みて」なんて僕は使ったことないです(笑)。よく使う言葉というのはわかんないけど、使わない言葉というのはたくさんありますね。(p44)

 

(・・・略)いくら綺麗な言葉を綺麗に並べてみても、ビートとうねりがないと、文章はうまく呼吸しないから、かなり読みづらいです。それで、ビートというのは、意識すれば身につけられるんです。ただ、うねりに関して言えば、これはすごく難しいです。ビートとうねりを一緒につけられるようになれば、もうプロの文章家になれます。ただこのうねりばかりは、身体で覚えるしかないですね。いっぱい文章を書いて、身体で覚えるしかない。(p45)

 

これらのことをふまえて、村上訳の「収集」(レイモンド・カーヴァ―)と柴田訳の「集める人たち」(レーモンド・カーヴァ―)を読んでみると同じ原文でもかなり雰囲気がちがうし、それはポール・オースターの「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」でも同様にちがった印象をうける。柴田訳の「集める人たち」はすごく良かったし新鮮な気がした。

フォーラム3ではさらに具体的な例を取り上げ原文の読み解きや感覚、また解釈を含めて翻訳のダイナミズムついて具体的な意見が交わされる。とにかく、翻訳することが好きで文学も好きだということは共有されているようでおもしろい。

 

シカゴをメタファーとする独特の文体 シカゴ育ち(スチュアート・ダイベック)2023.02.22

 

スチュアート・ダイベックを読んだのはこれが最初なのだがとても印象的な作家となった。この作家の衒うことのない坦々とした記述、シカゴをメタファーとする独特の文体、本著「シカゴ育ち」はそれこそダイベック自身が育ったシカゴの記憶を辿るように書かれた14の物語による短編集となっている。

訳者の柴田元幸氏のあとがきにもあるように、1942年生まれのこの作家がシカゴのどの辺りで育ったかは定かではないにしても、おそらくは南部の東欧系移民の多い、裕福とは言いがたい下町であろう、ということはどの作品(短編)をみても共通するところである。だが、そこに詩的な広がりと奥行きを感じるのはどういうことか。これらの作品でダイベックは何を描こうとしたのかと気になってくるのだ。

ここでは強いメッセージや主張があるわけでもなく、アメリカ社会における文化や地域格差、人種問題をことさら強調しているわけでもない。やはり、この作家が育ったシカゴをメタファーとする独特の文体であればこそ、このような作品世界が実現できるということではないだろうか。それとも、ニューヨークといった中心の都市ではなく、裕福ともいえない東欧系移民の多いシカゴ南部、つまり周辺に育った者の感覚と眼差しによるものなのか。

「ファーウェル」「冬のショパン」とはじまる二つの短編は、すでに風が通り過ぎるような街・シカゴのメタファーが提示されているのだが、不思議なのは〈中心と周辺〉その差異を強調することも主張することもなく、きわめて自然な感覚として記述しているということだろう。そのまなざし(感覚)こそが奥行きと幅広い作品世界を成立させている。

 

僕はふと思った。いつかは僕もこの町を去るのだろうか?バボに会いに、はじめてファーウェルを歩いた晩のことを僕は思い出した。バボは僕が受講していたロシア文学のゼミの先生で、僕を家に招待してくれたのだ。先生に招かれるなんて、はじめての体験だった。(p11)

 

枕詞のように記されたこの冒頭の一文にすでにシカゴに育ったダイベックの生活感覚と知的水準を察することができるのだが、次の「冬のショパン」はそういう意味でもきわめて印象深い作品といえる。

日本では寅さんのように人情味あふれる生活感が思い出されるけれど、ここでもシカゴ南部の生活に同様の下町を想像させる。物語はおそらくは10歳前後と思われるマイケルのまなざしを通して描かれていく。いうなれば、マイケルと帰省したニューヨークの大学で音楽を学ぶマーシーとの出会いにはじまり、彼女と彼女の奏でるショパンのピアノ曲にあこがれる物語として、ジャ=ジャやキュービアック家族のこと、マイケルを取り巻く人たちのエピソードを織り込むように展開する。

 

マーシーのことなら何でもすべて聞きたかった。聞けば聞くほど、階段で彼女が僕にくれた笑顔が、ますます大切なものになっていった。それは僕たちを結ぶ秘密の絆のように思えた。いったんそう決めると、ミセス・キュービアックの話を聞くことも、スパイ活動のように思えてきた。僕はマーシーの味方であり、共謀者なのだ。(・・・略)空想の中で、僕は自分の忠誠を何度も何度も証明した。(p17-18)

母さんはいつも、家の中では丁寧な言葉を使いなさい、と口を酸っぱくして言っていた。誰かが「プリーズ」とか「サンキュー」を言い忘れたりすると、それは母さんの耳には、下品な言葉を聞かされたのと同じくらい不快に響いた。「『イエス』でしょ、『イエ―』じゃないのよ」と母さんは正した。(p25)

 

ダイベックはこうして育ったのだろうか?と想像するのもおもしろいのだが、物語はそこに生きる者の切実さと切なさを見事なまでに描出している。

 

やっとマーシーから手紙が来て、いままでずっとサウスサイドのシカゴ大学近辺の黒人街に住んでいたこと、息子が生まれて、テイタムキュービアックと名付けたこと―「テイタム」は有名なジャズピアニストにあやかってだ―を知らせてきたころには、もうどうでもよくなってしまった。(p46)

 

音楽が消えるには時間がかかったが残された沈黙が僕にはまだ聞こえていた、という最後の一文はさらに感動的でさえある。

ほかにも「荒廃地域」「夜鷹」「ペット・ミルク」などの魅力的な作品があり、その間にも「アウトテイクス」「失神する女」といった詩のようなショートショートを挟んだ構成も心地いい。

 

僕らがまだ幼かったころ、この戦争帰りの連中は僕らの英雄だった。インディアンやハーレーのバイクにまたがり、街角を矢のように走り抜ける彼らを学校の帰り道などに見かけると、まるで伝説上の人物を見ているような気がしたものだ。(p73)

この連中は自ら好んで名なしであることを選び、それに伴う敗北者の地位を選んだんじゃないだろうか―そんな奇妙な思いに僕は襲われたものだ。(p74)

 

朝鮮戦争とベトナム戦争の間、荒廃地域と指定されたおそらくシカゴ南部の云わば吹き溜まりのような下町に育つ若者の生きざまを描いた短編である。戦争帰りの連中と荒廃団、やや時間的なズレはあるものの殺伐とした生活感覚とそこに育つ若者たちの生き生きとしたふるまいに圧倒される。

スチュアート・ダイベックという作家、ますます期待と楽しみが膨らんでくる気がしている。つぎは「僕はマゼランと旅した」(白水社)と決めている。

詩的なひろがり 2022.12 ジャングルジム(岩瀬成子著)

この感覚、どういえばいいのか何とも不思議なおもしろさがある。本著『ジャングルジム』は5つの短編を集めたものだが、これまでの『まつりちゃん』や『となりの子ども』『くもりときどき晴レル』(いずれも理論社)といった短編集よりもさらにシンプルで短い話だ。

坦々とした時間の流れとともにくり返される日々のようすが子どもの眼をとおして描かれている起伏のない物語だけにミニマル調の静けさがある。いうなればショートショートといった小話のようでドラマチックな落ちもないのになんともいいようのない魅力を感じるのはどういうことか。

冒頭の「黄色いひらひら」では思いがけなく良太の家にやってきたおじさん(おとうさんの弟)の話だ。良太はおじさんとふたりで海へドライブに行くのだがその帰り道に公園でひとりの小さな女の子あかねちゃんにであう。そして、おじさんとあかねちゃんと良太の三人であそんだことが描かれているだけのシンプルな話だ。

つまり、おじさんは良太にとってストレンジャーといえばそうかもしれないが不思議の正体はそれだけではなさそうだ。おじさんは良太の日常にはなかった旅のおもしろさやいろいろな人との出会いとか多様な考え方があることの不思議さを感じさせる。

だが、この不思議の正体について考えてみるとこの著者ならではの文体や描写のあり方のほかにもまだ気が付かない要因がありそうな気がする。

おそらく良太やあかねちゃんの年ごろにみられる特有の感覚、つまり善悪や日常非日常といった知覚や経験のあり方が現実とは未分化なことが起因しているように思えるのだ。

表題となった「ジャングルジム」でも正義感とか意地とか勇気ともいいきれない未分化な気持ちの作用を感じさせるからかもしれない。それゆえに、前作とはやや趣のちがう詩的なひろがりを感じさせる。

だから、この不思議さをリアルタイムで生きる子どもだけでなく、10才の子どもや思春期の子ども、さらにヤングアダルトや大人たちによってその味はそれぞれちがうのかもしれない。

たいへん読みやすい短編集でもあり、そういう意味ではむしろ家族や仲間で読んでディスカッションを楽しむには恰好の読みものといえる。

個人的には「リュック」「色えんぴつ」が好みだが最後の「からあげ」も良かったなぁ。

 

二重構造と思考のからくり「日本の無思想」(加藤典洋著 平凡社)2022.12

 

 この国が明治から昭和にかけて繰り広げたあの40年戦争とは何だったのか。1945年7月、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏するほかなかった。そして、GHQ連合国軍の統治下におかれ平和条約と日米安保、日本国憲法を制定し主権国家としての国際的な立場を回復したが、実態はどうかといえば何とも釈然としない奇妙なねじれ感覚と違和感をもつのはどういうことなのか。たとえば、戦争終結にむけて日本がこだわった国体護持はどうかと考えると、アイデンティティは引き裂かれ大きな断裂と欺瞞(ごまかし)があることに否応なく気づかされることになる。

その独特のロジックと胡散臭い自己肯定観に日本古来の思考のあり方や深層にみられる構造的特性を関連づけることにいささか違和感を覚えるのは、ただ単に戦争指導者や次世代の議員らによる戦争責任を回避するための欺瞞に満ち満ちたごまかしに過ぎないとも思えるからである。つまり、対米従属を是認することで国体護持の欺瞞に目を覆い主権国家としての立場と正当性を担保できるという奇妙なロジックと了解があるからだろうか。これこそ国政とともにある国民総掛かりの欺瞞のからくり以外の何ものでもない。だが、なぜこのような欺瞞を継続できるのかと考えてみれば、そこに日本古来からの思考のあり方や行動の原理においてタテマエとホンネという対概念の二重構造を是認できる歴史や文化的な背景がありそうに思えてしまうのである。

心理学者・河合隼雄(中空構造日本の深層)によれば日本の神話や古事記、日本書紀の解析では中空構造ともいえる統合(統治)システムが機能しているという。たとえば神話の構造を男性原理と女性原理の対で考えるとどちらか一方が完全に優位にあることはなく必ずカウンターバランスされるとしている。中心に到達する構造ではなく、論理的にも統治の論理とはことなる均衡の論理で対立を避けてきたように非中心的な曖昧性(ブレ)を持たせることで安定を保つことを了解する風土があったことと無関係とも言えそうにない。だが、このような内向きのロジックが国際的な外交の舞台で本当に通用するのだろうか、責任の所在を問うこともなく問題解決が可能かというマイナス面(疑問)を克服する手段として言語による意識化が必要なことも指摘されてきた。事実、この国が直面する政治や経済、教育、福祉、社会、文化のあらゆる今日的な問題がこれに端を発していることは誰の目にも明らかではないだろうか。

また、お上に逆らうことをことさら否定し大義と権力とを抱き合わせて力を誇示する傾向が国民性としてあるということなのかもしれない。だから、予定通り上手くいっているときは良いが失敗するとひたすら泥沼にはまっていくのみならず反省することも一切ない。いわゆる大目にみることで責任追及することはひたすら不得手なのである。

著者はこのような欺瞞性を「タテマエとホンネ」という二重思考に注目することから国会審議や日常的な言葉と行動から考察し、この二重思考の欺瞞性を克服する手がかりとして日本の歴史と風土について構造的な分析と多角的な論考を企てる。

 

なぜこの「二重思考」は可能なのでしょうか。僕の答えをいえば、その「二重思考」を、何より、彼らの政党より広い、日本社会が、認めてくれているからです。日本社会の承認、了解がある。それが、この非論理が論理として現れることを、可能にしているのです。(p30)

この憲法がはっきりいうと占領軍におしつけられたもので、戦後の日本人の発意で作られたものではないこと。また、残念なことですが、武力を否定するといいながら、武力を背景に押しつけられたという矛盾をひめていること。さらに、この憲法とはいいながら、米軍の駐留と日米安保条約との一対のセットでいま存在する、半分の最高法にすぎないこと。これらのことを、僕達は隣国の住人とは違う仕方で知っています。(p31)

 

この点において著者は「了解の共同性」ともいうべき状況をふまえ、公然と公共の場で議論することでこれを公共化し克服可能なものへと昇華させること、つまり否定ではなく克服することを強調している。

また、このタテマエとホンネという概念の二重構造をもつ思考と了解のからくりについて、たとえば「表と裏」「現象と本質」などとともにこの考え方が日本の戦後の思想状況を象徴するような巧妙な自己欺瞞の思考装置であるという。さらに、この「信念捏造装置」が有効に作用している背後に日本の近代の問題を嗅ぎつけ、宗教論から「内と外」の分断、「公と私」論へと考察しながら二重構造その思考のからくりについて考察する。

 

明治政府は宗教に「内」での自由を与えるから、「外」での自由制限は認めよ、といい、その結果、「内」での信教の自由、「外」での宗教行為ではない神道への服従という「ともに真である」二本立てのあり方が日本の「創唱宗教」に生まれることになりました。日本では、その戦争下、キリスト教も仏教も、何の疑問もなく国家神道に服しましたが、それは、彼らのつもりでは、必ずしも信念をまげての屈服を意味していたのではなかったのだと思います。(略)こうして、現実への参与を伴わない「内面での信仰」ともいうべきあり方が生まれると同時に、その外側に、「宗教行為ではない習俗、儀礼」が生まれることになりました。(p104)

 

こうして、「ともに真である」という二重思考が宗教論のほかにもいろいろな側面で指摘されながら今にいたっているという。だが、それが日本固有の思考のスタイルであり生態のあり方だと了解してしまえば、言葉が意味を失い共同体は成り立たないという。また、言葉が意味を失えば国際的な外交も成立するとも思えない。

 

 

後半は近代の嘘として公的世界と私的なものについて解析を企てる。先ずハンナ・アーレントの公共性へのまなざしから私情としての個の上に公共性(国家共同体)を築くことができるか、という問題についてルソーの社会契約論やヘーゲル、マルクスの公私観、さらに福沢諭吉「瘦我慢の説」にふれ公共性の母体は実は私情であるとし同時代の西欧の公私論を抜けでる新しい公私論として幕末から明治維新の公私に言及していて面白い。

著者はまずマルクスの「ユダヤ人問題によせて」を取り上げ次のようにいう。

 

ヘーゲルの観念性を克服するにあたり、ここにいう私利私欲すなわち私情を否定してはならない、そうすればすべてが観念先行の頭でっかちの世界像になってしまう、と考えています。(p211)

マルクスは、私利私欲を、公共性の立場から否定するのでも、また逆の場所から肯定するのでもなく、両者が対立する磁場に立ち、これを公共性へと、止揚するべきだというのです。このマルクスの論理で、これまで述べてきたあの公共性を私利私欲の上に築き上げる課題が、最もつきつめられた形で、答えられていると思います。(p221)

 

このように公共性と私性というものをもう一度考えなおすことから、最終章では戦後の問題をふりかえり、「戦後日本の思想風土を蘇生させるのに何が必要か」と問いかける。つまり、タテマエとホンネというようなあり方ではなく、この根底にある欺瞞性をはっきりさせ、この日本の社会に公共的なあり方を再び作り出すこと、言葉が力をもつ空間を回復することとしてさらに構造的な解析をする。

たとえば、ヨーロッパの二元論的構成は二つの異質な原理の対立という側面が強いのに対して、構造的にみて日本のそれは同質な相対的体位関係を本質としているとしてその由来について鶴見俊輔・折口信夫の古代芸能論に言及している。

 

鶴見俊輔は、その起源を、この極東の列島の住民が、古来、圧倒的に優勢な優位文化の周辺に位置し、その力にさらされながら自己形成しなければならなかった事実に見ています、鶴見によれば、この列島に住民は長い間、「世界のより進んでいる、より普遍的な文化から、遠く隔てられているという意識」を抱き続けてきました。それが、日本人の無意識に植えつけられた劣等感の本体でもあれば、外なるものへの好奇心と学習能力の発動力でもありました。(p260)

 

また、日本の二重構造性ともいうべき原型として日本の芸能や大道芸について言及し、近現代の漫才すなわちボケとツッコミのスタイルを古代芸能の翁と奴、能のシテとワキ、狂言の主人と太郎冠者にみられる一対構造論(太夫才蔵論)に注目する。

 

折口によれば、つい数十年前まで、正月ともなれば日本の各地の民家の門先に現れた門付け芸の太夫・才蔵をはじめ、田楽、神楽などの能でいうシテとワキの一対は、このいわば文化的優位者としての外来の神と、劣位者としての田舎の神の、圧服と和睦のないまぜになった「からみ」を原型としていました。(p260-261)

 

ここでは相対的で優劣二者の関係が入れ替わり可能な劇の面白さについて言及し、“べしみ”の顔に優者への相対的な劣性と、見えない圧倒的な優者(中国、インド、ヨーロッパ)に対する絶対的な劣性が重層的に表現されているとして、日本の二重構造性の同質性、相対性の底にあるのは、あの敗戦時の全面降伏にも似た、完全脱帽の経験なのではないかと強調する。さらに、劣位の土着文化にも地方にも言葉はあるし口答えできる用意がないということではないとして、“べしみ”(沈黙しじま、もどく)論から思想へとそのロジックを昇華させている。

最後に、どうすればタテマエとホンネという考え方を克服できるかとして戦後の思想風土の更新のあり方を次のように提言する。この憲法が日本人の発意によるものではなく「おしつけられ」たものであろうがなかろうが事実を回避することなく、外来の言葉と論理の意味するところをわがものとして捉え返すことでより深く更新できる、と。また、全面降伏の事実を回避することなく、そこを、ものごとを考える出発点にすることとしている。

 

思いがけず新境地 ひみつの犬(岩崎書店) 2022.10.17

 

ふーむ、これは大きなスケールの児童書が出たものだ。

岩瀬成子の「ひみつの犬」は児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語となっている。

それは、定型化されたファンタジーや冒険スタイルでもなく、子どもの日常的な現実世界そのものであり世界認識と体験のあり方を描いたものでおどろく程のリアリティを感じさせる。  

岩瀬はこれまでにも現実に戸惑いながらもゆれ動く子どもの内面的な気もちの変化を独特の文体で書いてきた。とりわけ、学校や社会、家族や地域(基地の街)における今日的な問題とともに子どもの現在を浮きぼりにする作品を手がけてきたといっていい。

だが、本著では「いい人間になりたい」「いい人とはどういうことなのか」と問いかける。そして「友だちのためにすることがいいこととはかぎらないのでは」と、子どもならではの直線的なまなざしで懸命に考察し、試行錯誤を繰返しながら少しずつ気もちが変化していくようすが丁寧に描かれていく。そして、最終コーナーになってから物語は思いがけない展開をみせていくのだ。

 

物語は羽美という小学五年生の女の子を軸に展開する。羽美は中学のお姉ちゃん絵美と図書館員の父、シシリーというレストランでパート従業員として働く母の一般的な四人家族で庭野マンションに住んでいる。そのマンションに越してきた細田くんという同じ小学校に通う四年生の男の子とふとしたことから知りあいになる。

細田くんは義祖母のユミさんと母とトミオという大型犬の三人暮らしだったが、ユミさんが実は犬嫌いということがわかり犬を連れてお母さんと一緒に越してきたのだった。だが、その庭野マンションでは犬を飼うことは禁じられていた。つまり、ひみつの犬とは見つからないように部屋で飼っているトミオのことなのだ。細田くんはお母さんと犬と一緒に住める家を探しているが見つかるまで引き取ってくれる人をさがしていた。

というわけで、羽美は細田くんと一緒にトミオを飼ってくれる人をさがすことになるのだが、物語はその途中で火炎ビンの話しやゴミの放置、空き巣、ビラ配りなど不審な出来事をめぐって、おまわりさんや同じ地域のいろいろな人たちに遭遇していく。

いつしか、羽美は細田くんの悩みから不審な出来事を解決することに夢中になり犯人さがしをするようになっていくのだった。そして細田くんからこのようにいわれる。

 

「犬はね、一緒に暮らしている人間が考えていることがわかるの。ぼくが疲れていると、そばに来て心配してくれるし、ぼくが急いで何かしようとすると、トミオもそわそわしちゃうんだ。散歩に行く時間だって知ってる。お母さんがぼくを叱ると、トミオはお母さんとぼくのあいだに入って喧嘩を止めようとするんだ。トミオの行くところが決まらなくてぼくたちが困っていることも、トミオにはちゃんとわかってる。自分のせいで人間たちが困っているってそう思ってる。自分はここにいちゃいけないって思ってるんだ。悲しんいる。ぼくもトミオとずっと一緒にいたいけど、それができないから、そのことだけを考えたいの。ぼくはトミオがかわいそうだ。チラシのこととか生ゴミのこととか、そんなことはどうでもいい。」細田くんの目にうっすら涙が浮かんだ。(p177-178)

 

訴えかけるようなこの細田くんの言葉は羽美の気もちをゆり動かすように突き刺さってくる。

 

わたしはいままで細田くんを振りまわしていたんだろうか。細田くんにとっては、椿マンションに投げ込まれたというウイスキーの瓶や生ゴミや悪口を書いた手紙のことなんて、どうでもよかったのかもしれない。いままで、いやいやわたしに付き合っていたのかも知れなかった。(p179)

 

一方、お姉ちゃんの絵美も小学校からの友だちだった村重さんのことで悩みをもっていた。村重さんはお母さんと二人で暮らしていたがお母さんの手術後の体調のこともあって家事を村重さんがすることになっていたため絵美は彼女のためにそれを手伝っていたのだ。だが、いつの間にか絵美からその話題はきえていた。

羽美と姉の絵美、買いもの帰りに立ち寄った宝ヶ池の公園で話す二人のたいへん印象的な場面がある。

 

「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)

 

「わたし、お姉ちゃんて、すごく親切だなあって思ってたよ。いろいろ親切にしてあげてたじゃん」「そういうのが不愉快になる人もいるよ」「だけど村重さん、ほんとにそんな質問で怒ったの」「それはね、わかんない。もしかしたら、わたしが親切ぶっていることがいやだったのかもしれない。親切にするって、親切にしてあげてるほうはいい気もちになれるけど、ずっと親切にされるのって苦しいかもしれないから。かすみちゃん、ほんとはわたしのことが、ずっと前からうっとうしかったのかもしれないんだよね」(p240)

 

おもえば、イノセントな子どものまなざしは物ごとの本質をズバリと突いてくることがよくある。哲学的な命題をストレートに突きつけてくるのだ。そして、映画「ミツバチのささやき」のアナや「泥の河」のノブちゃん、「右の心臓」のよう子のように世界を一瞬にして理解するあの眼をもっている。

なんの因果かそれとも偶然というべきか物語は終盤にさしかかって思いがけないことが起きてくる。

 

だが、羽美や絵美の経験したことは哲学的で本質的な問いを残してはいないだろうか。つまり、人のためにすることがうらを返せば「偽善」や「おしつけ」や「支配」という我執にとりつかれた行いにもなる、という利他と利己のパラドックスの関係にあるということなのだ。絵美はいみじくも次のようにいっている。「いいことをしようと思わないでいいことをしちゃう人はいるよ」と。

いうなれば、打算や効率を考えないで情動的(とっさ)に行う行為、すなわち人間の業ともいえるものが子どもにもあるということではないか。いや、子どもにはあるというべきかもしれない。

まさしく《仏教の他力本願》のように自力をこえて偶然にやってくる他力によって我執からはなれ、本願が報われることと重なってくる気がしてならないのだ。

 

読了してふり返ってみれば、みごとな構成だけでなくリアリティあふれる筆力に圧倒されるけれど、はじめから綿密に計算された構想とも思えない。ここではいろいろな偶然が重なっているようにみえるのだが、岩瀬は思いがけず新境地を開いたということなのかもしれない。

ヒラノトシユキさんの装画挿画もこの物語にとてもフィットしていてビジュアル的にもたいへん美しい。

 

 

 

利他と偶然 思いがけず利他(中島岳志著 ミシマ社) 22.10.12

 

「思いがけず利他」というこの本のタイトルがいいですね。洒落がきいていておもしろいと思います。どうしてかといえば「利他」自体が思いがけずやってくるということだからです。

著者はコロナ危機によって「利他」への関心が高まっているという。しかしながら利他的行為にはうさん臭さがつきまとうとも云っています。偽善、負債、支配、利己性などなど、利他的になることはそう簡単ではないと前置きしています。ということで、利他の扉が開かれていきます。

まず最初に古典落語「文七元結」にはじまり立川談志の落語論から「人間の業とは何か」という話になります。本著はこのように「利他」にまつわるいろいろなエピソードを紹介し、中島先生ならではの分かりやすい理路と丁寧な解説でナビゲートしてくれるたいへん親しみやすい著述となっています。

個人的なことで恐縮ですが最近になって「利他とは何か」(集英社新書)「料理と利他」(ミシマ社)「一汁一菜でよいという提案」(新潮文庫)などを読みながら、義母の法要で親鸞の他力本願の説話を伺ったことと、思いがけず「河井寛治郎と島根の民藝」という展覧会にも遭遇することがありました。その際、説話も民藝もまさしく利他的なあり方ではないかと思いながらこの本に接することになりました。

著者はヒンディー語の与格構文について次のように云っています。

 

「主格」と「与格」の使い分けは、どのようにしてなされているのでしょうか。文法書では、自分の意志や力が及ばない現象については、「与格」を使って表現すと書いてあります。この説明を読んで、「なるほど」と思いました。要は自分の行為や感情が、不可抗力によって作動する場合、ヒンディー語では「与格」を使うのです。(p61)

 

では、言葉はどこからやってくるのかと考えるとこのようになります。

 

私が言葉を所有しているのではない。言葉は私の能力ではない。私は言葉の器である。言葉は私に宿り、また次の世代に宿る。私がいなくなっても、言葉は器を変えて継承されていく。そんなふうに捉えられているのです。(p65)

 

このことはとても印象的で分かりやすく感覚的にも納得できます。これはまさしく驚くべき指摘だと思います。たとえば人間の業について考えるとき、ヒンドゥー教では業(カルマ)とは輪廻という考え方に結びつき「報い」として受けとられ因果論や決定論、宿命論として説かれるのに対して仏教では悪いことしたからと云って「報い」を受けることはないといいます。

 

仏教では「アートマン」の存在を否定します。むしろ、存在しない「真の我」に固執することで「我執」が生まれ、苦しみが増幅されると言われます。絶対に変わることのない我という幻想から解放され「無我」を認識すること。これが大切だと説かれます。(p30)

 

このことから著者は自力の限界を見つめた僧侶である親鸞の教え「悪人正機」へと導入し、他力(阿弥陀物の力)の現われを説明します。このようにいろいろなエピソードを紹介しながら自力を超えた他力の働きについて「器としての私―志村ふくみの染色」「土井善晴の料理論」「民藝の与格」などのエピソードを紹介しながら理路整然と解説してくれるのです。

また、利他と利己のパラドクスについても注意する必要性を指摘しています。

利己と利他はじつは《メビウスの輪》のようにつながっていて、たとえば社会貢献活動など他者に対していいことをしているようでもそれが利己的な打算や下心に動機づけられている場合や押しつけられた利他もあると云って利他と利己の微妙な関係性に言及します。たとえば「利他が支配に変わるとき」として、モースの《贈与論》を引用しながら分かりやすく解説しています。

さらに四章では「偶然と運命」について考察、ここでは哲学者九鬼周造の「偶然性の問題」をとりあげ、偶然と必然の違いについて丁寧な読み解きをしています。つまり、二つの概念における時制の違いについて言及し、さらに必然の物語から運命へと変化することを論理づけています。

 

偶然の縁が必然の因果に転嫁するとき『運命」が現れ、人は救済される。そこに働いている力が「仏の本願」である。九鬼の結論は、「文七元結」の構造と重なります。長兵衛はなぜ利他の循環を生みだすことができたのか。それは偶然通りかかった吾妻橋で、「身が動いた」からです。身を投げようとする青年を目の当たりにして、思わず駆け寄って抱き寄せた。そのとっさの行動が文七に受け取られ、利他を起動させることになったのです。(p172)

 

著者はおわりに利他について次のように定義しています。

 

利他は自己を超えた力の働きによって動き出す。利他はオートマティカルなもの。利他はやって来るもの。利他は受け手によって起動する。そして、利他の根底には偶然の問題がある。(p174)

 

若いころ、実存主義やシュールレアリスムに影響をうけ、主体と客体における身体性の問題を形而上学的に考察してきた一人として利他は身近な概念として親しみがあります。また、そのこと(利他)は情報化社会の新たなステージとしてあるSNSやバーチャル空間における身体性の欠如という状況に一石を投じる大きな問いを発しているのではないか、ぼくはそう思っています。

 

 

 

臨場感あふれる書物 ノモンハンの夏(半藤一利著 文春文庫)2022.10.3

この本を読みおえてしばらくの間、無言のまま何も考えることができなかった。時代背景をふまえてみれば、日本はすでに軍国主義体制へと突き進んでいたとはいえ、どうしても「何故!」という怒りと畏怖の感情と疑念の思いが込みあげてくる。

そして、あらためて辻政信という人物像について考える。どうしてあのような軍人が存在しノモンハン事件から太平洋戦争へと作戦参謀としての任務を遂行できたのか、と不可解さと怒りの入り交じった感情をおさえることができなかった。

調べてみると辻政信は石川県出身で陸軍士官学校を経て陸軍大学校を卒業したのち、満州事変で石原莞爾と出会い多大な影響を受けることになったとある。

いつだったか大津島の回天(人間魚雷)の基地を訪ねたときにもいいようのない惨すぎる作戦に言葉を失ったけれど、この本を読んでいくうちにも想像を超えた非人道的で無責任きわまりない作戦行動とそれを独断的に決行する陸軍参謀辻政信という軍人がいたことに愕然とする。

半藤さんはこの桁外れの「絶対悪」について次のように本著あとがきに書き記している。

 

およそ何のために戦ったのかわからないノモンハン事件は、これらの非人間的な悪の巨人たちの政治的な都合によって拡大し、敵味方にわかれ多くの人びとが死に、あっさりと収束した。(p458)

 

司馬遼太郎氏でさえ躊躇せざるを得なかったノモンハン事件ではあるけれど、これがこの本を執筆する半藤さんの抜き差しならない動機と思われる。

 

この事件を考えるとき、日本陸軍にはこの国境での愚行がそもそも侵略であると認識する感覚さえ失われていたこと、またソ連軍の実力(質と量)と地形的な状況判断等々においてもまったくの無知と錯誤、あるいは根拠のない無謀で杜撰な作戦によって大敗した事実をふまえておく必要がありそうだ。

ここでは軍を統帥する組織的な体系を確認し参謀本部から歩兵部隊までの作戦計画と指示連絡系統に機能不全があったことに注目したい。日本はすでに傀儡国家として満州国を樹立し関東軍による統治を実行支配していた。隣国はロシアと中国ということになり国境をめぐる緊張は常態化していた。また、中国軍の徹底抗戦にも戦況は手詰まりの状況にあり絶えずソ連の南進を脅威に感じていた。

ノモンハン事件は昭和14年(1939年)五月から九月にかけて満州西北部の国境で起きた戦争で、日本が国境線と考えるハルハ河を渡ってノモンハン付近に進出した外蒙軍との衝突から、日ソ両軍の戦闘に拡大し、日本が壊滅的な打撃を受けた事件である。

 

何故、当時の国家体制について確認しておかなければならないかといえば、この事件が今では信じられないほどの軍部の独断でおこなわれた侵略であり、そのうえ戦略的にみても錯誤に満ち満ちた無謀な作戦行動で惨い敗戦をしているからである。

大統帥はいうまでもなく天皇でその統帥大権を補佐する官衙として陸軍参謀本部と軍令部(海軍)がある。主な任務は毎年の国防および用兵の計画を策定すること、参謀の職にある陸軍将校の統括と教育などで、問題はその統帥権が独立していたということである。とりわけ参謀本部の第二課は花形で、すべての作戦計画はここで立案される。天皇の勅許をえて大元帥命令(法勅命令)として発信され下達される。

満州国の関東軍はいうまでもなく日本陸軍の軍事機関の統帥下にありこの参謀本部から派遣され組織されていることになる。

一方、一般的な国務の統治として元老、重臣、内大臣、宮内大臣、枢密院をおき、国府として内閣、帝国議会、裁判所という体制となっていた。冒頭、半藤さんは次のように記している。

 

昭和十年代の大日本帝国のそこ(日本陸軍参謀本部)は、建物こそ古びていたが、まさしく国策決定の中枢であった。三宅坂をのぼりきった素葉面に太い門柱が立ち、「大本営陸軍部」の標識があたりを圧してかけられている。(略)いまこの地に立ってみると、おかしなことに気づかされる。ここは左手の皇居と右手の国会議事堂や首相官邸の、ちょうど中間にある。国政の府が直接に天皇と結びつかないように、監視するか妨害するかのごとく、参謀本部は聳立していたことになる。(p11)

 

このことはノモンハン事件のみならず天皇と陸海軍を直結させ『統帥権の独立』を保障し、 参謀本部・海軍軍令部 が内閣や議会の関与を許さずに行動できることを考慮して配されていることを指摘している。

筆者はここに半藤さんが「絶対悪」とする作戦参謀の辻政信や事件の関東軍作戦主任の服部中佐という軍人たちが存在した根拠をみつけたいのだ。つまり、天皇、参謀本部(三宅坂のエリート将校)、関東軍作戦担当、国民と国府の関係性あり方にすでに軍部の暴走を生みだす要因があったのではないか、と。

この事件は根拠のない身勝手な思い込みで相手国の軍事力を低く見誤り、皇国日本陸軍が負けるわけがないとか「中国一撃論」とか補給も考えず、起きてほしくないものは起きないとする無謀な作戦行動の結果そのものである。その結果、大敗をしてもそこから学ぶこともなく責任の所在もうやむやにする無責任な態度があった。

モンハン事件はその後の太平洋戦争へと直結していくのだが、この国家体制そのものに「統帥権の独立」という問題があり、国府や財界との意思の疎通を生みだし、軍部の暴走と無謀な戦争の悲劇を招いた要因があったと考えられないだろうか。また、このことは日本人の深層構造として指摘された「均衡の論理」や「母性原理」に起因することのようにも思えるのだ。つまり、天皇中心の国家体制を称えながら一方に陸海軍を並立し、さらに「統帥権の独立」という仕組みを基盤としている。とりわけ「統帥権の独立」は文民を無視できるこの体制の最大の欠陥と思われる。それゆえに戦争責任の所在も原発事故の責任も不明瞭のままで誰も責任をとることはない。この構造は今も変わることはなく同じように思えてならないのだ。

 

この本は半藤さんの綿密な調査と執筆の動機となった「絶対悪」への気持ちを込めた臨場感あふれる書物として語り継がれなければならない。ノモンハン事件から学ぶことは何か。この事件こそ日本人の陥りやすい欠点を浮き彫りにした今にいたる歴史そのものである、といえるのではないだろうか。

 

 

二つの思想の融合体 「昭和、記憶の端っこで」(村石保著 かもがわ出版)2022.9.26

マルセ太郎の「映画の語り芸」を見たときオリジナルで圧倒的なその芸風におどろいたことがあった。

本編は「信州発」産直泥つきマガジンと銘打った雑誌「たぁくらたぁ」の15号~59号に「写真・本橋成一、文・村石保」で連載されたものを元に、村石さんの手によってあらためて編纂され書き下ろされたものとある。

いうなれば、本橋成一さんの映像写真を紹介し、その作品についてさらに編集者の眼差しで本橋イズムを読み解くエッセイ集ということになる。だが、不思議なことに映像写真と文章のもつ効果は絶大で、本著「昭和、記憶の端っこで」はまったく新しい表現様式による新鮮なイメージを喚起させる傑作といえるだろう。

冒頭、渡辺一枝(作家)さんはこの本について、互いに深く響きあう写真家と編集者との、或いはその写真と文章の「相聞歌」として称えている。

 

本橋成一さんの写真の美しさにはどれも驚嘆するばかりでそれは本当に見事なのだが、著者は本橋作品が回帰するところとして「片辺(かたほとり)への眼差し」という視点に注目し次のように記述している。

 

『炭鉱(ヤマ)』以後における本橋の主たる仕事は、例外なく片辺(かたほとり)への眼差しによって成り立っている。「かたほとり」とは、文字通り、地方であり、田舎であり、片隅であり、周辺である。本橋は、かたほとりに宿ったいのちのありようを、そこに目撃したのである。

写真と映画を問わず、本橋成一が映像として表出させた上野駅も魚河岸も、首都東京のかたほとりであり、沖縄は、列島ニッポンのかたほとりにほかならない。(p140-141)

本橋の映像は、日本人特有の湿潤な情緒によって流されることがない。愚直にして真摯なまでに対象によりそいつつも、一定の距離を侵す事ことのない、ある種の乾いた叙情性とでもいうべき、映像がそれを証明している。(p141)

 

まさしくおどろくべき指摘である。このことは本橋さんに学んだ纐纈あや監督作品「祝の島」にも「ある精肉店のはなし」にも共通の眼差しとして感じとれるものだった。

 

村石保さんと同時代に生きた戦後生まれの筆者としてはどうしてもあの頃の昭和の記憶、復興期の文化状況や生活の営みそのものへの郷愁がこみあげてくるようで何故かうれしくなるのだ。宮本常一の数々の著作にふれたときもそうなのだが、この時代への関心は特別なものなのかとさえ思うことがある。

昭和レトロとか郷愁といった懐古的な気もちではなく、手づくり感とかアナログ感覚などでもない複雑な気もちが入り交じった謂わば“濃密な人と人の関係性や生活の営みの現われ”ともいうべき不思議な感覚といえるものかもしれない。

ここでは、怪しげなテント小屋を覗く3人のうしろ姿をとらえた写真「少年探偵団 参上」について添えられた次の文章に注目してみたい。

 

覗きとは何か?古今東西を問わず、覗きは世界文学共通の動機であり主題である(p118)。

 

サーカスの小屋掛けや夏の少年たちの定番であった半ズボンとランニングシャツ姿という昭和的な風景はともかくとして、著者はつづける。

 

おしなべて小説がそうであるように、覗き小説とは、読者に覗きの疑似体験をさせてくれる装置に他ならないのである。(p116)

小説家は覗きのオーソリティである。少年もまた然り、人はみな覗き覗かれているのである。それを証明するかのように、覗いているつもりの少年探偵団のうしろに快人二十面相のごとき、手馴れの写真家がファインダー越しに覗いている絵図は、これこそ人生曼荼羅のベストショットではないだろうか(p116)。

 

このように編集者の言葉と「少年探偵団 参上」と題された本橋さんの写真が見事にコラボレーションしているのだ。

児童文学作家岩瀬成子の「たくさんのふしぎ かくれんぼ」(福音館書店)も植田正治の写真にテキストを添えた写真絵本のようなもだったと記憶しているのだが、最近になってどういうわけかこのように元になるテキストを独自の視点で読み解き創作されたいくつかの著作に遭遇した。町田康の「ギケイキ」、高樹のぶ子の「小説伊勢物語業平」、伊藤比呂美の「読み解き般若心経」などがそうだった。いうなればそれも人生曼荼羅といえるものかも知れないがいずれも優れた作品と記憶している。

著者は本橋成一の映像には文体があるという。おそらくはその眼差しこそがまちがいなく思想といえるものであり、それに対峙するように発せられる村石さんの文章にも文体があり思想がクロスしていると思える。

つまり、本著「昭和、記憶の端っこで」は二つの思想の融合体としてきわめて画期的な出版物といえるのではないだろうか。

 

 

 

詩と語りの融合体 いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経(伊藤比呂美著 朝日新聞出版) 2022.8.23

 

 

介護や身のうえ話を織り込みながら仏教の経典(お経)を相手に詩人特有の感覚的ふる舞いで、その読み解きをするユニークな著作『読み解き「般若心経」』が刊行されたのが十二年前。

その後も米国カリフォルニアの地で数多くの仏典に接しながらその読み解きを重ね経典にかかわる多くの著作を刊行してきた著者は、カリフォルニアと熊本を行き来しながら夫と熊本に暮らす母と父の介護と死にたちあってきた。本著「いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経」もその大半をカリフォルニアで書いたという。

著者は「空」というエッセイで次のように述べている。

 

数年間仏典ばかり読んでいた。今じゃいっぱしの仏教通である。人にときどき聞かれる。影響を受けたかとか、役に立っているかとか。答えは、うーむ、たぶんイエスである。

そもそもお経でいちばん惹かれたところは、それが語りだという点だ。詩人のわたしが詩を書く上で、ずっと追いかけてきた詩と語りの融合体、能も説教節もその中に入るのだが、そういうものを作りたいとずっと考えてきたのだが、お経というのもまったくその一つだと思い至った。(p027)

 

その意味でも本著はエッセイや経典の現代語訳だけでなく、その語りをCD化したものが付されていて繰り返し音声で楽しむことができる。著者の朗読(語り)もすばらしい。

 

「法華経」「般若心経」「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」等々、大乗仏教の経典を読んでみると、ストーリーがたいへんイキイキとして、新し考えを持つボサツが古い考えの修行者と対立したり、もの知らずの弟子がおシャカさまに問いかけたりしている。とても演劇的で、声で語られたらさぞおもしろいだろうなと思うのもそのはず、その昔、インドの、埃っぽい、野良犬の徘徊する辻々で、修行者たちが、語って歩いたそうです。つまり、それもまた語りもの。(p161)

 

日本の「平家物語」や「曾我物語」や「説教節」など同じようなものではないか、としているのもたいへん興味深い。だが、イキイキとしたストーリーで、演劇的で、楽しいはずなのに、ぱっとわかるというわけにはいかない。それをこのように詩として読み解き現代語に訳していただくと経典にも楽しく接することができるという画期的な読みものなのだ。仏教界にもこうしたアプローチがあっていいようにも思う。

本著では多くのエッセイも挿入されていて興味深い。ここでは『読み解き「般若心経」』から11年、ひとりカリフォルニアの地で多くの仏典に接し、日常の風景と自然の巡り合わせを意識しながら、経典とその経験が重なるような発見として記述されている。それゆえに著者がこれらのエッセイについて“わたしなりの「発心集」”かもしれない、というのも肯ける。

 

ここで「般若心経」「法華経」に出てくる人たちの関係性について整理すると、ボサツとは修行者、みんなと一緒に浄土に行こうと覚悟した人びと。しゃーりぷとらはボサツ集団(弟子たち)の長老で、ブッダのおしえを忠実に聞き取りながら修行してきた人。話し手はおシャカさま、聞き手はしゃーりぷとら。仏とブッダは「目覚めた人」となる。

「阿弥陀経 浄土とはこんなところです」は感動的です。でも、分からないのは真実のあかしの長い舌をベロンとだす、というフレーズだ。あれはひょっとして、ガンジス川の砂の数などと同じく、これもやや誇張した表現なのだろうか。 

それはともかく、こうなると確かにこれは詩であるし、お経が身近に感じられるたいへん楽しい本であることはまちがいない。

 

 

ふしぎなみち きつねみちは、天のみち(あまんきみこ作 松成真理子絵 童心社)2022 6

 

 

なんともふしぎなお話しです。

一緒にあそぼうとして、ともこがしんくんの家にいくとそこにはだれもいませんでした。ひき返しているとにわか雨がふりだしてきますが、雨のかからないふしぎなみち(天のみち)をとおってきつねたちがすべり台を学校まで運んでいるところに出合います。

「きつねみち」「どっこい!」「てんのみち」「やんこら!」「がんばれ」「それな」、とみんなでかけごえをかけてすべり台を運んでいるのです。ともこもさそわれるように一緒にきつね小学校までそれを運ぶというふしぎな体験をします。

 

(“きつねたちの天のみち”って本当にあったのかなぁ・・・。)

 

子ども特有の原初的な感覚としかいいようのないこのふしぎなできごとは空想とも現実ともいえそうな時空をこえた経験のあり方とその可能性を感じさせます。

でも、子どものころをふりかえってみれば、このようになんとなく時空が未分化でふしぎな経験をした記憶がどこかにのこっている人はいるのではないでしょうか。

このことはすばらしい童話の可能性をたのしませてくれる子ども特有の感覚といえましょう。

この童話をよんで子どもたちと一緒に絵を描いたのですが、シャガールもびっくりするような楽しい絵になりました。

この絵本はそのおもしろさをみごとに形にできた良質の一冊といえるのではないでしょうか?

 

 

 

軍国化への流れ 昭和史1926-1945(半藤一利著 平凡社)2022.5

 

 

若いころ「逆美術史のすすめ」(中原佑介著)という美術時評のようなものを読んだことがあった。現代アートから逆に美術史を遡るように過去へとその変遷を辿っていくユニークなものだった。学校教育での歴史の勉強も近現代史から過去へと遡ってはどうかと予てから考えていた。

とりわけ、この国の姿を決定づけた昭和史が抜け落ちていることに多いに不満があったし残念でならなかった。史実としてまだ確定できないという理由もあるかと考えられるけれどそれこそが必要とされる学問ではないかとさえ思っていた。やっぱり半藤さんのご指摘のとおりここは自分で研究し学んでいくしかないということなのだろうか。

本著の動機もそういう求めに応じるように少人数ながらも寺子屋のような昭和史講座を氏にお願いし、いうなれば《語り下ろし》となる音声をもとに活字化したものとある。それゆえに、本著は半藤さんの膨大な知見と感覚に込められた説話が軸となっていて、学術書のように索引とか注釈はほとんどなく平易なことばでたいへん読みやすい画期的な昭和史となっている。

半藤さんは冒頭このように云っています。

 

こうやって国づくりを見ていくと、つくったのも四十年、滅ぼしたのも四十年、再び一所懸命つくりなおして四十年、そしてまた滅ぼす方へ向かってすでに十何年過ぎたのかな、という感じがしないでもありません。いずれにしろ、私がこれから話そうという昭和前半の時代は、その滅びの四十年の真っただ中に入るわけです。(p15)

 

ここでは昭和史における第二次世界大戦終決までの流れを15章に分けて解説され、第1章「昭和は《陰謀》と《魔法の杖》で開幕した」のまえに、張作霖爆殺と統帥権干犯について説かれる。つまり、それ以前の日清・日露戦争、当時の世界情勢とりわけロシアと清国の状況(統治権争い)をふまえ、昭和の根底には《赤い夕陽の満州》があったとしてその利権とロシアの南進を恐れる戦略をめぐる画策が渦を巻いていたことを指摘している。

確かにそうだ、昭和史について考えるとき軍国化していく契機と意思決定の流れをふまえておくことはきわめて重要なことなのだ。

 

巻末に示された年譜をみれば、昭和3年(1928年)には張作霖爆殺と石原莞爾の関東軍赴任で計画された満蒙計画が提案され、昭和4年(1929年)に世界大恐慌による世界的不況、昭和6年(1931年)に満州事変、昭和7年(1932年)に満州国建国と五・一五事件、昭和8年(1933年)に国際連盟脱退と二・二六事件と大きな出来事が次々とおきる。この僅か4年の間に日本は満州を統治下におさめ戦略的準備を整え、軍国化の道を進むことが決定されたことになる。

この辺の経緯と流れについては、半藤さんならではの感覚と説得力のある語り下ろしが見事でこの本の画期的なところである。このことは統帥権をもつ軍部の暴走と陰謀による策略だけでなくマスコミによる煽動と熱狂的な国民の支持にあったというほかない。

だが、世界恐慌と干ばつや不況による国民生活は困窮し世界情勢も不安が渦巻いていて、日本は常にロシアの南進を恐れる状況にあった。また、近代の国家総力戦に備えて軍の刷新を求めながらも統制派と皇道派に分かれ主導権を争う混乱を招いていた。

 

天皇機関説、国体明徴の政府声明以来、日本の言論はものすごく狭められました。自由はどんどん失われていきます、この先、日本は万世一系の天皇が統治し給うところの神国である。という大基本ができあがり、そこから逸脱する言論などはたちまち罰せられるようになりました。心ある人は皆、口を閉ざすようになりました。(p143)

 

やがて、二・二六事件へと動いていくのだが、第五章では日本の軍国主義(戦争体制)への流れを決定づけるこのクーデター(昭和維新)とその結末、さらに岡田内閣から広田弘毅内閣の発足により軍国主義体制と言論弾圧による憂鬱な時代をむかえることになった。

と、先ずはここまで(昭和8年、つまり西暦1933年)を昭和史の一区切りとしておきたい、ぼくはそう思う。つまり、帝政ロシアに勝利して<近代日本>が完成した結果、日本は何を得たか、どういう背景と経緯をもって天皇を中心とした国体と軍国主義体制が確立したかという流れを理解しておくことがその後の四十年が分かりやすくなるということなのだ。

 

第二次世界大戦でもう一つ問題となるのは徹底抗戦といえどもどこまでの犠牲を強いて戦うのかということ。すなわち戦争終結の判断ということなのだが、とりわけ1941年の日米開戦からの戦況悪化は受け入れがたい状況ではなかったか、と誰もが疑問をもつのではないだろうか。半藤さんは「こぼればなしノモンハン事件から学ぶもの」として最終章で、昭和14年(1939年)に起きたこの事件をふりかえり日本の四十年戦争(第二次世界大戦)について次のように総括している。

1、「起きると困るようなことは起きないということにする」といった非常識な意識。2、失敗を率直に認めず、その失敗から何も学ばないという態度。3、日本陸軍(皇軍)は不敗であるという認識(根拠なき自己過信)。4、情報というものを軽視し、非常に「驕慢な無知」に支配されていたこと。5、兵站の無視。要するに補給を一切考えない。精神力をもって近代兵器で身を固めた相手と立ち会うことの無謀さなどを指摘している。

 

戦前の昭和史というのは、このノモンハン事件によって象徴されるような、日本人の陥りやすい欠点を如実に示している記録です。(略)昭和史から学ぶことによって、これまでくどくど挙げた過去の日本人の特性ともいえることを知り、教訓とすべきではないでしょうか。(p136)

 

と括っている。いま現在、プーチン政権によるロシアのウクライナ軍事侵攻の只中にあり、「二度と戦争は・・・」と云いながら戦争はくり返されてきた。

半藤さんの画期的な語り下ろしとなる本著「昭和史1926-1945」を手に取って読み、戦争の愚かさ平和の尊さを知ることの意味は大きいのではないか。

 

 

死生観と無常観 読み解き般若心経(伊藤比呂美著 朝日文庫)2022.5

本書は詩人による仏説(お経)の解釈とそのプロセスを描いたエッセイのようでもあり、解説本ともお経の現代語訳ともいえるスタイルで書かれた現代小説ともいえる。換言すれば、この作家ならではの文体が自然なふる舞いとして露出するかたちで著述されたためになる教養本といえる。だが、これは詩であると考えればまさしくその通りだともおもう。

町田康の「ギケイキ」、高樹のぶ子の「小説伊勢物語業平」といった著作を想起させるところだが、ここでは相手がお経で両親の介護にあたる著者としてエッセイ的要素がユニークで詩的なリズムを感じさせるように描かれていておもしろいのだ。つまり、寝たきりの母や寝たきりの孤独な父、娘のことや自身の生活スタイルと日常を織りこみながら「般若心経」や「白骨の御文章」「観音経」「無常偈」などいくつかの仏説の解釈とりわけその言葉に反応するかのように展開される。そのことが伊藤比呂美という詩人ならではの稀有な作品を成立させたということかもしれない。著者は身の上をこのように書いている。

 

今のあたしの状況は、他人が見たら、親を捨てたという状況。少なくとも年配の日本人で、そう思わない人はいないだろう。あたしはひとりっ子で、親が年老いているのに、その親からわざわざ離れて、アメリカくんだりまで子どもを連れて移住してきて、いらぬ苦労をして、子どもにもいらぬ苦労させて、根まで生やし、今は、日本人というより日系人として生きている。(略)親は老いて、身寄りがない。あたしが太平洋を頻繁に行ったり来たりしているが、万事臨むようにはいかないのである。(p22)

親が年取るのは明白であった。若返ることは絶対にないのであった。日本の文化では一人っ子の娘が、親を見ることになっているのだということを知っていたけど、骨身に沁みてなかった。日本から飛び出したら帰れないというのを見通せなかった。むかし聞いた落語で、どこかの放蕩者が、おてんとうさまと米の飯はついてまわるんだといって飛び出した。いつの世にも、どこにも、いたのである、馬鹿が。(p23)

 

このような身の上話からいわゆる「懺悔文」のお経の読み解きからはじまるのだが、表題となった「般若心経」はアメリカに住むカノコという娘とのやりとりが絶妙でおもしろい。

 

観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。

これはね、観音さまのfirst personで話していったほうがいいと思うの。さいしょは「観音さまがmeditationしてるときはんにゃはらみたを見つけました」ってことでしょ。(なんか他の言い方ないの?「観音さま」じゃいろんなものがくっついてきちゃって。Avalokitesvara。いろんなものを、見ることのできる、修行中のボサッ。でもかんのんのほうがかわいい。いいじゃん、かんのんで。でね、かんのんが、こういってるの。(p38)

 

と、何となくリズミカルで調子がいい。

 

照見五蘊皆空。度一切苦厄。

「あたしの知る現実は、いつつのごーおんでできていることがわかりました。そのごーおんは、すべて空だということもわかりました」って。(・・・略)

舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。

こーおんの、いちばんさいしょは、色ってかいて「シキ」ね。で、シキっていうのは、もののカタチ。カタチっていっちゃったら、visualだけになっちゃうけど、それは、もののpresentation。シキは、あたしがそれを見ようと見まいといつもそこにあるものなの。シキは、ものそのものが持っているものなの。あたしがいてもいなくてもあるものなの。かんけいないの、あたしは。(p40)

 

娘カノコとのこんなやり取り(プロセス)を含みながら読み解かれていくのだが、著者の新訳「般若心経」はこのようになっている。

 

自由自在に 世界を 観ながら 人々とともに 歩んでいこう 道をもとめていこうとする かんのんが 深い ちえに よって ものを みつめる 修行の なかで ある 考えに たどりついた。 わたしが いる。 もろもろの ものが ある。 それを 感じ それを みとめ それについて 考え そして みきわめることで わたしたちは わたしたちなので ある。 しかし それは みな 「ない」のだと はっきり わかって 一切の 苦しみや わざわいから 抜け出ることが できた。 ききなさい しゃーりーぷとら。 「ある」は「ない」に ことならない。 「ない」は「ある」に ことならない。 「ある」と 思っているものは じつは「ない」のである。 「ない」と 思えば それは「ある」に つながるのである。 「感じとる」。 「みとめる」。 「考える」。 「みきわめる」。 どれも また そのとおり。 ききなさい しゃーりーぷとら。・・・(p59-60)

 

このように解き明かされ最後はみなさんご存知の通りの「羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅荘羯諦。菩堤薩婆訶。般若心経。」となっている。

 

ほんとうだ。 うそいつわりでは けっして ない。 だから。 おしえよう このちえの まじないを。 さあ おしえて あげよう こういうのだ。 ぎゃーてい。 ぎゃーてい。 はーらー ぎゃーてい。 はらそう ぎゃーてい。 ぼーじー そわか。 般若心経でした。(p66)

 

いうなれば、介護や身の上話を織り込みながら仏説(お経)を相手に自身の感覚的ふる舞いで、その読み解きをするユニークな著作なのである。だから、詩とも散文ともエッセイとも現代語訳ともいえる不思議なおもしろさがある。蓮如の「白骨の御文章」や一遍の「生ぜしもひとりなり、死するもひとりなり」にしても、お経相手に持ち前のたくましい想像力と感性で死生観と無常観をさぐる手引きとしてもありがたい本なのだ。

詩人がこれらのお経のことばに反応するとき、このような詩が生まれるということかもしれないが、エッセイを含む文体そのものが詩とみるとさらにおもしろい。また、そのように読むべきご本ではないかと感動する。おわりに「無常偈」を引用しているのも見事である。

 

諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽

常なるものは何もありません 生きて滅びるさだめであります 生きぬいて 滅びはて 生きるも滅ぶもないところに わたくしはおちつきます(p216-217)

 

 

滑稽さと恐ろしさが混在 アメリカン・スクール(小島信夫著)2022.2

 

 

何といえばいいのかこの不思議な感覚、いうなれば戦中戦後の混乱のなかで背負った内面的な闇が滑稽なドタバタ劇に透けてみえてくるような恐ろしさがある。

冒頭の「汽車の中」から「燕京大学部隊」「小銃」とはじまる短編集なのだが、表題作の「アメリカン・スクール」は戦後教育における英語教師たちのドタバタ劇のような滑稽さの中に卑屈な内面の葛藤が滲み出すように描かれている。このことは「星」や「微笑」にも共通しているともいえるだろう。

おもえば、私たちは不本意ながらも否応なく危機的な場面に遭遇したとき思いがけない振る舞いをすることがある。また、切羽詰まった過酷な状況の中でとっさに起きる行動にこそ内面の闇とも傷ともいえる意識の底にある不可解なものが本質的なものとして現れてくるのかもしれない、などと不思議な気がしてくるのだ。

「小銃」は小島信夫の文壇的デビュー作とあるけれど、それはまさしく衝撃的な作品といえる。

 

この前床をふくという操作は、どんなに私の気持ちをあたためたか知れない。一つ一つ創歴のあるというこの古びた創口を私はそれで数えたてることが出来た。たとえば、右手の腰のここのところの鈍いまるい創、それから少しあがったところの手術のあとのようなくびれた不毛の創口、右手の銃把に近いところに切れた仏の眼のような創、中でも、どうしたものか黒子のようにぽっつりふくれた、かげのところのボツ。(p125)

銃把をにぎりしめると、私の存在がたしかめられた。そこから生命が私の方へ流れてくるように思われた。銃把は女がみごもる前の腰をおもいおこさせた。私はかなしみをこめてその細い三八銃の腰をにぎりしめた。いたいいたい慎ちゃんやめて、むりよ。私にはそういう声がきこえるようだった。私はあたえることの出来なかった臂力を小銃にむけた。私はかなりの臂力があり、銃把をにぎりしめ地面からまっすぐ垂直にまであげ、しばらくそのままの位置にとどめることも楽にできた。

小銃は私の女になった。それも年上の女。しみこんだ創、ふくらんだ銃床、まさに年上の女、知らぬ男の手垢がついて光る小銃。

私はこの、イ62377という番号の小銃を交換することをいやがった。(p126)

なんと《持仏》にも似たこの小銃との関係。また、年上の女の性と重ねられるように生々しいまでのエロチックな表現はいかにも独特と云っていい。いうなれば、ここでは現実的なモノと非現実的な想いが奇妙に折り重なるように描かれているのだ。それゆえに、否応なく不条理ともいえる超越的で不確かな闇のような内面性が滲みだしているように思われる。

たしかにそうだ。年上の女との関係性の中に感覚されるのは、ほかの作品「星」や「馬」に登場する主人公にも共通する<依存>につながっている。ここに登場する主人公は何かに依存しているのだ。孤立や孤独を恐れるようにどことなく自信のない気配さえする。ここに戦時における特有の体験からくる感覚を軽々しくリンクさせることは出来ないかもしれないが、本著に編纂されたどの作品にも内面的な傷跡を感じさせるのはどういうことだろう。

表題となった「アメリカン・スクール」にも「微笑」にも共通してみられる不可解な言動が闇とも傷ともいえる屈折した心理作用として滲みだしている。だが、表面化するのは滑稽なまでにアンバランスな振る舞いでしかない。

夢かうつつか幻かはたまた勝手な妄想なのか、「馬」ではさらに何ともいえない突き抜けた感じがあっておもしろい。それというのも妻トキ子との関係性において卑屈な心情による<依存>に端を発しているのだが、そのことが思いがけない物語の展開を生みだすのだ。

僕は義理がたい男なので、もう十数年のあいだ、この貴重にして悲しむべき言質を一旦取られてしまったために、(残念なのは、思い出して見るに、トキ子が直接僕に愛の告白をしたことは一度もない。彼女は映画に誘ったり、ケーキをご馳走してくれたり、淋しそうにしていた僕に接吻を許したりはしたけれども)以来、僕はトキ子に云いたいことがいっぱいあるにもかかわらず、いつもトキ子の方が僕に云い分があると思っているのだ。(p287)

この奇妙な物語の結末は妻トキ子の「愛の告白」をきくことで一件落着となるのだが、偶然とも必然ともいえる結果までの動機の変容のあり方に引き込まれてしまうのだ。

冒頭の「汽車の中」「燕京大学部隊」も悲劇と喜劇が紙一重のきわどさの中で描かれているようで滑稽さと恐ろしさが混在しているようでもある。

 

 

壮大な物語〈理性とは何か〉世界の合言葉は森(ル・グイン著、ハヤカワ文庫)2022.1

 

 

15年も前になるけれど《キッズパワープロジェクト》という講演会や絵本の原画展、段ボール小屋の読書会、詩の朗読、パフォーマンスや遊び術といった複合的な企画を考えていた頃、ル・グインの「ゲド戦記」を読んで驚嘆した。どういうわけか、それ以来この作家の作品に接することはなかったのだが、思いがけないことで本著のことを知ることができ、あらためてル・グインの他の著作に接する機会をもつことができた。

「ゲド戦記」、とりわけアチュアンの地下迷宮を舞台とした第二巻「壊れた腕輪」が個人的にはとても印象的だったのだが、何といってもこの作家の壮大なスケールとその構想力に圧倒されたことを覚えている。

本著でもいえることかもしれないが、架空の地図、架空の都市、架空の惑星を舞台として科学的知見を軸に構想された物語の壮大さに圧倒されるのだ。まさしくSF界の女王と云われる所以がそこにあるのかもしれない。

だが、物語そのものはきわめて現実的であり、それこそぼくたちが直面している環境問題やジェンダー論、フェミニズムといった現代社会の切実な問題を浮き彫りにするリアリズムそのものといえるのではないだろうか。

高名な文化人類学者の両親をもったことがこの作家の科学的知見と人類学的世界観に基づく壮大な物語の創造を可能にしたことと無関係とはいえないだろう。そのことは表題作となる「世界の合言葉は森」とともに「アオサギの眼」でもいえることだが、これらの中編2作を比べるまでもなくこの作家の壮大なロマンと構築的なスケール感にいいようのない深い感動を覚えるのだ。このように複雑な現代社会の様相をSFというスタイルで構造的にしかも理知的に描く冷静なまなざしはル・グイン文学に通底するものではないだろうか。

著者がポスト・フェミニズムの旗手といわれどのように意識してきたか、個人的にはまだそこまで読み解くに至っていない。ヒューゴー賞受賞となる本編「世界の合言葉は森」のセルバ―とデイビッドソン大尉、「アオサギの眼」のラズ・マリーナとファルコという父娘の設定が確認できるけれど、フェミニズムの視点でこのような対立概念の複雑さに踏み込んだ感じはあまりしない。だが、いずれにしても植民惑星ニュー・タヒチのアスシー人と地球人、惑星ヴィクトリア・シティーにおけるシティーとシャンティー、支配する者とされる者、制度的な問題を含めこの複雑な構造を描くことの欲求はこの作家の文学に特筆される重要なファクターともいえそうだ。

 

ここでは地球人の侵入と原住民アスシー人の対立が緻密な設定とともに神話的に描かれている。また、夢見衆と現実をつなぐシャーマンのようなセルバ―、デイビッドソン、リュボフらを配しながら異種への理解と固定した観念の差異、壁となる利害と葛藤を孕んだ興味深い物語となっている。

一方の「アオサギの眼」は地球から流刑として送られる惑星ヴィクトリアが舞台だ。ここには二つの人間のコロニーが存在している。だがここでも統治をめぐるシティーとシャンティーの対立軸が描かれているのだが物語は複雑な問題を孕みながら思わぬ展開をみせていく。ラズは父ファルコに問いかけこのように詰め寄る。

 

「初代の人たちはみな罪人だったって言っていたわ。地球の政府はヴィクトリアを牢獄のかわりに使ったんだって。ところがシャンティーの人たちは、平和とか何とかを信じたために送られた。だけど、わたしたちはみな殺人犯だった。だから最初は女性がとても少なかったんですって。馬鹿げた話しだと思ったわ。植民地なのに女性をたくさん送りこまないなんて。だけど、なぜ船が帰りのことを考えて作られなかったのか、これで納得がいきます。地球の人たちが訪ねて来ない理由も。わたしたちは追い出されたによ。そうでしょう?ヴィクトリア・コロニーって呼んでいるけれど、じつはここは牢獄なのよ」(p201)

 

重要なメタファーとしてこのヴィクトリア・シティーに生息するアオサギという生きものとリング・ツリーという木の話しが印象的だ。だが、ヴィクトリアのアオサギは実はアオサギではなく、鳥ですらない。この地に流されてきた人たちは、新世界のものを言い表すのに古い世界の言葉をあてるほかなかった。

けだし、ぼくたちはまったくの未開の地、未開の惑星に生息する生きものに遭遇したとき、それを先住民すなわち人間として受け入れることができるだろうか。言葉も通じないアスシー人やETといった異種に遭遇したとき猿やゴリラのような動物とはみないだろうか。

異種との遭遇、この作品では確かにフェミニズムや差別といえる二元的な対立構造が描かれているけれど、それを克服する人類の〈理性とは何か〉ということが大きな主題となっているのではないか、そのような問いが残されている気がしてくるのだが・・・。

 

 

脚光の果ての哀しみ 雪の練習生(多和田葉子著 新潮文庫)2021.12.2

 

ときどき朝日新聞でドイツ在住ならではの著者の記事を楽しみにしていたくらいで、はじめて手にした多和田さんの本だった。

なんとも不思議な小説である。形式的にみれば短編連作のようでもあり、三章で構成された長編小説ということもできそうだ。物語は三代にわたるホッキョクグマの自伝ということになっているのだが、そのことがこの不思議な感覚を思わせるのだろうか。なるほど、登場人物なる主人公がホッキョクグマでありそれを自伝として書くという特殊な設定であることを思えばその通りかもしれない。だが、そのことが直接的な要因とはならないところにこの作品をおもしろさがある。つまり、この独特の感覚はまさしくこの作家ならではの筆力と文体の現れではないか、とぼくはそう考えている。冒頭の「祖母の退化論」では次のようなこの作品全体をイメージさせる興味深い行がある。

 

ものを書くというのは不気味なもので、こうして自分が書いた文章をじっと睨んでいると、頭の中がぐらぐらして、自分がどこにいるのか分からなくなってくる。(p11)

 

この不思議な感覚こそ書き手として経験される〈書くこと〉の意味であり創作であることを示唆しているのではないか。物語はサーカスの花形として舞台に立つホッキョクグマが膝を痛めて第一線を退き、事務職をしながら作家として自伝を書くというシュールな設定になっている。だが、決してありふれたファンタジーなどというのではなく人間社会の複雑な葛藤を浮き彫りにするようなシリアスな問題とユーモラスな感覚が入り交じった不思議な世界なのだ。

 

いろいろ考えているうちに、昔の知り合いでいまは文芸誌の編集長になっているオットセイのことを思い出した。私の舞台人生がまだ花盛りだった頃、オットセイはわたしのファンで、大きな花束を持って何度も楽屋に押しかけてきた。(p27)

わたしたちが性交するにはあまりにも不似合いな身体を持っていることは、初めから感じていた。何しろ彼は濡れてつるつるした体質で、わたしは乾いてごわごわしている。(p27-28)

 

このようにサーカスの過去をふり返りながら作家としての葛藤を人間社会の単なる風刺ではなく、ホッキョクグマが書くシュールな感覚と文体が独特の世界を成立させているのだ。それゆえにある意味での客観性と非現実的な感覚世界の自在な表現が可能ともいえる。つまり、視点を変えるだけでも世界の様相が違って見えてくるようにホッキョクグマのまなざしで描く世界は感覚的にも現実との差異(ズレ)を生じ奇妙なリアリティを感じさせるのだ。

ここでは図式的な空想の世界が措定されるのではなく、クマの自伝それ自体が作家の現在と錯綜するように不思議な作用をもちながら現実空間として描かれている。おそらく、この奇妙なリアリティとはそのことに起因していると云っていい。

 

ヴォルフガングは溜息をついて、椅子に腰を下ろした。「右翼団体が外国人を襲う話は聞いたことがあるだろう。でもナチスに一番よく襲われるのは黒人でもトルコ人でもない。ロシア帰りのドイツ人だよ。彼らは祖先はドイツ人だけれど、ロシア文化の中で育っている。自分と似ているけれど違う者がいるというのが、右翼にとっては一番怖いことなんだ。」(p86)

 

モスクワを中心にサーカスの興行はつづくのだが唐突にも作家は過ごしやすい環境を求めた。その後、言葉やコミュニケーションのリスクを負いながらも過ごしやすいカナダへと移住し結婚して娘のトスカを出産するがふたたび東ドイツへ移住。トスカはバレリーナになって舞台に立ちやがて可愛らしい息子を生む。作家にとって初孫となるその子にクヌートと名付け、次なる物語の展開を示すように「祖母の退化論」が終わる。

物語は急展開の様相をみせるが自伝として描かれていることとホッキョクグマの感覚が交じり合っていることをおもえばこれも不自然とは云えないのだ。それこそ第二章への布石とも前置きとも云えるのではないか。

 

第二章「死の接吻」ではサーカスで伝説の芸を成し遂げた娘のトスカの物語となっている。だが、わたしという一人称で描くストーリーは奇妙で複雑な様相を含みながら、事実にもとづく戦争やシリアスな社会問題をふまえ夢とも妄想とも現実(うつつ)ともいえる奇妙でリアルな物語となっている。

 

わたしは緊張していた。ウルズラが角砂糖をさっと自分の舌に乗せるのが見えた。やっぱりわたしたちは同じ夢を見ていたのだ。わたしは一度前足を下ろして位置をなおしてウルズラの正面に立ち、腰をかがめて首を伸ばし、彼女の口の中にある角砂糖を舌で絡め取った。観客からどよめきが起こった。(p199)

 

この「死の接吻」は大いに評判となり東西ドイツのほかにもアメリカや日本など、世界各地で大興業を成功させる。

 

ウルズラの中では六十年代に初めて接吻した熊とわたしが重なってしまっているようだ。無理もない。どちらも名前はトスカ。しかも1986年にやはりカナダで生まれてドイツ統一直前にベルリンに来たわたしは、あのトスカの生まれ変わりなのだから。(p202)

 

ここへきてこの奇妙なリアリティのからくりが解けたように思うのだが、そのこと自体もはや読み手にとってどうでもよくなっている。その後もウルズラとわたしの接吻はつづくのだが、1999年にサーカスユニオンは解体されウルズラはサーカス界を追われることになりこの世を去る。

わたしは動物園へと売られるがそこでラルスと恋仲になりクヌートきょうだいを出産するのだ。双子の弟は虚弱体質ですぐに死んでしまったが、クヌートは地球環境を守るために世界的に活躍する立派な活動家に成長し次章の物語へとつながる。

 

でもそれは彼の物語であって、わたしは資本主義保護区に棲息するホモサピエンスのように息子の物語を自分の手柄にするつもりはない。(p206)

 

奇妙なリアリティ、脚光の果ての哀しみがここにある。

 

 

 

持続可能な和食のかたち 「一汁一菜でよいという提案」(土井善晴著 グラフィック社)2021.11.23

 

 いちばん大切なのは、

一生懸命、生活すること。

一生懸命したことは、いちばん純粋なことであり、

純粋であることは、もっとも美しく、尊いことです。(p1) 

この本の冒頭にはこのような言葉が付されていています。ここには著者のやさしさと励まし、そして願いともいえる気持が込められているような気がします。

本著は七つの視点から日本の料理とりわけ古くから受け継がれ、おばあちゃんたちが大切にしてきた家庭料理に焦点をあて、この国の食文化の歴史と思想を「一汁一菜でよいという提言」で説くユニークなエッセイであり哲学的な入門書ともいえる内容となっています。著者はテレビでもお馴染みの料理研究家で人気の土井善晴先生。

ぼくたちが直面する現代社会の諸問題、とりわけコロナ禍における家庭内での食事のあり方、考え方を一汁一菜で克服するその可能性と根拠について分かりやすく解説されています。

一汁一菜とはどういうことかというと、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)のことでその原点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型のことです。 

人間は食事によって生き、自然や社会、他の人々とつながってきたのです。食事はすべてのはじまり。生きることと料理することはセットです。(p9) 

このあたたかい励ましとも受けとれる提案にはこのような著者の思想(考え)が背景となっています。つまり、料理を自然や社会や人とつながる大切な手立てとして提案されているのです。

もう一つ重要なこととしてハレ(祝い事など特別な日)とケ(日常)を設定することで日々の生活にメリハリのあるリズムを考えることの大切さを説いています。だから、無理をしてまでハレの食事をつくる必要はなく、あくまでも基本は一汁一菜で余裕のあるときにもう一品、と工夫すればよいと考えるのです。これは本当に眼からウロコです。

 

子どもたちと遊んでいて子どもの情操について考えることがありますが、家庭料理における「作る人と食べる人の関係」について著者は次のように云っています。 

一回の食事には、普段意識しているしていないに関わらず、現実と情緒という大量の情報がやり取りされています。これが毎日複数回、繰り返されて、食べる人に経験として蓄積されていきます。この情緒のやり取りが子どもの情操を育てます。そして、情緒のやり取りからデータとして身体の中に蓄積したものによって、物事を判断する基準を持つことになります。自分の中で揺らぐことのない、変化しない「定数」が生まれるのです。経験がなければこの定数は持つことができません。

(・・・略)食事の体験を以てアイデンティティを作り、人を幸せにする力を持つのです。それは自ら幸せになる力です。(p96) 

このように一汁一菜のすすめを説くにあたって、著者はその根拠となる日本人のモノの見方や考え方、自然に対する関係性や作法に言及しながら分かりやすく説明されています。

そして、励ましとも願いともいえるあたたかいまなざしで〈持続可能な和食のかたち〉を継承するこの提案を説いています。 

和食の一汁一菜を食事のスタイルとして、家庭料理を作って下さい。汁飯香なら、作れます。きれいに整えて慎ましく暮らせば、心身は敏感になって、勝つ、穏やかになります。余裕のある日には、季節のおかずを、作って下さい。料理する幸せがわかるでしょう。食べる人の笑顔が見られます。ときには、お客さんを招いて下さい。おいしい肴を用意して、器を選んで、盛りつけて下さい。互いにもてなし、楽しむ場を、作って下さい。そうすることが和の食文化を守り、子どもたちに伝え残すことになると思います。(p170-171) 

結びに代えて著者は「きれいに生きる日本人」として次のように云っています。 

おいしい料理ができるのは技術ではないと思っています。調理経験が長いからおいしいものが作れるということでもありません。普通の人が作るものに、特別おいしいものもあるのです。高価なお料理よりも、何もしないのにおいしい料理がある。お金の価値では表せないほど、きれいなものがあるのです。日本には、大自然と人間のあいだに断絶する壁がありません。だから、大昔の縄文の人の心と同じものが残っているのです。大昔も今もこの孤島には、自然と人間は平衡しています。ゆえに古いもの、中くらいのもの、新しいものも一緒にして、今に生かせるのです。料理することは生きることです。大昔も今も、料理することで、大自然に直接触れているのだと信じるのです。(p187) 

出版順序からすれば逆になってしまいましたが、『料理と利他』(ミシマ社)につづけて本著を読んだ後、思いがけず『河井寛治郎と島根の民藝』(石見美術館)という展覧会まで鑑賞する機会にめぐまれことは料理研究家土井善晴先生の思想の一端にふれる大きな契機となった気がします。本著はテレビでおなじみの軽妙なおしゃべりと合わせて拝読すれば楽しさも百倍。手にとってどうぞお読みください。

 

 

 

 

一汁一菜のすすめ 「利他と料理」(中島岳志、土井善晴著 ミシマ社)2021.10

 

この本は料理研究家の土井善晴さんと政治学者の中島岳志さんがミシマ社で開催した二回のオンラインイベントを記録したもので、1回目を〈料理から考えるコロナ時代の生き方〉、2回目を〈自然に沿う料理〉とし、それぞれ質疑応答を含めて編集してあります。

いうなれば、土井さんの料理論に対して中島さんがコロナ禍において重要なキーワードとする〈利他〉のまなざしで読み解く奥深い哲学書ともいえましょう。おもえば、これほど分かりやすく軽妙なかけあい漫才のような哲学書にはめったにお目にかかれるものではありませんが、この本はそれほど奥深い本のように思えてきます。

つまり、料理すること自体が自然と人の関係を考える切実なおこないと考えれば、それはきわめて当たり前のことであり人はそのように生きてきた歴史と文化があったはずで、普段はなかなかそのことに気づかなかっただけかもしれません。

この本を読んでいると、料理をすることと生きることが一体化しているようで、実際に料理してみたくなってくるから不思議です。コロナ禍であればなおさらのこと仕事としてではなく、料理するという方法で今まで知らなかった自然を知りたくなってくるという感じです。

家庭料理において土井さんは無自覚にハードルを上げるのではなく、『一汁一菜でよいという提案』をすすめていますがその奥深い思想にはとてつもない広がりがありそうです。それを中島さんが〈利他〉の切り口で分かりやすく学問的に解析しているところが絶妙です。

 

ヨーロッパで西洋料理を学んだ土井さんがこのような家庭料理の極意にたどり着いたきっかけを河井寛治郎の焼き物との出会いにあったと言っています。思想家柳宗悦や河井寛治郎、濱田庄司らがとなえた民芸運動に大きなヒントがあったということです。このことはまさしく利他の理念を具体的に体現する理想的な思想ではないか。つまり、人知を超えた現れ、すなわち用のものとして使われることで成立する民藝の焼き物にこそ美芸に優越する本質的な美しさがあるということなのだ。土井さんはここに日本の食文化を考えるヒントを得たのかもしれません。

 

お二人のオンライン対話(掛け合い)を紹介しましょう。

中島 柳宗悦は、『南無阿弥陀仏』という本も書いています。いわゆる浄土教、日本でいうと浄土宗とか浄土真宗とか、柳宗悦の場合は一編の時宗に強く惹かれているのですが、ここには、自力と他力という考え方があります。彼らがなぜ民藝というものに価値を見出したのかというと、芸術家というのものは美しいものをつくろうという強い自力やはからいをもってなにかを制作していると。(p26)

土井 そうなんです。実は日本料理というものも、たとえばここにお料理をぽんと置きますでしょ。お料理を置いたら、盛り付けが終わったら、そこに人間が残ったらいけないんです。人間は消えてなくならないといけない。はからいを作為と考えると、作為というつくり手の自我が残っていたら、気持ち悪くて食べられないとおもいませんか?(p28)

 と、こんな具合で意気のあった心地いい対話が繰り広げられていくのです。

 

土井 人間にとって大切な真善美を「きれい」という言葉一言で表します。「きれい」は、お料理の健全性を保つとても大切なものです。(略)「きれい」「汚い」はまさしく日本人の倫理観そのものです。そこがあるから、「外に出たらあかん」と言われるもの、なんとなく自分で判断していても大丈夫なんちゃうかという、ええ加減なんですけどね、実は真善美という基準をちゃんともっているんです。そういう意味で、日本人のええ加減なところが、すごく大事なんですよ。(p56)

中島 吉野作造が、普通選挙を導入してみんなが選挙に行くべきだと主張したのですが、そうすると彼はいろいろと批判されるんですけれども、吉野がどう言ったかというと、堂々と、「そりゃ政策判断できないでしょう。しかし、辻説法している政治家を三分間ずっと見ていたら、この政治家がどういう政治家か判断できます」と。つまり顔で判断しろって言っているんですね。(p57)

このように利他の可能性を見事なまでに家庭料理のあり方に見出した料理研究家土井善晴さんの思想にふれた中島さんの感動が手にとるように伝わってきます。

第二回目では実際に土井先生が里芋をつかったハレとケの二種類の料理をつくりながらアシスタント中島岳志との掛け合い料理でその思想と食文化の歴史をあらわにしていきます。

対話がはずんでいく中で、中島さんは土井先生のことを大きな器のようだと言っています。つまり、土井先生は自分のつくった料理としてその自力を主張するのではなく、料理と食材(自然)の中間体とでもいえる器のようで、利他のあり方そのものを見事に体現されているとイメージされたのかもしれません。だから、この本は〈利他〉のまなざしで読み解く奥深い哲学書と言い換えることもできるのではないでしょうか。

「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがあるように土井善晴という人ただものではありません。謂わば、爪を隠した料理人、奥深い刺激的な言葉がポンポンとびだす知の巨人でもあります。これはもう絶対に一汁一菜の哲学書、『一汁一菜でよいという提案』を読まない訳にはいきませんな。

 

 

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