そのほか そのⅧ

軍国化への流れ 昭和史1926-1945(半藤一利著 平凡社)2022.5

 

 

若いころ「逆美術史のすすめ」(中原佑介著)という美術時評のようなものを読んだことがあった。現代アートから逆に美術史を遡るように過去へとその変遷を辿っていくユニークなものだった。学校教育での歴史の勉強も近現代史から過去へと遡ってはどうかと予てから考えていた。

とりわけ、この国の姿を決定づけた昭和史が抜け落ちていることに多いに不満があったし残念でならなかった。史実としてまだ確定できないという理由もあるかと考えられるけれどそれこそが必要とされる学問ではないかとさえ思っていた。やっぱり半藤さんのご指摘のとおりここは自分で研究し学んでいくしかないということなのだろうか。

本著の動機もそういう求めに応じるように少人数ながらも寺子屋のような昭和史講座を氏にお願いし、いうなれば《語り下ろし》となる音声をもとに活字化したものとある。それゆえに、本著は半藤さんの膨大な知見と感覚に込められた説話が軸となっていて、学術書のように索引とか注釈はほとんどなく平易なことばでたいへん読みやすい画期的な昭和史となっている。

半藤さんは冒頭このように云っています。

 

こうやって国づくりを見ていくと、つくったのも四十年、滅ぼしたのも四十年、再び一所懸命つくりなおして四十年、そしてまた滅ぼす方へ向かってすでに十何年過ぎたのかな、という感じがしないでもありません。いずれにしろ、私がこれから話そうという昭和前半の時代は、その滅びの四十年の真っただ中に入るわけです。(p15)

 

ここでは昭和史における第二次世界大戦終決までの流れを15章に分けて解説され、第1章「昭和は《陰謀》と《魔法の杖》で開幕した」のまえに、張作霖爆殺と統帥権干犯について説かれる。つまり、それ以前の日清・日露戦争、当時の世界情勢とりわけロシアと清国の状況(統治権争い)をふまえ、昭和の根底には《赤い夕陽の満州》があったとしてその利権とロシアの南進を恐れる戦略をめぐる画策が渦を巻いていたことを指摘している。

確かにそうだ、昭和史について考えるとき軍国化していく契機と意思決定の流れをふまえておくことはきわめて重要なことなのだ。

 

巻末に示された年譜をみれば、昭和3年(1928年)には張作霖爆殺と石原莞爾の関東軍赴任で計画された満蒙計画が提案され、昭和4年(1929年)に世界大恐慌による世界的不況、昭和6年(1931年)に満州事変、昭和7年(1932年)に満州国建国と五・一五事件、昭和8年(1933年)に国際連盟脱退と二・二六事件と大きな出来事が次々とおきる。この僅か4年の間に日本は満州を統治下におさめ戦略的準備を整え、軍国化の道を進むことが決定されたことになる。

この辺の経緯と流れについては、半藤さんならではの感覚と説得力のある語り下ろしが見事でこの本の画期的なところである。このことは統帥権をもつ軍部の暴走と陰謀による策略だけでなくマスコミによる煽動と熱狂的な国民の支持にあったというほかない。

だが、干ばつや不況による国民生活は困窮し世界情勢も不安が渦巻いていて、日本は常にロシアの南進を恐れる状況にあった。また、近代の国家総力戦に備えて軍の刷新を求めながらも統制派と皇道派に分かれ主導権を争う混乱を招いていた。

 

天皇機関説、国体明徴の政府声明以来、日本の言論はものすごく狭められました。自由はどんどん失われていきます、この先、日本は万世一系の天皇が統治し給うところの神国である。という大基本ができあがり、そこから逸脱する言論などはたちまち罰せられるようになりました。心ある人は皆、口を閉ざすようになりました。(p143)

 

やがて、二・二六事件へと動いていくのだが、第五章では日本の軍国主義(戦争体制)への流れを決定づけるこのクーデター(昭和維新)とその結末、さらに岡田内閣から広田弘毅内閣の発足により軍国主義体制と言論弾圧による憂鬱な時代をむかえることになった。

と、先ずはここまで(昭和8年、つまり西暦1933年)を昭和史の一区切りとしておきたい、ぼくはそう思う。つまり、帝政ロシアに勝利して<近代日本>が完成した結果、日本は何を得たか、どういう背景と経緯をもって天皇を中心とした国体と軍国主義体制が確立したかという流れを理解しておくことがその後の四十年が分かりやすくなるということなのだ。

 

第二次世界大戦でもう一つ問題となるのは徹底抗戦といえどもどこまでの犠牲を強いて戦うのかということ。すなわち戦争終結の判断ということなのだが、とりわけ1941年の日米開戦からの戦況悪化は受け入れがたい状況ではなかったか、と誰もが疑問をもつのではないだろうか。半藤さんは「こぼればなしノモンハン事件から学ぶもの」として最終章で、昭和14年(1939年)に起きたこの事件をふりかえり日本の四十年戦争(第二次世界大戦)について次のように総括している。

1、「起きると困るようなことは起きないということにする」といった非常識な意識。2、失敗を率直に認めず、その失敗から何も学ばないという態度。3、日本陸軍(皇軍)は不敗であるという認識(根拠なき自己過信)。4、情報というものを軽視し、非常に「驕慢な無知」に支配されていたこと。5、兵站の無視。要するに補給を一切考えない。精神力をもって近代兵器で身を固めた相手と立ち会うことの無謀さなどを指摘している。

 

戦前の昭和史というのは、このノモンハン事件によって象徴されるような、日本人の陥りやすい欠点を如実に示している記録です。(略)昭和史から学ぶことによって、これまでくどくど挙げた過去の日本人の特性ともいえることを知り、教訓とすべきではないでしょうか。(p136)

 

と括っている。いま現在、プーチン政権によるロシアのウクライナ軍事侵攻の只中にあり、「二度と戦争は・・・」と云いながら戦争はくり返されてきた。

半藤さんの画期的な語り下ろしとなる本著「昭和史1926-1945」を手に取って読み、戦争の愚かさ平和の尊さを知ることの意味は大きいのではないか。

 

 

死生観と無常観 読み解き般若心経(伊藤比呂美著 朝日文庫)2022.5

本書は詩人による仏説(お経)の解釈とそのプロセスを描いたエッセイのようでもあり、解説本ともお経の現代語訳ともいえるスタイルで書かれた現代小説ともいえる。換言すれば、この作家ならではの文体が自然なふる舞いとして露出するかたちで著述されたためになる教養本といえる。だが、これは詩であると考えればまさしくその通りだともおもう。

町田康の「ギケイキ」、高樹のぶ子の「小説伊勢物語業平」といった著作を想起させるところだが、ここでは相手がお経で両親の介護にあたる著者としてエッセイ的要素がユニークで詩的なリズムを感じさせるように描かれていておもしろいのだ。つまり、寝たきりの母や寝たきりの孤独な父、娘のことや自身の生活スタイルと日常を織りこみながら「般若心経」や「白骨の御文章」「観音経」「無常偈」などいくつかの仏説の解釈とりわけその言葉に反応するかのように展開される。そのことが伊藤比呂美という詩人ならではの稀有な作品を成立させたということかもしれない。著者は身の上をこのように書いている。

 

今のあたしの状況は、他人が見たら、親を捨てたという状況。少なくとも年配の日本人で、そう思わない人はいないだろう。あたしはひとりっ子で、親が年老いているのに、その親からわざわざ離れて、アメリカくんだりまで子どもを連れて移住してきて、いらぬ苦労をして、子どもにもいらぬ苦労させて、根まで生やし、今は、日本人というより日系人として生きている。(略)親は老いて、身寄りがない。あたしが太平洋を頻繁に行ったり来たりしているが、万事臨むようにはいかないのである。(p22)

親が年取るのは明白であった。若返ることは絶対にないのであった。日本の文化では一人っ子の娘が、親を見ることになっているのだということを知っていたけど、骨身に沁みてなかった。日本から飛び出したら帰れないというのを見通せなかった。むかし聞いた落語で、どこかの放蕩者が、おてんとうさまと米の飯はついてまわるんだといって飛び出した。いつの世にも、どこにも、いたのである、馬鹿が。(p23)

 

このような身の上話からいわゆる「懺悔文」のお経の読み解きからはじまるのだが、表題となった「般若心経」はアメリカに住むカノコという娘とのやりとりが絶妙でおもしろい。

 

観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。

これはね、観音さまのfirst personで話していったほうがいいと思うの。さいしょは「観音さまがmeditationしてるときはんにゃはらみたを見つけました」ってことでしょ。(なんか他の言い方ないの?「観音さま」じゃいろんなものがくっついてきちゃって。Avalokitesvara。いろんなものを、見ることのできる、修行中のボサッ。でもかんのんのほうがかわいい。いいじゃん、かんのんで。でね、かんのんが、こういってるの。(p38)

 

と、何となくリズミカルで調子がいい。

 

照見五蘊皆空。度一切苦厄。

「あたしの知る現実は、いつつのごーおんでできていることがわかりました。そのごーおんは、すべて空だということもわかりました」って。(・・・略)

舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。

こーおんの、いちばんさいしょは、色ってかいて「シキ」ね。で、シキっていうのは、もののカタチ。カタチっていっちゃったら、visualだけになっちゃうけど、それは、もののpresentation。シキは、あたしがそれを見ようと見まいといつもそこにあるものなの。シキは、ものそのものが持っているものなの。あたしがいてもいなくてもあるものなの。かんけいないの、あたしは。(p40)

 

娘カノコとのこんなやり取り(プロセス)を含みながら読み解かれていくのだが、著者の新訳「般若心経」はこのようになっている。

 

自由自在に 世界を 観ながら 人々とともに 歩んでいこう 道をもとめていこうとする かんのんが 深い ちえに よって ものを みつめる 修行の なかで ある 考えに たどりついた。 わたしが いる。 もろもろの ものが ある。 それを 感じ それを みとめ それについて 考え そして みきわめることで わたしたちは わたしたちなので ある。 しかし それは みな 「ない」のだと はっきり わかって 一切の 苦しみや わざわいから 抜け出ることが できた。 ききなさい しゃーりーぷとら。 「ある」は「ない」に ことならない。 「ない」は「ある」に ことならない。 「ある」と 思っているものは じつは「ない」のである。 「ない」と 思えば それは「ある」に つながるのである。 「感じとる」。 「みとめる」。 「考える」。 「みきわめる」。 どれも また そのとおり。 ききなさい しゃーりーぷとら。・・・(p59-60)

 

このように解き明かされ最後はみなさんご存知の通りの「羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅荘羯諦。菩堤薩婆訶。般若心経。」となっている。

 

ほんとうだ。 うそいつわりでは けっして ない。 だから。 おしえよう このちえの まじないを。 さあ おしえて あげよう こういうのだ。 ぎゃーてい。 ぎゃーてい。 はーらー ぎゃーてい。 はらそう ぎゃーてい。 ぼーじー そわか。 般若心経でした。(p66)

 

いうなれば、介護や身の上話を織り込みながら仏説(お経)を相手に自身の感覚的ふる舞いで、その読み解きをするユニークな著作なのである。だから、詩とも散文ともエッセイとも現代語訳ともいえる不思議なおもしろさがある。蓮如の「白骨の御文章」や一遍の「生ぜしもひとりなり、死するもひとりなり」にしても、お経相手に持ち前のたくましい想像力と感性で死生観と無常観をさぐる手引きとしてもありがたい本なのだ。

詩人がこれらのお経のことばに反応するとき、このような詩が生まれるということかもしれないが、エッセイを含む文体そのものが詩とみるとさらにおもしろい。また、そのように読むべきご本ではないかと感動する。おわりに「無常偈」を引用しているのも見事である。

 

諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽

常なるものは何もありません 生きて滅びるさだめであります 生きぬいて 滅びはて 生きるも滅ぶもないところに わたくしはおちつきます(p216-217)

 

 

滑稽さと恐ろしさが混在 アメリカン・スクール(小島信夫著)2022.2

 

 

何といえばいいのかこの不思議な感覚、いうなれば戦中戦後の混乱のなかで背負った内面的な闇が滑稽なドタバタ劇に透けてみえてくるような恐ろしさがある。

冒頭の「汽車の中」から「燕京大学部隊」「小銃」とはじまる短編集なのだが、表題作の「アメリカン・スクール」は戦後教育における英語教師たちのドタバタ劇のような滑稽さの中に卑屈な内面の葛藤が滲み出すように描かれている。このことは「星」や「微笑」にも共通しているともいえるだろう。

おもえば、私たちは不本意ながらも否応なく危機的な場面に遭遇したとき思いがけない振る舞いをすることがある。また、切羽詰まった過酷な状況の中でとっさに起きる行動にこそ内面の闇とも傷ともいえる意識の底にある不可解なものが本質的なものとして現れてくるのかもしれない、などと不思議な気がしてくるのだ。

「小銃」は小島信夫の文壇的デビュー作とあるけれど、それはまさしく衝撃的な作品といえる。

 

この前床をふくという操作は、どんなに私の気持ちをあたためたか知れない。一つ一つ創歴のあるというこの古びた創口を私はそれで数えたてることが出来た。たとえば、右手の腰のここのところの鈍いまるい創、それから少しあがったところの手術のあとのようなくびれた不毛の創口、右手の銃把に近いところに切れた仏の眼のような創、中でも、どうしたものか黒子のようにぽっつりふくれた、かげのところのボツ。(p125)

銃把をにぎりしめると、私の存在がたしかめられた。そこから生命が私の方へ流れてくるように思われた。銃把は女がみごもる前の腰をおもいおこさせた。私はかなしみをこめてその細い三八銃の腰をにぎりしめた。いたいいたい慎ちゃんやめて、むりよ。私にはそういう声がきこえるようだった。私はあたえることの出来なかった臂力を小銃にむけた。私はかなりの臂力があり、銃把をにぎりしめ地面からまっすぐ垂直にまであげ、しばらくそのままの位置にとどめることも楽にできた。

小銃は私の女になった。それも年上の女。しみこんだ創、ふくらんだ銃床、まさに年上の女、知らぬ男の手垢がついて光る小銃。

私はこの、イ62377という番号の小銃を交換することをいやがった。(p126)

なんと《持仏》にも似たこの小銃との関係。また、年上の女の性と重ねられるように生々しいまでのエロチックな表現はいかにも独特と云っていい。いうなれば、ここでは現実的なモノと非現実的な想いが奇妙に折り重なるように描かれているのだ。それゆえに、否応なく不条理ともいえる超越的で不確かな闇のような内面性が滲みだしているように思われる。

たしかにそうだ。年上の女との関係性の中に感覚されるのは、ほかの作品「星」や「馬」に登場する主人公にも共通する<依存>につながっている。ここに登場する主人公は何かに依存しているのだ。孤立や孤独を恐れるようにどことなく自信のない気配さえする。ここに戦時における特有の体験からくる感覚を軽々しくリンクさせることは出来ないかもしれないが、本著に編纂されたどの作品にも内面的な傷跡を感じさせるのはどういうことだろう。

表題となった「アメリカン・スクール」にも「微笑」にも共通してみられる不可解な言動が闇とも傷ともいえる屈折した心理作用として滲みだしている。だが、表面化するのは滑稽なまでにアンバランスな振る舞いでしかない。

夢かうつつか幻かはたまた勝手な妄想なのか、「馬」ではさらに何ともいえない突き抜けた感じがあっておもしろい。それというのも妻トキ子との関係性において卑屈な心情による<依存>に端を発しているのだが、そのことが思いがけない物語の展開を生みだすのだ。

僕は義理がたい男なので、もう十数年のあいだ、この貴重にして悲しむべき言質を一旦取られてしまったために、(残念なのは、思い出して見るに、トキ子が直接僕に愛の告白をしたことは一度もない。彼女は映画に誘ったり、ケーキをご馳走してくれたり、淋しそうにしていた僕に接吻を許したりはしたけれども)以来、僕はトキ子に云いたいことがいっぱいあるにもかかわらず、いつもトキ子の方が僕に云い分があると思っているのだ。(p287)

この奇妙な物語の結末は妻トキ子の「愛の告白」をきくことで一件落着となるのだが、偶然とも必然ともいえる結果までの動機の変容のあり方に引き込まれてしまうのだ。

冒頭の「汽車の中」「燕京大学部隊」も悲劇と喜劇が紙一重のきわどさの中で描かれているようで滑稽さと恐ろしさが混在しているようでもある。

 

 

壮大な物語〈理性とは何か〉世界の合言葉は森(ル・グイン著、ハヤカワ文庫)2022.1

 

 

15年も前になるけれど《キッズパワープロジェクト》という講演会や絵本の原画展、段ボール小屋の読書会、詩の朗読、パフォーマンスや遊び術といった複合的な企画を考えていた頃、ル・グインの「ゲド戦記」を読んで驚嘆した。どういうわけか、それ以来この作家の作品に接することはなかったのだが、思いがけないことで本著のことを知ることができ、あらためてル・グインの他の著作に接する機会をもつことができた。

「ゲド戦記」、とりわけアチュアンの地下迷宮を舞台とした第二巻「壊れた腕輪」が個人的にはとても印象的だったのだが、何といってもこの作家の壮大なスケールとその構想力に圧倒されたことを覚えている。

本著でもいえることかもしれないが、架空の地図、架空の都市、架空の惑星を舞台として科学的知見を軸に構想された物語の壮大さに圧倒されるのだ。まさしくSF界の女王と云われる所以がそこにあるのかもしれない。

だが、物語そのものはきわめて現実的であり、それこそぼくたちが直面している環境問題やジェンダー論、フェミニズムといった現代社会の切実な問題を浮き彫りにするリアリズムそのものといえるのではないだろうか。

高名な文化人類学者の両親をもったことがこの作家の科学的知見と人類学的世界観に基づく壮大な物語の創造を可能にしたことと無関係とはいえないだろう。そのことは表題作となる「世界の合言葉は森」とともに「アオサギの眼」でもいえることだが、これらの中編2作を比べるまでもなくこの作家の壮大なロマンと構築的なスケール感にいいようのない深い感動を覚えるのだ。このように複雑な現代社会の様相をSFというスタイルで構造的にしかも理知的に描く冷静なまなざしはル・グイン文学に通底するものではないだろうか。

著者がポスト・フェミニズムの旗手といわれどのように意識してきたか、個人的にはまだそこまで読み解くに至っていない。ヒューゴー賞受賞となる本編「世界の合言葉は森」のセルバ―とデイビッドソン大尉、「アオサギの眼」のラズ・マリーナとファルコという父娘の設定が確認できるけれど、フェミニズムの視点でこのような対立概念の複雑さに踏み込んだ感じはあまりしない。だが、いずれにしても植民惑星ニュー・タヒチのアスシー人と地球人、惑星ヴィクトリア・シティーにおけるシティーとシャンティー、支配する者とされる者、制度的な問題を含めこの複雑な構造を描くことの欲求はこの作家の文学に特筆される重要なファクターともいえそうだ。

 

ここでは地球人の侵入と原住民アスシー人の対立が緻密な設定とともに神話的に描かれている。また、夢見衆と現実をつなぐシャーマンのようなセルバ―、デイビッドソン、リュボフらを配しながら異種への理解と固定した観念の差異、壁となる利害と葛藤を孕んだ興味深い物語となっている。

一方の「アオサギの眼」は地球から流刑として送られる惑星ヴィクトリアが舞台だ。ここには二つの人間のコロニーが存在している。だがここでも統治をめぐるシティーとシャンティーの対立軸が描かれているのだが物語は複雑な問題を孕みながら思わぬ展開をみせていく。ラズは父ファルコに問いかけこのように詰め寄る。

 

「初代の人たちはみな罪人だったって言っていたわ。地球の政府はヴィクトリアを牢獄のかわりに使ったんだって。ところがシャンティーの人たちは、平和とか何とかを信じたために送られた。だけど、わたしたちはみな殺人犯だった。だから最初は女性がとても少なかったんですって。馬鹿げた話しだと思ったわ。植民地なのに女性をたくさん送りこまないなんて。だけど、なぜ船が帰りのことを考えて作られなかったのか、これで納得がいきます。地球の人たちが訪ねて来ない理由も。わたしたちは追い出されたによ。そうでしょう?ヴィクトリア・コロニーって呼んでいるけれど、じつはここは牢獄なのよ」(p201)

 

重要なメタファーとしてこのヴィクトリア・シティーに生息するアオサギという生きものとリング・ツリーという木の話しが印象的だ。だが、ヴィクトリアのアオサギは実はアオサギではなく、鳥ですらない。この地に流されてきた人たちは、新世界のものを言い表すのに古い世界の言葉をあてるほかなかった。

けだし、ぼくたちはまったくの未開の地、未開の惑星に生息する生きものに遭遇したとき、それを先住民すなわち人間として受け入れることができるだろうか。言葉も通じないアスシー人やETといった異種に遭遇したとき猿やゴリラのような動物とはみないだろうか。

異種との遭遇、この作品では確かにフェミニズムや差別といえる二元的な対立構造が描かれているけれど、それを克服する人類の〈理性とは何か〉ということが大きな主題となっているのではないか、そのような問いが残されている気がしてくるのだが・・・。

 

 

脚光の果ての哀しみ 雪の練習生(多和田葉子著 新潮文庫)2021.12.2

 

ときどき朝日新聞でドイツ在住ならではの著者の記事を楽しみにしていたくらいで、はじめて手にした多和田さんの本だった。

なんとも不思議な小説である。形式的にみれば短編連作のようでもあり、三章で構成された長編小説ということもできそうだ。物語は三代にわたるホッキョクグマの自伝ということになっているのだが、そのことがこの不思議な感覚を思わせるのだろうか。なるほど、登場人物なる主人公がホッキョクグマでありそれを自伝として書くという特殊な設定であることを思えばその通りかもしれない。だが、そのことが直接的な要因とはならないところにこの作品をおもしろさがある。つまり、この独特の感覚はまさしくこの作家ならではの筆力と文体の現れではないか、とぼくはそう考えている。冒頭の「祖母の退化論」では次のようなこの作品全体をイメージさせる興味深い行がある。

 

ものを書くというのは不気味なもので、こうして自分が書いた文章をじっと睨んでいると、頭の中がぐらぐらして、自分がどこにいるのか分からなくなってくる。(p11)

 

この不思議な感覚こそ書き手として経験される〈書くこと〉の意味であり創作であることを示唆しているのではないか。物語はサーカスの花形として舞台に立つホッキョクグマが膝を痛めて第一線を退き、事務職をしながら作家として自伝を書くというシュールな設定になっている。だが、決してありふれたファンタジーなどというのではなく人間社会の複雑な葛藤を浮き彫りにするようなシリアスな問題とユーモラスな感覚が入り交じった不思議な世界なのだ。

 

いろいろ考えているうちに、昔の知り合いでいまは文芸誌の編集長になっているオットセイのことを思い出した。私の舞台人生がまだ花盛りだった頃、オットセイはわたしのファンで、大きな花束を持って何度も楽屋に押しかけてきた。(p27)

わたしたちが性交するにはあまりにも不似合いな身体を持っていることは、初めから感じていた。何しろ彼は濡れてつるつるした体質で、わたしは乾いてごわごわしている。(p27-28)

 

このようにサーカスの過去をふり返りながら作家としての葛藤を人間社会の単なる風刺ではなく、ホッキョクグマが書くシュールな感覚と文体が独特の世界を成立させているのだ。それゆえにある意味での客観性と非現実的な感覚世界の自在な表現が可能ともいえる。つまり、視点を変えるだけでも世界の様相が違って見えてくるようにホッキョクグマのまなざしで描く世界は感覚的にも現実との差異(ズレ)を生じ奇妙なリアリティを感じさせるのだ。

ここでは図式的な空想の世界が措定されるのではなく、クマの自伝それ自体が作家の現在と錯綜するように不思議な作用をもちながら現実空間として描かれている。おそらく、この奇妙なリアリティとはそのことに起因していると云っていい。

 

ヴォルフガングは溜息をついて、椅子に腰を下ろした。「右翼団体が外国人を襲う話は聞いたことがあるだろう。でもナチスに一番よく襲われるのは黒人でもトルコ人でもない。ロシア帰りのドイツ人だよ。彼らは祖先はドイツ人だけれど、ロシア文化の中で育っている。自分と似ているけれど違う者がいるというのが、右翼にとっては一番怖いことなんだ。」(p86)

 

モスクワを中心にサーカスの興行はつづくのだが唐突にも作家は過ごしやすい環境を求めた。その後、言葉やコミュニケーションのリスクを負いながらも過ごしやすいカナダへと移住し結婚して娘のトスカを出産するがふたたび東ドイツへ移住。トスカはバレリーナになって舞台に立ちやがて可愛らしい息子を生む。作家にとって初孫となるその子にクヌートと名付け、次なる物語の展開を示すように「祖母の退化論」が終わる。

物語は急展開の様相をみせるが自伝として描かれていることとホッキョクグマの感覚が交じり合っていることをおもえばこれも不自然とは云えないのだ。それこそ第二章への布石とも前置きとも云えるのではないか。

 

第二章「死の接吻」ではサーカスで伝説の芸を成し遂げた娘のトスカの物語となっている。だが、わたしという一人称で描くストーリーは奇妙で複雑な様相を含みながら、事実にもとづく戦争やシリアスな社会問題をふまえ夢とも妄想とも現実(うつつ)ともいえる奇妙でリアルな物語となっている。

 

わたしは緊張していた。ウルズラが角砂糖をさっと自分の舌に乗せるのが見えた。やっぱりわたしたちは同じ夢を見ていたのだ。わたしは一度前足を下ろして位置をなおしてウルズラの正面に立ち、腰をかがめて首を伸ばし、彼女の口の中にある角砂糖を舌で絡め取った。観客からどよめきが起こった。(p199)

 

この「死の接吻」は大いに評判となり東西ドイツのほかにもアメリカや日本など、世界各地で大興業を成功させる。

 

ウルズラの中では六十年代に初めて接吻した熊とわたしが重なってしまっているようだ。無理もない。どちらも名前はトスカ。しかも1986年にやはりカナダで生まれてドイツ統一直前にベルリンに来たわたしは、あのトスカの生まれ変わりなのだから。(p202)

 

ここへきてこの奇妙なリアリティのからくりが解けたように思うのだが、そのこと自体もはや読み手にとってどうでもよくなっている。その後もウルズラとわたしの接吻はつづくのだが、1999年にサーカスユニオンは解体されウルズラはサーカス界を追われることになりこの世を去る。

わたしは動物園へと売られるがそこでラルスと恋仲になりクヌートきょうだいを出産するのだ。双子の弟は虚弱体質ですぐに死んでしまったが、クヌートは地球環境を守るために世界的に活躍する立派な活動家に成長し次章の物語へとつながる。

 

でもそれは彼の物語であって、わたしは資本主義保護区に棲息するホモサピエンスのように息子の物語を自分の手柄にするつもりはない。(p206)

 

奇妙なリアリティ、脚光の果ての哀しみがここにある。

 

 

 

持続可能な和食のかたち 「一汁一菜でよいという提案」(土井善晴著 グラフィック社)2021.11.23

 

 いちばん大切なのは、

一生懸命、生活すること。

一生懸命したことは、いちばん純粋なことであり、

純粋であることは、もっとも美しく、尊いことです。(p1) 

この本の冒頭にはこのような言葉が付されていています。ここには著者のやさしさと励まし、そして願いともいえる気持が込められているような気がします。

本著は七つの視点から日本の料理とりわけ古くから受け継がれ、おばあちゃんたちが大切にしてきた家庭料理に焦点をあて、この国の食文化の歴史と思想を「一汁一菜でよいという提言」で説くユニークなエッセイであり哲学的な入門書ともいえる内容となっています。著者はテレビでもお馴染みの料理研究家で人気の土井善晴先生。

ぼくたちが直面する現代社会の諸問題、とりわけコロナ禍における家庭内での食事のあり方、考え方を一汁一菜で克服するその可能性と根拠について分かりやすく解説されています。

一汁一菜とはどういうことかというと、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)のことでその原点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型のことです。 

人間は食事によって生き、自然や社会、他の人々とつながってきたのです。食事はすべてのはじまり。生きることと料理することはセットです。(p9) 

このあたたかい励ましとも受けとれる提案にはこのような著者の思想(考え)が背景となっています。つまり、料理を自然や社会や人とつながる大切な手立てとして提案されているのです。

もう一つ重要なこととしてハレ(祝い事など特別な日)とケ(日常)を設定することで日々の生活にメリハリのあるリズムを考えることの大切さを説いています。だから、無理をしてまでハレの食事をつくる必要はなく、あくまでも基本は一汁一菜で余裕のあるときにもう一品、と工夫すればよいと考えるのです。これは本当に眼からウロコです。

 

子どもたちと遊んでいて子どもの情操について考えることがありますが、家庭料理における「作る人と食べる人の関係」について著者は次のように云っています。 

一回の食事には、普段意識しているしていないに関わらず、現実と情緒という大量の情報がやり取りされています。これが毎日複数回、繰り返されて、食べる人に経験として蓄積されていきます。この情緒のやり取りが子どもの情操を育てます。そして、情緒のやり取りからデータとして身体の中に蓄積したものによって、物事を判断する基準を持つことになります。自分の中で揺らぐことのない、変化しない「定数」が生まれるのです。経験がなければこの定数は持つことができません。

(・・・略)食事の体験を以てアイデンティティを作り、人を幸せにする力を持つのです。それは自ら幸せになる力です。(p96) 

このように一汁一菜のすすめを説くにあたって、著者はその根拠となる日本人のモノの見方や考え方、自然に対する関係性や作法に言及しながら分かりやすく説明されています。

そして、励ましとも願いともいえるあたたかいまなざしで〈持続可能な和食のかたち〉を継承するこの提案を説いています。 

和食の一汁一菜を食事のスタイルとして、家庭料理を作って下さい。汁飯香なら、作れます。きれいに整えて慎ましく暮らせば、心身は敏感になって、勝つ、穏やかになります。余裕のある日には、季節のおかずを、作って下さい。料理する幸せがわかるでしょう。食べる人の笑顔が見られます。ときには、お客さんを招いて下さい。おいしい肴を用意して、器を選んで、盛りつけて下さい。互いにもてなし、楽しむ場を、作って下さい。そうすることが和の食文化を守り、子どもたちに伝え残すことになると思います。(p170-171) 

結びに代えて著者は「きれいに生きる日本人」として次のように云っています。 

おいしい料理ができるのは技術ではないと思っています。調理経験が長いからおいしいものが作れるということでもありません。普通の人が作るものに、特別おいしいものもあるのです。高価なお料理よりも、何もしないのにおいしい料理がある。お金の価値では表せないほど、きれいなものがあるのです。日本には、大自然と人間のあいだに断絶する壁がありません。だから、大昔の縄文の人の心と同じものが残っているのです。大昔も今もこの孤島には、自然と人間は平衡しています。ゆえに古いもの、中くらいのもの、新しいものも一緒にして、今に生かせるのです。料理することは生きることです。大昔も今も、料理することで、大自然に直接触れているのだと信じるのです。(p187) 

出版順序からすれば逆になってしまいましたが、『料理と利他』(ミシマ社)につづけて本著を読んだ後、思いがけず『河井寛治郎と島根の民藝』(石見美術館)という展覧会まで鑑賞する機会にめぐまれことは料理研究家土井善晴先生の思想の一端にふれる大きな契機となった気がします。本著はテレビでおなじみの軽妙なおしゃべりと合わせて拝読すれば楽しさも百倍。手にとってどうぞお読みください。

 

 

一汁一菜のすすめ 「利他と料理」(中島岳志、土井善晴著 ミシマ社)2021.10

 

この本は料理研究家の土井善晴さんと政治学者の中島岳志さんがミシマ社で開催した二回のオンラインイベントを記録したもので、1回目を〈料理から考えるコロナ時代の生き方〉、2回目を〈自然に沿う料理〉とし、それぞれ質疑応答を含めて編集してあります。

いうなれば、土井さんの料理論に対して中島さんがコロナ禍において重要なキーワードとする〈利他〉のまなざしで読み解く奥深い哲学書ともいえましょう。おもえば、これほど分かりやすく軽妙なかけあい漫才のような哲学書にはめったにお目にかかれるものではありませんが、この本はそれほど奥深い本のように思えてきます。

つまり、料理すること自体が自然と人の関係を考える切実なおこないと考えれば、それはきわめて当たり前のことであり人はそのように生きてきた歴史と文化があったはずで、普段はなかなかそのことに気づかなかっただけかもしれません。

この本を読んでいると、料理をすることと生きることが一体化しているようで、実際に料理してみたくなってくるから不思議です。コロナ禍であればなおさらのこと仕事としてではなく、料理するという方法で今まで知らなかった自然を知りたくなってくるという感じです。

家庭料理において土井さんは無自覚にハードルを上げるのではなく、『一汁一菜でよいという提案』をすすめていますがその奥深い思想にはとてつもない広がりがありそうです。それを中島さんが〈利他〉の切り口で分かりやすく学問的に解析しているところが絶妙です。

 

ヨーロッパで西洋料理を学んだ土井さんがこのような家庭料理の極意にたどり着いたきっかけを河井寛治郎の焼き物との出会いにあったと言っています。思想家柳宗悦や河井寛治郎、濱田庄司らがとなえた民芸運動に大きなヒントがあったということです。このことはまさしく利他の理念を具体的に体現する理想的な思想ではないか。つまり、人知を超えた現れ、すなわち用のものとして使われることで成立する民藝の焼き物にこそ美芸に優越する本質的な美しさがあるということなのだ。土井さんはここに日本の食文化を考えるヒントを得たのかもしれません。

 

お二人のオンライン対話(掛け合い)を紹介しましょう。

中島 柳宗悦は、『南無阿弥陀仏』という本も書いています。いわゆる浄土教、日本でいうと浄土宗とか浄土真宗とか、柳宗悦の場合は一編の時宗に強く惹かれているのですが、ここには、自力と他力という考え方があります。彼らがなぜ民藝というものに価値を見出したのかというと、芸術家というのものは美しいものをつくろうという強い自力やはからいをもってなにかを制作していると。(p26)

土井 そうなんです。実は日本料理というものも、たとえばここにお料理をぽんと置きますでしょ。お料理を置いたら、盛り付けが終わったら、そこに人間が残ったらいけないんです。人間は消えてなくならないといけない。はからいを作為と考えると、作為というつくり手の自我が残っていたら、気持ち悪くて食べられないとおもいませんか?(p28)

 と、こんな具合で意気のあった心地いい対話が繰り広げられていくのです。

 

土井 人間にとって大切な真善美を「きれい」という言葉一言で表します。「きれい」は、お料理の健全性を保つとても大切なものです。(略)「きれい」「汚い」はまさしく日本人の倫理観そのものです。そこがあるから、「外に出たらあかん」と言われるもの、なんとなく自分で判断していても大丈夫なんちゃうかという、ええ加減なんですけどね、実は真善美という基準をちゃんともっているんです。そういう意味で、日本人のええ加減なところが、すごく大事なんですよ。(p56)

中島 吉野作造が、普通選挙を導入してみんなが選挙に行くべきだと主張したのですが、そうすると彼はいろいろと批判されるんですけれども、吉野がどう言ったかというと、堂々と、「そりゃ政策判断できないでしょう。しかし、辻説法している政治家を三分間ずっと見ていたら、この政治家がどういう政治家か判断できます」と。つまり顔で判断しろって言っているんですね。(p57)

このように利他の可能性を見事なまでに家庭料理のあり方に見出した料理研究家土井善晴さんの思想にふれた中島さんの感動が手にとるように伝わってきます。

第二回目では実際に土井先生が里芋をつかったハレとケの二種類の料理をつくりながらアシスタント中島岳志との掛け合い料理でその思想と食文化の歴史をあらわにしていきます。

対話がはずんでいく中で、中島さんは土井先生のことを大きな器のようだと言っています。つまり、土井先生は自分のつくった料理としてその自力を主張するのではなく、料理と食材(自然)の中間体とでもいえる器のようで、利他のあり方そのものを見事に体現されているとイメージされたのかもしれません。だから、この本は〈利他〉のまなざしで読み解く奥深い哲学書と言い換えることもできるのではないでしょうか。

「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがあるように土井善晴という人ただものではありません。謂わば、爪を隠した料理人、奥深い刺激的な言葉がポンポンとびだす知の巨人でもあります。これはもう絶対に一汁一菜の哲学書、『一汁一菜でよいという提案』を読まない訳にはいきませんな。

 

 

影と翳りの思想 陰影礼賛(谷崎潤一郎著 中公文庫)  2021.10.12

 

本著は日本文化の奥底に流れている美意識や価値観、生活風習といった作法などについて考察する六つの随筆をまとめた謂わば日本文化応援歌とでもいった随筆集となっていて大変おもしろい。

表題となった「陰翳礼賛」では光と影によって形成される影と陰翳について、西洋文化にはみられない独自の広がりをもつ日本文化の奥深い美意識や思想へと誘う著者ならでは鋭い洞察と知見に基づく見事な文章となっている。

内田百鬼園先生もそうだったが、どういうわけかこの時代(明治)の作家というのは西洋啓蒙主義への反動なのか、日本文化への美意識と価値といったものに揺るぎない自信のようなものが感じられて心地いい。今どきのSNSの投稿などとちがって、それは滑稽さをともなうほど堂々としていて痛快なのである。

西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、ただ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないという風に感じるのは、彼等としてはいかさま尤もであるけれども、それは陰翳の謎を解しないからである。(p32)

もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。(p34)

さらに、この陰翳の謎解きは日本の能楽や歌舞伎文化と作法にまで言及する著者ならではの文化論となっていてきわめて説得力がある。そして、自身の文学への宣言とも決意表明ともいえるこのような文章で結んでいるところがいい。

私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の軒を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあどう云う工合いなるか、試しに電燈を消してみることだ。(p65)

まことに洒落の利いた文章なのだが、凄みすら感じさせる揺るぎない自信に満ちあふれているところが痛快なのである。

 

「懶惰の説」にしてもそうだ。いうなれば自己肯定のきわみといえばその通りかもしれないが、それ故に読んでいてなんとなく愉快に思えてくるから不思議である。

文化の進んだ人種ほど歯の手入れを大切にする。歯列の美しさ如何に依ってその種族の文明の程度が推し測られると云う。それがほんとうなら、歯科医学の最も進歩したアメリカこそは世界一の文明国であり、かのわざとらしい無意味なる笑顔を作る俳優たちは、「己はこの通り文明人だぞ」と云うところを誇示しているのかも知れない。(p78)

さらに、このように続くのだから滑稽さを通り越してなんだか愉快な気分になってくる。

今日われわれが悩んでいる二重生活の矛盾と云うことも、衣食住の様式と云ったような末節の点にあるのではなく、その由来するところはもっと眼に見えない深い原因に依るのだと思う。つまりわれわれは絶対に畳のない家に住み、朝から晩まで洋服を着、洋食を食うように努めてみても、なかなかそれが続けられないで、しまいには洋室に火鉢を持ち込んだり絨毯の上へすわったりするようになるのは、やはり何と云っても東洋人の持ち前たる「ふしだら」や「億劫がり」が心の奥に根を張っているからである。(p83)

これほどの大文豪がこのような言い訳めいた文章で括るところがまことに洒落が利いていておもしろいのだ。

誤解をされては困るが、私は決して怠け者になることを諸君にすすめる次第ではない。(略)

正直のところ、そう云う私自身が実はそんなに怠け者ではなく、まずわれわれの仲間うちでは勉強家の方であることは、友人諸氏が証明してくれるであろう。(p88)

これは昭和五年四月十日記とある。いうなれば「痴人の愛」「刺青」「細雪」「春琴抄」の作者のイメージとはかけ離れたこのノー天気ぶりも滑稽なのだが、この知見とユーモアのセンスにあふれた《影と翳りの思想》には驚嘆するばかりである。

このほか「恋愛および色情」「客ぎらい」「旅のいろいろ」「画のいろいろ」とつづくのだが、「恋愛および色情」では文学における恋愛ものの扱いから女性の地位をめぐり、西洋のそれとは決定的に異なる江戸期から平安朝の文学へ遡って愉快な論考を企てるのだ。

左様にわれわれの伝統は、恋愛の藝術を認めない訳ではないが、--内心は大いに感心もし、こっそりそう云う作品を享楽したことも事実であるが、--うわべはなるべくそ知らぬ風を装ったのである。それがわれわれの慎みであり、誰云うとなく社会的礼儀になっていたのである。だから歌麿や豊国を担ぎ出した西洋人は、このわれわれの暗黙の礼儀を破ったのであると云えなくもない。(p99)

 

ならば、恋愛文学が旺盛を極めた平安朝はどうか?日本の文学史にもああ云う時代があったではないか?江戸期の戯作者は卑しめられたかも知れないが業平や和泉式部のような歌人はどうか?源氏物語はどうか?彼等やその作品が受けた待遇はどうだったか?とさらに解析はつづく。だが、当然のことながら経済組織や社会組織における女性の地位ではなく、男が女の映像の内に「自分以上のもの」「より気高いもの」を感じていることは確かだとしている。さらに、西洋の騎士道においては、武人の忠誠と崇拝の標的は「女性」にあったとし、彼等はその尊敬する婦人のために高められ、引き上げられ、励まされ、勇気づけられたというのだが、、、

精神にも「崇高なる精神」と云うものがある如く、肉体にも「崇高なる肉体」と云うものがあると。しかも日本の女性にはかかる肉体を持つ者が甚だ少く、あってもその寿命が非常に短い。西洋の婦人が女性美の極致に達する平均年齢は、三十一二歳、――即ち結婚後の数年間であると云うが、日本においては、十八九からせいぜい二十四五歳までの処女の間にこそ、稀に・・・(p113)

と、揺るぎない自信を持って断言する。さらに徳川家康の逸話から日本人の性生活へと発展し、ついには西洋人並みの強壮な肉体を持つようになっても、果たして彼等のようにあくどい婬楽に堪えられるかと疑問視している。つまり、このことは体質と云うよりも、気候、風土、食物、住居などの条件に制約される所が多いのではないかと執拗に拘りつづけ思いがけない展開をみせていく。

貝原益軒が白昼に房事をすることを勧めているのは、日本のような風土においては列に健康な方法であって、そうして一編晴ればれとした日の目を見、風呂でも浴びてそこらを散歩して来れば、憂鬱な身分に陥ることも少く疲労も早く癒える訳だが、いかんせん普通の民家の間取りでは密閉し得る部屋と云うものがないのだから、これもなかなか云うべくして行い難いことになる。(p123)

と、まぁこのように一つ一つを紹介したくなるのだが、凄みすら感じさせる随筆の数々きりがないのでこのくらいにして、あとは是非とも手に取ってご堪能あれと致しましょう。

 

国体への幻想 「日本のいちばん長い日」(半藤一利著 文春文庫)2021.9.23

  

徹底抗戦か全面降伏か、一億玉砕だ!!

ポツダム宣言の受諾をめぐる天皇陛下の聖断、政権指導部と軍部の葛藤を綿密な取材と証言にもとづいて〈日本のいちばん長い日〉として画いたノンフィクション。

半藤一利さんのデビュー作となるこの本は、当初はいろいろな事情から大宅壮一編と当代一のジャーナリストの名を冠して刊行され、東宝により映画化されたこともあり多くの人に読まれたという。その後、決定版として再発行するに際し、文芸春秋を退社し〈ひとり人立ち〉した記念にと亡き大宅壮一夫人の昌さんの了解を得て半藤一利著とさせていただいたとある。

まさに映像を見るような凄まじい臨場感は膨大な調査と取材の賜物でありそれこそ圧倒的で鬼気迫るものがある。

事態はきわめて切迫していて一刻の猶予もなく、政権中枢部の思惑は国体護持という条件で一致していたが連合軍との確約は何処にもなかった。日本はそれこそドイツのように東西に分断されそうな瀬戸際にあったのかもしれない。

どのようにして日本は敗戦を認めポツダム宣言を受諾することを国民に受け入れてもらうかと御前会議がもたされる。結局、天皇陛下のお言葉として事前に収録されたものを8月15日正午に放送されることが決められる。だが、軍部とりわけ陸軍青年将校らは決起し徹底抗戦を叫びクーデターを決行するのだが、間一髪のところで断念せざるを得なかった。阿南陸相の自決をはじめ多くの叛乱軍が無念の自死を遂げることになる。

やがて、12時の玉音放送がはじまるのだがそれまでの経緯、叛乱軍の制圧、鈴木総理大臣のほか政府要人や侍従らの護衛、収録された音源の確保といった宮城を舞台とする〈日本のいちばん長い日〉がはじまる。

次々と重要文書が燃やされ処分されていくのを眺めながら彼らはいったい何を考えていたのだろう。

 

井田中佐は、絶望で涸渇した精神のなかに活力の一滴を見出した。重要なことはわれわれが一体となり美しく滅んでゆくということだ、と中佐は思いつめた。こうした死の統一によって困難な時代を乗りこえてゆくことができようし、神州不滅に確信をもつことができるであろう。承詔必謹というような美名による卑怯な敗戦とはちがい、日本敗北の意味は巨大となるであろう。(p109)

 

今になって思えばまことに滑稽にさえみえる軍部のこの原動とは何だったのだろうか、とあらためて考えさせられる。いつだったか大津島の特攻隊、回天(人間魚雷)基地を訪ねたときもその惨すぎる多くの資料と基地跡を前にして複雑な感情を抑えることができなかった。靖国神社の遊就館を訪ねたときもそうだった。名状しがたいあの独特の雰囲気はどこに起因しているのだろう。ここに共通するあの異様さは何か、何があれほどまでに若者を奮い立たせ決起させたかといえば、それはやはり国体への幻想、天皇を中心とした国体観ということではなかったか、ぼくはそう思う。

ポツダム宣言の受諾すなわち日本は戦争に敗け全面降伏するしかなくなったとしても、やはりこの国の精神をささえた実在としての国体のイメージが国民のアイデンティティとともに最大の問題となった。

もともと竹下中佐、井田中佐、畑中少佐の三人は東大教授平泉澄博士の直門として昭和十年ごろよりずっと兄弟弟子の関係にあった。彼らは平泉博士より、自然発生的な実在としての国体観を学んでいた。一言でいえば、建国いらい、日本は君臣の分の定まること天地のごとく自然に生まれたものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の結合を遂げる―これが日本の国体の精華であると、彼らは確信しているのである。(p178)

・・・略) 彼らの考えるところでは、戦争はひとり軍人だけがするのではなく、君臣一如、全国民にて最後のひとりになるまで、降伏するということは、かえって国体を破壊することであり、すなわち革命的行為となると結論し、これを阻止することこそ、国体にもっとも忠なのである、と信じた。(p178)

 

おそらくこれが彼らの大義となっていたと考えられる。彼らは森師団長を説き伏せ決行を促すが偶然のいたずらか思い違いか、事件はあっという間に起きた。井田中佐が隣の参謀長室にいたとき師団長を撃ち抜き斬りつけた。

 

― 井田中佐はとっさにそうした事のなりゆきをみてとった。そして井田中佐を観た、わずかにのぞかれた師団長室を。血の海で、その中に森師団長と白石中佐の死体が重なるようにうつぶしていた。そしてそれを見下ろすように、椎崎中佐が呆然とし、椅子に腰をかけている。ほかに二人の興奮した将校の姿が・・・。叛乱がはじまった!(p210)

 

だが、井田中佐、畑中少佐ら叛乱軍の思惑ははずれ、東部軍の理解は得られず彼らは宮城に籠城したまま外部との連絡を遮断したまま孤立していった。

 

「畑中、もういかんよ。東部軍は冷却しきって、まったく起つ気配はない。これ以上、宮城籠城はおぼつかないことだ。失敗とあきらめて兵をひけ。もしこのまま籠城をつづければ、国家非常事態を前に、東部軍との一戦は必至となるぞ」(p240)

 

井田中佐の忠告にも血気盛んな畑中少佐は「一戦おそるるに足らずです」と抵抗するが「馬鹿をいえッ」と一喝される。

畑中少佐に兵を引けと説き、その足で陸相官邸を訪ねた井田中佐は竹下中佐とともに切腹直前の陸相を前にして自制心を失い涙にくれたという。もはやクーデターも陰謀もあったものではなかった。

宮城から追放された畑中少佐は少尉と兵二人をつれて放送会館へ乗りこみ、陸軍ではなく国民を相手に放送手段で訴えようとするが、東部軍の許可なしではできないと拒否される。

やがて、東部軍司令官が暴動鎮圧に乗りだし叛乱軍は制圧されていく。

 

その朝はギラギラとした太陽を、さまざまな人が、いろいろなところで、それぞれの感慨をもって仰ぎみた。(p307)

 

天皇放送に関係のないすべての番組は消され、報道の時間には正午から天皇放送がある旨がくり返し流され、多くの国民は玉音放送を待つばかりとなっていた。こうして満州事変にはじまった第二次世界大戦は終焉をむかえ、大日本帝国は“歴史”と化してしまった。

エピローグでは歴史の最後の一ページで重要な役割を演じた人たちの、それぞれのその後についていくつかのエピソードが記述されているけれど、多くの軍関係者は死に場所を求め宮城前で死を遂げた人もあったという。

本著は8月15日正午の玉音放送までの24時間の推移、その葛藤と激動の詳細を徹底した取材と調査によって画いたドキュメントであり半藤さん渾身の一冊といえる。

試論・共生への意志 大衆の反逆(オルテガ著 岩波文庫)2021.8.31

オルテガ・イ・ガセットの名著『大衆の反逆』、本著は80年も前に刊行されたものだが第一次世界大戦後、アメリカ・ロシアが台頭するなかで同時代に蔓延するヨーロッパ人の無自覚で泰平的なふるまいに対して警鐘を鳴らすオルテガ渾身の著といえる。

それは大衆が社会勢力の中心的存在となっている状況に対して、社会的政治的文化的な危機意識と同時に西欧文明の歴史と権力のあり方について詳細な分析を企てるとともに強いメッセージと鋭いまなざしで切り込む時代批判の精神に貫かれている。

それにしてもオルテガが現代のSNSネット社会を想定していたとも思えないが、そのリアリティは新型コロナ感染拡大に喘ぐ現代社会の様相とみごとに一致しているように思えるのはどういうことだろう。本著でオルテガが提起した問題意識はそのことをさらに意識させる。

オルテガは「大衆の反逆」の刊行に遡ること9年、1921年には「無脊椎のスペイン」という重要な著作を刊行している。ここでいう無脊椎とはまさしく大衆そのものであることは容易に想像できるのだが、そもそも大衆とは何か、その反逆とは何を意味しているのだろう。

 

資本主義の終焉というべきか今日の新自由主義とグローバリズムはその末期的症状のようでもあり、きわめて必然的な結果といえないだろうか。それこそトランプ政権やアベ・スガ政権の誕生を招いた反知性主義の台頭こそオルテガの指摘する大衆とみごとに重なってくるのだ。

つまり、眼前の利益や快楽にならされるように自らの意志をもつこともなく場当たり的にふるまう大衆が社会的権力の中心に躍り出たことに危機感をもって注意を促している。

彼らは歴史に学ぶことをしない。それゆえに、個体を超えた英知に学ぶことをしない。彼らは今ある自由を手にするまでにどれほどの歴史を必要としたかその事実を知ることもなく、自らに与えられた特権のようにふるまうだけの根なし草のような《満足しきったお坊ちゃん》のようだとオルテガは主張するのだ。

本著は1930年刊行の本文「大衆の反逆」に加えて、「フランス人のためのプロローグ」と「イギリス人のためのエピローグ」をその前後に収録して2020年に岩波文庫から刊行されたもので、訳者は佐々木孝さん。佐々木氏が亡くなる5日前に息子佐々木淳氏に託されたこの遺稿はそういう経緯で刊行されたことが「訳者あとがきに代えて」記載されている。

オルテガは「フランス人のためのプロローグ」で本論の方法としてこのように記している。

実例として、一つの基本的な問題を示せば充分であると考えた。つまり私は、現代の平均人を、近代文明を継続させる能力、そして文化へのこだわりという一点で測定したということである。(P58)

1930年前後、アメリカとロシアの台頭を意識しながらもヨーロッパ人はインフレ景気に満足し安心しきっていたし、日本は朝鮮半島を統治下におさめイタリアでは独裁政権、ドイツではヒトラーのナチ政権の誕生をまつばかりとなっていた。オルテガは貴族という概念をとりあげ無自覚な大衆についてこのようにいう。

高貴さは、要請によって、つまり権利ではなく義務によって規定される。これこそ貴族の義務である。「好き勝手に生きること、これは平民の生き方だ。すなわち貴族は秩序と法を希求する」(ゲーテ)。(P137)

つまり、「貴族」という言葉の固有の意味すなわち語源にある核は、本質的に動的なものであり、万人共通の権利としてやりとりされる静的な資格などではないのだとしている。

高貴な人とは、「周知の人」、つまり誰もが知っている、無名の大衆の上に際立って知られるようになった有名な人を意味している。そこに含意されているのは、名声をもたらすまでのとてつもない努力である。つまり高貴は克己勉励もしくは卓越した人に相当する。(P139)

このように「貴族」の努力、克己勉励に卓越した人その高貴さにふれ、いかにも大衆の無自覚で場当たり的な快楽に同調するだけの無自覚な態度を批判する。そしてこのように続けている。

ここで思い起こしてほしいのは、過去のいかなる時代にあっても、大衆が何らかの理由から社会生活において活動した時は、常に「直接行動」の形であったということである。つまりそれが大衆には常に自然な行動様式だったということだ。社会生活における大衆の指導的介入がいまや偶発的で稀なものから通常のものとなって、公然と認可された規範として現れたという明らかな事実は、本試論の主張を強力に裏付けてくれる。(P154)

また、文明は何よりも先ず共生への意志であるとして、政治の分野でも最も高慢な共生への意志を示した形式は自由主義的デモクラシーであるとしている。つまり、他者を考慮するという決意を究極まで追及したものであり、社会的権力は全能でありながらも自身を制限し少数の人たちが生きる場所を残す。このことは現代の寛容さや多様性、立憲主義、死者に学ぶという個体を超えた保守のあり方を考えさせる。

福島の原発事故や水俣だけでなくコロナ感染症において「専門家とは何か」という議論があったけれど、オルテガの主張は科学者や専門家にもおよび、専門家の中にも大衆化していわゆる「お坊ちゃん」がいるとして、彼らこそが大衆の典型であり野蛮なのだという。

本論は二部構成となっていて「大衆の反逆」に加えて、「世界を支配しているのは誰か」と続く。大衆の反逆は人類の根源的な道徳的退廃以外の何ものでもないが、二部では別の新しい視点からそのことについて考察する。そして「国家とは何か」として、ヨーロッパの歴史と文化的変遷についてさらに哲学的考察からヨーロッパの将来像を企てる。

もう一度繰り返そう。私たちが国家と呼ぶ現実は、血の同一性によって結びつけられた人間たちの、自然発生的な共存などではないのだ。生まれつき分離していた集団が共存を義務づけられたときに、国家が始まる。(P279)

このことは、おそらくオルテガの祖国スペイン、イタリア、ドイツ、ヨーロッパに忍び寄る不穏な足音を意識してか、誰もが知っているとしてルナンの言葉を引用しながら国民国家という概念を超えたヨーロッパの統一、その将来像についてその切実な思いを伝えようとしている。

この哲学者の鬼気迫るその論考は現代社会が抱えた様々な問題を浮き彫りにし、今になってもそのリアリティは強大になるばかりで否応なくぼくたちの感覚に突き刺さってくる。今こそ必見の一冊といえるのではないか。

 

 

メソッド・利他 「利他」とは何か(集英社文庫)2021.4.15

 

 

利他とは何か。本著は東京工業大学の「未来の人類研究センター」における「利他プロジェクト」の可能性を考える五人の研究者による論考をコンパクトに紹介したものである。いうなれば、コロナ禍において世界が直面する今日の危機的状況を克服するキーワードとして注目される「利他」という思想的可能性をさぐる試みといえそうだ。
サンデル教授の白熱教室やアメリア・アレナスの鑑賞学ではないけれど、あえて異分野の論客による視点から「利他」を考えることで、たとえば「うつわになること」のようなイメージが成立してくるのがおもしろかった。
たとえば、「利己」の対立概念としての「利他」が因果を背景にしてメビウスの輪のようにつながっているとすれば「利他」は可能性として自己(意志)を超えた地平で生成される現象(効果)とみることができる。そういう意味ではこのプロジェクトの試み自体が利他的な可能性を孕んだものとしてたいへん興味深く思えてくる。
いうなれば、形而上学や身体論、表現論とも連動する現象学的なイメージもあるけれど、この「メソッド利他」にはコロナ禍に直面した現代社会のあり方のみならず人間という種のあり方を見つめなおす重要なヒントがあるようにも思えてくるから不思議だ。
サラリーマン川柳で「サラリーマン サラリーとったら ボランティア」というおもしろい作品を思いだしたのだがボランティア活動と利他行為はちがうのだろうか。ともに他者のためのおこないではあるけれど手段と目的という点で微妙にちがってくるのだろうか、などといろいろな仮説を立てて読む楽しさもありそうだ。

個人的には若松英輔の柳宗悦論がとてもおもしろかった。彼らの民藝運動そのものが利他的発想を内包し、美藝より工藝が優位に立つとするまなざしにも説得力があった。すなわち用のものとして機能して生成される無為の産物(利他の本質)にこそ美の可能性があるという民藝の発想はおどろきでさえある。つまり、人間の意志を超えた利他の文脈という意味では國分功一郎の中動態にこそ意志と責任に関する哲学的考察の中から可能性を考える作業がクロスしてくる気がしておもしろい。いうなれば、このプロジェクトの異分野の研究者による論考のダイナミズムにこそ「利他」の可能性があると云えるのかもしれない。
このほか、美学者の視点で伊藤亜紗、小説家の視点で磯崎憲一郎、政治学の視点で中島岳志といずれ劣らぬ論客による利他をめぐる重層的な考察がおもしろいのだが、磯崎氏の紹介する小島信夫の「馬」という作品には大いに魅力を感じた。これは直ちに読まなければという気にさせられた。磯崎憲一郎はこの作品について語る村上春樹の解釈を紹介しながら、ここでも作者の思惑(作為=設計図)を超えた出来事に注目している。
中島岳志はおわりに利他の本質を意図的な行為ではなく、人知を超えた「オートマティカルなもの」であり、利他が宿る構造として「うつわ」を想起させるあり方が大切としている。
おもえば、大沢真幸の「個体を超えた共存」や中島自身の個別な理性を超えた中に存在の英知を見出そうすること、つまりは集合的な存在に依拠しながら時代の変化に対応する形で斬進的に改革を進める保守の態度が重なるようでもある。

何はともあれ、いろいろなイメージが広がってくる本であることはまちがいない。まずはご一読を!

 

 

成長する力と感受性 「わたしのあのこあのこのわたし」(PHP研究所)  2021.2 

 

 

前作『ネムノキをきらないで』(2020年、文研出版)は子どもの日常における些細なできごと、とりわけその内面的な気もちの動きを繊細なまなざしでとらえた印象的な作品だった。続けざまに出版されたこの本でも起伏のある場面展開があるわけでもなく、いうなれば変化に乏しいありふれた子どもの日常が描かれているに過ぎない。

だが、このようにそれぞれの家族やクラス内での友だち関係、とりわけ子どもの心の動きと複雑な心理描写を軸にしてその内面的な変化と動きをとおして確認される成長のプロセスと人格的存在それ自体に対峙する児童書は少ない。この作家は何ともそのような《子ども性》に向きあうことを常として危うい尾根道をひとりで歩いている。

ここでは小学5年生の女の子モッチと秋のゆれ動く気もちの描写が生き生きとしたタッチで同じ時間軸において同時進行的に書かれていく。

モッチの家族は父と母と保育園に通う弟の新ちゃんの四人家族。父は会社に勤めているが自宅の書斎で仕事をすることもある。いうなれば比較的裕福な家族ということか。秋は母娘のふたり家族でアパートに住んでいるが、秋が道夫くんとよぶ父親も同じ町に住んでいる。秋は毎月その道夫くんのマンションに行くこともできるし《友だちおじさん》のように会って話すこともできる。つまり、母と父の道夫くんは結婚をしないまま秋を育てている感じ。父は測量の仕事をしながら詩を書いていて、母は結婚式場の仕事をしながら秋とくらしているという少し特殊な(シングルとか別姓とか今日の多様な家族のあり方ともいえる)設定となっている。

 

「こういうのを、とりかえしがつかないことっていうの」うん。モッチは大きくうなずく。どうすればゆるしてもらえるのか、それを早くいってほしい、という顔をしている。わたしの中にじわじわといじわるな気もちがひろがる。それを自分で止められない。「あのね、弁償したいっていわれても困るの。お金でなんとかなるって話じゃないよ」いいながら、大人の言葉をまねているのが自分でもわかった。(本文p43)

 

物語は秋が道夫くんからもらった大切なレコードが傷つけられるという出来事からはじまる。

 

秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない(本文p47)

 

道夫くんのマンションを秋が訪ねたときのことだ。秋はモッチへの怒りだけでなく残念で申し訳ない気もちが入り交じった複雑な思いを道夫くんに話した。

 

「その友だち、あやまったんだろ?」わたしはうなずく。「それでもゆるさなかったの?」わたしはまたうなずく。「ふーん」と道夫くんはいった。わたしは道夫くんを見た。「よくないね」「わかっている」わたしはわかっていた。あんなふうにモッチにいっちゃいけなかった。それはわかっているのに、胸の中のもやもやした気もちは消えなかった。(p67)

 

五年生となれば女の子の友だち関係もかなり複雑で微妙にゆれ動く。他愛のないことでもそれが決定的な状況を招くこともある。いまや社会現象となった「いじめ問題」でさえはっきりとした形はなかなか分かりにくいものだ。

 

わたしはどうしてか、そんなふうに人を観察してしまうようになっていた。(・・・略)木村さんや平岡さんや八田さんはお大沢さんに話を合わせているように見える。竹下さんはモッチと仲よくしたがっているみたいなのに、ほかの子がいっしょになると、いつのまにか大沢さんたちといっしょになってモッチを「しっぽ」と呼んだりしはじめるのだ。(p93-94)

 

たてまえでも本音でもない無自覚なあいまい性とでもいえばいいのか、大人の一般社会でも似たようなことがよくみかけられる。だが、この物語はいわゆるいじめ問題について書かれているのではない。子どもの関係性における心理的な動きとその状況や成長のあり方を日常の中にみつめようとしている。

ほかにも、佐伯くんのことや道に迷った認知症のおばあさんのことなどいくつかのエピソードが盛り込まれているけれど、物語はモッチの両親が留守中に新くんがインフルエンザにかかったことから大きく展開する。

モッチからの電話を受けてかけつけた秋は道夫くんに新くんのようすを伝える。そして、道夫くんの車で病院に連れて行って診てもらうことになる。このことを契機としてふたりの気もちは少しずつ繋がるように変化する。秋は久しぶりにお父さんのことを道夫くんと呼び詩を書いていることや骨董市で買ったレコードをもらったことなど友だちに自然に話せた気がするのだった。

 

わたしには、モッチにいわなきゃいけないことがある、と思った。なにをどういえばいいのかわからなかったけれど、それが胸の底にたまっているのがわかった。(・・・略)モッチの両親にはなぜだか会いたくなかった。胸の底にたまっているものがそう思わせているみたいだった。両親からお礼をいわれたりしちゃいけない気がした。(p154)

 

この物語はレコードに傷がついたことで、いうなれば険悪な気もちになったモッチと秋が仲直りするまでの単純な話のようでありながら、いくつかのエピソードを交えて日々の子どもの内面の移りかわりを繊細なまなざしで捉えるこの作家ならではの筆力で書き上げた傑出した作品といえる。

 

わたしが図書室で図鑑を調べているあいだ、モッチはずっと先生と平岡さんといっしょに白い玉をさがしつづけていたのだ。そんなことをする人はほかにだれもいなかったのに。そしてさっき涙を流したあとで、モッチは平岡さんにほほえむことができるのだ。モッチのことなんて、とわたしは思った。ほんとうはなにもわかっていなかったのかもしれない。わたしはなんだかとてもはずかしい気もちになった。(p181)

 

なるほど、作者のこのまなざしには本当に驚嘆させられるだけでなく、子どもの成長する力と感受性にど肝をぬかれる思いである。岩瀬成子というこの作家なかなかやるな。

 

艶やかで美しい文体 小説伊勢物語業平(高樹のぶ子著 日本経済新聞出版) 2021.1

 

この小説は不朽の名作といわれる日本文学の古典伊勢物語に登場するある男(在原業平といわれている人物)の一代記といってしまえばそれまでだが、奥行きのある平安期の雅で生き生きとした公家文化の有りようと人の世の盛衰を浮き彫りにする普遍的で本質的な問いがあっておもしろい。    

かれこれ7、8年くらい前になるけれど、能楽の「杜若」を鑑賞する機会にめぐまれた。二条の后(高子)と業平が一体となったような杜若の精といわれるシテの幻想的な舞が印象的なすばらしい舞台だった。

いうまでもなくこの小説の中にある「かきつばた」を頭におく歌会において業平が歌った「唐衣着つつ慣れにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」を基にした名作で世阿弥の作といわれているものだ。業平といえば色好みで高貴な生まれ、顔立ちも良く六歌仙といわれるほど和歌の道にも秀でた才の持ち主で都人だけでなく広く名の知れた芸術家でアイドル的存在ということになる。  

すでに初冠を済ませた成人男子ではあるけれど、まだ少年のような痛ましさも腰のあたりに纏わり付いていてやはり帝の血は気高く受け継がれていると惚れ惚れするような十五歳の話からこの伊勢物語ははじまっている。

春日野の若紫のすり衣 しのぶのみだれかぎり知られず

父阿保親王の死後、母伊都内親王が都を離れ長岡へと移りすむことになる。長岡は垣武帝の所縁の地、雅心が残されている旧都。憲明らと同道した業平は稲田で戯れているうちくだけた風情の女童らと興じ、紫苑の衣を身に着け背伸びした女童と出会う。

「先ほどの鎌はどこに」とその女童が申すので、「田子に返しました。やはり刈るのは上手ではありません」「あれ、女人をお刈りになるのが、お好きだと聞きましたのに・・・お噂では」紫苑の女の挑みかかる様、業平いよいよ興深く感じ、「わたしが色好みと、どなたからお耳に入りましたやら」と挑み返してみます。(本文p88)

あれにけりあはれ幾世の宿なれや 住むけん人のおとづれもせぬ

業平は長岡の母伊都内親王の徐病と延命のための清水参詣の折り、藤原高子(後の二条の后)との決定的な出会いをする。

「どなたか存じませぬが、あが車の後を参られましたか・・・なればここにて、わたくしの繰・・・」「いかにも耳に入りました。御兄上は、清水詣でをお憎みとか」「・・・はて、どちらの殿人で・・・」「いずれ文など言付けたく」「そのようなもの、要りませぬ。わたくしが欲しいものは、かたちばかりの文ではありませぬ。真心無くても、いかようにも言の葉は操れます」業平は痛いところを突かれました。歌の上手とは、言の葉の操り上手でもあります。「・・・では、何をお求めで」「都のいずれであれ、わたくしが訪ねたい折りに心まかせに訊ね、思うまま、たのしむことです。その願いを清水観音に聞き届けて頂きたく、こうして・・・」(略)「・・・それで姫君は、夜の都に馬を走らせておられますのか・・・いずれかの時、そのような噂を・・・」(本文p156)

並べた車同士、御簾越しとはいえゆされることのない悪態、この二人の出会いはその後の業平の数奇な運命とともに、この恋情は小説の核となる愛とも生への希求ともいえる普遍的な物語として昇華していく。

わが袖は草の庵にあらねども 暮るれば露のやどりなりけり

「わたくしが欲しいものは、かたちばかりの文ではありませぬ。」この高子姫の言葉は、業平の驕る心を砕き、さらなる文への探求を突きつけているように業平には思えるのだった。業平はつぎの歌をおくる。

思ひあらばむぐらの宿に寝もしなん ひしきものには袖をしつつも

情けがあるなら、たとえ葎が生えているひどい住まいでありましても、共寝は出来ますでしょう。高貴なお方ゆえ、読み捨てることをなさらないであろうと、業平なりに思い定めてのことだった。業平の歌はたしかに高子の心を揺さぶるのだった。

母伊都内親王のいる長岡ばかりでなく紀有常の娘で妻(和琴)を訪ねるのも怠りがちになるくらい五条の后邸にいる高子姫への業平の一途な思いは昂るばかりとなる。

ついに、業平は藤原高子の侍女近江の方を介して姫との再会を果たすのだが・・・。

「・・・この暗さゆえ、葎は見えませんでした。このような見事な邸に生え出る葎は、良き香りがするかもしれません」含み笑いの気配がいかにも愛らしく、業平、御簾の内を覗き見したくなります。「葎の宿、草の庵と申すもの、どのようなものか見てみたい。あが君はそのような宿に仮寝されたことがお有ですか」業平、贈った歌を思いだします。(本文p186)

この再会では御簾の内に入ることはゆるされなかったが、待女の近江も高子姫も相当の高い教養の持ち主であることが分かる。それゆえに、業平の恋心は狂おしくなるばかりで翌日もまた、五条の后邸を訪ねる。そればかりか業平のこの一途な思いは噂になるほどにたびかさなることになる。

人知れぬわが通ひ路の関守は 宵よひごとにうちも寝ななん

業平も苦しんでおりましたが、高子姫もまた、やるせなき心地は日々増しておりましたようで。邸の主の順子様のお見逃しがあってのことか、定かには判じられませんが、歌のやり取りのみ許されておりました。(本文p197)

藤原家にとってみれば高子姫は掌中の玉、清和帝への入内を望む良房、基経らはその玉にわずかな傷でもと気にかかる。業平は秩序を乱す危険人物なのだ。

やがて、業平は高子姫との共寝を為しとげ今でいう命がけの《かけおち》を企てるのだが、道中はげしい嵐に遭遇し高子姫を休ませ目をはなした隙に基経らの追手に姫君を連れ戻されてしまう。

業平は京の都を離れ東国へと下るのだが三河国の八橋にて咲き乱れる杜若をみて「・・・歌の上手、業平殿。かきつばた、の五文字を歌の頭に置き、旅の心を詠んで頂きたい。いかがでしょう」と同道する覚行の提案に応じてこの歌を詠む。

から衣きつつなれにしつましあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

「・・・お見事」と覚行。冒頭の能楽「杜若」の元となる歌だ。

朝廷の使いで諸国を訪れた折々にも業平の恋情恋心は衰えを知らず、伊勢を訪れた折には恬子斎王への思いが昂じ一子を授かる。そのことは後になって知らされるのだが、、、。

すでに二条の后となった御息所高子は業平と再会した後、大原野神社にて翁となった業平に言祝ぎの歌を求める。

大原や小塩の山も今日こそは 神代のことも思ひ出づらめ

業平を、歌詠みとして高く評する御息所高子は間をおかず歌会をひらく。業平は神の代を詠い込む。

ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは

業平、この歌会の成り行きに安堵し、覚悟も致したのです。これからは詩ではなく歌の世にしなくてはならない。それが高子様の望みであり、業平に頼まれたお役目でもあるのだと。叶うことのなかった恋情は、行く末々まで歌の世を、子宝としてこの国に残すのだと。(本文p410)

つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はわざりしを

思わず知らず、伊勢に笑みが浮かび参ります。業平様らしい軽やかな真心と、自らの死さえ面白がっておられる趣の深さに、少しの間、涙を忘れる伊勢でございました。(本文p454)

 

本著は在原業平といわれる人物の生き方と恋情の足跡をとりわけ歌を中心に編纂された歌物語といえるかもしれないが、のちに二条の后清和帝の御母となる藤原高子との出会いと数奇な運命をたどる業平の魅力を生きいきと描いた現代小説となっている。

想像しがたいほどの恋情、歌詠みの才と駆け引き、帝や公家文化とりわけ雅で文化的な歌詠みの社会的ステータス等々、時代考証学術的研究をふまえた本編小説伊勢物語はいうまでもなく著者ご自身の表現であり創作となるけれど艶やかで美しい文体は見事というほかない。

 

 

 

ありふれた日常 『ネムノキを切らないで』(岩瀬成子文 植田真絵 文研出版)2021.1

 

 

本著『ネムノキをきらないで』はこの作家ならではの子どもたちの日常におけるささいな出来事、とりわけその内面的な気もちの動きをきわめて繊細なまなざしでとらえたリアルな児童書といえる。なるほど、このような子どもの心理描写はファンタジックな冒険物語とちがって起伏のある場面展開があるわけでもなく、いうなれば変化に乏しいありふれた日常が描かれているに過ぎない。

だが、考えてみれば子どもたちの現実とはこのような時間の連続ともいえるし外見ではその変化をみることはむずかしい。それゆえに、ステレオタイプの《子ども観》に寄りかかった物語ではなく、この分かりにくく見逃してしまいがちな人格的存在の内面を書くことの意味は大きいのではないか。児童書にかぎらず、人間を本質存在論的に捉える有効な方法論として成立するといっていい。

この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。

 

「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(p16~17)

 

家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。

 

ぺちゃんこになったクモの姿を見たとき、ぼくのなかでなにかが、ばちん、と割れたような気がした。同時に、ぼくがまえの日に、おじいちゃんや、おじさんや、お父さんにむかって、「大ばかだ。」といったことばがぼくをぐるぐる巻きにした。ぼくは、自分は大ばかだと思った。(p20)

 

伸夫はクモの死骸を庭に埋めるのだが「なにを埋めたの」とお母さんからいわれ、おもわず「ぎんいろの。」といいよどむ。そして、「ぼくはただそこにいただけのクモを殺してしまった。」と困惑する。どうしてそんな「ぎんいろの」ということばをいったのかわからなかった。

そのときから、なにかいおうとするとことばがきゅうに消えてしまって自分がなにをいおうとしているのかわからなくなり、うまくことばを見つけられなくなった。

子どものタイプにもいろいろあっておとなしい子もいればひょうきんな子もいるし、乱暴な子もいれば正義感のかたまりのようなまじめな子もいる。おとなしい子はなかなか目立たないしどうしてもにぎやかで活動的な子どもが目につくものだが、おとなしくても先生や親や周囲の子どもたちのようすをじっとみつめていておそろしく分かっている子もいる。ここに登場する伸夫はどうかといえば感情と想像力がゆたかでじっと考えることができる。

が、その気もちをうまくことばにできないもどかしさをかかえていることがよく分かる。

 

「北山くん、どこか体の具合がわるいの?」ときいた。ぼくは先生の顔を見て、だまって首をふった。「そう。それならいいけど。このごろちょっと元気がないみたいだから、気になっていたの。具合がわるいときには先生にいってよ。」(…略)もしかしたら、ぼくはほんとうに具合がわるいのかもしれなかった。口にだしてなにかいおうとすると、とたんにそのことばの意味がわからなくなってしまうのだ。元気っていうのはそういう感じのことだっけ、と思ってしまうのだ。(p34)

 

この本ではもうひとり芳木くんという《くん》づけで呼びあう友だちが登場する。ふたりはおなじ保育園に通ったが伸夫はおとなしい芳木くんとは一緒にあそぶことはなかった。小学校にあがっても同じクラスになったこともなく四年生になっても別々のクラスで一緒にあそぶことはなかった。

学校の帰りにふたりは偶然に一緒になりいつしか話をするようになる。

 

「芳木くんの家って、こっちだったっけ。」と、何度目かにいっしょになったときにきくと、「あのね、十月にこの近くに引っ越してきたの。」と芳木くんはこたえた。そして、両親が離婚して、いまはお父さんとふたりで暮らしている、と話した。その話し方はまるでクラスであった席がえの話をしているみたいで、悲しんでいるようにはきこえなかった。(p37)

 

また、青山習字教室の水槽の金網のふたについて教室からでてきた男の人とのやりとりがある。

 

「はんにん。」と、ぼくはぞっとしながらそのことばをくり返した。「盗まれたんですか。」と芳木くんはきいた。芳木くんはこのごろでは、ぼくがなにをいおうとしてるのかがわかるみたいで、ときどき代わりにいってくれる。(p54)

「お墓?」「そう、クモの。」「あ、いいよ。」とぼくはいった。芳木くんはまだクモのお墓のことを覚えてくれていたのだ。ぼくはそのことがうれしかった。(p56)

 

ふたりはいつしか気もちが通じあうようになるが微妙な距離感と遠慮があるようにも感じられる。だが、この絶妙な関係性がふたりの内面の描写を際立たせているともいえる。芳木くんが北山くんの家を訪ねたときのことだった。

 

「芳木くんは保育園のとき、いつも家からお気に入りの絵本を持って園にきていたんじゃなかった?」そばのソファにすわって、ぼくたちがアップルパイを食べるのを見ていたお母さんが言った。お母さんは保育園のときの芳木くんをほんとうに思いだしたみたいだった。

(…略)『おうちは仲町のほうだったわよね、たしか。」「まえはそうだったけど、今はちがいます。去年の十月に前田町のあけぼのマンションに引っ越したので。」「まあ、そうだったの。それはまたどうして?」芳木くんは小さく息をのみ、半分だけ残っているミルクティーのグラスに目をやった。それから目をあげて「ぼくんち、両親が。」といいかけたので、「お母さん、うるさいよ。」と、ぼくはいそいでいった。(p61~62)

 

このふたりには秘密の話と場所があった。ふたりはその話のことを確かめるためにその場所を訪れる。

と、ここまでこの本について書いてきてなんと本文からの引用の多いことにおどろく。子どもの心理描写ゆえにその微妙な気もちの変化や動きを絶妙に表現している作品だからかもしれない。いずれの行(くだり)もこの物語を書くににあたり欠くことのできない文章の連続ということになる。

いつの間にか子どもは成長するけれど、身体的な変化とちがってその内面的な変化と成長のプロセスは分かりにくいものだ。主人公の伸夫はやがてことばが出てくるようになるが、それはこの秘密の話を確かめることが契機となったかもしれない。最終章のおじいちゃんの家を訪ねたときのことだ。

 

芳木くんは「くっ。」と笑った。「なに?」「北山くん、このごろ、すらすらしゃべってるね。」ぼくははずかしくなって、指で眉をごしごしこすった。芳木くんがネムノキを見あげた。(…略)ぼくは立派なネムノキを自慢したい気もちでいっぱいになっていた。(p154)

 

読みおえたあとの、この切なさとさわやかさにも似たな不思議な気もちをどういえばいいのだろう。あっ、これはことばを失ったかもしれない。

挿入されている植田真の絵もすばらしく、ビジュアル的にもとてもきれいにできた本といえる。

 

 

 

暗記あそび 2020.11

 

 

高校生のころ、古文の先生からいわれたことがある。吉田兼好の「徒然草」くらいはすらすらと出てくる大人になってほしい、と。丁度そのとき「つれづれなるままに ひぐらし すずりにむかひて こころにうつりゆく よしなしごとを・・・」というその行をそのままそっくり暗記した。現代版の詞書もその先生の物まねで云えるくらいになった。その教科書にはこのように説明してあったことも覚えている。“ 暇なのにまかせて 一日中 机にむかって 次から次へと頭に浮かんでくる 他愛のないことを ”と。

鴨長明の方丈記も暗記した。

「ゆく川の流れはたえずして しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつむすびて久しくとどまりたるためし無し 世の中に住む住家とまたかくの如し 玉しきの都のうちに棟を並べいらかを争える高き卑しき人の住まひは世よをへてつきせぬものとなれば これをまことかとたずぬれば むかし在りし家は稀なり あるは大家ほろびて小家となる」とつづくのだった。

なんとなく、覚えるのがおもしろくて『神無月』や『平家物語』のほかに『春望』『江雪』など漢詩もいくつか覚えた。「源平たがいにひきしりぞくところに、沖より尋常に飾ったる小舟いっそう水際へ向かって漕ぎよせ、渚より七八端ばかりなりしかば舟をよこ様になす あれはいかに」とつづく那須与一の一節は中学生のころだった。

 

国語がダメで勉強の仕方もわからず古文は丸暗記だ。それでも、とにかく覚えているといいことがある。この年になってはじめて能楽の「那須与一語り」という奇妙な演目があることがわかった。つまり、この名場面を語りとともに演じる風変わりな古典芸能を知ることができたからだ。語りはほぼ私がおぼえているものと同じだったからなおさら能楽もおもしろくなってくる。

そもそものはじまりは小学2、3年生のころの百人一首だった。

正月前になると《いろはかるた》のように遊んでいる中で、最初におぼえた一首があった。「これやこの ゆくもかえるもわかれては しるも知らずも大阪のせき」という一首だ。上の句がはじまった途端に下の句をとった。ほかの兄弟がうたがいの目でみるが当然のことながら合っていた。それからみんなが競って覚えるようになったからおもしろいものだ。中学2年のころには日本国憲法を覚えようとした。前文は覚えたが条文は大事なところくらいしか覚えられなかった。それでも五十くらいの条文は覚えられた。

最近では「白骨の御文章」を覚えたがこれは門徒衆が諭されるものらしくあまり役には立っていない。だから、「般若心経」くらいは覚えたいがどういうわけかこれがなかなか難しい。

 

そんな折、このたび高樹のぶ子さんが執筆された『小説伊勢物語 業平』をとりあげたNHKの番組「100分で名著」をみていて取り寄せたのがこれだ。

業平といえば、岩国ゆかりの能楽師香川靖さんの計らいで紹介していただいた『杜若』を思いだす。『黒塚』や野村萬斎の狂言『寝音曲』と一緒に能舞台を堪能させていただいたのだが、香川さんがシテを演じられた『杜若』が在原業平の和歌「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」の頭の文字をそろえた名作だ。

NHKのその番組では平安末期の世にあって業平と高子のことや彼らがはじめたサロンのような歌会がこの国の《ひらがな文化》に果たした役割について高樹さんから詳しい話があった。「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれないに みずくくるとは」も百人一首にある在原業平の有名な一首。

 

それにしても、このころの帝・公家文化の奥深さ気高さは独特で、男女の関係の秘められた想いも文学と直結している感じが想像できておもしい。そういえば鎌倉時代の初期、紫式部や西行なども数奇な運命とともに芸術文化に与えた影響も決定的だといえそうにおもえるから不思議だ。

 

 

 

経験とおどろき 2020.11

 

 

ポロックの言葉

 

「わたしの絵はイーゼルから生まれてくるのではない。わたしは描く前にカンヴァスを張ることすら滅多にしない。わたしは張っていないカンヴァスをかたい壁や床の上にとめることの方を好む。わたしにはかたい表面の抵抗が必要だ。床の上だと、わたしはずっとのびのびできる。

わたしは絵をより身近に、絵の一部のように感じる。このやり方だと、わたしは絵のまわりを歩き、四方から制作し、文字どおり絵のなかにいることができるのだから。これは西部のインディアンの砂絵師たちの方法に近い。

わたしはイーゼル、パレット、絵筆といった普通の画材から遠ざかりつづけている。わたしは棒、こて、ナイフを、また流動的なペイントや砂、われたガラスその他異質な物質を加えた重いインパスト(厚塗りの絵具)をドリップすることの方を好む。

じぶんの絵のなかにいるとき、わたしは自分がなにをしているか意識しない。いわば”なじんだ”時期をへてはじめてわたしは自分がなにをしていたを知る。わたしを変えることやイメージをこわすことをおそれない。なぜなら絵はそれ自体の生命をもっているのだから、わたしはそれを全うさせてやろうとする。結果が滅茶苦茶になるのは私が絵との接触を失ったときだけである。絵の場合には純粋なハーモニー、楽々としたギヴ・アンド・テイクが生まれ、絵はうまくゆく」(宮川淳著作集Ⅱより)

 

アクションペインティングを論じるとき必ずといっていいくらい引用される重要な言葉だという。

 

 

経験とおどろき

 

確かにそうだジャクソン・ポロックのいうその言葉「制作している時の感覚は何も考えないで絵のなかにいる」とは分かるような気がする。

だが、ひとたびその絵が完成し自身がその作品に向きあうとき、両者の関係においてポロックはある一定の距離をおいて自ら制作した絵と向きあうことになるだろう。そのとき、ポロックと絵はいうまでもなく主体と客体の関係にありポロックの身体性は客体化された絵とともに存在しているとしか考えられないことになる。

この物理的な距離感覚を消滅できる作品を実現できないかと考えるのは、若いころのぼくにとって大きな問題であり課題でもあった。

 

絵画のフレームを取り払い、空間を構成する壁面と床そして天井、それ自体を絵画的な機能をもつ空間へと異化させ、なおかつ日常的空間と非日常を行き来する流動的な場所として成立できないかと考えたのは1980年に発表した真木画廊の個展「FROM THE NOTHING」での試みだった。

ここでは作品をみる側の主体は客体化された作品の只中にいて作品と一体となって接することになる。作品と対峙する時間とともに視点は動き日常と非日常を行き来する理想的な設定ができた。それはまた、ぼく自身の想像を超えた決定的なおどろきでもあった。

 

このころの一連の営為はつまりそういうことであった。

 

 

 

肉体の軌跡 オースターの人生とともに 冬の日誌(P・オースター著)2020.12

2010年を一つの区切りとしてP・オースターは「内面からの報告書」と対をなす本著「冬の日誌」の執筆にとりかかったという。1947年生まれの著者にとって老いを感じはじめる63~64歳ということになる。冬の日誌とはそのことを意味するのだろうか。

「自己の考古学」といえばいいのか、かつての自分を生き直すように内面性(精神)と肉体の軌跡を考察する回顧(懐古)的なスタイルとなっていることを思えば本著はノンフィクションともいえるのだがそれだけではなさそうだ。つまり、かつての自分を君とよび現在の自分のまなざし(思索)が織り込まれている作品であるが故に、それこそ一人称で語るのではなく君という二人称で語る所以がそこにある。まさしくオースターならではの魅惑的な試みというほかない。

 

4  ハーディング・ドライブ四〇六番地 ニュージャージー州サウスオレンジ。前の家より広い、テュダー朝様式の家で、坂の隅っこに居心地悪そうに建っていて、ごく小さな裏庭があり室内は暗く陰気だった。十三歳から十七歳まで。思春期の苦しみを君が生き抜いた、初めて詩や小説を書いた家であり、君の両親の結婚が崩壊した家である。君の父親はここで死ぬまで(一人で)暮らした。(p57)

21  パークスロープ某所 ブルックリン。1892年築、裏手に小さな庭のある四階建のブラウンストーン。四十六歳から現在まで。君の妻は一九七八年秋にミネソタを出てコロンビア大の英文科博士課程に入学した。コロンビアを選んだのはニューヨークに行きたかったからであり、ニューヨークに住みたかったからコーネルやミシガンから提示されたもっと多額の奨学金も断った。(p100)

 

生まれてから現在までの1から21の定住所が記され、およそ恒久的なものとは無縁の中継地点を経てきたことが自身の生の歴史として記述されている。さらに、次のように続けられる。

 

君は自分が誰なのかを知りたく思う。導きとなるものはほとんど何もないから、自分が長大な、歴史以前から続く移住の産物、無数の征服、強姦、誘惑の産物だという前提に君は立つ。先祖たちがいくつもの領地や王国にまたがって長く錯綜した軌跡を描いてきたという前提に君は立つ。結局のところ、移動をくり返してきたのは君だけではない。(p105)

 

このように過去の自分をふりかえりながら一個の肉体を捉え文明や人種について考察する発掘作業にも似た方法論それ自体が小説となっていることになる。つまり、本著は「内面からの報告書」に対して、初老といえる歳まで生きてきたこの作家自身の肉体の軌跡をとおして世界と対峙し思索するきわめて斬新で魅惑的な作品といえるのだ。

 

ところで、オースターにとって両親との関係性についての考察はきわめて重要でその解析は徹底している。父との関係については「孤独の発明」にその詳細が明かされているようだが、ここではむしろ母との関係性についてその想いが伝えられているように思う。とりわけ、母が少年野球に加わって一緒にプレーし特大ホームランをかっ飛ばすエピソードだけでなく、母の放つ魅力については息子ながら納得しているようでもある。また、どちらかといえばオースターは父方よりも母方の縁者に親近感があったことも理解できておもしろい。

最終章ではややポエティックな表現となっているが自分の老いとともに死について考えているからかも知れない。

また、妻との出会いについても過去のさまざまな失敗、判断の誤り、他人を理解する能力の欠如、衝動的で安定を描いた判断、間抜けな対処の仕方を思えば、こんなに長続きした結婚に行きついたのは奇妙なことに思えるとふりかえる。オースターにとって彼女の存在は主体であって客体ではないともいい、容姿の美しさだけでなくこの上なく賢い女性であり屈指の知性の持ち主であることを理解したとある。

妻と結婚したことでオースターは彼女の家族の一員となり、いつしか両親が暮らすミネソタの冬を訪ねることになるが、著者も人生の冬に入ったとふりかえるのだった。

読後に広がるいいようのない深い感動は、人間存在にかかわる人生観をP・オースターの人生とともに感じとれるからだろうか。