そのほか そのⅧ

 

メソッド・利他 「利他」とは何か(集英社文庫)2021.4.15

 

 

利他とは何か。本著は東京工業大学の「未来の人類研究センター」における「利他プロジェクト」の可能性を考える五人の研究者による論考をコンパクトに紹介したものである。いうなれば、コロナ禍において世界が直面する今日の危機的状況を克服するキーワードとして注目される「利他」という思想的可能性をさぐる試みといえそうだ。
サンデル教授の白熱教室やアメリア・アレナスの鑑賞学ではないけれど、あえて異分野の論客による視点から「利他」を考えることで、たとえば「うつわになること」のようなイメージが成立してくるのがおもしろかった。
たとえば、「利己」の対立概念としての「利他」が因果を背景にしてメビウスの輪のようにつながっているとすれば「利他」は可能性として自己(意志)を超えた地平で生成される現象(効果)とみることができる。そういう意味ではこのプロジェクトの試み自体が利他的な可能性を孕んだものとしてたいへん興味深く思えてくる。
いうなれば、形而上学や身体論、表現論とも連動する現象学的なイメージもあるけれど、この「メソッド利他」にはコロナ禍に直面した現代社会のあり方のみならず人間という種のあり方を見つめなおす重要なヒントがあるようにも思えてくるから不思議だ。
サラリーマン川柳で「サラリーマン サラリーとったら ボランティア」というおもしろい作品を思いだしたのだがボランティア活動と利他行為はちがうのだろうか。ともに他者のためのおこないではあるけれど手段と目的という点で微妙にちがってくるのだろうか、などといろいろな仮説を立てて読む楽しさもありそうだ。

個人的には若松英輔の柳宗悦論がとてもおもしろかった。彼らの民藝運動そのものが利他的発想を内包し、美藝より工藝が優位に立つとするまなざしにも説得力があった。すなわち用のものとして機能して生成される無為の産物(利他の本質)にこそ美の可能性があるという民藝の発想はおどろきでさえある。つまり、人間の意志を超えた利他の文脈という意味では國分功一郎の中動態にこそ意志と責任に関する哲学的考察の中から可能性を考える作業がクロスしてくる気がしておもしろい。いうなれば、このプロジェクトの異分野の研究者による論考のダイナミズムにこそ「利他」の可能性があると云えるのかもしれない。
このほか、美学者の視点で伊藤亜紗、小説家の視点で磯崎憲一郎、政治学の視点で中島岳志といずれ劣らぬ論客による利他をめぐる重層的な考察がおもしろいのだが、磯崎氏の紹介する小島信夫の「馬」という作品には大いに魅力を感じた。これは直ちに読まなければという気にさせられた。磯崎憲一郎はこの作品について語る村上春樹の解釈を紹介しながら、ここでも作者の思惑(作為=設計図)を超えた出来事に注目している。
中島岳志はおわりに利他の本質を意図的な行為ではなく、人知を超えた「オートマティカルなもの」であり、利他が宿る構造として「うつわ」を想起させるあり方が大切としている。
おもえば、大沢真幸の「個体を超えた共存」や中島自身の個別な理性を超えた中に存在の英知を見出そうすること、つまりは集合的な存在に依拠しながら時代の変化に対応する形で斬進的に改革を進める保守の態度が重なるようでもある。

何はともあれ、いろいろなイメージが広がってくる本であることはまちがいない。まずはご一読を!

 

 

成長する力と感受性 「わたしのあのこあのこのわたし」(PHP研究所)  2021.2 

 

 

前作『ネムノキをきらないで』(2020年、文研出版)は子どもの日常における些細なできごと、とりわけその内面的な気もちの動きを繊細なまなざしでとらえた印象的な作品だった。続けざまに出版されたこの本でも起伏のある場面展開があるわけでもなく、いうなれば変化に乏しいありふれた子どもの日常が描かれているに過ぎない。

だが、このようにそれぞれの家族やクラス内での友だち関係、とりわけ子どもの心の動きと複雑な心理描写を軸にしてその内面的な変化と動きをとおして確認される成長のプロセスと人格的存在それ自体に対峙する児童書は少ない。この作家は何ともそのような《子ども性》に向きあうことを常として危うい尾根道をひとりで歩いている。

ここでは小学5年生の女の子モッチと秋のゆれ動く気もちの描写が生き生きとしたタッチで同じ時間軸において同時進行的に書かれていく。

モッチの家族は父と母と保育園に通う弟の新ちゃんの四人家族。父は会社に勤めているが自宅の書斎で仕事をすることもある。いうなれば比較的裕福な家族ということか。秋は母娘のふたり家族でアパートに住んでいるが、秋が道夫くんとよぶ父親も同じ町に住んでいる。秋は毎月その道夫くんのマンションに行くこともできるし《友だちおじさん》のように会って話すこともできる。つまり、母と父の道夫くんは結婚をしないまま秋を育てている感じ。父は測量の仕事をしながら詩を書いていて、母は結婚式場の仕事をしながら秋とくらしているという少し特殊な(シングルとか別姓とか今日の多様な家族のあり方ともいえる)設定となっている。

 

「こういうのを、とりかえしがつかないことっていうの」うん。モッチは大きくうなずく。どうすればゆるしてもらえるのか、それを早くいってほしい、という顔をしている。わたしの中にじわじわといじわるな気もちがひろがる。それを自分で止められない。「あのね、弁償したいっていわれても困るの。お金でなんとかなるって話じゃないよ」いいながら、大人の言葉をまねているのが自分でもわかった。(本文p43)

 

物語は秋が道夫くんからもらった大切なレコードが傷つけられるという出来事からはじまる。

 

秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない(本文p47)

 

道夫くんのマンションを秋が訪ねたときのことだ。秋はモッチへの怒りだけでなく残念で申し訳ない気もちが入り交じった複雑な思いを道夫くんに話した。

 

「その友だち、あやまったんだろ?」わたしはうなずく。「それでもゆるさなかったの?」わたしはまたうなずく。「ふーん」と道夫くんはいった。わたしは道夫くんを見た。「よくないね」「わかっている」わたしはわかっていた。あんなふうにモッチにいっちゃいけなかった。それはわかっているのに、胸の中のもやもやした気もちは消えなかった。(p67)

 

五年生となれば女の子の友だち関係もかなり複雑で微妙にゆれ動く。他愛のないことでもそれが決定的な状況を招くこともある。いまや社会現象となった「いじめ問題」でさえはっきりとした形はなかなか分かりにくいものだ。

 

わたしはどうしてか、そんなふうに人を観察してしまうようになっていた。(・・・略)木村さんや平岡さんや八田さんはお大沢さんに話を合わせているように見える。竹下さんはモッチと仲よくしたがっているみたいなのに、ほかの子がいっしょになると、いつのまにか大沢さんたちといっしょになってモッチを「しっぽ」と呼んだりしはじめるのだ。(p93-94)

 

たてまえでも本音でもない無自覚なあいまい性とでもいえばいいのか、大人の一般社会でも似たようなことがよくみかけられる。だが、この物語はいわゆるいじめ問題について書かれているのではない。子どもの関係性における心理的な動きとその状況や成長のあり方を日常の中にみつめようとしている。

ほかにも、佐伯くんのことや道に迷った認知症のおばあさんのことなどいくつかのエピソードが盛り込まれているけれど、物語はモッチの両親が留守中に新くんがインフルエンザにかかったことから大きく展開する。

モッチからの電話を受けてかけつけた秋は道夫くんに新くんのようすを伝える。そして、道夫くんの車で病院に連れて行って診てもらうことになる。このことを契機としてふたりの気もちは少しずつ繋がるように変化する。秋は久しぶりにお父さんのことを道夫くんと呼び詩を書いていることや骨董市で買ったレコードをもらったことなど友だちに自然に話せた気がするのだった。

 

わたしには、モッチにいわなきゃいけないことがある、と思った。なにをどういえばいいのかわからなかったけれど、それが胸の底にたまっているのがわかった。(・・・略)モッチの両親にはなぜだか会いたくなかった。胸の底にたまっているものがそう思わせているみたいだった。両親からお礼をいわれたりしちゃいけない気がした。(p154)

 

この物語はレコードに傷がついたことで、いうなれば険悪な気もちになったモッチと秋が仲直りするまでの単純な話のようでありながら、いくつかのエピソードを交えて日々の子どもの内面の移りかわりを繊細なまなざしで捉えるこの作家ならではの筆力で書き上げた傑出した作品といえる。

 

わたしが図書室で図鑑を調べているあいだ、モッチはずっと先生と平岡さんといっしょに白い玉をさがしつづけていたのだ。そんなことをする人はほかにだれもいなかったのに。そしてさっき涙を流したあとで、モッチは平岡さんにほほえむことができるのだ。モッチのことなんて、とわたしは思った。ほんとうはなにもわかっていなかったのかもしれない。わたしはなんだかとてもはずかしい気もちになった。(p181)

 

なるほど、作者のこのまなざしには本当に驚嘆させられるだけでなく、子どもの成長する力と感受性にど肝をぬかれる思いである。岩瀬成子というこの作家なかなかやるな。

 

艶やかで美しい文体 小説伊勢物語業平(高樹のぶ子著 日本経済新聞出版) 2021.1

 

この小説は不朽の名作といわれる日本文学の古典伊勢物語に登場するある男(在原業平といわれている人物)の一代記といってしまえばそれまでだが、奥行きのある平安期の雅で生き生きとした公家文化の有りようと人の世の盛衰を浮き彫りにする普遍的で本質的な問いがあっておもしろい。    

かれこれ7、8年くらい前になるけれど、能楽の「杜若」を鑑賞する機会にめぐまれた。二条の后(高子)と業平が一体となったような杜若の精といわれるシテの幻想的な舞が印象的なすばらしい舞台だった。

いうまでもなくこの小説の中にある「かきつばた」を頭におく歌会において業平が歌った「唐衣着つつ慣れにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」を基にした名作で世阿弥の作といわれているものだ。業平といえば色好みで高貴な生まれ、顔立ちも良く六歌仙といわれるほど和歌の道にも秀でた才の持ち主で都人だけでなく広く名の知れた芸術家でアイドル的存在ということになる。  

すでに初冠を済ませた成人男子ではあるけれど、まだ少年のような痛ましさも腰のあたりに纏わり付いていてやはり帝の血は気高く受け継がれていると惚れ惚れするような十五歳の話からこの伊勢物語ははじまっている。

春日野の若紫のすり衣 しのぶのみだれかぎり知られず

父阿保親王の死後、母伊都内親王が都を離れ長岡へと移りすむことになる。長岡は垣武帝の所縁の地、雅心が残されている旧都。憲明らと同道した業平は稲田で戯れているうちくだけた風情の女童らと興じ、紫苑の衣を身に着け背伸びした女童と出会う。

「先ほどの鎌はどこに」とその女童が申すので、「田子に返しました。やはり刈るのは上手ではありません」「あれ、女人をお刈りになるのが、お好きだと聞きましたのに・・・お噂では」紫苑の女の挑みかかる様、業平いよいよ興深く感じ、「わたしが色好みと、どなたからお耳に入りましたやら」と挑み返してみます。(本文p88)

あれにけりあはれ幾世の宿なれや 住むけん人のおとづれもせぬ

業平は長岡の母伊都内親王の徐病と延命のための清水参詣の折り、藤原高子(後の二条の后)との決定的な出会いをする。

「どなたか存じませぬが、あが車の後を参られましたか・・・なればここにて、わたくしの繰・・・」「いかにも耳に入りました。御兄上は、清水詣でをお憎みとか」「・・・はて、どちらの殿人で・・・」「いずれ文など言付けたく」「そのようなもの、要りませぬ。わたくしが欲しいものは、かたちばかりの文ではありませぬ。真心無くても、いかようにも言の葉は操れます」業平は痛いところを突かれました。歌の上手とは、言の葉の操り上手でもあります。「・・・では、何をお求めで」「都のいずれであれ、わたくしが訪ねたい折りに心まかせに訊ね、思うまま、たのしむことです。その願いを清水観音に聞き届けて頂きたく、こうして・・・」(略)「・・・それで姫君は、夜の都に馬を走らせておられますのか・・・いずれかの時、そのような噂を・・・」(本文p156)

並べた車同士、御簾越しとはいえゆされることのない悪態、この二人の出会いはその後の業平の数奇な運命とともに、この恋情は小説の核となる愛とも生への希求ともいえる普遍的な物語として昇華していく。

わが袖は草の庵にあらねども 暮るれば露のやどりなりけり

「わたくしが欲しいものは、かたちばかりの文ではありませぬ。」この高子姫の言葉は、業平の驕る心を砕き、さらなる文への探求を突きつけているように業平には思えるのだった。業平はつぎの歌をおくる。

思ひあらばむぐらの宿に寝もしなん ひしきものには袖をしつつも

情けがあるなら、たとえ葎が生えているひどい住まいでありましても、共寝は出来ますでしょう。高貴なお方ゆえ、読み捨てることをなさらないであろうと、業平なりに思い定めてのことだった。業平の歌はたしかに高子の心を揺さぶるのだった。

母伊都内親王のいる長岡ばかりでなく紀有常の娘で妻(和琴)を訪ねるのも怠りがちになるくらい五条の后邸にいる高子姫への業平の一途な思いは昂るばかりとなる。

ついに、業平は藤原高子の侍女近江の方を介して姫との再会を果たすのだが・・・。

「・・・この暗さゆえ、葎は見えませんでした。このような見事な邸に生え出る葎は、良き香りがするかもしれません」含み笑いの気配がいかにも愛らしく、業平、御簾の内を覗き見したくなります。「葎の宿、草の庵と申すもの、どのようなものか見てみたい。あが君はそのような宿に仮寝されたことがお有ですか」業平、贈った歌を思いだします。(本文p186)

この再会では御簾の内に入ることはゆるされなかったが、待女の近江も高子姫も相当の高い教養の持ち主であることが分かる。それゆえに、業平の恋心は狂おしくなるばかりで翌日もまた、五条の后邸を訪ねる。そればかりか業平のこの一途な思いは噂になるほどにたびかさなることになる。

人知れぬわが通ひ路の関守は 宵よひごとにうちも寝ななん

業平も苦しんでおりましたが、高子姫もまた、やるせなき心地は日々増しておりましたようで。邸の主の順子様のお見逃しがあってのことか、定かには判じられませんが、歌のやり取りのみ許されておりました。(本文p197)

藤原家にとってみれば高子姫は掌中の玉、清和帝への入内を望む良房、基経らはその玉にわずかな傷でもと気にかかる。業平は秩序を乱す危険人物なのだ。

やがて、業平は高子姫との共寝を為しとげ今でいう命がけの《かけおち》を企てるのだが、道中はげしい嵐に遭遇し高子姫を休ませ目をはなした隙に基経らの追手に姫君を連れ戻されてしまう。

業平は京の都を離れ東国へと下るのだが三河国の八橋にて咲き乱れる杜若をみて「・・・歌の上手、業平殿。かきつばた、の五文字を歌の頭に置き、旅の心を詠んで頂きたい。いかがでしょう」と同道する覚行の提案に応じてこの歌を詠む。

から衣きつつなれにしつましあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

「・・・お見事」と覚行。冒頭の能楽「杜若」の元となる歌だ。

朝廷の使いで諸国を訪れた折々にも業平の恋情恋心は衰えを知らず、伊勢を訪れた折には恬子斎王への思いが昂じ一子を授かる。そのことは後になって知らされるのだが、、、。

すでに二条の后となった御息所高子は業平と再会した後、大原野神社にて翁となった業平に言祝ぎの歌を求める。

大原や小塩の山も今日こそは 神代のことも思ひ出づらめ

業平を、歌詠みとして高く評する御息所高子は間をおかず歌会をひらく。業平は神の代を詠い込む。

ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは

業平、この歌会の成り行きに安堵し、覚悟も致したのです。これからは詩ではなく歌の世にしなくてはならない。それが高子様の望みであり、業平に頼まれたお役目でもあるのだと。叶うことのなかった恋情は、行く末々まで歌の世を、子宝としてこの国に残すのだと。(本文p410)

つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はわざりしを

思わず知らず、伊勢に笑みが浮かび参ります。業平様らしい軽やかな真心と、自らの死さえ面白がっておられる趣の深さに、少しの間、涙を忘れる伊勢でございました。(本文p454)

 

本著は在原業平といわれる人物の生き方と恋情の足跡をとりわけ歌を中心に編纂された歌物語といえるかもしれないが、のちに二条の后清和帝の御母となる藤原高子との出会いと数奇な運命をたどる業平の魅力を生きいきと描いた現代小説となっている。

想像しがたいほどの恋情、歌詠みの才と駆け引き、帝や公家文化とりわけ雅で文化的な歌詠みの社会的ステータス等々、時代考証学術的研究をふまえた本編小説伊勢物語はいうまでもなく著者ご自身の表現であり創作となるけれど艶やかで美しい文体は見事というほかない。

 

 

 

ありふれた日常 『ネムノキを切らないで』(岩瀬成子文 植田真絵 文研出版)2021.1

 

 

本著『ネムノキをきらないで』はこの作家ならではの子どもたちの日常におけるささいな出来事、とりわけその内面的な気もちの動きをきわめて繊細なまなざしでとらえたリアルな児童書といえる。なるほど、このような子どもの心理描写はファンタジックな冒険物語とちがって起伏のある場面展開があるわけでもなく、いうなれば変化に乏しいありふれた日常が描かれているに過ぎない。

だが、考えてみれば子どもたちの現実とはこのような時間の連続ともいえるし外見ではその変化をみることはむずかしい。それゆえに、ステレオタイプの《子ども観》に寄りかかった物語ではなく、この分かりにくく見逃してしまいがちな人格的存在の内面を書くことの意味は大きいのではないか。児童書にかぎらず、人間を本質存在論的に捉える有効な方法論として成立するといっていい。

この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。

 

「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(p16~17)

 

家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。

 

ぺちゃんこになったクモの姿を見たとき、ぼくのなかでなにかが、ばちん、と割れたような気がした。同時に、ぼくがまえの日に、おじいちゃんや、おじさんや、お父さんにむかって、「大ばかだ。」といったことばがぼくをぐるぐる巻きにした。ぼくは、自分は大ばかだと思った。(p20)

 

伸夫はクモの死骸を庭に埋めるのだが「なにを埋めたの」とお母さんからいわれ、おもわず「ぎんいろの。」といいよどむ。そして、「ぼくはただそこにいただけのクモを殺してしまった。」と困惑する。どうしてそんな「ぎんいろの」ということばをいったのかわからなかった。

そのときから、なにかいおうとするとことばがきゅうに消えてしまって自分がなにをいおうとしているのかわからなくなり、うまくことばを見つけられなくなった。

子どものタイプにもいろいろあっておとなしい子もいればひょうきんな子もいるし、乱暴な子もいれば正義感のかたまりのようなまじめな子もいる。おとなしい子はなかなか目立たないしどうしてもにぎやかで活動的な子どもが目につくものだが、おとなしくても先生や親や周囲の子どもたちのようすをじっとみつめていておそろしく分かっている子もいる。ここに登場する伸夫はどうかといえば感情と想像力がゆたかでじっと考えることができる。

が、その気もちをうまくことばにできないもどかしさをかかえていることがよく分かる。

 

「北山くん、どこか体の具合がわるいの?」ときいた。ぼくは先生の顔を見て、だまって首をふった。「そう。それならいいけど。このごろちょっと元気がないみたいだから、気になっていたの。具合がわるいときには先生にいってよ。」(…略)もしかしたら、ぼくはほんとうに具合がわるいのかもしれなかった。口にだしてなにかいおうとすると、とたんにそのことばの意味がわからなくなってしまうのだ。元気っていうのはそういう感じのことだっけ、と思ってしまうのだ。(p34)

 

この本ではもうひとり芳木くんという《くん》づけで呼びあう友だちが登場する。ふたりはおなじ保育園に通ったが伸夫はおとなしい芳木くんとは一緒にあそぶことはなかった。小学校にあがっても同じクラスになったこともなく四年生になっても別々のクラスで一緒にあそぶことはなかった。

学校の帰りにふたりは偶然に一緒になりいつしか話をするようになる。

 

「芳木くんの家って、こっちだったっけ。」と、何度目かにいっしょになったときにきくと、「あのね、十月にこの近くに引っ越してきたの。」と芳木くんはこたえた。そして、両親が離婚して、いまはお父さんとふたりで暮らしている、と話した。その話し方はまるでクラスであった席がえの話をしているみたいで、悲しんでいるようにはきこえなかった。(p37)

 

また、青山習字教室の水槽の金網のふたについて教室からでてきた男の人とのやりとりがある。

 

「はんにん。」と、ぼくはぞっとしながらそのことばをくり返した。「盗まれたんですか。」と芳木くんはきいた。芳木くんはこのごろでは、ぼくがなにをいおうとしてるのかがわかるみたいで、ときどき代わりにいってくれる。(p54)

「お墓?」「そう、クモの。」「あ、いいよ。」とぼくはいった。芳木くんはまだクモのお墓のことを覚えてくれていたのだ。ぼくはそのことがうれしかった。(p56)

 

ふたりはいつしか気もちが通じあうようになるが微妙な距離感と遠慮があるようにも感じられる。だが、この絶妙な関係性がふたりの内面の描写を際立たせているともいえる。芳木くんが北山くんの家を訪ねたときのことだった。

 

「芳木くんは保育園のとき、いつも家からお気に入りの絵本を持って園にきていたんじゃなかった?」そばのソファにすわって、ぼくたちがアップルパイを食べるのを見ていたお母さんが言った。お母さんは保育園のときの芳木くんをほんとうに思いだしたみたいだった。

(…略)『おうちは仲町のほうだったわよね、たしか。」「まえはそうだったけど、今はちがいます。去年の十月に前田町のあけぼのマンションに引っ越したので。」「まあ、そうだったの。それはまたどうして?」芳木くんは小さく息をのみ、半分だけ残っているミルクティーのグラスに目をやった。それから目をあげて「ぼくんち、両親が。」といいかけたので、「お母さん、うるさいよ。」と、ぼくはいそいでいった。(p61~62)

 

このふたりには秘密の話と場所があった。ふたりはその話のことを確かめるためにその場所を訪れる。

と、ここまでこの本について書いてきてなんと本文からの引用の多いことにおどろく。子どもの心理描写ゆえにその微妙な気もちの変化や動きを絶妙に表現している作品だからかもしれない。いずれの行(くだり)もこの物語を書くににあたり欠くことのできない文章の連続ということになる。

いつの間にか子どもは成長するけれど、身体的な変化とちがってその内面的な変化と成長のプロセスは分かりにくいものだ。主人公の伸夫はやがてことばが出てくるようになるが、それはこの秘密の話を確かめることが契機となったかもしれない。最終章のおじいちゃんの家を訪ねたときのことだ。

 

芳木くんは「くっ。」と笑った。「なに?」「北山くん、このごろ、すらすらしゃべってるね。」ぼくははずかしくなって、指で眉をごしごしこすった。芳木くんがネムノキを見あげた。(…略)ぼくは立派なネムノキを自慢したい気もちでいっぱいになっていた。(p154)

 

読みおえたあとの、この切なさとさわやかさにも似たな不思議な気もちをどういえばいいのだろう。あっ、これはことばを失ったかもしれない。

挿入されている植田真の絵もすばらしく、ビジュアル的にもとてもきれいにできた本といえる。

 

 

 

暗記あそび 2020.11

 

 

高校生のころ、古文の先生からいわれたことがある。吉田兼好の「徒然草」くらいはすらすらと出てくる大人になってほしい、と。丁度そのとき「つれづれなるままに ひぐらし すずりにむかひて こころにうつりゆく よしなしごとを・・・」というその行をそのままそっくり暗記した。現代版の詞書もその先生の物まねで云えるくらいになった。その教科書にはこのように説明してあったことも覚えている。“ 暇なのにまかせて 一日中 机にむかって 次から次へと頭に浮かんでくる 他愛のないことを ”と。

鴨長明の方丈記も暗記した。

「ゆく川の流れはたえずして しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつむすびて久しくとどまりたるためし無し 世の中に住む住家とまたかくの如し 玉しきの都のうちに棟を並べいらかを争える高き卑しき人の住まひは世よをへてつきせぬものとなれば これをまことかとたずぬれば むかし在りし家は稀なり あるは大家ほろびて小家となる」とつづくのだった。

なんとなく、覚えるのがおもしろくて『神無月』や『平家物語』のほかに『春望』『江雪』など漢詩もいくつか覚えた。「源平たがいにひきしりぞくところに、沖より尋常に飾ったる小舟いっそう水際へ向かって漕ぎよせ、渚より七八端ばかりなりしかば舟をよこ様になす あれはいかに」とつづく那須与一の一節は中学生のころだった。

 

国語がダメで勉強の仕方もわからず古文は丸暗記だ。それでも、とにかく覚えているといいことがある。この年になってはじめて能楽の「那須与一語り」という奇妙な演目があることがわかった。つまり、この名場面を語りとともに演じる風変わりな古典芸能を知ることができたからだ。語りはほぼ私がおぼえているものと同じだったからなおさら能楽もおもしろくなってくる。

そもそものはじまりは小学2、3年生のころの百人一首だった。

正月前になると《いろはかるた》のように遊んでいる中で、最初におぼえた一首があった。「これやこの ゆくもかえるもわかれては しるも知らずも大阪のせき」という一首だ。上の句がはじまった途端に下の句をとった。ほかの兄弟がうたがいの目でみるが当然のことながら合っていた。それからみんなが競って覚えるようになったからおもしろいものだ。中学2年のころには日本国憲法を覚えようとした。前文は覚えたが条文は大事なところくらいしか覚えられなかった。それでも五十くらいの条文は覚えられた。

最近では「白骨の御文章」を覚えたがこれは門徒衆が諭されるものらしくあまり役には立っていない。だから、「般若心経」くらいは覚えたいがどういうわけかこれがなかなか難しい。

 

そんな折、このたび高樹のぶ子さんが執筆された『小説伊勢物語 業平』をとりあげたNHKの番組「100分で名著」をみていて取り寄せたのがこれだ。

業平といえば、岩国ゆかりの能楽師香川靖さんの計らいで紹介していただいた『杜若』を思いだす。『黒塚』や野村萬斎の狂言『寝音曲』と一緒に能舞台を堪能させていただいたのだが、香川さんがシテを演じられた『杜若』が在原業平の和歌「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」の頭の文字をそろえた名作だ。

NHKのその番組では平安末期の世にあって業平と高子のことや彼らがはじめたサロンのような歌会がこの国の《ひらがな文化》に果たした役割について高樹さんから詳しい話があった。「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれないに みずくくるとは」も百人一首にある在原業平の有名な一首。

 

それにしても、このころの帝・公家文化の奥深さ気高さは独特で、男女の関係の秘められた想いも文学と直結している感じが想像できておもしい。そういえば鎌倉時代の初期、紫式部や西行なども数奇な運命とともに芸術文化に与えた影響も決定的だといえそうにおもえるから不思議だ。

 

 

 

経験とおどろき 2020.11

 

 

ポロックの言葉

 

「わたしの絵はイーゼルから生まれてくるのではない。わたしは描く前にカンヴァスを張ることすら滅多にしない。わたしは張っていないカンヴァスをかたい壁や床の上にとめることの方を好む。わたしにはかたい表面の抵抗が必要だ。床の上だと、わたしはずっとのびのびできる。

わたしは絵をより身近に、絵の一部のように感じる。このやり方だと、わたしは絵のまわりを歩き、四方から制作し、文字どおり絵のなかにいることができるのだから。これは西部のインディアンの砂絵師たちの方法に近い。

わたしはイーゼル、パレット、絵筆といった普通の画材から遠ざかりつづけている。わたしは棒、こて、ナイフを、また流動的なペイントや砂、われたガラスその他異質な物質を加えた重いインパスト(厚塗りの絵具)をドリップすることの方を好む。

じぶんの絵のなかにいるとき、わたしは自分がなにをしているか意識しない。いわば”なじんだ”時期をへてはじめてわたしは自分がなにをしていたを知る。わたしを変えることやイメージをこわすことをおそれない。なぜなら絵はそれ自体の生命をもっているのだから、わたしはそれを全うさせてやろうとする。結果が滅茶苦茶になるのは私が絵との接触を失ったときだけである。絵の場合には純粋なハーモニー、楽々としたギヴ・アンド・テイクが生まれ、絵はうまくゆく」(宮川淳著作集Ⅱより)

 

アクションペインティングを論じるとき必ずといっていいくらい引用される重要な言葉だという。

 

 

経験とおどろき

 

確かにそうだジャクソン・ポロックのいうその言葉「制作している時の感覚は何も考えないで絵のなかにいる」とは分かるような気がする。

だが、ひとたびその絵が完成し自身がその作品に向きあうとき、両者の関係においてポロックはある一定の距離をおいて自ら制作した絵と向きあうことになるだろう。そのとき、ポロックと絵はいうまでもなく主体と客体の関係にありポロックの身体性は客体化された絵とともに存在しているとしか考えられないことになる。

この物理的な距離感覚を消滅できる作品を実現できないかと考えるのは、若いころのぼくにとって大きな問題であり課題でもあった。

 

絵画のフレームを取り払い、空間を構成する壁面と床そして天井、それ自体を絵画的な機能をもつ空間へと異化させ、なおかつ日常的空間と非日常を行き来する流動的な場所として成立できないかと考えたのは1980年に発表した真木画廊の個展「FROM THE NOTHING」での試みだった。

ここでは作品をみる側の主体は客体化された作品の只中にいて作品と一体となって接することになる。作品と対峙する時間とともに視点は動き日常と非日常を行き来する理想的な設定ができた。それはまた、ぼく自身の想像を超えた決定的なおどろきでもあった。

 

このころの一連の営為はつまりそういうことであった。

 

 

 

肉体の軌跡 オースターの人生とともに 冬の日誌(P・オースター著)2020.12

2010年を一つの区切りとしてP・オースターは「内面からの報告書」と対をなす本著「冬の日誌」の執筆にとりかかったという。1947年生まれの著者にとって老いを感じはじめる63~64歳ということになる。冬の日誌とはそのことを意味するのだろうか。

「自己の考古学」といえばいいのか、かつての自分を生き直すように内面性(精神)と肉体の軌跡を考察する回顧(懐古)的なスタイルとなっていることを思えば本著はノンフィクションともいえるのだがそれだけではなさそうだ。つまり、かつての自分を君とよび現在の自分のまなざし(思索)が織り込まれている作品であるが故に、それこそ一人称で語るのではなく君という二人称で語る所以がそこにある。まさしくオースターならではの魅惑的な試みというほかない。

 

4  ハーディング・ドライブ四〇六番地 ニュージャージー州サウスオレンジ。前の家より広い、テュダー朝様式の家で、坂の隅っこに居心地悪そうに建っていて、ごく小さな裏庭があり室内は暗く陰気だった。十三歳から十七歳まで。思春期の苦しみを君が生き抜いた、初めて詩や小説を書いた家であり、君の両親の結婚が崩壊した家である。君の父親はここで死ぬまで(一人で)暮らした。(p57)

21  パークスロープ某所 ブルックリン。1892年築、裏手に小さな庭のある四階建のブラウンストーン。四十六歳から現在まで。君の妻は一九七八年秋にミネソタを出てコロンビア大の英文科博士課程に入学した。コロンビアを選んだのはニューヨークに行きたかったからであり、ニューヨークに住みたかったからコーネルやミシガンから提示されたもっと多額の奨学金も断った。(p100)

 

生まれてから現在までの1から21の定住所が記され、およそ恒久的なものとは無縁の中継地点を経てきたことが自身の生の歴史として記述されている。さらに、次のように続けられる。

 

君は自分が誰なのかを知りたく思う。導きとなるものはほとんど何もないから、自分が長大な、歴史以前から続く移住の産物、無数の征服、強姦、誘惑の産物だという前提に君は立つ。先祖たちがいくつもの領地や王国にまたがって長く錯綜した軌跡を描いてきたという前提に君は立つ。結局のところ、移動をくり返してきたのは君だけではない。(p105)

 

このように過去の自分をふりかえりながら一個の肉体を捉え文明や人種について考察する発掘作業にも似た方法論それ自体が小説となっていることになる。つまり、本著は「内面からの報告書」に対して、初老といえる歳まで生きてきたこの作家自身の肉体の軌跡をとおして世界と対峙し思索するきわめて斬新で魅惑的な作品といえるのだ。

 

ところで、オースターにとって両親との関係性についての考察はきわめて重要でその解析は徹底している。父との関係については「孤独の発明」にその詳細が明かされているようだが、ここではむしろ母との関係性についてその想いが伝えられているように思う。とりわけ、母が少年野球に加わって一緒にプレーし特大ホームランをかっ飛ばすエピソードだけでなく、母の放つ魅力については息子ながら納得しているようでもある。また、どちらかといえばオースターは父方よりも母方の縁者に親近感があったことも理解できておもしろい。

最終章ではややポエティックな表現となっているが自分の老いとともに死について考えているからかも知れない。

また、妻との出会いについても過去のさまざまな失敗、判断の誤り、他人を理解する能力の欠如、衝動的で安定を描いた判断、間抜けな対処の仕方を思えば、こんなに長続きした結婚に行きついたのは奇妙なことに思えるとふりかえる。オースターにとって彼女の存在は主体であって客体ではないともいい、容姿の美しさだけでなくこの上なく賢い女性であり屈指の知性の持ち主であることを理解したとある。

妻と結婚したことでオースターは彼女の家族の一員となり、いつしか両親が暮らすミネソタの冬を訪ねることになるが、著者も人生の冬に入ったとふりかえるのだった。

読後に広がるいいようのない深い感動は、人間存在にかかわる人生観をP・オースターの人生とともに感じとれるからだろうか。